浅草弾左衛門を読み、関連書籍を読むうち島崎藤村の『破戒』がでてきた。
いつ読んだか覚えていないが、2,3度目になるか?
解放令がでてから35年後に書かれた。
それから100年以上たった今でも、状況は少ししか変わらない。
文庫を探すとまもなく出てきた。弟が18歳の頃読んだものだった。
古い本なので、ネット読書で無料で読めるのでダウンロードした。
差別問題は私にとって永遠の課題である。
浅草弾左衛門を読み、関連書籍を読むうち島崎藤村の『破戒』がでてきた。
いつ読んだか覚えていないが、2,3度目になるか?
解放令がでてから35年後に書かれた。
それから100年以上たった今でも、状況は少ししか変わらない。
文庫を探すとまもなく出てきた。弟が18歳の頃読んだものだった。
古い本なので、ネット読書で無料で読めるのでダウンロードした。
差別問題は私にとって永遠の課題である。
県立図書館所蔵の『浅草弾左衛門』が古河図書館で今日から受け取れるはずだった。
県から届いてはいるが、コロナのせいで貸出不可とのこと。
自伝に続き「私自身との対話」を読み終えた。自伝は読みにくい登場人物名に苦労した。
映画も2作見て、氏の魅力に惹かれた。
虐げられたものも、権力を持つと腐る可能性があることを見通しており、一期で降りた。
訳者によると、その後の政権は、懸念を抱えていることに触れていた、残念である。
昨日、録画しておいた「当確師」を見た。これも面白かった。
これから東野圭吾の小説3冊が待っている。返却は1月14日、余裕で読めるだろう。
千葉の弟から電話、送った干し芋が届いたとの連絡。隣町では大規模な断水で大変だ。
妻の実家は井戸水を使っているので、難は避けられているとのこと。
3日前、川崎に住んでいた母の妹が亡くなった。母が5月で、今年2人が亡くなった。
東野圭吾の小説15冊目『麒麟の翼』読了。今回はあまり面白くないなと思いながら、
終盤に向かう。それでも、飽きずに読み進められた。何らかの期待はしていたのだろう。
さすがに最後の謎解きは面白く感じられたが、やたらに長く引っ張られた感が強かった。
本は図書館で借りたもの。かなりの頁に小さな菓子くずが挟まっていた。
つまらないことが気になる性格なので、洋服刷毛を手元に置き、発見する度掃きだした。
同一人物の仕業かどうか不明だが、栞代わりに頁の角が、5~10cm折ってある。
この角折りも、古本や借りた本に発見すると不快な思いをするふるまいの一つだ。
これまでに見舞われた最悪の所業は、古本のかなりの頁に鼻毛が貼りつけてあったこと。
いちいちティッシュペーパーで拭い取る破目になった。
鼻毛の毛根には粘着性の部分があり、貼りつけると接着するようになっている。
ネットの記事によると、『文芸』の編集長Sは、原稿の所々に鼻毛を挟んだという。
そんな奇癖を持つ人は、案外にいるのかもしれない。
当の古本は、書名は忘れたが時代物だった。たぶんまだどこかに保管されていると思う。
明治44年発行の古本が届いた。雑誌『太陽』である。なぜこんなものを買ったかというと、
松本清張の『小説東京帝国大学』を読んだから。この本は、天皇制の問題が底流にある。
万世一系というが、実は南朝・北朝問題があり、入り乱れているのは歴史的事実である。
それを無理に一系にしてしまったため、未だに曖昧なままになっている。
そのことも一因として、大逆事件がでっち上げられたのでは、と書いてあった。
吉田東伍という歴史地理学者がいて、利根川・渡良瀬川の変遷について研究している。
この人が、政権が南朝で天皇家が続いていると言っているときに、いや現天皇は北朝だ、
という意見を発表したと文中にあった。明治44年発行の雑誌『太陽』4月号誌上である。
その意見を読んでみたくなり、探して見つけた。値段は,1500円でかなり痛んでいる。
背表紙などはぼろぼろで、手に持つと崩れてしまうほど。(2月12日注文)
明治44(1911)年というと、100年以上前だ。圧倒されるほどの歳月が流れている。
その少し前、水戸歩く会のKさんの奥さんが図書館で本のボランティア修復をしている。
その記事が新聞に掲載された。修復25年のベテランという(2月6日付朝日新聞茨城版)。
頼むわけにもいかないので、ネットで調べたところ、修復方法についての記事を見つけた。
だが、修復には、「のり付け10年」という言葉があるそうで、簡単ではなさそうだ。
来月16日、水戸観梅ウォークがあるので、この件について少し話を聞いてみたいと思う。
ほぼ同時期に図書館で本を3冊借りた。読了に時間がかかるので間に合うか不安である。
1冊は、器が小さい人向けのハウツー本、2冊目は、小田嶋隆氏の面白いコラム集。
3冊目が、松本清張の中短編集。
明日は、水戸で研修会があるので電車で行き、車内で推理小説を楽しむことになる。
今日は、いくつかやることがあったので、読み進められなかった。明日の車中が楽しみ。
e-旅専科から文書が届いた。さっそく「久留米つつじマーチ」代金を振り込んだ。
旅行代金は高めだが、すべてお任せなので仕方がない。同社で、未来ウォークも検討中。
つくば市の歩友から、文集を頂いた。最近お会いしていない。年齢を知りびっくりした。
彼のお父上の職業が、わが父と同じであった。お会いして一緒に歩きたいものだ。
総合公園の花桃はこのところの暖かさで、蕾が明るんできた。
町の本屋が立ちゆかなくなって閉店する傾向は、ずいぶん前からのことである。
