撫川城
2014/4/28
岡山県岡山市のお城めぐり
毛利氏の備前宇喜多氏に対抗する境目城
≪ お城の概要 ≫
城名: 撫川城
よみ: ナツカワ
別称: 高下ノ城・芝揚城・泥城・小倉城
所在地: 岡山県岡山市北区撫川
現状: 撫川城址公園・三神社
築城年代: 寛治年間(1087-94)
築城者: 藤井久任
形式: 平城(沼城)
遺構: 本丸・石垣・堀・土塁跡
規模: 100m×70m
文化財: 県指定史跡
訪城日: 2014/4/28
≪ 訪城記 ≫
備中高松城から撫川城へ向かう。
高松城水攻築堤跡の蛙ヶ鼻を出て、来た細い道を戻り、JR吉備線踏切を渡った歩道橋のある交差点を左折、国道180号を南東へ進み、山陽道高架下をくぐり、板倉三叉路信号をほぼ直進の斜め右を進み県道245号を約900m南下した県道389号へ行く三叉路を右折、県道389号を約700m西進した信号のある三叉路を左折、県道389号を南下、山陽新幹線高架下をくぐり、突き当りの三叉路信号を左折、約150m東進したら右折して細い路地の住宅街の道を約120m南下、突き当りを左折、すぐに右折してさらに細い路地を南下、下東城之内公民館角の突き当りを左折、すぐに右折して太鼓橋を渡って左折、クランクして南下すると左側に撫川城の堀が見える。突き当りを左折して約80m東進すると撫川城入口にある公園前に駐車スペースがある。ここに車を駐車する。
撫川城は堀と石垣に囲まれた本丸跡に入口に門があり、門をくぐった右手に説明板とパンフレットが置いてある。中央には三神社があり、北側と東側に土塁らしき盛り上がりが一部残る。
≪ 歴 史 ≫
寛治年間 (1089-94) 藤井久任が築城したとも、平清盛の家臣妹尾太郎兼康の一族が居城したとも言われている。
天正以前に三村氏の持城となる。
天正年間 (1573-92) 城主伊賀左衛門尉久が切腹したあと、毛利氏の城代として上山兵庫介、植民部大輔が在城したと言われている。
天正十年 (1582) 羽柴秀吉によって落城する。落城後は宇喜多氏の部将が城番として在城する。
慶長五年 (1600) 関ヶ原の戦いの戦功で戸川達安の所領となり、撫川城の東に陣屋が構えられ、以後も城域として利用されたようです。
≪ 写 真 ≫
撫川城入口の門
堀と石垣
西側の堀と石垣
三神社
東側の土塁跡
太鼓橋
現地案内図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR山陽本線庭瀬駅から徒歩約10分。
<車>
岡山道岡山総社ICを降りて国道180号を東進、小山三叉路信号を直進してすぐに大きく右に曲がり、JR吉備線備中高松駅を過ぎ、国道180号を南東へ進み、山陽道高架下をくぐり、板倉三叉路信号をほぼ直進の斜め右を進み県道245号を約900m南下した県道389号へ行く三叉路を右折、県道389号を約700m西進した信号のある三叉路を左折、県道389号を南下、山陽新幹線高架下をくぐり、突き当りの三叉路信号を左折、約150m東進したら右折して細い路地の住宅街の道を約120m南下、突き当りを左折、すぐに右折してさらに細い路地を南下、下東城之内公民館角の突き当りを左折、すぐに右折して太鼓橋を渡って左折、クランクして南下すると左側に撫川城の堀が見える。突き当りを左折して約80m東進すると撫川城入口にある公園前に駐車スペースがある。
≪ 位置図 ≫
撫川城(撫川城址公園)
紹介したお城の数 219城
2014/4/28
岡山県岡山市のお城めぐり
毛利氏の備前宇喜多氏に対抗する境目城
≪ お城の概要 ≫
城名: 撫川城
よみ: ナツカワ
別称: 高下ノ城・芝揚城・泥城・小倉城
所在地: 岡山県岡山市北区撫川
現状: 撫川城址公園・三神社
築城年代: 寛治年間(1087-94)
築城者: 藤井久任
形式: 平城(沼城)
遺構: 本丸・石垣・堀・土塁跡
規模: 100m×70m
文化財: 県指定史跡
訪城日: 2014/4/28
≪ 訪城記 ≫
備中高松城から撫川城へ向かう。
高松城水攻築堤跡の蛙ヶ鼻を出て、来た細い道を戻り、JR吉備線踏切を渡った歩道橋のある交差点を左折、国道180号を南東へ進み、山陽道高架下をくぐり、板倉三叉路信号をほぼ直進の斜め右を進み県道245号を約900m南下した県道389号へ行く三叉路を右折、県道389号を約700m西進した信号のある三叉路を左折、県道389号を南下、山陽新幹線高架下をくぐり、突き当りの三叉路信号を左折、約150m東進したら右折して細い路地の住宅街の道を約120m南下、突き当りを左折、すぐに右折してさらに細い路地を南下、下東城之内公民館角の突き当りを左折、すぐに右折して太鼓橋を渡って左折、クランクして南下すると左側に撫川城の堀が見える。突き当りを左折して約80m東進すると撫川城入口にある公園前に駐車スペースがある。ここに車を駐車する。
撫川城は堀と石垣に囲まれた本丸跡に入口に門があり、門をくぐった右手に説明板とパンフレットが置いてある。中央には三神社があり、北側と東側に土塁らしき盛り上がりが一部残る。
≪ 歴 史 ≫
寛治年間 (1089-94) 藤井久任が築城したとも、平清盛の家臣妹尾太郎兼康の一族が居城したとも言われている。
天正以前に三村氏の持城となる。
天正年間 (1573-92) 城主伊賀左衛門尉久が切腹したあと、毛利氏の城代として上山兵庫介、植民部大輔が在城したと言われている。
天正十年 (1582) 羽柴秀吉によって落城する。落城後は宇喜多氏の部将が城番として在城する。
慶長五年 (1600) 関ヶ原の戦いの戦功で戸川達安の所領となり、撫川城の東に陣屋が構えられ、以後も城域として利用されたようです。
≪ 写 真 ≫
撫川城入口の門
堀と石垣
西側の堀と石垣
三神社
東側の土塁跡
太鼓橋
現地案内図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR山陽本線庭瀬駅から徒歩約10分。
<車>
岡山道岡山総社ICを降りて国道180号を東進、小山三叉路信号を直進してすぐに大きく右に曲がり、JR吉備線備中高松駅を過ぎ、国道180号を南東へ進み、山陽道高架下をくぐり、板倉三叉路信号をほぼ直進の斜め右を進み県道245号を約900m南下した県道389号へ行く三叉路を右折、県道389号を約700m西進した信号のある三叉路を左折、県道389号を南下、山陽新幹線高架下をくぐり、突き当りの三叉路信号を左折、約150m東進したら右折して細い路地の住宅街の道を約120m南下、突き当りを左折、すぐに右折してさらに細い路地を南下、下東城之内公民館角の突き当りを左折、すぐに右折して太鼓橋を渡って左折、クランクして南下すると左側に撫川城の堀が見える。突き当りを左折して約80m東進すると撫川城入口にある公園前に駐車スペースがある。
≪ 位置図 ≫
撫川城(撫川城址公園)
紹介したお城の数 219城
ビジュアル百科 日本の城1000城 1冊でまるわかり! | |
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