お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

桜井城

2014-01-12 06:17:59 | 愛知県
 桜井城

2014/1/2

愛知県安城市のお城めぐり

 桜井松平氏代々の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 桜井城
よみ: サクライ
別称:
所在地: 愛知県安城市桜井町城阿原
現状: 城山公園
築城年代: 文明年間(1469-86)
築城者: 松平信光
形式: 平城
遺構:
規模: 150m×140m
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2014/1/2


≪ 訪城記 ≫

安祥城から桜井城へ向かう。

安城市歴史博物館の駐車場を出て博物館前の道を南西に進み、突き当りの信号を斜めに左折、県道286号を南下、東海道新幹線の高架下をくぐり、桜井塔之元信号を斜めに左折、県道44号を南下、約350mで道路右側に小さな公園がある。ここが桜井城跡の城山公園で公園南側を斜めに右折した狭い道を少し入ると公園入口で車2台置ける駐車場がある。ここに車を駐車する。

入口右側に説明板、左側に桜井城址碑があるのみで遺構はない。


≪ 歴 史 ≫

最初、小浦喜平治忠重が屋敷を構える。
文明年間 (1469-87) 松平信光が安祥に進出し、桜井城も松平氏が領有する。松平親忠の四男親房が城主となるが、実子がなく、長親の三男信定が養子となり、桜井松平氏の祖となる。
享禄二年 (1529) 吉田城攻めや織田方の品野城、岩崎城を攻略し、功により品野城を与えられる。
享禄三年 (1530) 東三河の宇利城を松平清康が攻め、この時、信定は兄親盛(福釜松平)と共に大手を攻めたが、信定が親盛を救援しなかったために親盛が討死してしまい、清康の怒りを買う。
天文四年 (1535) 清康の守山出陣に信定は病と称し上野城から動かず、内通のうわさが広がる。守山崩れが起こり、信康が弑され、信定が織田方と通じ、宗家を奪おうとしたため、身の危険を感じた松平広忠は岡崎を脱出し、一年間におよぶ流浪生活を送る。
天文六年 (1537) 広忠が一族の働きによって岡崎城に戻る。宗家の乗っ取りに失敗した信定は広忠に謝罪して許される。
天文七年 (1538) 信定が死去し、清定が継ぐ。
天文十二年 (1543) 清定が死去し、家次が継ぐ。
永禄元年 (1558) 品野城において織田軍の攻撃を受けるがよく防戦する。
永禄六年 (1563) 家次が三河一向一揆に属し、家康の怒りを買う。七月に死去したという。忠正が継ぐ。
天正元年二月 (1573) 武田氏の野田城攻めに、菅沼定盈の援軍として防戦につとめたが、捕えられ山家三方衆との人質交換より帰される。
天正五年 (1577) 忠正が病没し、弟の忠吉が継ぐ。
天正十年 (1582) 忠吉が病没し、忠正の子家広が継ぐ。
天正十八年八月 (1590) 徳川家康の関東移封に従い、武蔵松山城に移り、桜井城は廃城となる。


≪ 写 真 ≫


桜井城址碑


城山公園

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
名鉄西尾線桜井駅から徒歩10分。
<車>
東名高速岡崎ICを降りて岡崎インター西交差点信号を直進、国道1号東海道を西進、岡崎市役所前を通り岡崎城前の岡崎公園前信号を直進、矢作川を越えて矢作町加護畑交差点信号を左折、県道44号を南下、矢作町橋塚東信号を斜めに右折、道なりに進み東海道新幹線の高架下をくぐり、桜井塔之元信号を直進、約350mで道路右側に小さな公園がある。ここが桜井城跡の城山公園で公園南側を斜めに右折した狭い道を少し入ると公園入口で車2台置ける駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

桜井城(城山公園)


紹介したお城の数 169城



ビジュアル百科 日本の城1000城 1冊でまるわかり!
大野 信長,加唐 亜紀,有沢 重雄
西東社

安祥古城

2014-01-11 13:50:08 | 愛知県
 安祥古城

2014/1/2

愛知県安城市のお城めぐり

 足利氏の一族和田氏の居館

≪ お城の概要 ≫

城名: 安祥古城
よみ: アンジョウ
別称:
所在地: 愛知県安城市安城町社口堂
現状: 社口社
築城年代:
築城者:
形式: 平城
遺構:
規模:
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2014/1/2


≪ 訪城記 ≫

安祥城から徒歩で安祥古城に向かう。

安城市歴史博物館の駐車場南側の道を西へ歩き、安城南部小学校南側を通り、突き当りの県道286号を約30m南下した三叉路を右折、約200m西進したマンションのある突き当りを右折して、すぐ次の三叉路を左折、名鉄西尾線のガード下をくぐり、大きな道を渡り、そのまま約65m進んだ交差点を右折、細い路地を北へ約60m進んだ児童公園北側に社口社の鳥居のあるところが安祥古城です。

