常山城
2014/4/26
岡山県玉野市のお城めぐり
常山合戦で女軍が毛利の大軍と戦った上野氏の居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 常山城
よみ: ツネヤマ
別称:
所在地: 岡山県玉野市用吉・宇藤木・岡山市南区迫川
現状: 山
築城年代: 文明年間(1469-87)
築城者: 上野土佐守か
形式: 山城
遺構: 本丸・兵庫丸・北二の丸・北三の丸・天神丸・青木丸・栂尾丸・栂尾二の丸・東二の丸・東三の丸・矢竹丸・矢竹二の丸・馬場・惣門二の丸・惣門丸・石垣・井戸
規模: 200m×300m、標高307m、比高305m
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2014/4/26
≪ 訪城記 ≫
岡山城から常山城へ向かう。
烏城公園有料駐車場を出て西側の道を南下、岡山県庁の南、旭川堤防突き当りを右折、あくら通りを約300m西進、県道27号へ出る交差点信号を左折、県道27号を南下、新京橋西交差点信号を右折、国道2号を西進、大雲寺交差点信号を斜め左折、国道2号を南下、十日市三叉路信号を斜め右折、南西に進み笹ヶ瀬川に架かる笹ヶ瀬橋を渡り、国道30号を南西に進み興陽高校前信号付近で道が左に曲がり南下、倉敷川に架かる倉敷川橋を渡り、南区役所口信号付近から道が左に曲がり、次に右に曲がり、また左に曲がった宇藤木交差点信号を右折、大きく右にヘアピンのように曲がったら約800m北西に進み、常山城の案内板のある三叉路を斜め左に山の方に進み、大きく左に曲がり南東へ約360mの道の左側に空き地があり、ここに車を駐車させてもらう。
この先は、現在がけ崩れで通行止めです。
車を止めた空き地から約100m南東に進んだところに案内板のある登山口がある。少し登るとイノシシ除けの柵があり、扉を開けて山へ入る。必ず閉めましょう。
すぐにある小川を越え右側の過ぎbあやしの中に削平地がある。ここから山道を登ること約20分で底無井戸に着く。ここから林道へ出て、約10分で栂尾二の丸の駐車場跡に着く。北側にNTT電波塔にある栂尾丸、駐車場から本丸への登り口に説明板がある。
最初の階段を登ると青木丸、次が天神丸、北三の丸、その上に女軍墓のある北二の丸、その上が本丸で真ん中に城主上野隆徳公之碑と腹切石、西側のへこんだところが池跡、北側に見張台、本丸の南下に兵庫丸がある。
東へ降りていくと東二の丸、東三の丸と竹林の中に小さな郭が続き、次に矢竹丸、矢竹二の丸、馬場、惣門二の丸、先端の惣門丸があり、惣門丸の南東側斜面に石垣跡が残る。
≪ 歴 史 ≫
文明十五年頃 (1483) 児島郡北西部の国人上野氏が代々常山城を居城とする。
天正三年 (1575) 毛利氏に叛旗を翻した三村氏を毛利氏が滅ぼし、最後の拠点となった常山城を大軍で攻撃し、上野隆徳一党を滅亡させた。この常山合戦は上野氏の婦女子も戦いに加わり全滅した凄惨な戦いだった。
天正四年 (1576) 毛利氏は同盟者宇喜多直家に常山城を与え、宇喜多氏重臣戸川秀安が城主となる。
天正七年 (1579) 宇喜多氏が毛利氏を離反して織田方に属すると、翌年、常山城を攻撃するが織田方の救援により帰陣する。
天正九年 (1581) 毛利氏が常山城の東にある麦飯山に陣を敷き、常山城の攻略を図る。この時、宇喜多直家がすでに病死していたため、直家の舎弟の子基家が大将となって合戦となったが、基家は討死したが家臣団の奮戦で毛利氏を撃退する。
天正十年 (1582) 本能寺の変を契機に羽柴秀吉と毛利氏の和睦がなり、常山城は引き続き戸川秀安の居城となる。
