ある好きだったドラマが終了し、そのドラマや主人公を失ったことに打ちひしがれている。
~のような話を聞くたびに、「何を大げさな!」と、いつも皮肉な目を向けていた。
ところが、自分自身がその軽薄なる状態に陥ってしまったことを自覚するようになった。
昨年の5月22日に閉店した「しらかばラーメン」がその対象である。
家から8㎞先にあるその店は、15~16km歩くための基地としても機能していた。
週に1~2回は通っており、歩きの習慣化と味付け、アクセントとして、機能していた。
2番手、3番手の店を間に組み込むことで、コースにバリエーションをつけることもできた。
気に入ったラーメンの味と基地機能が、閉店によって突然消失してしまったわけである。
2番手、3番手の店は、主役のいなくなった今、その代役は務まらないことも思い知った。
その喪失感が、まさに「しらかばロス」であり、その現実味が次第に重く感じられてきた。
もう永遠にあの味噌ラーメンと餃子、「辛味ネギ」を食べることができないという思い。
「何々難民」とも言うそうである。安住の地を失ったという意味ではぴったりの表現だ。
初めてのタイトル。明日の歩きをどうしようかと迷っている姿である。どうも雨らしい。
明日は、知人と約束しているので、断るか、一人でも敢えて行くか迷うところである。
知人は、雨が降ると参加しないというタイプなので断ってきそうなものだが、未だ無い。
私も、所属の例会ではないので、わりに気楽に取りやめることはできる気分である。
ただ、先日、歩友に明日の例会に参加するかと聞かれ、考えていないとは言ったものの、
せっかく声をかけてもらったようなものだから、行ってみようかと、思ってはいた。
その、思っていたという状況に義理立てしなければという気分が、濃厚に漂っている。
ここまできたら、成り行き任せ、参加する準備を整え、明日を待とうと思う。
先に購入した「レプリカ赤水図」は残り3部となった。7部を、弟、子、知人に贈った。
一部千円、希望者は連絡あれ!
ろうの知人に頼まれ、診察時の手話通訳として、ある病院に行った。
予約時間を待っていると、知り合いのろう者が派遣通訳者を伴って受付に姿を見せた。
簡単な挨拶だけしてそれぞれに分かれた。私は未登録なのでめったに手話通訳はしない。
本来は、通訳者として登録し、それなりに研鑽をしなければならない。
30年近いブランクがあるし、今更地域の手話サークルに通うのもしんどい。
登録すれば、通訳依頼がきて、土日に多いウォーキングへも出かけにくくなる。
30年前、それも理由の一つとして、手話奉仕員(旧制度)の登録を取りやめた。
10年ほどやってみて、手話通訳はかなり難しい業務であり、精神的にも負担がある。
不可能ではないにしても、後期高齢者がこれから取り組むべき仕事ではないだろう。
今日会った通訳者は、かなり以前から知っている人で、私が最も信頼している人である。
私のつまらない手話指導を早めに切り上げ、地元のろう者から直に手話を習う道を選んだ。
その後、そのろう者の話を聞きたいという、地元の教育委員会からの依頼があった。
「ろう者の子育ての苦労」を学校の保護者会で話してほしいというものだったそうだ。
それは、ろう者が直接手話で語るのではなく、通訳者が語る添え物としての位置づけだった。
教育委員会では、障害者を前面に出すと、「さらし者」のようで、望ましくないと言う見解。
その人は、手話を学び始めたばかりの自分が語るのではなく、ろう者が手話で語るのを、
伝える立場に徹したいと、やりあったそうである。準備にはかなり時間をかけたと聞いた。
この話を後日聞いた時、この人は信頼できる人だと思った。
それで、私が職場で手話通訳を必要としたときは、その人を依頼するようにした。
