今の若い人たち、子供たちには、とても想像できないでしょうが、1945年7月10日、米軍による仙台空襲で約1400人の方がなくなり、市内中心部はほとんど焼け野原となりました。記憶と記録を後世に残すため、「仙台市戦災復興記念館」が建設されました
7月6日から14日まで「戦災復興展」が開催されています、しばらくぶりにやってきました
開催の挨拶に続き、「伊達政宗公のまちづくり~城下町仙台のヒミツ」と題し、ブラキムラでお馴染みの木村浩二さんの記念講演がありました
講演の主旨は、仙台の街は、①明治維新でそれまで藩政時代の名残を残しつつ、大きく変貌していく
②大正から昭和の初めにかけて経済の拡大と共に建設ブームが起こる
③戦後、仙台空襲後、新しい街づくりと再開発が進み、街が一変していくというものでした
常設展の展示物はまさしく、仙台空襲の記憶と3つの視点による街の変化でした
企画展では、井上きみどりさんの漫画パネル「戦争中の子どもの生活」は、すばらしいものでした。月2回の夕刊の掲載は、何気ない日常の細やかなの感情の移り変わりを漫画にし、いつも楽しみにしています。
常設展を見ていきます
明治の初め頃には、まだ城下町の雰囲気が残っていました
明治後年、大正に入ると、交通機関が発達してきます
昭和に入ると、ビル建設ラッシュですね
宮城県庁はなつかしい、まだ記憶の中にきっちりあります
いよいよ、仙台空襲の記録です、B29の爆弾は、ガソリンをジェル状にしたものが、詰められていましたので、日本の家屋はひとたまりもありません
市内中心部は一面焼け野原です
政宗が造った初期の仙台の街のエリアはほとんどが焼失してしまいます
カラー化された写真はやはり説得力があります
中学生は、授業の一環でしょうか、一生懸命メモを取っています、次代に記憶を引き継いでほしいものです
防空壕のジオラマです、かなり方が、避難した防空壕でなくなりました
市内にまだ数か所、防空壕が残っているそうです
戦後の混乱期です
2両編成の仙石線、屋根や窓はあふれ出た人で一杯です
戦後の復興計画で、また仙台が大きく変わりました
道路拡張で市内の大通りの基盤が形成されました
なつかしい仙台市電、1976年まで走っていました
地下の展示コーナーでは、月刊誌「りらく」に掲載された空襲経験者の証言シリーズが展示されています
また東北大学に残された戦争に関する資料も展示されていました
街歩きをしていると、近代的なビル群とマンションに囲まれた仙台にややもすると味気ない思いにとらわれてしまいますが、どの場所にも記録と記憶があり、いろいろ想像してみるとまた見方が変わります。期間中、様々なイベントが開催されていますので是非、足を運んでみてはどうでしょうか
仙台市戦災復興記念館のHPは https://www.hm-sendai.jp/sisetu/sensai/