つくば国際ウオーキング大会初日。
私は、写真班の一員だったが、これまでと違う場所を担当した。
タイミングがずれまくり、ウォーカーの後追いになってしまった。
その間、別の役割なども入り、先回りして待ち構えることができなかった。
もう1人の担当も、調子が狂ったらしく、苦労したと言っていた。
当会から救護担当として1名参加した。今回は、軽い熱中症者が2名。
大事に至らなくて良かった。明日も暑い。
朝が早いので、早めに寝よう。
昨日、茨城の尻尾については、私が貢献していると書いたが、どんな意味か。
逆戻ること39年。若かりし頃手話サークルの会員として活動していた。
水戸で会合があり行ってみると、当時古河を表す手話は「尻尾」であった。
茨城の西の端(尻尾)という発想からの表現。このようなことはよくある。
笠間は、お稲荷さんから「キツネ」を意味する表現をするし、館林は「狸」、
「秋田県は「蕗」、博多は「博多帯」、などなど。
そこで提案したのが、「古い」+「河」で「古河」。
当時古河で手話を学び中央(水戸)に出かける者は少なかったので、すぐに認められた。
以後、古河は「古い」+「河」、又は指文字「こ」+「が」と表すことが定着した。
ただ、だいぶんに古い話なので、私の提案がきっかけであったかどうか、確信はない。
今にして思えば、「茨城の尻尾」も悪くはなかったかと、思わないでもない。
「島根は鳥取の隣です」、「島根か鳥取かそこら辺に行きました」などなど、
自虐コピーが人気だ。逆手にとるという意味では、賢い(面白い)方法だと思う。
政権寄りの論客が「自虐史観云々」というのは、方法として卑怯だと思う。
あったか無いかを棚上げして、情緒に訴えて自らを正当化しようとしている。
そこで、「古河市」の自虐コピー?を提案したい。
「茨城の尻尾」… こんな形から40年前には手話で表されていた。
なるほどと思いながらも、尻尾はないだろうと言い、別な表現を要求した。
そして、今の「古河」になったという経緯がある。
これには、私の貢献があり?自信を持っているが、記憶は正確ではない。
しかし、改めて眺めてみると、「神栖市」こそ「尻尾」に似ている。
失礼な話なので、これ以上は言わない。
「茨城の外れ」、「茨城の尻尾」、「茨城のかかと」、何でも良い。
わが町の良いところを自ら発見し、売りだそう。
単なる自虐ではない独自性を打ちだそう。
宇都宮市の体育館で開催された「伊能図展」の様子。早い時間なので観覧者は少ない。
「伊能大図」214枚が、255枚に再構成され、原寸大で展示されるので圧巻だ。
細かく見ていくと、自分の出身地を見ることができ、それぞれに声を上げて見入っていた。
私は、「大堤村」、「原町」、「土井大炊頭居城」、「野木」などの身近な地名に感銘を受けた。
旧日光街道を歩き、中田宿から原町を通り、古河城に至ったことが、眼前に展開している。
まるで目の前に伊能忠敬が歩いているかのように、感慨を持って眺めることができた。
井上ひさしの小説「4千万歩の男」によると、中田宿で鷹見泉石と伊能忠敬が会っており、
なにやら会話を交わしている。創作だろうが面白い設定だ。
鷹見泉石と当時の大炊頭、土井利位は、晩年仲違いをしている。
泉石は、利位の側室に絡んで何か意見を言ったことで、嫌われたらしい。
あれだけ世話になっておきながら、つまらないことで免職、隠居を命じており、
実際にはどんな城主だったのか、興味深い。
松平伊豆の守は、多くの家臣とともに平林寺に墓を構えているのに比べて、
古河の2人は別の寺に墓を作っている。
歴史家の話のよると、たまたま菩提寺が違っただけとのことだが、
大きな確執があってのことではなかったかと、推理好きの凡才は考えた。
これで本を書き、印税がたっぷり入れば、老後は安泰なのだが…
そんなつまらないことも想像させる伊能図展であった。
牛久市でスタッフ説明会があり、約半数の人が集まった。
私は写真班なので、担当の方と相談し、受け持ち区域を割り振った。
家に帰ってから、受け付け担当に依頼された、参加者名簿の並べ替えを行なう。
私はエクセルの操作についてほとんど知らないので、自信がなかったが、
担当のOさんに教えてもらい、並べ替え(県別、姓名の50音順)をすることができた。
これなども、役員、スタッフの役得の一つだろう。仲間には、より優れた人がいる。
その人に教わりながら作業をすれば、自分の知識の幅も広げることができる。
エクセルの表を、まず県別に並べ替え、さらに県内を50音順にする方法を覚えた。
次は、6月14日の八千代町ヘルスロード365大会。
八千代町役場までの送迎を希望する参加者の送迎割り振りを検討した。
送迎の一部をろう者に頼むことになり、ビデオ通話(ooVoo)で依頼した。
昔だったら、相手の家まで出かけて、手話で連絡を取るかFAXを使っていた。
ビデオ通話では、相手の不在あるいはパソコンの電源OFFの状況もわかる。
いればすぐに会話ができるし、いなければメールを送り、ビデオ通話を依頼できる。
やりとりをしながら、つくづく便利な世の中になったものだと、感心することしきり。
聞いたことのあるフレーズが頭に残り、買い物から帰ってネットで調べた。
2001年に、吉永小百合主演の映画のタイトルであった。
源氏物語を題材にとったらしいので、「何だ!」というところ。
「千年の恋」はほぼあり得ない。考えられるのは、タイムマシンの利用。
死んだ恋人を1000年後に助けに行くという設定~でもなぜ1000年後?