慶長三年 (1598) 戸川秀安の死後、子の達安が城主となる。
慶長四年 (1599) 宇喜多家中騒動に与した戸川達安が宇喜多家を退散し、徳川家に預けられる。
慶長五年 (1600) 関ヶ原の合戦で宇喜多氏が滅亡し、代わって備前国主となった小早川秀秋の重臣伊岐真利が常山城主となる。
慶長八年 (1603) 小早川秀秋の病死による断絶後、代わって備前国主となった池田忠継が常山城を廃城とする。
≪ 写 真 ≫
常山城本丸の城主上野隆徳公碑
腹切石
池跡
見張台
兵庫丸
本丸
北二の丸
北二の丸にある女軍墓
北三の丸
天神丸
青木丸
栂尾丸
東二の丸
東三の丸
矢竹丸
矢竹二の丸
馬場
惣門二の丸
惣門丸
惣門丸南斜面石垣
底無井戸
登城口
現地縄張図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR宇野線常山駅から徒歩約5分で登城口、本丸まで徒歩約50分。
<車>
瀬戸中央道水島ICを降りて県道21号を東進、新稔橋三叉路信号を右折、県道22号を東進、西高崎三叉路信号を左折、県道22号をそのまま進み、七区入口三叉路信号を右折、国道30号を南東に進み、右に曲がり、また左に曲がった宇藤木交差点信号を右折、大きく右にヘアピンのように曲がったら約800m北西に進み、常山城の案内板のある三叉路を斜め左に山の方に進み、大きく左に曲がり南東へ約360mの道の左側に空き地に駐車可能。空き地から約100m南東に進んだところに案内板のある登山口がある。ここから本丸まで徒歩約50分。
≪ 位置図 ≫
常山城
登城口
紹介したお城の数 212城
2014/4/26
岡山県玉野市のお城めぐり
常山合戦で女軍が毛利の大軍と戦った上野氏の居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 常山城
よみ: ツネヤマ
別称:
所在地: 岡山県玉野市用吉・宇藤木・岡山市南区迫川
現状: 山
築城年代: 文明年間(1469-87)
築城者: 上野土佐守か
形式: 山城
遺構: 本丸・兵庫丸・北二の丸・北三の丸・天神丸・青木丸・栂尾丸・栂尾二の丸・東二の丸・東三の丸・矢竹丸・矢竹二の丸・馬場・惣門二の丸・惣門丸・石垣・井戸
規模: 200m×300m、標高307m、比高305m
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2014/4/26
≪ 訪城記 ≫
岡山城から常山城へ向かう。
烏城公園有料駐車場を出て西側の道を南下、岡山県庁の南、旭川堤防突き当りを右折、あくら通りを約300m西進、県道27号へ出る交差点信号を左折、県道27号を南下、新京橋西交差点信号を右折、国道2号を西進、大雲寺交差点信号を斜め左折、国道2号を南下、十日市三叉路信号を斜め右折、南西に進み笹ヶ瀬川に架かる笹ヶ瀬橋を渡り、国道30号を南西に進み興陽高校前信号付近で道が左に曲がり南下、倉敷川に架かる倉敷川橋を渡り、南区役所口信号付近から道が左に曲がり、次に右に曲がり、また左に曲がった宇藤木交差点信号を右折、大きく右にヘアピンのように曲がったら約800m北西に進み、常山城の案内板のある三叉路を斜め左に山の方に進み、大きく左に曲がり南東へ約360mの道の左側に空き地があり、ここに車を駐車させてもらう。
この先は、現在がけ崩れで通行止めです。
車を止めた空き地から約100m南東に進んだところに案内板のある登山口がある。少し登るとイノシシ除けの柵があり、扉を開けて山へ入る。必ず閉めましょう。
