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庭瀬城

2014-05-21 05:51:53 | 岡山県
 庭瀬城

2014/4/28

岡山県岡山市のお城めぐり

 関ヶ原の合戦の戦功によって戸川達安が築いた庭瀬藩の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 庭瀬城
よみ: ニワセ
別称: 御陣屋
所在地: 岡山県岡山市北区庭瀬
現状: 清山神社・八幡宮
築城年代: 慶長五年(1600)以後
築城者: 戸川達安
形式: 平城
遺構: 郭・堀・石垣
規模: 200m×200m
文化財:
訪城日: 2014/4/28


≪ 訪城記 ≫

撫川城から徒歩で庭瀬城に向かう。

撫川城入口を南に進み、住宅街の突き当りを左折、約60m東進した突き当りを左折、約80m北上したT字路を右折、約80m東進したところの右側に池のような堀のある庭瀬城があり、入口の北側、案内図のある前に駐車スペースがある。

堀と石垣のある浮島が庭瀬城跡で入口に説明板と庭瀬城址碑があり、八幡宮が鎮座している。南側に架かる石垣の橋を渡った西奥に清山神社がある。


≪ 歴 史 ≫

慶長五年 (1600) 関ヶ原の合戦の戦功で戸川達安が入部して、撫川城を広げて古城の東に築城する。その後、四代の安風に嗣子なく改易となる。
天和三年 (1683) 久世重之が下総関宿から入部する。
貞享三年 (1686) 久世氏が丹波亀山に移封となる。
元禄六年 (1693) 松平信通が大和興留から入部する。
元禄十年 (1697) 松平氏が出羽上山に転封となる。
元禄十二年 (1699) 板倉重高が上総高滝から入部して明治維新まで板倉氏の居城となる。


≪ 写 真 ≫


庭瀬城入口


庭瀬城址碑


八幡宮


清山神社


清山神社からの橋の石垣


西から見た橋と石垣


西から見た庭瀬城


現地案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR山陽本線庭瀬駅から徒歩約5分。
<車>
岡山道岡山総社ICを降りて国道180号を東進、小山三叉路信号を直進してすぐに大きく右に曲がり、JR吉備線備中高松駅を過ぎ、国道180号を南東へ進み、山陽道高架下をくぐり、板倉三叉路信号をほぼ直進の斜め右を進み県道245号を約900m南下した県道389号へ行く三叉路を右折、県道389号を約700m西進した信号のある三叉路を左折、県道389号を南下、山陽新幹線高架下をくぐり、突き当りの三叉路信号を左折、約150m東進したら右折して細い路地の住宅街の道を約120m南下、突き当りを左折、すぐに右折してさらに細い路地を南下、下東城之内公民館角の突き当りを左折、すぐに右折して太鼓橋を渡って左折、クランクして南下すると左側に撫川城の堀が見える。突き当りを左折して約80m東進すると撫川城があり、入口を南に進み、住宅街の突き当りを左折、約60m東進した突き当りを左折、約80m北上したT字路を右折、約80m東進したところの右側に池のような堀のある庭瀬城があり、入口の北側、案内図のある前に駐車スペースがある。


≪ 位置図 ≫

庭瀬城(清山神社)


紹介したお城の数 220城



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