社口社の鳥居の北側に説明板があり、鳥居をくぐると奥に小さな社殿があり、そこに向かって土地が少し高くなっています。
遺構は何もありません。


≪ 歴 史 ≫

足利氏の一族和田氏の居館だったようです。
天文九年六月 (1540) 尾張の織田信秀(信長の父)が三河に侵攻し、安祥古城、安祥城を攻撃し、松平広忠は松平信康、松平(藤井)利長を援軍に派遣、安祥城城将松平長家は防戦したが、松平長家、信康が戦死して苦戦を強いられたが、利長が撃退した。以後、数回の攻防戦が行われ、安祥古城は松平氏の前線基地だったようです。


≪ 写 真 ≫


安祥古城跡の社口社


奥の小さな社殿

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
名鉄西尾線南安城駅から徒歩約10分。
<車>
東名高速岡崎ICを降りて岡崎インター西交差点信号を直進、国道1号東海道を西進、岡崎市役所前を通り岡崎城前の岡崎公園前信号を直進、矢作川を越えて矢作町加護畑交差点信号を左折、県道44号を南下、矢作町橋塚東信号を斜めに右折、道なりに進み河野町西交差点信号を右折、県道78号を北西に進み歴史博物館前三叉路信号を左折したところが安祥城跡の大乗寺、安城市歴史博物館で約200m南西に進んだ三叉路を右折した突き当りに歴史博物館の駐車場がある。ここから徒歩で駐車場南側の道を西へ歩き、安城南部小学校南側を通り、突き当りの県道286号を約30m南下した三叉路を右折、約200m西進したマンションのある突き当りを右折して、すぐ次の三叉路を左折、名鉄西尾線のガード下をくぐり、大きな道を渡り、そのまま約65m進んだ交差点を右折、細い路地を北へ約60m進んだ児童公園北側に社口社の鳥居のあるところが安祥古城です。徒歩約15分。


≪ 位置図 ≫

安祥古城


紹介したお城の数 168城



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安祥城

2014-01-10 16:06:26 | 愛知県
 安祥城

2014/1/2

愛知県安城市のお城めぐり

 織田氏と攻防戦を繰り広げた岡崎城へ移るまでの松平氏の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 安祥城
よみ: アンジョウ
別称: 森城
所在地: 愛知県安城市安城町赤塚・城堀
現状: 大乗寺・八幡社・安祥城址公園・安城市歴史博物館
築城年代: 永享十二年(1440)
築城者: 和田親平
形式: 平城
遺構: 本丸・二の丸・隅櫓跡・切岸・井戸
規模: 54m×54m、標高15m
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2011/6/26・2014/1/2


≪ 訪城記 ≫

岡崎城から安祥城へ向かう。

岡崎公園の駐車場出て左折して国道1号を西進、矢作川を越えて矢作町加護畑交差点信号を左折、県道44号を南下、矢作町橋塚東信号を斜めに右折、道なりに進み河野町西交差点信号を右折、県道78号を北西に進み歴史博物館前三叉路信号を左折したところが大乗寺、安城市歴史博物館で約200m南西に進んだ三叉路を右折した突き当りに歴史博物館の駐車場がある。ここに車を駐車する。

駐車場の東側が安祥城址公園で中央の一段高い八幡社が二の丸跡、真ん中の通路を挟んで北側の大乗寺も同じように高い丘で本丸跡です。大乗寺の門の前に説明板、北側に安祥城址碑が建っている。
大乗寺の南東隅に隅櫓跡、真ん中通路沿いの斜面が切岸、安祥公民館前に風呂井戸跡があり、八幡社の東参道入口の林の中に善恵坊の碑が建っている。
大乗寺前と南側の遊具のある場所に土塁が復元されている。


