悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

松浦武四郎

2018-10-07 18:16:46 | 

このところ「松浦武四郎」を追っかけている。
9月24日、「静嘉堂文庫美術館」で「松浦武四郎展」があり、昨日は国際基督教大学で、
「一畳敷の世界を探求する」と題したシンポジウムに行ってきた。
幕末、北海道を6度探検し、伊能忠敬の蝦夷図を元に、河川や村々を詳細に補筆した。
蝦夷通であることから幕府、明治政府の仕事も引き受けたが、アイヌへの対応に義憤、
職をなげうち、古物収集に明け暮れる生活を選んだ傑物でもある。
古河で生まれた河鍋暁斎とも交友があり、涅槃図を描いてもらっているのも面白い。
晩年、全国の知人に手紙を送り、著名な建築物の取り壊し後の古材を譲り受け、
「一畳敷」という書斎を作った。死後、書斎を解体し、荼毘に付すよう遺言している。
幸いにというのも変だが、遺言は果たされず、今に残っている。
「一畳敷」は、さまざまに解釈されているが、遺言通り武四郎の「棺桶」だと思う。
私もそんな死に方が良いのではと、想像している。

帰りに古河郵便局で往復はがきを購入。一畳敷のある「泰山荘」見学申込みをする。

今日の歩きは、途中で疲れたので、電車利用、車中思い直し下車、新古河から歩く。


  


会話

2016-08-24 19:02:34 | 

人との会話において、考えを問いただされない場合は、そのまま聞き続けることが多い。
ピンポンのようにはいかないが、流れに沿って自分の経験や考えを間に挟むこともある。
興に乗って、つい自分の考えを話してしまうこともあるが、このようなことは稀である。

意見を求められたり、相手の考えに対して、どう思うか問いただされることがある。
だが、考え、立場が違えば、自分の立ち位置を述べなければならない。
相手とのこれまでの関係により、対応は違う。
よく知っている相手の場合は、そのまま、自分の考えを述べれば良い。
初対面の場合や、決まり切ったやり取りになることが明白な場合は、冷静に、
相手を不快にしないよう、自分の考え、反論を、じっくりと話していかねばならない。

私は、意見が違っても、なぁなぁで受けとめることはできないので、困ることがある。
相手を怒らせないよう、反論の根拠を述べながら、理解を求めるようにしている。

だが、激烈な形で、反応することが時にある。多くは自分が対象ではなく、仲間が対象で、
その仲間が、蔑(ないがし)ろにされた場合に、爆発する。

本年4月1日、「障害者差別解消法」が制定された。自分の差別心に気がつかない人や、
差別を当然と考える立場の人は、逆差別だと言うことが多い。
この法律の肝は、「合理的配慮」につきると思う。
「合理的配慮~障害の有無によって人を分け隔てせず、尊重する対応をすること」
「差別」事例について、罰則適用は逆に反感を呼び起こすことが、現状では懸念される。

今日の歩き
下の写真は、河川敷のゴルフ場

 


個の尊重?

2016-02-07 18:23:09 | 

イヤフォンで音楽を聴く若者が目だつ。若者だけでなく、青壮年にも最近は多い。
以前は、イヤフォンから、「シャカシャカ」音が漏れ、話題の一部になっていた。
イヤフォンそのものの改良により、音漏れはかなり減ったようだ、最近気にならない。

今朝の新聞投稿に「高校生の声」が載った。母と友人と車で出かけた時、母に叱られた。
なぜ叱られたかわからなかった。家で食事中、先に終わった兄はイヤフォンで音楽を聴く。
その時、なにか自分が疎外されていることに気がついたそうだ。
イヤフォンの利用は、他人に迷惑をかけないという働きがあり、それが目的なのだろうが、
外界を遮断するという働きも持つので、友人に失礼だろうという教えと気がついたそうだ。

