本日は、明日のウォーキング大会用の参加賞袋詰め。県内各会から20数名が集まった。
手順についていろいろな意見があがり、流れに乗るまでには1~2時間ほどかかった。
いずれ妥当な流れを誰かが身につけ、適切に指示を出すようになるだろう。
私は、てきぱきと進めなければならない作業は不得手で、ただ、ついて回る口である。
瞬時に判断して意見を述べる人、思いつきをすぐに口にする人、さまざまである。
私は、時間をかけて判断し、ゆっくりとことを進める性分なので、
こんな時はただついて行くことが多い。思いつきで発言しても、不適切なことが多い。
人には得手不得手があるので、得意な分野で能力を発揮すれば良いと思っている。
ただ、状況によっては必要なことは言わねばならないと思っているので、
流れを見て、どんな方法が適切か、自分なりには考えている。
苦手なことを引き受けるかどうかはその人の判断なので、微妙なところである。
状況判断が適切にできれば世の中の仕組みはなめらかに回っていくのだろう。
子どもの足に起きている変化。足の指を十分に使えない子どもが増えているとのこと。
裸足で歩くことも少ないので、足の裏の筋肉が発達していない。
そんな変化が少しずつ進行している。
識者あるいは関係者は、以前から警告しているのだが。
私たちの会が地味に進めていることは、
自分の足と頭を使って歩こう、安楽は求めないで会活動を進めていこう、など。
足育(そくいく)という言葉が生まれた。足の機能を育むことに意識を向けようという。
そんな中、6月15日「九十九里はだしで歩こう」に参加することになった。
当日は役員会の予定であったが、期日を変更し、会員を誘うことにした。
これまでにも、例会として参加したり、お誘い大会として参加してきた。
コースは時々変わるので、はだしで歩ける距離には長短があるが、良いコースだ。
砂は硬くしまっているので、沈まずに歩け、きれいな砂浜なので危険も少ない。
6月1日の例会で、参加者にチラシを配り、希望者に参加してもらう予定。
2002年に実施された「はだしで歩こう」の様子(当時は県主催)
数十年から百年をかけて変化することがらには、人は容易に気がつけない。
できるだけ多くのことがらに、問題意識を持ち続けたい。
急がれていた、県内各ウォーキングクラブの年間行事予定を、やっとHPに掲載した。
県協会個人会員が中心になって実施している大会については、明日掲載する。
年間行事予定は、期日と行事内容(主にタイトル)が中心なので、
これを見ただけで参加できるわけではないが、予定を立てるには必要で、
参加大会を探しているウォーカーにとっては大切な情報源である。
行事予定を参考にして日程を調整した上で、必要であれば各会に問い合わせる。
そんな風にして、歩きに目覚めたウォーカーは自分の足と頭で各地に出かけていく。
そこには、個人の楽しみ、歩き仲間との交流、諸々の情報・知識、健康などがついてくる。
ウォーキングクラブの役割は、例会を楽しむことを主な目的とした人はもちろんであるが、
できうれば、自分の足で動ける人をこそ輩出したいと考えている。
旅行会は各地にたくさんあり、喜んで迎えてくれる。もちろん、実費+営業費用となるから、
そこそこの費用がかかるが、連れて行ってもらう対価としては、しかたがないだろう。
当会は、地域社会的な意義も自覚しながらの活動であるので、
楽しみ中心の会とは一線を画すのはしかたがないだろうと考えている。
24日、機関紙配布の途中、上大野小学校に寄った。桑の実が熟れる時期なので、
実のついた枝を届けたいと思い、学校の意向を聞くために伺った。
お二人の先生がプール掃除をしていたので、声をかけ、了解を得た。
上大野小学校周辺は、昔、桑の栽培が盛んだったので、校章の意匠が桑の葉と繭である。
校舎の前に桑の木があったが、枯れる寸前であり、ほとんど実がつかなかった。
子どもたちに校章の意味を知ってほしいと思い、数本届けたことがあった。
実のなる時期なので、渡良瀬遊水地に様子を見にいったところ、ほどよく熟れていた。
本日は、10数本、1mくらいに切って届けた。
ところが、当時の校長が植えた桑の木がたくさんの実を付けてた。
せっかくなので、すべて車から降ろし、教育の一環として使っていただくことになった。
車の中に20数個落ちていた実で、ジャムを作った。
のりの佃煮みたいだが、桑の実の佃煮のようなものなので、似ているのも当然か!
