Radio workshop & everyday.

自灯明法灯明

「自らを灯(ともしび)とし、拠り所として、他を灯とすることなかれ。」

みずすまし と あめんぼう

2013年05月19日 | 日記
今日朝の散歩の途中水稲の苗を、水田の一角で作っている所が有った。
そこには元気に育っている苗と、周りの水を張った水面に「アメンボ」かな「みずすまし」かな
二匹ほどで、互いに水紋を作っている
互いの紋は重なり、対する波をいとも簡単にすーっと通り抜ける
実に鮮やかだ

所でこの歳に成っても、「あめんぼ」と「みずすまし」違いが分からない
調べてみると同じ水面に居るのだが、あめんぼ は水面より少し足で立ち上がったような姿勢で
動き回る。
みずすましは、どちらかと言うと水面に腹ばいのような格好で動き回り、形はゲンゴロウ見たいな流線型の恰好だそうだ。

因みにアメンボは飴の様な匂いがするそうである。

「走り梅雨いつものように苗を見る」
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東風吹きて

2013年05月17日 | 日記
東風(こち)は菅原道真公の飛び梅を思いだす。
東風は俳句の季語では春として。
南風は(はえ)と読み夏の季語とされているのだそうだが、北風、西風は別に無いそうだ

今日は犬の散歩で田植え前の水田の農道を通っている時
用水路から突然一羽の小雀が飛び出し、懸命に東風の吹く方へ乗り切ろうとするが
なかなか、風が強くて前へ進めない、ようようの事で風を乗り切って飛び去った。

今日の朝はひんやりと、昨日の暑さが嘘の様な一日の始まりと成った。

「小雀は親を離れて東風を越ゆ」
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物忘れ

2013年05月14日 | 日記
今日も輪をかけてPM2.5が多い一日だった。
勿論、熊本県のHPのPM2.5の速報値を見て
いるが、犬の散歩のとき、近くの山の霞み具合で、多いか少ないかは見当が付く。
時として近くの山が不気味な色の霞みに覆われて、まるで見えない時が有る、この時はヤバイ
のだ。

さて、話は代わって、義母の物忘れが加速度的に悪化している様だ。
昨日は、手提げをどこに置いたか分からないと言い、家の鍵も手提げに入れていると言って
八時頃まで、小屋の外にじーっと座ったままでいたのを、義弟の嫁さんが勤めから帰って発見した。
義母は可哀そうに、かなり不安になり、自分が忘れた事を
情けなく思い、落ち込んでいる様子だった。

結局義弟の家の犬走りの上に置いて有ったのが見つかった。

今のところ自分の身の回りの事は自分で出来るが、いつ何どき大事が起こるかは分からない。
あれほどしっかり者で、厳しい人で有ったが
連れ合いが逝ってからは、家にこもる事が多くなり、誘っても出たがらなくなってしまった。

嫁さん、弟とこれからどうしたら良いかを、喫緊の問題として考えて行かねばならない。
これは、又これからの自分達の問題でも有るからだ。
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本日外出注意

2013年05月13日 | 日記
PM2.5多し、本日只今50です。
いつの日だったか、70とかの時間帯もありました。
これでは、マスクなしでは出歩けないし

これらのPM2.5の多い時は、以前からも有ったそうですね
値を公表される前は、今日は春霞が濃いな~、位だったのでしようけど
知ってしまうと気に成ります。

関東辺りはどう何でしょうね、同様に多いのでしょうか

で、本日はPM2.5にかこつけて、家にいます。
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端午の節句

2013年05月06日 | 日記
一昨日甥の子供の兜祝いに呼ばれた
義弟から、ちょっと挨拶をお願いしますなんて直前に言われて
エエーと思いながら、以前会社の知り合いが自分の知合いの子供の端午の節句祝いに挨拶を
頼まれたので、挨拶文を考えてくれと言われた時の下書きを思い出し
ちょっと借用する事にした。
では、その下書きから、かいつまんで少々

子供の日の事を端午の節句と言うことの雑学です。
節句と言うものは、一年を通して五つ有ります

先ずは一月七日の七草粥
三月三日の桃の節句
五月五日の端午の節句
七月七日の七夕(しちせき)の節句
九月九日の重陽の節句

先ず、感じの意味からして、端午と言うのですが、これは五月は旧暦で午でその端っこの日
と言う事で午の付きの端っこの日とされている。

さて、重陽だが、これは一年の内で奇数の重なる日の中で、最も数が多い日なので
もっとも重たいひと考えられているから、とか。

まあ、そんな事を言って挨拶に変えました。
年金暮らしになると、余り人前での挨拶は事の他少なく成ってしまい
元来話べたの人前に出る事を良しとしない性格の為に余計に慌てふためいてしまいました。

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