悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

用心棒日月抄

2008-11-30 18:45:51 | Weblog
 突然こんなタイトルでは驚かれると思う。先に、「鬼平犯科帳(池波正太郎)」を読んでいると書き、次は全集版に移るかのように表明していたことを失念していた。全24巻を堪能し、さてと思ったとき、長崎の姪×2が来河(古河に来たことをこのように言う)していた。羽田まで送って行く役割があり、車中読むには文庫だ!手頃な文庫「用心棒日月抄(藤沢周平)」に手を出しても、責められる謂われはないのではと、居直りつつ読み進めている。

 解説に書いてあるから言うのではないけれど(^_^;)、やはり”佐知~女忍者”に会いたいのだ。又八郎(主人公)ならずとも、このかぐわしき女性は、魅力的だ。自己を制御する力の奥に、豊かな情感を隠し持って生きている。いずれ、「蝉しぐれ」のような結末になってほしいと思うのは、勝手な妄想だろうか。…と書いてきて、さて、この結末を忘れていることに気がついた。

 失礼ながら、最終巻の文末を覘き見た。佐知は、国元に戻り、仏門に入るのだという。~「(又八郎は)年老いて、尼寺に茶を飲みに通う自分の姿なども、ちらと胸をかすめたようである。背後で佐知もついにつつましい笑い声を立てるのが聞こえた。」としめてあった。

手話通訳の配置実現

2008-11-20 22:49:49 | Weblog
本日、「第10回古河まくらがの里・花桃ウォーク」実行委員会が開催され、初めて、正式に事務局提案として、手話通訳の配置が実現しました。

第1回当時、聴障者の参加は、私も考えていませんでした。2回めか3回目の時、目の前に手話を使う参加者がいたので、急遽私が通訳をしました。その後、事務局に対し手話通訳の配置を要求してきましたが、理解が届かず、前々回は、実行委員長である教育長に対して、要望書を提出したところ、何となく?実現しました。

翌年は、引き継ぎがないということで、正式には手話通訳設置なし。実際には、何とか手話での通訳は行われました

今、9年間の苦労が実ったということで、美酒に浸っております。


ドジ&セーフ~まるでトラベルミステリー

2008-11-17 17:28:02 | Weblog
 長崎に住む母の弟が最近亡くなり、双子の姪が14日、父親の実家の墓参りのため古河に来た。2泊3日の短い滞在で、父親の実家と、私の家に1晩ずつ泊まった。昨日、荷物持ちを兼ね、2人を羽田まで送っていくことになった

 東京まで行くついでに、帰りに上野で用を足すつもりでいたが、忘れ物をし、家人に駅まで届けてもらった。ところが、忘れ物の受け取りがスムースにいかなかった。2人は、私が後方の車両に乗ったと思い、予定の電車に乗ってしまった。次の電車は、12分遅れの湘南新宿ライン。

 これに乗り、双方の赤羽駅到着時刻を調べると、共に12時57分。羽田空港までには追いつけると思ったが、ポーターの役目が十分果たせないのを気にしながら赤羽駅を目指す。赤羽駅手前の橋を渡って間もなく、左側を走る上野行きに追いついた。見ていると、少しずつ追い抜いて行く。上野行きの到着は隣番線と思われる

 自車を降り、駆け足で階段を上った。次の番線への階段を下りている最中に、「間もなくドアが閉まります」とのアナウンス。飛び込んだのは1両目の車両。背中でドアが閉まった

 間に合った喜びに浸りながら、2人を捜す。いた!、3両目のグリーン車寄りに座っていた。息を弾ませながら、2人の隣に座り、経過報告。2人はすでに、ドジな兄のやらかしたことを、私の弟に報告済みであった。他の人にも連絡したの?と聞くと、「まさかそこまでは」と笑っていた。

祝・東松山20回完歩~その2

2008-11-05 19:12:57 | Weblog
 スリーデー2日目、3時半頃ゴールし、体育館でくつろいでいた。神奈川のSさん(聴障の歩友)が松小体育館に来て、「聴障の仲間が集まっている、会場に来て顔を見せてはどうか」とのこと。見せるほどの顔でもないと思いつつも、挨拶くらいしておいた方がいいだろうと、「酒は飲めないけど」などと言いながらついて行った。

 会場では、まだ盛り上がったウォーカーがたむろしていた。聴障の仲間は、栃木、東京、神奈川など数人が集まっていた。足利の手話サークルに所属しているウォーカーもいた。また、大会誌に写真が載るような写真家も混じっていた。

 しばらく歓談したが、聴障者のウォーキング志向は、着実に広がりつつあると思った。先の東京国際で3人の(聴障)公認指導員も誕生した。彼らは、メタボ問題なども含め、障害者のスポーツについて真剣に取り組み始めている。
 このようなときに、行政は積極的に支援し、「障害者の社会参加」を、せめて基本的なところでは地域格差のない、当たり前のものとしてほしいと思う。

祝・東松山20回完歩

2008-11-04 22:00:22 | Weblog
 一週間前の筑波山行きで、膝に不安を抱えての参加だったが、何とか三日間歩けた。天候は、初日、軽い迎え風で少し体力を消耗。2日目、快晴で少々暑かった。3日目、一日中曇りで、歩くには最適な環境だったが…。

 しかし、脚の状況は、次第に疲労が重なり、最終日には懸念していた「みかん山」に向かうにつれて、足の付け根に痛みを覚える。「みかん山」への登りは、痛みも和らいだが、下りから後半残り8㎞付近まで足を引きずるような歩き方になってしまった。千年谷では、予想もしていなかった「豚汁」にありつけた。~いかにも残り物状態ではあったが。→参加者の減少が影響しているようだ。この後は、痛みも何とかごまかしての歩きで、4時少し前にゴールできた。

 今回の50㎞参加は、あまりほめられたものではなかった。膝の故障に加え、事前の準備もしなかった。それでも歩けたのは、19回参加の経験に支えられたおぼろげな自信のせいだと思う。不安があったり、痛みを覚えても、過去の経験が乗り越えられそうな気分で背中を押してくれた。同じ疲労や痛みでも、初期の頃と較べると余裕があったような気がする。

 肉刺(まめ)はできなかった。靴擦れはできそうな気配だけで済んだ。2日目には、右足のかかと上にテープを貼って肉刺を予防。3日目は、両母指球付近にびっしりとテープを貼った。お陰で後遺症なしで済んだ。しかし、2日目の靴下は、母指球部とかかと上部に穴が空いた。歩く上での経験も役に立ったと思う。

 しかし、このままではさらに参加記録を伸ばすことは難しいだろうと思う。できれば、もっと楽に歩きたいし、ゆっくりとゴール後の会場の雰囲気も楽しみたい。入浴設備が会場付近に少ないので、ゴール後の過ごし方が難しい(宿泊施設から、15分ほどの福祉センターの風呂は、狭く混雑。車で15~20分の蔵の湯は酒が飲めないなど)。