2度読む本は少ない。
詩集は、音楽的な側面があるので、その性格から何度も読むことはありそうだ。
詩集はあまり読まないが、金子みすゞの子ども向け詩集本は、時々読み返している。
私の場合、藤沢周平の時代物の何作かは数回読むことも珍しくない。
映画化された作品も何度か見ている。
理由は、作品に表現された内容や主人公などに対する共感、心地よさにある。
「用心棒日月抄」の青江又八郎と佐知、「蝉しぐれ」の牧文四郎。
刑事物には珍しく、「相棒」の杉下右京も何度も読む本になりそうな感じがしている。
人間的に関心があるし、発想、思想などに共感できることが多いから。
宮部みゆきの蒲生邸事件も3度くらい読んだ。
これは、主人公のおかれた状況が特異で面白いからだった。
その後何作か読んだが、模倣犯を読んで、もう読みたくない作家になってしまった。
どうしても認められない主要登場人物に対し、不快感が募り、我慢ができないからだ。
このような本が書ける作家は、他に良いものを書いていても認めたくないと思ってしまう。
また、人物という点では、田中正造、熊沢蕃山、大塩平八郎、城山三郎の描く人物像など、
その人をもっと知りたいと思い、関連本を探すことになることもある。
今少し迷っているのが、小川芋銭の全作品をまとめたとされる本が刊行された。
値段が張るので迷っているが、刊行元の牛久市の生涯学習課に問合せをしてみたい。
まさか、まけてはくれないだろうが。
ついでにもう一つ、今だに迷っているのが、ジュディオングの版画。
画像が小さくてわからないかもしれないが、ガラス窓に庭の木々が映り込んでいる。
この作品が好きなのだが、ちょっと手が出ない。
版画の大きさは、こんな感じです。
<今日の歩行~6.3㎞>20:51~21:56
二日目。ツーデーマーチへの参加は久しぶりだったが、
会の仲間と歩いたので楽しく過ごすことができた。
下の写真は最初の給水所での風景。
地元の中山囃子連が、お囃子と踊りを披露しながら飴を配っていた。
同級生だろうか、からかい半分、興味半分で和やかな雰囲気だった。
ゴールでは10㎞を歩いたNさんが待っていてくれた。定例会では飲まないのだが、
今回はお祭り気分でゴールの一杯を楽しんだ。染め物をしているというご夫婦が、
団子汁やコーヒーなどを提供しているテントの脇でくつろいでから帰路についた。
帰ってからショートステイの母を迎えに行く。手違いが2件あった。
1つは、座席昇降装置の故障で母を抱えて乗せなくてはならなかった。
2つめは、食事を済ませているはずの母が、施設の手違いで食べていなかった。
この件に関しては母の記憶は前回も正しかったので、施設に確認。
やはり、手違いがあったとのこと。急きょ食事を準備。
ばたばたと慌ただしい一日となった
参加者2万人を目指す大会だけあって活気があった。
例によって中学生たちが笑顔で迎えてくれた。関係諸団体、市役所の職員、
消防関係の職員も動員されて、文字通り町を挙げての取り組みになっていた。
つい、花桃ウォークと比較してしまうので愚痴混じりになってしまうが、
花桃ウォークをいかに素晴らしい大会に変えていくか、
私たちにできることを考えていくべきだろう。
明日も参加する。楽しんできたい。
受付前、会場入り口にて
朝日新聞のサービスで撮ってもらった写真
先に受けた講習会で、講師の話を聞いてうなずいた。
感心したというより、同志を得た思いだった。
1.テレビはあまり見ない。内容がつまらないし、似た番組ばかり
2.ニュースでも同じことを繰り返しているので、1度見れば十分
3.刑事物は好き、「相棒」など
どこに回してもひな壇番組だったり、お追従笑いのオンパレードは、理解に苦しむ。
擬似民放と化したNHKにもうんざりなので、受信料を支払うのが嫌になる。
NHKも有料放送にしてほしい。
というよりも、見たい番組だけを有料で見る仕組みはどうか?
コマーシャルの意味がなくなってしまうが…
当会の「いばらき元気ウォーク」は、市内3地区を交代で歩いている。
これまでは、毎回ほぼ同じコースを歩いてきた。
毎回清掃活動をし、ゴミ分別の都合もあるので、あまり工夫もしてこなかった。
アダプトプログラム参加を年3回としたので、コース取りに余裕がでてきた。
そうなると、コース検討に力が入る。
先月の三和地区は下見を3回実施し、私にも初めてのコースを織り込んだ。
地形図上でも十分に練ったので、面白いコースになったと自負している。
来月は総和地区。史跡などが点在しているので、10㎞以内に納めるのは難しい。
ヘルスロードは「ネーブルパーク一周」のみ。これまでは、これに蕃山溜を加え、
6㎞+4㎞の10㎞コースとした。今回、静御前ゆかりの思案橋と、鮭延寺を想定した。
ところが、大きな道路を避けようとすると、距離が伸びてしまう。
やはり、毎回同じコースというのでは、飽きてしまい参加への意欲も湧かない。
今後、清掃活動をしない月については、思い切りコースに変化をもたせ、
コースのストックを増やし、参加者が楽しめるようにしたい。
歩きの目線で見ると、意外な発見もある。
コース作成者も楽しめる取り組みでないと参加者も楽しめない。
この点について、今回反省した。
清掃活動のある月についても、変化をもたせるべく、努力したい。
片付けのポイントは「ときめき」だという。
ときめく度合いによって、処分するかどうかを決める。今朝のラジオで著者が言っていた。
片付けは場所で行なわず、種類ごとに行なう。
この「部屋」でなく、「衣類」、「食器」、「本」、「靴」などと、種類ごとに一気に片づける。
少しずつは失敗する。←体験的によくわかる
この著者による「人生がときめく片付けの魔法」はベストセラーとなり、
古河の図書館では予約者が20数人いるとのこと。私は去年から待っている。
先日「あと何人」と聞いたら、まだ10人くらいいた。
期限の2週間ではなく、継続して1ヶ月くらいは手元に置いておくのだろう。
私も時々やるので、人のことは言えない。
娘に話したら、「私のもっているのを貸してやろうか」と言われた。
片付けのバイブルのようにしている様子。
古本が180円くらいで売っている、送料込みで、430円。
片づけられないで困っている人はこんなにいるのかと、呆れる。
「ときめき」という言葉は、男にはフィットしない。意味はわかるが、別な言葉が良い。
「どうしても必要なもの」というのは無粋だし、なにかインパクトがない。
やはり「ときめき」が、ぴったりなのだろうか?
この著者、かなり突き詰めて考えているようなので、片付けを成功させるためには、
ふさわしい言葉なのだろう。
母就寝後、ただひたすら東に5㎞地点まで往復する。