札幌の歩友Kさんは、自称「歩く忘却魔」と言っていた。確か、北海道の大会で会い、
その後、各地でお会いするようになり、花桃ウォークにも毎年来てくれるようになった。
人の名前が覚えられないとよく言っており、「…私は歩く忘却魔だよ」…と。
私も人の名前が覚えられないのが昔からの“不自慢の種”である。最悪の経験は、
例会の出発式で、副会長Hさんの名前が出てこず、恥ずかしい思いをしたことがある。
Kさんは、ゆったりとした人で、忘れることを苦にしてはいなかった印象がある。
私にはけっこう苦痛の種で、ちょっとした知り合いに会っても名前が出てこず、
居心地が悪くなる。古い歩友は名前を忘れても、共通の話題があるので、
ごまかして、一緒に歩くこともある。
コソッと、ゼッケンを盗み見て、「あぁ○○さんだ!」ということも、ときどきある。
中には、人の名前をよく覚えられる人がいる。
それなりの努力をしているのかもしれないが、本当にうらやましい。
私は、メモの大切さを身にしみているはずなのに、いざとなるとメモれない。
63年も生きていると、もう“天性の忘却家”なのかなぁ~と、思わないでもない。
Kさんみたいに気にしない性格ならばよいが。
いっそのこと、亡きKさんに倣って、“歩く忘却魔Jr.”と名乗ろうかな。
そう言えば、私は個人的に存じ上げないが、「アルクハイマー」さんという、
やはり同じ悩みを持っておられるような歩友もいる。
ここまで書いて投稿した後、介護施設に勤めている息子が来て、
「認知症をニンチと略すな!!」という文書を持ってきた。
特別養護老人ホーム「緑風園」施設長の書いた文章である。
福祉や介護の専門職の間で、対象者を表すときに、「ニンチ」などと言うことが、
常態化しているとのことである。語感もよくないが、
認知症の方を「ニンチ」と表現することで、蔑むとまでは言わなくとも、
軽く扱っている印象は否めない。たとえば、自分の祖母が、施設内で、
あるいは記録上で「ニンチ」と呼ばれていたら、どうだろうか。
また、幼稚園に通っている、のんびりとした性格の息子が、
「“グズ”とまでいわれなくとも“のび太”」などと呼ばれているようなものである。
実は、「アルクハイマー」という言い方に、私は抵抗がある。
「アルクハイマー」さんが、アルツハイマーを患っているなら、微妙であるが。
忘れっぽいということで、「アルクハイマー」を名乗っているとすれば、
患者の方々に対し、失礼になるのではないかと思った次第である。
そんなことを考えた、今日の“歩く忘却魔Jr.”であった。