悠歩の管理人室

歩くことは、道具を使わずにできるので好きだ。ゆったりと、迷いながら、心ときめかせ、私の前に広がる道を歩いていきたい

針路

2015-05-31 21:17:01 | 雑記

気になっていたHPの更新がやっとできた。ただ、すべてではなく、各会の年間予定表だけ。
相も変わらず、旧態依然としたページだが、常に新しい情報を提供できれば良しとしたい。
あとは、各会の月別予定、500選、マスターウオーカー賞、ヘルスロード関連の更新がある。

ある歩友から、距離を稼ぐことを優先した事業は、限界にきていると指摘されている。
私は、それもあり、これもありと考えている。
組織の方向性を定めるのは難しいが、責任を持てる範囲で提案するしかないと思っている。 


ハッピーエンド?

2015-05-30 22:17:41 | 雑記

チャップリンの「街の灯」を見た。時間がないので、10分くらいで終了したが、感動。
話を知っているせいかもしれないが、背景に流れる音楽と相まって、最高のムード。
薄幸の花売り娘(視覚障害)に寄せる思いが胸に迫る。
娘は、金持ちの紳士が自分の目を治してくれたと思っているが、最後に事実を知る。
何だったっけ?結末を忘れてしまった。

見えるようになった娘は、花屋を営んでいる。
そこに、落ちぶれた姿のチャップリンが通りかかる。
地面に落ちた花をチャップリンに手渡そうとして、気がついた。
私を見守っていてくれたのは、この人だったと。
しかし、この後にどんな結末が訪れるのか、両論あるらしい。
しかし私は、自分の身に置き換え、ハッピーエンドであることを疑わない。


面白い符合

2015-05-29 20:24:43 | 雑記

私は比較的短期間の内に「一時停止違反」で、処分を受けた。
2度目は、小さな一時停止標識を見逃したため。最初は、「どうぞ」と言われたため。
具体的にいうと、古河の外れの小さな踏切でのこと。
北から南に走り、古河に入る手前に踏切がある。踏切で待っていた歩行者が、
「どうぞ」という仕草をしたので、減速していたが止まらず、ゆっくりと通過した。
間もなくパトカーが現れ、所定の業務を行ない、反則金を払う仕儀と相成った。
どうぞといわれても、じっと我慢の一時停止を実行しなければならない。

場面は変わって、信号機はないが、大きな横断歩道がある場所の通行でのこと。
つまりは例会での状況である。
例会で、こんな場所を横断するとき、歩行者は車に「どうぞどうぞ」といっている。
半分くらいの車は、集団を見ると止まって、「行け」といっている。
それでも「どうぞ」と言っていると、次第に運転手が苛ついてくる。
早い段階で運転手の様子を確認し、歩行者優先を知っているらしい様子のときは、
すかさず通行しないと、後ろから来た車が追い抜いていく危険がある。
のこのこ出ていって、轢かれるといった危険は是が非でも避けなければならない。

こんな場所で歩行者の通行を妨げると、違反行為として行政処分となる。
そんな新聞記事を見た。

轢かれたらどうするんだという声も聞こえてくるが、要は臨機応変である。 


特障手当申請顛末

2015-05-28 18:06:26 | 雑記

今月初め、息子から「特別障害者手当」の申請について話があった。
転職先の仕事の関係で気がついたらしい。私もこの手当について知っていたが、
迂闊にも、自分の母親と結びつけなかった。
診断書が届き、主治医(内科医)に相談すると、書けないという。

息子に、どこで書いてもらうのが適切か、最善策を教えろと電話した。
不親切にも、どこかの外科に相談しろという。面倒になって放っておいた。
息子からは「どうした?」と電話があった。「あぁ、その内」と、空返事をしておいた。
手当は、申請した月から支給される決まりになっている。
いつまでも放っておけないので、福祉事務所に電話をし、
どこにだしたら良いのか「具体策を教えてくれ」言うと、
身体障害者手帳の診断書を書いてもらったところはどこかと言う。
「忘れた」というと、調べてくれた。リハビリ専門病院の「花の舎病院」だった。

母は、そこに5ヶ月入院していた。
退院の時に身障手帳取得のため診断書を書いてもらったのだった。

病院に電話をしたところ、医師に書いてもらえることになった。
家族から日常の状態について話を聞き、あとは母がデイサービスで行ったときに、
身体の状態について測定をする。という段取りまでしてくれた。

本日医師に会った。家庭での様子を話すと、あとは今日(ちょうど行っている)か、
来週あたり、測定をしてくれるとのこと。測定には1時間くらいかかるという。
午後から電話があり、診断書ができたという。さっそく午前中に診てくれたようだ。
その足で福祉事務所に行き、手帳、印鑑、年金証書などを持参し、申請書を提出。
なんだかんだで2時間くらいかかったが、あとは決定(裁定)を待つだけ。

手当の関係者が、最善の対応をしてくれた。感謝である。 


ある提案

2015-05-27 21:35:23 | ウォーキング

ある提案があった。
県内各ウォーキングクラブの例大会への参加を促進するために、「いばらき漫遊ウォーク(仮)」
と題して、表彰制度を設けたらどうかというもの。
良い提案だと思う一方、いくつかの懸念もある。
茨城県協会は、団体が寄り集まって構成しており、県協会直属の構成員が少ない。
県協会主催の例会を数多く実施できれば、その参加費で各種事業ができる。
各クラブへの参加を促すための取り組みであれば、参加費の一部を県協会に納入すること。
県協会が表彰するには必要な措置だと思うが、各クラブにとって、参加費の納入がネック。
県協会との関わりを見直すことが必要になる。
各団体が中心の今の形態を持続するならば、県協会は連絡調整機関としての活動をメインにし、
将来的には、直属の会員を増強しながら、県協会独自の行事で収入増を狙わなくてはならない。
各団体は、各団体独自の力をつける方向に軸足を移しつつ、協会への支援も継続する。
県協会が、独自の会員だけで協会を維持発展できるところまで、見守ることが不可欠だと思う。 


戦争法案?