私も、いつも母の傍にいるので、本を読んだり、他のテレビをパソコンで見るとき、
ヘッドフォンを使っている。私のヘッドフォンは、周囲の音を少し減らす働きも持つので、
音楽などを聴かなくても、ヘッドフォンを付けることがある。
だが、考えれば、傍にいながら母とは別の世界にいる。母を無視している側面がある。
気を散らさずに本を読みたい、母の見ているテレビの音(バラエティ番組)を聞きたくない、
などなど、周囲の雑音から自分を守りたいという思いがある。
また、私は、電車ではたいてい本を読む。車内で乗客の大声を聞かされると気が散るので、
外音を遮断する働きを持つイヤフォンを使ったり、音楽を聴くこともある。
これらは、他人に対する配慮という側面があるものの、他人の排除という意味も持つ。

他人への配慮とともに個の尊重を同時に実現するかのように思えるが、果たしてどうか?
合理性の追求が人間社会を耐久力のない世界に導いているような気もする。

 


花笠音頭

2015-08-05 21:18:37 | 

「山形花笠まつり」が始まったと、夕方のニュースで報じていた。画像を見ながら、
「ディズニーランド」で見た風景を思い出した。
ディズニーランドの出し物は、ほとんどの職員が笑顔一杯で、もてなしてくれる。
花笠音頭の場合も、似たような笑顔で多くの子どもたちが踊っていた。
しかし、長時間こんな笑顔を続けられるものかと疑問に思った。私の経験では、
ディズニーランドで、ほぼ完璧なもてなしと笑顔に迎えられ気をよくしていたが、
最後の場面で、会場整理係の女性が、終始ぶすっとした顔をしていた。
どうしたんだろう、仕事が気に入らないのかなと、やたらと気になった。
しかし、99%もの職員が、笑顔満載というのはかなりの負担だと思った。
ディズニーランドでは、次から次に入社するが、辞めていく人も多いとのこと。
職員のレベルの高さは、すばらしいものだが、耐えられない人もかなりいる。
観客にとってすばらしいサービスの提供も、苦痛の種と感じる職員もいるだろう。
いくつかの職場、職員のサービスを見て思うのは、ディズニーランドでは、
社の方針がかなりの確率で、高度に表明されていることだ。
普通の会社では、1人か2人対応の良い人がいるくらいであることを考えると、
ディズニーランドのできは、かなりのものだと思うが、自然ではない気もしている。
だが、この対応で客を呼べるのは事実だ。参考にしたいものだと思う。
 


あさひさん

2014-09-05 20:47:34 | 

広島の土砂災害で亡くなった「あさひさん」の「追悼ウォークと偲ぶ会」の通知が届いた。
夕方、「ニングルさん」からも、おどろいたという電話が入った。
まとめ役は「いっちゃん」が担当してくれる。
10月12日、東京で開催され、12㎞を歩いて、「かめさん」シートを囲んで偲ぶ会を催す。
あさひさんとは10年来の淡いつきあいだ。たぶん、指宿で会ったのが最初だと思う。
それからも、おもに、東京、指宿で時々会うという関わりだった。
古河の花桃ウォークにもいつか行きたいと言っていたが、実現できなかった。

今年、指宿で会ったとき、「マッチー」と「悠々さんお勧めのコップ」でワインを飲んでいた。
色はバナナ色(黄色)だった、うれしかった。
ここで「あまからさん」差し入れのワインをいただく。
たぶん、下記の記事を読んでくれたのだろう。

都合を付けて参加したい。 


 


神は太古の昔からいなかった

2014-07-13 21:19:38 | 

信長を描いた映画などの作品では、情け容赦なく殺戮を繰り返す場面が描かれる。
そのむくろの後ろには、何千何万の死を悲しむ人たちがいる。
信長の家族や家来が泣く場面などを見ると、「泣くんじゃねーよ」と言いたくなる。
信長の死を悲しむ人は、信長に殺された人の死をどう考えるのだろう。

