また、今日の新聞から
200年前のこと、大分県臼杵市(臼杵藩)の姉妹が、1,200㎞を船や徒歩で、
当県常陸太田市の青蓮寺まで、病に倒れた父を迎えにきたという話。
浄土真宗信徒の父親は、親鸞ゆかりの遺跡巡礼に出かけ、青蓮寺で動けなくなり、
寺や地元住民に助けられ、療養していた。
7年後、青蓮寺の住職が、京都西本願寺で行なわれた親鸞550回忌大法要で、
臼杵にある菩提寺の住職と出会い、消息が知れたという。
臼杵市では、小学校の教科書にも載るくらいに知れているが、常陸太田市では、
知る人はいなかった。2005年に、青蓮寺で書簡など古文書が見つかり、
臼杵からの問い合わせもあり、にわかに動きが出てきたとのこと。
まず、西日本新聞の記事では、この親子が貧しかったということになっている。
朝日新聞では、「貧しかった」という文言はない。
貧しい家の父親が、史跡めぐりという設定もわからない。
姉妹は、臼杵藩に許可を得て旅に出たらしいので、「貧しい」部分は、誤りか、
脚色かもしれない。
また、貧しい農家の父親が行方不明になると、ドラマなどでは身売り話となる。
1,200㎞という距離。船と徒歩で2ヶ月かかったという。
全部徒歩でも日に20㎞で歩けるので、不可能な話ではない。
船旅はどのくらいだったのだろう。旅の行程なども知りたい。
また、西日本新聞では、この話が臼杵では知られていないという設定になっている。
それにしても、7年を経て、寺の住職同士が京都で出あうというのもすごい。
青蓮寺の住職は、父親の生まれがどこか聞いていたのだろう。
そして、550回忌の法要で、もしかしたら一家の菩提寺の住職と会えるかもしれない、
と思って出かけたのかもしれない。
昔、大家は店子の家族のことをかなり詳しく知っていたようだから、
菩提寺の住職に会えれば、行方不明になった檀家の消息は、
確認できる可能性が高い
ただ、西日本新聞と朝日の正反対の記事が気になる。
①貧しい家族だったのか、②臼杵では知られていないということ、の2点。
「二孝女物語」として本になっているようなので、調べてみたくなった。
後刻、つつみ館(図書館)にあったのでWEBで予約した。