Radio workshop & everyday.

自灯明法灯明

「自らを灯(ともしび)とし、拠り所として、他を灯とすることなかれ。」

「橋下徹」次期市長を考える

2011年12月16日 | 日記
今朝、みのさんのTV番組に中継で出ておられた橋下次期市長。
小気味良いテンポで抱負を語っておられた。
大阪都構想は私には判断のしようが無いが、前府知事の実績は迷うことなく、さすがだと感じる。

韓流の歴史ドラマの「イ・サン」で言えば、セソンと老論派の対立の構図を彷彿とさせる。
老論派は既得権益を死守しようとして画策し、セソンは改革を断行を行うが、なかなか上手くいかない。
公務員も以前と比べたら隔世の感が有ります、それは親切で優しく成った事です。
昔は役場に行くと全ての人ではないが、してやっているのだぞ、と言う横柄な態度が目に付いていた。

人々は働き収入を得ているが、その収入に対して生活設計をしている。
収入の低下は生活設計を根本から狂わされる事に成りかねない。
しかし、それは民間では有りうる事で有り、公務員だけが例外としては認められない。
まして、赤字財政の自治体では尚更のことだ。

大阪市だったか、組合専従員として公務員の仕事をせず市の給与を貰っていたり、仕事の途中に帰宅し昼寝をしたり、野球をしたりする等もっての外だ。
今なら未だその様にして、財政を立て直す努力をすれば間に合う。
北海道の夕張市の様に再建自治体に陥っては立て直すのに大変な努力が必要である。

人間はどっぷりと、ぬるま湯に浸かったら、なかなか出られない。

江戸時代の寛政の改革を揶揄した川柳

『白河の 清きに魚の棲みかねて 元の濁りの田沼恋しき』

この川柳の解釈

「白河藩主の老中、松平定信による“寛政の改革”が、クリーンな政治を目指すあまり、規制や締め付けが厳しすぎて、すっかり暮らしが不自由になった庶民が、「こんなことなら、少しくらい賄賂や不正があっても、前の老中、田沼意次のほうがよかったよ、と皮肉った歌」

抵抗勢力がどう出て来るか。

寛政の改革の前には浅間山の噴火、天明の大飢饉などの天災に見舞われている。

この寛政の改革は失敗したとされている。
時の将軍家斉の無能さと松平定信の商業を否定した改革は、幕政に税の減収をもたらし、経済は停滞し、また余りの役人、庶民への倹約押しつけにより、庶民の反感を買い改革は失敗したとものと見られている。

この辺の匙加減を次期市長は心得ているのだろうか。
コメント
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