浪岡城
2014/9/15
青森県青森市のお城めぐり
後醍醐天皇に味方した南朝方の名門北畠親房・顕家の子孫浪岡御所の居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 浪岡城
よみ: ナミオカ
別称: 浪岡御所・北の御所
所在地: 青森県青森市浪岡大字浪岡五所14-1
現状: 浪岡城跡
築城年代: 室町時代
築城者: 北畠顕義
形式: 平城
遺構: 内館・北館・西館・東館・新館・猿楽館・検校館・無名の館・土塁・堀・掘立柱建物跡・井戸跡
規模: 東西1,200m×南北600m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2014/9/15
≪ 訪城記 ≫
黒石城から浪岡城に向かう。
県道38号を西進、弘南鉄道弘南線境松駅前を通り、堂野前種井交差点信号を右折、県道38号のまま北上、東光寺前田交差点信号を右折、県道148号を北東に進み、馬場尻東付近で大きく右に曲がり、下目内澤小屋敷添交差点信号を左折、県道13号を北上、浪岡若松交差点信号を右折、浪岡高校前を通り、浪岡川を渡って中世の館前を通り、県道27号の右側に広大な敷地の浪岡城跡が見えてくる。浪岡前田交差点信号を右折して約200m南下した浪岡川手前を右に入って行くと浪岡城跡管理棟に着く。ここに車を駐車する。
管理棟の北側の広大な平野が浪岡城跡で館と呼ばれる郭がいくつもあり、堀と土塁によって区画されている。
道順に沿って管理棟の北西裏側から入って行くと猿楽館があり、堀を挟み一段高くなった東館、広大な緑の大地を東側に新館があり、県道27号沿いが無名の館、堀を渡って北館に入る手前に国史跡浪岡城跡の看板があり、北館に入ると区画された掘立柱建物跡と井戸跡が復元されている。北館を西へ抜けると堀と土塁を隔て西館、南の一段高い郭が内館で中央北側に北畠古城跡碑がひっそりと建っている。内館を西に抜けて、川の西側に検校館が見える。浪岡川沿いに管理棟へ帰る。一周約50分かかった。
浪岡城の詳細は ……… ここをクリック
≪ 歴 史 ≫
正慶二年 (元弘三、1333) 北畠顕家が陸奥守に任ぜられ、義良親王を奉じて多賀国府に下る。顕家の戦死後は子の顕成が浪岡を領するようになり、顕元、顕邦、顕義、顕具、具統、具永、具運、顕村と続き、「浪岡御所」、「大御所」、「北の御所」と呼ばれる。
顕義の代に浪岡城を築く。
明応二年 (1493) 北畠顕義が没する。
永禄五年 (1562) 川原御所の乱が起こり、川原御所の北畠具信に浪岡御所北畠具運が殺害される。この内乱を契機に浪岡御所北畠氏は急速に衰える。
天正六年七月二十日 (1578) 大浦(津軽)為信の軍に攻められ、浪岡御所は戦わずに離散、最後の御所北畠顕村は捕えられ切腹する。浪岡城も廃城となる。
≪ 写 真 ≫
浪岡城北館に復元された掘立柱建物跡
浪岡城入口
猿楽館
猿楽館と東館の間の堀
東館
新館
東館と北館の間の堀と土塁
東館と新館
県道27号沿いの浪岡城跡看板
北館入口
北館入口横の土塁
北館
北館の通路
北館からの内館
北館西側の土塁
北館と西館の間の堀と土塁
西館
西館から内館への入口
内館
内館にある北畠古城址碑
管理棟内の浪岡城跡全体図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR奥羽本線浪岡駅から徒歩約30分。
<車>
東北道浪岡ICを降りてIC入口を左折、県道285号羽州街道を南下、青森南署前を通り、浪岡川を渡り、浪岡細田三叉路信号を斜め左折、浪岡若松交差点信号を左折、浪岡高校前を通り、浪岡川を渡って中世の館前を通り、県道27号の右側に広大な敷地の浪岡城跡が見えてくる。浪岡前田交差点信号を右折して約200m南下した浪岡川手前を右に入って行くと浪岡城跡管理棟に着く。管理棟前に駐車場がある。
≪ 位置図 ≫
浪岡城
浪岡城跡管理棟
紹介したお城の数 271城
2014/9/15
青森県青森市のお城めぐり