2015-05-26 21:24:17 | 雑記

政府も、その案に賛成する人も、本格的な戦争に突入する可能性はないと思っている。
仮想敵国との小競り合いや、その準備のために武器の開発、製造、関連産業が潤うこと。
それらを想定しているのだろう。そして、アメリカ支援のため、多少の犠牲は覚悟している。
それは、きっかけとして戦争を起こすことにはなく、戦時体制を継続する理由になること。
積極的平和のために、9条を知的遺産として守ることなく、押しつけ憲法として葬ること。
現憲法にかなり近い憲法草案が、日本各地で作られていたことに、政府は頬被りする。
美智子さんが評価している「五日市憲法草案」を、もっと世に問うべきではないだろうか。 


陥穽

2015-05-25 21:36:37 | 雑記

毎月の例会で、昼食後「ミニ手話講習会」らしきものを続けている。
聴障の会員に手伝ってもらい、手話単語を5個くらい覚えてもらう。
実用にはならないが、手話や聴障者に触れることで、垣根が少しでも取れればと願っている。
ほぼ月に1回。単語だけではと思い、近いうちに、日常会話にも触れていきたいと考えた。
しかし、手話サークルに通っても、一歩が踏みだせない人は、2~3年やっても覚えられない。
「覚えたら使う」とい言いながら、使えないままに辞めていく人が多い。
ウォーキングも、健康に役立つところまでやるには、自覚的な動きが必要だ。
自分で考えて行動しよう。
少しくらいの階段や登りでフウフウ言っていることに「どうなのだろう?」と気がつかないと、
当初の目的であったはずの、体と心の健康にも、楽しみにも、あまり繋がらないで終わってしまう。
手話を身につけるには、伝わらない事実を受けとめ、どうしたら通じるのか、気づきが必要だ。
気軽な善意の奉仕者にとどまると、けっきょく自分が嫌になって、辞めてしまう。
多くのボランティアが陥る落とし穴だ。 


クリームシチュー

2015-05-24 21:01:55 | 食べ物

前に娘が来たとき、クリームシチューを注文されたが、時間が遅かったので作らなかった。
今日、久しぶりに娘が来ることになり、クリームシチューを作るため準備をした。
何のことはない、箱に書いてある通りに作るだけなのだが、娘は気に入っている。
今日のできはあまり良くないのだが、おかわりをしている。
箱に書いていないのは、コンソメを加えることだけ。今日のはコンソメが多すぎたようだ。
褒めて働かせようという魂胆かもしれないが、褒められるのはうれしいものだ。
このところ疲れているらしい娘にできることは、これくらいだ。
父の日を期待しての魂胆も少しはあるが、見透かされてはいないだろう。


気軽に不信を維持しよう

2015-05-23 19:28:01 | 雑記

数年前に買った折りたたみ傘。使わずに保管ケースに入れておいた。手に取ってみると、
持ち手(樹脂?)の部分がベタベタしている。
その他の部分は十分に使える状態であるが、持ち手がベタベタしているのは具合が悪い。
困ったあげく、ネットで調べてみた。よくあることらしく、解決法がたくさん書いてあった。
エタノールで拭くととれるというので、アルコールを含む「ウェットティッシュ」で拭いてみた。
丁寧に拭き上げると、確かにベタベタした部分が剥がれ落ちるように消えていった。
多分、柄の材質は劣化していると思うが、見た目、触った感触はとくに問題はなかった。
ネットにはいろいろと問題も多いが、このように経験の集積という場面では、かなり役立つ。
要は使い方によるのだが、悪意を除外する能力を身につけるまで、信じてはいけない。 


それぞれの楽しみ

2015-05-22 21:27:53 | 雑記

仕事も遊びも見方によっては同じという話。
仕事には厳しさが伴うのは当然だが、遊びには、"遊び”が必要だとよく言われる。
仕事には本当に真剣に取り組んでいるのか、真剣に取り組んだつもりの不正疑惑あり。
狎れによるいい加減さは、枚挙のいとまがないほどに、世の中に蔓延している。
遊びだから、楽をしたいというのはわからないでもないが、そういう考え方から出る答えは、
どこでもいい加減、という結論ではないだろうか。世の中を見ていて、そう思うことしきり。
遊びにも責任が伴う場面は数多い。それら安全を裏付けるところには厳しさが伴う。
遊びだから、厳しさは必要ないという考え方に潜む甘さは避けなければならない。
遊びでも、仕事でも、そこに楽しさを見いだせなかったら、やめたほうが良いと思う。