すぐにある小川を越え右側の過ぎbあやしの中に削平地がある。ここから山道を登ること約20分で底無井戸に着く。ここから林道へ出て、約10分で栂尾二の丸の駐車場跡に着く。北側にNTT電波塔にある栂尾丸、駐車場から本丸への登り口に説明板がある。
最初の階段を登ると青木丸、次が天神丸、北三の丸、その上に女軍墓のある北二の丸、その上が本丸で真ん中に城主上野隆徳公之碑と腹切石、西側のへこんだところが池跡、北側に見張台、本丸の南下に兵庫丸がある。
東へ降りていくと東二の丸、東三の丸と竹林の中に小さな郭が続き、次に矢竹丸、矢竹二の丸、馬場、惣門二の丸、先端の惣門丸があり、惣門丸の南東側斜面に石垣跡が残る。
≪ 歴 史 ≫
文明十五年頃 (1483) 児島郡北西部の国人上野氏が代々常山城を居城とする。
天正三年 (1575) 毛利氏に叛旗を翻した三村氏を毛利氏が滅ぼし、最後の拠点となった常山城を大軍で攻撃し、上野隆徳一党を滅亡させた。この常山合戦は上野氏の婦女子も戦いに加わり全滅した凄惨な戦いだった。
天正四年 (1576) 毛利氏は同盟者宇喜多直家に常山城を与え、宇喜多氏重臣戸川秀安が城主となる。
天正七年 (1579) 宇喜多氏が毛利氏を離反して織田方に属すると、翌年、常山城を攻撃するが織田方の救援により帰陣する。
天正九年 (1581) 毛利氏が常山城の東にある麦飯山に陣を敷き、常山城の攻略を図る。この時、宇喜多直家がすでに病死していたため、直家の舎弟の子基家が大将となって合戦となったが、基家は討死したが家臣団の奮戦で毛利氏を撃退する。
天正十年 (1582) 本能寺の変を契機に羽柴秀吉と毛利氏の和睦がなり、常山城は引き続き戸川秀安の居城となる。
慶長三年 (1598) 戸川秀安の死後、子の達安が城主となる。
慶長四年 (1599) 宇喜多家中騒動に与した戸川達安が宇喜多家を退散し、徳川家に預けられる。
慶長五年 (1600) 関ヶ原の合戦で宇喜多氏が滅亡し、代わって備前国主となった小早川秀秋の重臣伊岐真利が常山城主となる。
慶長八年 (1603) 小早川秀秋の病死による断絶後、代わって備前国主となった池田忠継が常山城を廃城とする。
≪ 写 真 ≫
常山城本丸の城主上野隆徳公碑
腹切石
池跡
見張台
兵庫丸
本丸
北二の丸
北二の丸にある女軍墓
北三の丸
天神丸
青木丸
栂尾丸
東二の丸
東三の丸
矢竹丸
矢竹二の丸
馬場
惣門二の丸
惣門丸
惣門丸南斜面石垣
底無井戸
登城口
現地縄張図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR宇野線常山駅から徒歩約5分で登城口、本丸まで徒歩約50分。
<車>
瀬戸中央道水島ICを降りて県道21号を東進、新稔橋三叉路信号を右折、県道22号を東進、西高崎三叉路信号を左折、県道22号をそのまま進み、七区入口三叉路信号を右折、国道30号を南東に進み、右に曲がり、また左に曲がった宇藤木交差点信号を右折、大きく右にヘアピンのように曲がったら約800m北西に進み、常山城の案内板のある三叉路を斜め左に山の方に進み、大きく左に曲がり南東へ約360mの道の左側に空き地に駐車可能。空き地から約100m南東に進んだところに案内板のある登山口がある。ここから本丸まで徒歩約50分。
≪ 位置図 ≫
常山城
登城口
紹介したお城の数 212城
ビジュアル百科 日本の城1000城 1冊でまるわかり! | |
大野 信長,加唐 亜紀,有沢 重雄 | |
西東社 |
岡山戦国物語 (吉備人選書 8) | |
市川俊介 | |
吉備人出版 |