後醍醐天皇に味方した南朝方の名門北畠親房・顕家の子孫浪岡御所の居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 浪岡城
よみ: ナミオカ
別称: 浪岡御所・北の御所
所在地: 青森県青森市浪岡大字浪岡五所14-1
現状: 浪岡城跡
築城年代: 室町時代
築城者: 北畠顕義
形式: 平城
遺構: 内館・北館・西館・東館・新館・猿楽館・検校館・無名の館・土塁・堀・掘立柱建物跡・井戸跡
規模: 東西1,200m×南北600m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2014/9/15
≪ 訪城記 ≫
黒石城から浪岡城に向かう。
県道38号を西進、弘南鉄道弘南線境松駅前を通り、堂野前種井交差点信号を右折、県道38号のまま北上、東光寺前田交差点信号を右折、県道148号を北東に進み、馬場尻東付近で大きく右に曲がり、下目内澤小屋敷添交差点信号を左折、県道13号を北上、浪岡若松交差点信号を右折、浪岡高校前を通り、浪岡川を渡って中世の館前を通り、県道27号の右側に広大な敷地の浪岡城跡が見えてくる。浪岡前田交差点信号を右折して約200m南下した浪岡川手前を右に入って行くと浪岡城跡管理棟に着く。ここに車を駐車する。
管理棟の北側の広大な平野が浪岡城跡で館と呼ばれる郭がいくつもあり、堀と土塁によって区画されている。
道順に沿って管理棟の北西裏側から入って行くと猿楽館があり、堀を挟み一段高くなった東館、広大な緑の大地を東側に新館があり、県道27号沿いが無名の館、堀を渡って北館に入る手前に国史跡浪岡城跡の看板があり、北館に入ると区画された掘立柱建物跡と井戸跡が復元されている。北館を西へ抜けると堀と土塁を隔て西館、南の一段高い郭が内館で中央北側に北畠古城跡碑がひっそりと建っている。内館を西に抜けて、川の西側に検校館が見える。浪岡川沿いに管理棟へ帰る。一周約50分かかった。
浪岡城の詳細は ……… ここをクリック
≪ 歴 史 ≫
正慶二年 (元弘三、1333) 北畠顕家が陸奥守に任ぜられ、義良親王を奉じて多賀国府に下る。顕家の戦死後は子の顕成が浪岡を領するようになり、顕元、顕邦、顕義、顕具、具統、具永、具運、顕村と続き、「浪岡御所」、「大御所」、「北の御所」と呼ばれる。
顕義の代に浪岡城を築く。
明応二年 (1493) 北畠顕義が没する。
永禄五年 (1562) 川原御所の乱が起こり、川原御所の北畠具信に浪岡御所北畠具運が殺害される。この内乱を契機に浪岡御所北畠氏は急速に衰える。
天正六年七月二十日 (1578) 大浦(津軽)為信の軍に攻められ、浪岡御所は戦わずに離散、最後の御所北畠顕村は捕えられ切腹する。浪岡城も廃城となる。
≪ 写 真 ≫
浪岡城北館に復元された掘立柱建物跡
浪岡城入口
猿楽館
猿楽館と東館の間の堀
東館
新館
東館と北館の間の堀と土塁
東館と新館
県道27号沿いの浪岡城跡看板
北館入口
北館入口横の土塁
北館
北館の通路
北館からの内館
北館西側の土塁
北館と西館の間の堀と土塁
西館
西館から内館への入口
内館
内館にある北畠古城址碑
管理棟内の浪岡城跡全体図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR奥羽本線浪岡駅から徒歩約30分。
<車>
東北道浪岡ICを降りてIC入口を左折、県道285号羽州街道を南下、青森南署前を通り、浪岡川を渡り、浪岡細田三叉路信号を斜め左折、浪岡若松交差点信号を左折、浪岡高校前を通り、浪岡川を渡って中世の館前を通り、県道27号の右側に広大な敷地の浪岡城跡が見えてくる。浪岡前田交差点信号を右折して約200m南下した浪岡川手前を右に入って行くと浪岡城跡管理棟に着く。管理棟前に駐車場がある。
≪ 位置図 ≫
浪岡城
浪岡城跡管理棟
紹介したお城の数 271城
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