そんな苦悩を描いた作品にはついぞ出会ったことがない。
その当時、上層階級に所属する者は、平民の死は物の数にも入らなかったのだろう。

現代において、人間は一種類しかいないはずだが、象徴などという存在は不要だ。
彼らは、一般国民をどう思っているのだろう。
現天皇は、父親の名の下に、国民が殺され死んだことをどう理解しているのだろう。
懺悔したという話は聞いたことがない。けじめとしては懺悔すべきだろう。

日本の謝らない(反省しない)文化は、この辺りに問題がありそうだ。

その人が目の前にいるだけで頭を下げる存在は、日本にはいらないと切に思う。 


ウォーキング交遊録

2013-12-22 18:48:52 | 

「第49回鎌倉歴史探訪ウォーク①君知るや朝比奈切り通し」に参加した。
このコースには13名の予定が怪我などで9名に減、他のコースに10名であった。
会場の金沢八景公園に向かう途中、千葉のSさんに会う。近況報告や、
お互いの知人の動向を聞きながら会場へ。
会場では、個人会員や、15年前伊能ウォークで、古河に来られたKさんに会い挨拶。
彼とは数年に1回くらい会うくらいだが、屈託のない笑顔が懐かしい。
個人会員の代表Hさんも仲間を連れて参加していた。
ゴールすると、県協会長のHさん、JWA元会長のOさんも元気にゴール受付におられた。
東海ひたちなかの会長Mさん、会員のIさんにもあった。Iさんには、乾燥芋を頼んであり、
生産農家の○○さんもおられたので、挨拶をする。
鎌倉駅に到着し、土産物を物色。高萩の事務局長Mさんに会い挨拶。
駅のホームで、JWA元会長に会い、大きな声の源は何かと聞いたが、笑っておられた。
最近は、各地の大会に参加することが減ったので、お目にかかる仲間が減ってしまった。

それでも10人以上のウォーキング仲間に会った。いつもさらっとした交友関係だが、
会えば懐かしく話をすることができる。大切にしたい仲間たちである。


日野原さん

2013-12-14 10:41:34 | 

102歳の医師は、朝日新聞土曜版「102歳 私の証 あるがまゝ行く」というコラムに、
地獄の一歩手前、“煉獄”へ行く夢を見たことを書いている。
今日は、そこからの立ち直りが書かれていた。
編集者は、それとなく励まし、体を気遣ってくれたそうだが、杞憂に終わったという。

悪夢の翌日、NHKの番組「こころの時代」の収録で出かけた「鈴木大拙館」で、
老師が残した言葉、“それはそれとして”という言葉が、深く胸に染みこんできた。
特定の物事にとらわれず、心を平らかに保ち、しなやかに前を向いて生きていく。

“それはそれとして”、そうつぶやいた時、心身の疲れがさらさらと流されていったそうだ。
日野原さんにしてこの境地。


歩く忘却魔Jr.

2013-10-28 21:46:11 | 

札幌の歩友Kさんは、自称「歩く忘却魔」と言っていた。確か、北海道の大会で会い、
その後、各地でお会いするようになり、花桃ウォークにも毎年来てくれるようになった。
人の名前が覚えられないとよく言っており、「…私は歩く忘却魔だよ」…と。
私も人の名前が覚えられないのが昔からの“不自慢の種”である。最悪の経験は、
例会の出発式で、副会長Hさんの名前が出てこず、恥ずかしい思いをしたことがある。

Kさんは、ゆったりとした人で、忘れることを苦にしてはいなかった印象がある。
私にはけっこう苦痛の種で、ちょっとした知り合いに会っても名前が出てこず、
居心地が悪くなる。古い歩友は名前を忘れても、共通の話題があるので、
ごまかして、一緒に歩くこともある。
コソッと、ゼッケンを盗み見て、「あぁ○○さんだ!」ということも、ときどきある。