≪ 歴 史 ≫

永享十二年 (1440) 足利一族の和田親平が築く。
文明三年 (1471) 松平信光が謀略をもって安祥城を攻略して、以後、親忠、長親、信忠、清康(家康の祖父)と居城し、岡崎城へ移るまで松平氏の本拠地となる。
天文四年十二月 (1535) 松平清康が尾張守山で家臣に誤って殺される事件(守山崩れ)が起こり、広忠(家康の父)が継ぐ。
天文九年六月 (1540) 尾張の織田信秀(信長の父)が三河に侵攻し、安祥古城、安祥城を攻撃し、松平広忠は松平信康、松平(藤井)利長を援軍に派遣、安祥城城将松平長家は防戦したが、松平長家、信康が戦死して苦戦を強いられたが、利長が撃退した。以後、数回の攻防戦が行われる。
天文十三年八月 (1544) 織田信秀が一族の織田敏宗を大将として安祥城を攻めるが退却する。翌九月、信秀が安祥城を攻め、落城する。
天文十四年九月 (1545) 松平広忠が安祥城を奪還するため城を攻めるが、逆に窮地に陥り、本多忠豊(本多忠勝の祖父)が身代わりとなり戦死し、広忠は岡崎城へ帰ることが出来た。
天文十六年 (1547) 松平広忠は松平氏単独では織田氏に対抗できず、駿河の今川義元に援助を求め、広忠の子竹千代(のちの徳川家康)を今川家に人質として駿府に送るが、途中、田原城の戸田康光に竹千代が奪われ、織田信秀に売られ織田方人質となる。
天文十八年三月 (1549) 松平広忠が家臣岩松八弥に殺される。これを知った今川義元は雪斎和尚(太原崇孚)を岡崎に派遣し、今川・松平連合軍が安祥城を攻めるが、城将織田信広(信長の兄)がよく防戦して、雪斎は岡崎城に引き揚げる。この戦いで、本多忠高(本多忠勝の父)が討死する。
天文十八年十一月 (1549) 再び雪斎を大将として今川・松平連合軍が安祥城を攻め、激戦の末、織田信広が降伏し捕われの身となる。信広と竹千代の人質交換が行われ、安祥城攻防戦が終結する。
永禄五年一月 (1562) 桶狭間の戦いの後、織田信長と松平元康の間で清洲同盟が結ばれ、安祥城は廃城となった。


≪ 写 真 ≫


安祥城本丸跡の大乗寺


大乗寺入口の安祥城址碑


大乗寺前の復元土塁


大乗寺南東隅の隅櫓跡


真ん中の通路沿いの切岸


風呂井


姫塚


善恵坊の碑


二の丸跡の八幡社


安城市歴史博物館


現地案内板(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
名鉄西尾線南安城駅から徒歩約15分。
<車>
東名高速岡崎ICを降りて岡崎インター西交差点信号を直進、国道1号東海道を西進、岡崎市役所前を通り岡崎城前の岡崎公園前信号を直進、矢作川を越えて矢作町加護畑交差点信号を左折、県道44号を南下、矢作町橋塚東信号を斜めに右折、道なりに進み河野町西交差点信号を右折、県道78号を北西に進み歴史博物館前三叉路信号を左折したところが安祥城跡の大乗寺、安城市歴史博物館で約200m南西に進んだ三叉路を右折した突き当りに歴史博物館の駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

安祥城(大乗寺)


紹介したお城の数 167城



愛知の山城ベスト50を歩く
愛知中世城郭研究会,中井 均
サンライズ出版

岡崎城

2014-01-09 18:05:01 | 愛知県
 岡崎城

2014/1/2

愛知県岡崎市のお城めぐり

 徳川家康生誕の城で徳川譜代の居城 日本100名城

≪ お城の概要 ≫

城名: 岡崎城
よみ: オカザキ
別称: 龍城・竜ヶ城
所在地: 愛知県岡崎市康生町
現状: 岡崎公園
築城年代: 享徳・康正年間(1452-57)
築城者: 西郷弾正左衛門稠頼
形式: 平山城
遺構: 本丸・二の丸・持仏堂曲輪・復元天守・大手門・東隅櫓・板谷門跡・風呂谷門跡・二の丸井戸跡・産湯の井戸・清海堀・水堀・石垣・切通し
規模: 標高24m
文化財: 市指定文化財
訪城日: 2011/6/26・2014/1/2


≪ 訪城記 ≫

自宅から岡崎城へ向かう。

東名高速岡崎ICを降りて岡崎インター西交差点信号を直進、国道1号東海道を西進、岡崎市役所前を通り岡崎公園前信号を左折すると岡崎公園の東側にある有料駐車場に着く。ここに車を駐車する。

駐車場の東隅に東隅櫓があり、公園への入口横には大手門が再建されています。
公園に入ると二の丸で左側の花時計奥に徳川家康公銅像が建っていて、右側のお土産屋東側に二の丸井戸跡がある。
公園中央には本多平八郎忠勝公坐像、その左側に三河武士のやかた家康館、右側にはからくり時計、奥には能楽堂がある。
からくり時計から南に行くと深い清海堀と持仏堂曲輪で石垣が残っている。本丸に入ると龍城神社と復元天守閣があり、「天守閣」と「三河武士のやかた家康館」セットで入場料が500円でした。
天守閣西側の伊賀川沿いには東照公えな塚、板谷門跡、家康公産湯の井戸がある。
龍城神社の南側にある風呂谷門跡から虎口を降りると石垣と水堀を見られる。
東隅櫓東側の下へ降りる道は、両側が石垣造の切通しです。