手話通訳の指導者を紹介してほしいという依頼がいくつかあったが、その人に話を振った。
その人は、もう30年以上手話にかかわっている。私とは雲泥の差、月とすっぽんである。
今日はわりに楽に歩く決心がついた。
今日は握りを持ってこなかった。家に帰ってから腹が減って困った。
北川辺図書館に本を返す用事があったので、少し手前のラーメンショップで食事をし、
ついでにオニバスが咲いているかと思い自生地に向かう。まだ葉が出たばかりだった。
案内板によると、8月の朝のうちが良いらしい。
日差しは強くなく、涼しい風が吹くが、陰になったところを選んで歩いた。
わりに快適な歩きだったが、かなり汗をかいた。
膝は痛いというほどではないが、筋力が弱っていると感じる。慣れで歩けているのか。
日に日に歩くのが億劫になっている。目標がなくなったら歩けないだろうと思う。
ろうの友人と赤水ウォークに参加した。天気予報は当日が近づくにつれ好転していた。
曇りがちであったが、海風が良く吹き気持ちの良い歩きができた。
長久保赤水顕彰会主催の大会で参加費無料とあって、参加者は70名と多かった。
高萩駅の銅像前にて説明を受ける
昨日の例会参加で、地球一周4万キロの記録、14,000キロを達成した。
本日JWAに申請。送料140円は古切手使用。認定料等はゆうちょダイレクトで送る。
「ウォーキングダイアリー」に認定印を押したいので、いつも現物を送っている。
記録達成期日のページコピーでも良い決まりだが、せっかくすべての期日を手書きで
詳細に書いているので、コピーという選択肢はない。~自己満足である
市民スポーツ連盟の認定申請はやめてしまったが、シールを貼ると確実に重くなる。
100グラムを超すと205円となる。押印を選んだほうが良いのだが、会によっては、
持ってきていないだろう。
以前所属していた会では常時携帯していたが、今はどうだろうか。
整形に行って膝にヒアルロン酸を打つ。平地を歩く分には膝の痛みはほとんどないのだが、
傾斜のある所では、軽い痛みを伴うので、しばらく打つことにしている。現在二週おき。
脊柱管狭窄症に対する薬は効いているとの自覚はない。次回は、薬の変更を打診しようか。
明後日は高萩の例会「赤水ウォーク」に参加する。天候は、何とか曇りで推移するだろう。
当日は知人と一緒に行く予定だが、雨ならば不参加という。
体重が減らない。昨日、何年かぶりに80㎏を記録した。膝によくないのは自明のこと。
どう納まりをつけるのか?
この話題は何度も取り上げているが、川柳風に表現してみた。
間接的に所属しているJWAを揶揄するようで気が引けるが、それだけ気になっている。
梯子を外された形になっている。盟友の朝日新聞は先に表記を変更し、ウォーキング。
全国民に大きな影響力を持つNHKも、同じく変更。いずれも既に変更を表明している。
いずれも、数年前までは「ウオーキング」と表示していた。
ウォーキング 報道機関 先に逃げ
協会は 置いてけぼりの ウオーキング
両機関は、「ウオーキング」を固有名詞として使用していない。立場を表明すれば足りる。
JWAは、会名に「ウオーキング」を頂いているので、変えにくいのはわかる。
だが、JWA機関誌の「Walking Life」において、固有名詞以外は間違い、うっかりを除き、
9割以上、表記方を変更している。
「ウォーキング手帳」も下記の通り
改名変更には、金銭的にも大きな負担が絡むので、時機を見るのは仕方がない。
ただ、全国のクラブの機関紙等で「ウオーキング」派が大勢を占めているにも関わらず、
一部の会で、例会名に「ウォーキング」を採用する会がでてきた。機関紙は見ていないが。
この表記問題は、前会長も懸念を持っていた。現会長は就任直後から、自分の文章だけは
「ウォーキング」に変えている。