本屋というのは儲けの少ない商売で、万引きと売上げそのものの減少で窮地に陥るという。
当市でもこの30年で半減している。映画館など、子どもの頃4軒あったが今は一軒もない。
今にして思えば、店頭にない本を注文すると、届くのに10日から2週間くらいかかった。
これには当時から時間がかかりすぎるとは思っていたが、待つしかないと諦めてもいた。
ここ10年ほどの宅急便の普及によって、新刊だけでなく古本でも、早ければ2~3日、
遅くても4~5日で届く。1度、朝の注文で翌日に届いたことがあり、驚いたことがある。
本は、読みたいと思って注文するので、2週間も待たされるのは確かに長すぎると思う。
物によっては、待つ楽しみも無いでは無いが、ことに本の場合は早いほうが良い。
ネットの普及によって、人の購買行動には大きな変化がでてきた。
昨年には宅急便業界でも見直しがあり、働き方の問題にも見直しの手が入った。
欲望を満たすことが最優先される世の中が続くかぎり、行き過ぎと見直しの繰り返しだ。
反省しようという論調がありながら、それを煽る風潮も後を絶たず、イタチごっこだ。
とはいいながら、私が昨日の午後注文した電気ポットが明日午後届く。
それも、同じ新品の製品が、市内の販売店で買うよりも三千円以上安い。
これでは勝負にならない。困ったものだとは思うが、安い方に手が出るのは仕方がない。
『喜知次』という本を近所の図書館で借りてきた。
ちょうど竹添敦子の『「日本婦道記」論』を読んでおり、『日本婦道記』の中では、
『墨丸』が気に入っている。『墨丸』の解説にも関心をそそられた。
ユーチューブには朗読がアップされており、歩きながら繰り返し聞いてもいる。
<朗読をクリックすると聞ける。約1時間>
『墨丸』は、初出の雑誌「婦人倶楽部」には『文鎮』という題で掲載された。
『文鎮』から『墨丸』へと改題されるまでには、かなりの手が加えられているそうだ。
ふと『文鎮』を読んでみたくなり、ネットで探してみたが見つからなかった。
敗戦直後の1945年9月に「婦人倶楽部 第26巻第5号」に掲載されたとあるので、
国会図書館なら見つかるだろう。
そんなこんなで探していたところ、乙川優三郎の『喜知次』という小説が、
『墨丸』をヒントに書かれているらしいとの、読書に関するブログ記事を見つけた。
乙川優三郎の小説は、2冊くらい読んだことがあり、気に入っている時代物作家である。
また、「藤沢周平を想起させる」とも言われており、気を入れて読んでみようかと思う。
早速読み始めたが、主人公の設定がまず同じであった。
こんなに似ていて良いのかなとも思うが、たぶん感動的に仕上がっているのだろう。
しばらく楽しみができた。
今日は、降りそうな空の下歩きだしたが、残り3km地点まで降られなかった。
遠い昔に読んで忘れていた。最近の歩きながら聞く「読歩」の効用で、
改めて山本周五郎の「おたふく物語」(『おたふく』『妹の縁談』『湯治』)に、
執心している。いずれも短編で、すぐに読めるのもよい。
朗読で聞いたのは、『妹の縁談』であった。
困った弟を抱えた仲のよい姉妹の話である。
婚期を逸している2人の、周辺の人々を巻き込んでのドタバタではあるが、
読後、清々しい感動を呼ぶ作品である。
主人公は、山本周五郎の再婚した奥さんとその妹がモデルになっているそうだ。
次に『湯治』を読み、最後に『おたふく』を読んだのだが、書かれた順序は違う。
『おたふく(1949)』、『妹の縁談(1950)』、『湯治(1951)』の順である。
『妹の縁談』は、私が生まれた年に書かれている。
これらは3部作といえるので、まとめて収録されている本はないか、調べてみた。
2008年に「おたふく物語(角川春樹事務所)」『凍てのあと』『おさん』を含む。
1955年に「おたふく物語(河出書房)」として出版されている。
朗読は何度も聞いているし、本も繰り返し「山本周五郎中短篇秀作選集」で読んだ。
それでも、選り抜いて編んだ「おたふく物語」がほしくなって、河出版を注文した。
それで満足すればよいのだが、「角川版」もほしくなり、思い惑っている。
こうなると、自分でも「道楽」だなと、思わざるを得ない。
「太田 愛」のミステリー3部作の最終巻を読んでいる。
ドラマ「相棒」の脚本も書いた人の本である。
この『天上の葦 上・下』は2ヶ月ほど待っただろうか。やっと順が回ってきた。
3部作とも3人の主要登場人物が活躍するので、連続性もあり、たいへん面白い。
2点気に入らないところをあげる。1つは、やたらと品物の商品名を挙げること。
飲料水なら「ボルヴィック」、菓子なら「抹茶プレッツェル」だったり、
「アッシュブラウンの微妙な染め色がもともとフォトジェニックな顔を引き立てて~」
なども、キザで嫌らしく感じる。
だが、松岡圭祐ほど多用はしていないので許せるか。
それでも、松岡は、ある作品でジョージ・ウィンストンのピアノ曲「ロンギング・ラブ」
という曲名を挙げていた。なぜか妙にその曲を聴きたくなり、その後CDを買い込んだ。
好きなソロピアニストになったから、まんざら無意味、無駄ということもなさそうだ。
もう1点は、主要登場人物がやたらと先を読むのがうますぎる点。
だがこれも、作品の面白さを削ぐほどではないので、ちょっと気になる程度。
歩きながらピアノ曲を聴いたり、落語や朗読を聞き、帰ると推理小説にかじりつく。
今、まさに至福の秋である。