何らかの理由で死んでしまった恋人を死ぬ前の時間に戻し助けるのは、
スーパーマン。
「蝉しぐれ」の牧は、20年を経て、やっと巡り会えたが、2度と会わないだろう。
「人間の條件」の梶は、永遠に巡り会えず、大陸で雪に埋もれ死んでいく。
青江又八郎は、10~20年後には茶飲み友達として会えそうな流れで終わる。
「100年の恋」なら、ぎりぎり可能かと思う設定だが、難しいだろう。
若い2人が、別れるにあたり、100年後に一緒になろうとする。
互いに120歳。巡り会って2~3日で、息が絶える…という設定はいかがか?
しかし、60歳か70歳で巡り会うのは、ギリギリ可能かと思うが、
120歳というのは、現実的でないように思う。
それでも可能な表現方法はあるかもしれないので、考えてみたい。
あるいは、100歳まで待つという話だったろうか。
「気づいた人には責任がある」と、映画監督が言っていた。今回連載4回目なので、
前から気になっていたフレーズ。女性の監督で、苦労をしてきた方だ。
私自身すべての状況でそう思うわけではないが、
基本的にはそのように思っている。
世の中万能の人はいないが、優れた人が前にいると、気後れすることはある。
私も、時として自信喪失に陥ることがある。
それでも、自分に判断できたり、ちょっと頑張れば対応可能かなと思うことはある。
そんな風に気づいたときは、できる範囲で動き出してほしいと思う。
もちろん、「できる範囲」で良いのだ。
「できる範囲で」と言っても、信じてもらえないのはこちらの力不足なのだろう。
「できる範囲はできる範囲」で、まったく言葉通りなのだが、
その、「言葉」を受け入れてもらえなければそれまでである。
多くの人が、力の出し惜しみをしていると思うことが多く、残念に思うことが多い。
娘が中学生の頃、「藤子・F・不二雄展」に、頼まれて一緒に行ったことがある。
確か、福井県あたりであった。宿は、高山にとり白川郷などを見学した。
私は土産として、こんなこけし風の小物入れを買ったのだが、
娘は一顧だにせず家の片隅に置いておかれた。
しばらく物置にしまっておいたがせっかくだから使おうかと、居間にもどした。
こんな風に。たまにしか使わない時計を入れてある。
「訛(なまり)」とは話し言葉が化ける、変化する意味のようだ。
化ける前の、言葉とは、標準語(言葉)ということになるのだろう。
石川啄木に「ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく」
の短歌がある。しかし、啄木は自分の声は聞いていないだろう。
この停車場は上野駅だそうだ。東北線が東京駅まで延びると、
啄木がうたった状況は、次第にわかりにくくなってしまうだろう。
私は、“つぶやきシロー”の声(しゃべり方)があまり好きではない。
その理由が最近わかった。彼は栃木(野木町…隣町)出身らしい。
先日、県協会の理事会の議事録を点検するにあたり、ICレコーダーを聞いた。
私の声も録音されていた。私の声は、これまでにも何度も聞いているが、
改めて聞いて、“つぶやきシロー”の声に似ていることに気がついた。
「つぶやきシロー」の声が嫌いだなと思った直後だったので、
この“いばらき訛”が嫌いなのだと了解した。
つまりは、自分の声(いばらき訛)が嫌いなのだということになる。
自分の声が嫌いというのは寂しい限りである。
県協会の機関紙印刷のため事務局に行くと、津村節子の本がおいてあった。
名前は聞いたことがあるが、読んだことはない作家。吉村昭の妻だそうだ。
吉村昭は、闘病の末、生命維持装置を自ら引きちぎって自死を選んだと、
週刊朝日の記事で知った。そのことで苦悩する妻は、短編集にまとめたそうだ。
私も、管につながれた状態になりながらも、自ら動けた場合、自死を選ぶだろうか。
私は、ぐずぐずと生命を引きずって生きていきそうな気がする。
しかし、彼は看病を全うできなかった家族のことはどう考えたのだろう。
自分の生に自ら決着をつけたいと意思する人と、その傍らで何もできなかった近親者。
残された人、決着をつけられずに苦悩する人を生んでしまうことをどう思うのか。
しかし、自死を選ぶ人の思いも、一方ではやはり重い。