身近な観光地には、いつでも行けるということであまり行きません、多賀城碑「壺碑」にやってきたのは、何年ぶりでしょうか、今回、国宝に選定され、あらためてその価値を再認識しました
県内には現在、国宝は、大崎八幡宮、瑞巌寺本堂、庫裏及び廊下、古文書二件、慶長遣欧使節関係資料の六件ですが、多賀城碑「壺碑」は2001年の慶長遣欧使節関係資料以来、実に23年ぶりの選定だそうです。
いろいろ真贋について論議されていましたが、やっと歴史上の価値が認められました
伊達藩二代目藩主忠宗の頃、土中より発見され、その後松尾芭蕉も訪れています。先人西行法師も訪れた壺碑の前で、芭蕉は、感動のあまり落涙してしまいます
右手に、「多賀城あやめ園」があり、少し前には、あやめ祭りが開催され、大いに賑わいました。地形的に一段低くなったこのあたりは湿地帯、芭蕉が訪れたのは、旧暦5月、もしかしたら芭蕉もあやめを見ていたかも・・・。
ハナショウブです
「多賀城あやめ園」では、あやめ、花菖蒲、カキツバタ、菖蒲などがみられるそうですが、素人には、なかなか区別がつきません。今年は、流れる水の量が少なく、花が咲かないエリアもあるようです
壺碑、あやめ園を後にし、いよいよ政庁跡の北東、塩釜街道沿いの「陸奥総社宮」へ
塩釜方面から山の手沿いに塩釜街道を仙台方面に抜ける時、たしかに古いお社があるのは知っていましたが、今回初めて参拝しました
両側の神名額には、陸奥の国の大社十五、小社八十五の神社名が列記されています、縁起ははっきりしない部分があるようですが、陸奥国多賀城との関係が強く、歴代の国司が奉賛していたそうです。国司は、任地国内の諸社に拝することが仕事のひとつだったので、一か所にまとまっていると参拝しやすいですね
近隣の諸社のほこらも多数
知っているようでまったく知らなかった「陸奥総社宮」、多賀城政庁跡、壺碑などと共に、
周辺整備され、注目されるエリアになってきました
多賀城創建1300年、今年から来年にかけて、周辺と合わせブレーク寸前、この機会に周辺散策してみてはいかがでしょうか。