今日は父の17年目の命日にあたる。
先月の6日に母の命日と一緒に父の分もお寺さんにお参りし、今日は父の命日として、我が家の仏壇で「正信偈」を唱え亡き父への感謝の言葉とした。
「正信偈」を唱えている内に父の想い出が浮かんで来た、父と言うと、母親の印象が深かったせいか、思い出としては余り思い浮かばない。
こんな事を言うと、父が悲しむかもしれないが。
子供の頃は家が貧しく、母の実家に間借りをしていて、人並みの玩具など買ってもらった記憶は無い、勿論戦後日本の人々がやっとの思いで、その日その日を暮らしていた事を思うと我が家も当然の事だとは今は思う。
私が幼いころ父が丸太から切り出して駒を作ってくれた事を覚えている。
父は休みの日には決まって近くの山へ「山芋」を掘りに出かける、戦前は父の掘った山芋を母が売り歩いていたと言う。
兎に角父は山芋がどこに生えて居るかとか、探すのが上手く、また掘るのが上手で曲がりくねった長い山芋を自慢していた。
賭け事や嗜好品などは一切せず、くそ真面目一方で、人前での話も苦手で、何が趣味かと思うほどだったが、退職後はゲートボールなどで村の方々と付き合いが出来老後の日々を楽しく過ごしていた様だと言うのは、私が学校を卒業してから家を出たから詳細は分からない。
父はは私達4人の子供の無事な生活をいつも願っていた。
亡く成るまでは病気らしい病気は殆どせず、最後は肺炎で入院し見舞いに行った時は、私に仕事が有るんだろ、俺は心配いらんから仕事に戻れと言われたのが最後の言葉で、翌日の明け方には息を引き取った、92歳苦しまずあっけない終わり方だった。