できるだけ早く、表記の変更説明、並びに固有名詞を含めての変更、統一を要請したい。
「ウオーキング」が望ましいという見解もあるだろうが、JWAは既に実質的変更をしている。
せめて、見解だけは表明してほしい。
13,000kmから14,000kmまで長く感じられ、残すところ16.5kmとなった。
次号のウオーキングライフ誌には間に合わないので、慌てないことにした。
今日は久しぶりに山陽楼で食事をすることにして、野木神社回りコースとした。
河川敷に下り、いつも車がたむろしている所に一台も停まっていなかった。
水が乗ったかと不安になったが、冠水しておらず安心して進んだ。
桑の実は、昨晩の強い風であらかた落ちてしまった。
今日は一つの状況しか思い浮かばず、次の2句のみであった。
立ち読みが 売り子の知らぬ 棚を当て
立ち読みが 棚を教える ふりの客<かどうかわからないが>
職場の近くには、「かもじや本店」という書店があった。元は髪結いの時に使う、
義髪、添え髪を商う店であったので、かもじやと言った。それが書店に変わり、
本業はかもじや支店で扱うようになった。支店は手芸用品などを商っていたが、
だいぶ前に閉店した。この界隈には昭和の時代まで芸妓や、検番などがあった。
書店は、ヨーカドー内にもあったが、今は駅ビル内のみ営業している。
元のかもじ屋本店には、昼休みや職場を退けた後、毎日のように通っていた。
立ち読みとよんだが、ほしい本を探すだけで、立ち読みはほとんどしていなかった。
それでも、何年間も毎日のように通ったので、店の人よりも本のありかを知っていた。
もちろん詳しい店員もいただろうが、客の尋ねる本を店員が案内できないことがあり、
教えたことがある。一度しか記憶にないので、そう毎度のことではなかったと思う。
そんな状況をひねくり回しながら歩いた。
野木神社への参宮道路には紫陽花が植えられている。
野木の満福寺を過ぎて土手に上がり、振り返ると、男体山がくっきりと見えた。
広域運動公園で昼飯を食べていると、小学生の女の子が4人ほど遊んでいた。
気がつくと、70過ぎの爺さんが声をかけていた。爺さん、女の子に年齢を聞き、
自分の孫と同じ5年生と知った。
孫が塾に通っていることや、英語、書道なども習っていると話している。
良くできた習字に表装をして床の間に飾っている。見るか?と聞いている。
私はここで、爺さんの家に誘っているのではないかと、警戒心を起こした。
もし、女の子たちが誘いに乗るようだったら、ひと声かけようと考えたのだ。
何気なく爺さんの様子を見ていると、手にタブレットを持ち、見せている。
最近の爺さんは進んでいる。孫自慢にタブレット持参とは呆れた爺さんだ。
私は、ユーチューブでピアノ曲を聴き、この爺さんと同類と思われないよう、
黙っておにぎりを頬張った。食べ終わったころには爺さんはもういなかった。
孫の字を 見るかと誘う タブレット
タブレット 見せて新手の 孫自慢
江戸古川柳には「前句付け」というのがあったそうだ。
句の前に、「つつみ(包み)社(こそ)すれ つつみ社すれ」と付けて
焼餅を 黙って渡す 古女房(悠々)
焼いた餅を渡すのだが、亭主に対するやきもちを内に包んで、黙って渡すという、
冷たいような、疑惑をほのめかした様子を表している~となる。
だが、句に縛りを付けることになるので、はやらなくなったとか
江戸古川柳に関する本を図書館で借りてきた。時代、環境、背景が違うので、
理解するには困難を伴う上、幾通りにも読める。
下手な句には解説が必要と知った。
指示をして 出来が悪いと 事も無げ<麻生>
還付金 半分もらう 手数料<家人の代理で確定申告>
子供部屋 展示場見て あきらめる<第三子の娘の言>
義理を欠き 全国行脚 金メダル<2年で取得>
四万キロ 刻んで歩く 路半ば<地道に歩く>