中には、人の名前をよく覚えられる人がいる。
それなりの努力をしているのかもしれないが、本当にうらやましい。
私は、メモの大切さを身にしみているはずなのに、いざとなるとメモれない。

63年も生きていると、もう“天性の忘却家”なのかなぁ~と、思わないでもない。
Kさんみたいに気にしない性格ならばよいが。
いっそのこと、亡きKさんに倣って、“歩く忘却魔Jr.”と名乗ろうかな。

そう言えば、私は個人的に存じ上げないが、「アルクハイマー」さんという、
やはり同じ悩みを持っておられるような歩友もいる。

ここまで書いて投稿した後、介護施設に勤めている息子が来て、
「認知症をニンチと略すな!!」という文書を持ってきた。
特別養護老人ホーム「緑風園」施設長の書いた文章である。

福祉や介護の専門職の間で、対象者を表すときに、「ニンチ」などと言うことが、
常態化しているとのことである。語感もよくないが、
認知症の方を「ニンチ」と表現することで、蔑むとまでは言わなくとも、
軽く扱っている印象は否めない。たとえば、自分の祖母が、施設内で、
あるいは記録上で「ニンチ」と呼ばれていたら、どうだろうか。

また、幼稚園に通っている、のんびりとした性格の息子が、
「“グズ”とまでいわれなくとも“のび太”」などと呼ばれているようなものである。

実は、「アルクハイマー」という言い方に、私は抵抗がある。
「アルクハイマー」さんが、アルツハイマーを患っているなら、微妙であるが。
忘れっぽいということで、「アルクハイマー」を名乗っているとすれば、
患者の方々に対し、失礼になるのではないかと思った次第である。

そんなことを考えた、今日の“歩く忘却魔Jr.”であった。


昨日今日の私

2013-10-06 21:31:50 | 

昨日の例会、今日の元気ウォークと、私の対応のいい加減さが露呈した。
ろう者の参加は、5日3名、6日5名。私は、ヘッドセット付き拡声機を準備したが、



使わなかった。降雨、面倒(大げさに感じられないかとの遠慮による)が理由。
はっきりと自覚していたわけではないが、自分に問えばそのようなことになるだろう。
「関宿閘門」での説明には手話を使わず、後方から、聞こえないとの発言に対し、
トランシーバーを使って(拡声機として)聞こえる人にだけ伝えた。
今日も、ろう者を含めた全員に伝えようという姿勢に欠けた。
参加者が多い場合は、最初からヘッドセットを付けてということが求められるだろう。
常に、私が話す場合は手話を使う、とした場合、普通の拡声機だけでは役に立たない。
ヘッドセットを常時身につけて行動しなければならない。ただ、ちょっと抵抗がある。

人がなんと言おうと構わない、自分の役割に徹すれば良いのだが、妙な遠慮がある。

昨日は、「道の駅ごか」で臨時役員会を開催。忘年会の相談。会長が話し、私は通訳。
忘年会の中身について、昨年までのような、ろう者不在の会はやらないことにした。
といっても、ゲームなどについてだけだが、カラオケについては触れなかった。
皆はどう考えているだろう。少なくとも手話コーラスを入れるなどの対応はできるが、
私はあまり積極的に手話コーラスを取り入れたいとは思わない。
聞こえない歌など下手な手話で表現しても意味が無いから。
十分に練った手話表現なら意味があるかも知れないが…

常時ヘッドセットを使うことにはまだ抵抗があるが、
聞こえない人への伝達をどう実現するか、
まずは私の責任で考えていかなければならない。

今日、食事時のテレビ放送は、「ろうを生きる難聴を生きる
この中で、「合理的配慮」について触れていた。私がいつも考えていることではあるが、
実際の現場では実現が難しいことを痛感している。
残念ながら私の個人的(対応力、実現力としての)限界が壁になっていると思う。