岡崎城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

享徳・康正年間 (1452-57) 三河守護職仁木氏の守護代西郷弾正左衛門稠頼によって築かれ、大永初年頃まで代々居城とした。
享禄年間 (1528-32) 安祥城の松平清康(家康の祖父)の麾下に入り、清康が城主となる。
天文四年 (1535) 松平清康が尾張守山で家臣に誤って殺される事件(守山崩れ)が起こり、広忠(家康の父)が継ぐ。
天文十一年十二月二十六日 (1542) 徳川家康(幼名竹千代)が岡崎城で誕生するが、六歳で織田信秀(信長の父)、八歳で今川義元の人質となり、駿府で成長する。
永禄三年 (1560) 今川義元が桶狭間の戦いで敗死すると、松平元康(のちの家康)は岡崎城に帰還、織田信長と同盟して三河を平定する。
元亀元年 (1570) 家康が遠江浜松に拠点を移し、岡崎城は嫡男信康が城主となる。
天正七年 (1579) 信康が武田と内通した事件で遠江二俣城に幽閉され、自刃する。その後は石川数正、本多重次が城代となる。
天正十八年 (1590) 家康が秀吉によって関東移封となり、秀吉の家臣田中吉政が城主となる。
慶長五年 (1600) 関ヶ原合戦の後、田中吉政に代わり徳川譜代の本多康重が岡崎城主となり、康紀、忠利、利長と続く。
元和三年 (1617) 天守閣が築かれる。
寛永二十一年 (1645) 本多氏に代わり水野忠善が入り、以後、忠春、忠盈、忠之、忠輝、忠辰、忠任と続く。
宝暦十二年 (1762) 本多氏に代わって松平康福が入る。
明和六年 (1769) 松平氏に代わって再び本多氏が入り、忠肅、忠典、忠顕、忠考、忠民、忠直と明治維新まで続く。
明治六年 (1872) 廃城令によって天守閣が取り壊される。
昭和三十四年 (1959) 天守閣が復元される。


≪ 写 真 ≫


大手門


二の丸


珍しい天守閣付の公衆電話


徳川家康公の銅像


二の丸井戸跡


三河武士のやかた家康館


本多平八郎忠勝坐像


からくり時計


能楽堂


清海堀の切岸


二の丸南側の清海堀


二の丸南側の清海堀に残る石垣


龍城神社への入口


北からの天守閣


持仏堂曲輪東側の清海堀


持仏堂曲輪西側の清海堀


持仏堂曲輪の石段


東からの天守閣


龍城神社


正面からの天守閣


東照公えな塚


天守閣西側の石垣


西側からの清海堀


西側の堀


徳川家康産湯の井戸


本丸東側の石垣


水堀と石垣


板谷門跡


東隅櫓


現地岡崎公園案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
名鉄名古屋本線東岡崎駅から徒歩約15分。
<車>
東名高速岡崎ICを降りて岡崎インター西交差点信号を直進、国道1号東海道を西進、岡崎市役所前を通り岡崎公園前信号を左折すると岡崎城のある岡崎公園に着く。東側に有料駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

岡崎城(岡崎公園)


紹介したお城の数 166城



日本100名城公式ガイドブック―日本の文化遺産「城」を見に行こう (歴史群像シリーズ)
福代徹,日本城郭協会
学習研究社




愛知の山城ベスト50を歩く
愛知中世城郭研究会,中井 均
サンライズ出版

足助城山城

2014-01-05 06:00:39 | 愛知県
 足助城山城

2013/12/22

愛知県豊田市のお城めぐり

 道路工事で一部が取り壊された足助七城の一つ

≪ お城の概要 ≫

城名: 足助城山城
よみ: アスケシロヤマ
別称: 城山城・足助古城
所在地: 愛知県豊田市足助町城山
現状: 山
築城年代: 十六世紀後半
築城者:
形式: 山城
遺構: 主郭1・主郭2・腰曲輪・堀切
規模: 標高230m
文化財:
訪城日: 2013/12/22


≪ 訪城記 ≫

大観音城から徒歩で足助城山城へ向かう。

大観音城の登城口から商店街を西へ戻り、JAあいち豊田足助支店の交差点を右折、すぐに道が大きく右に曲がり細くなっていく。住宅街を通り過ぎ、国道153号バイパスの高架下をくぐり三叉路へ出る。三叉路を右折して国道153号バイパスへ出る。バイパスとの合流点の東側に山へ登る遊歩道がある。
遊歩道を登ること約20分で主郭1と主郭2の間の堀切に到着する。堀切左側が主郭1で段々になった腰曲輪の頂上に細長い二段になった削平地があります。
堀切右側が主郭2で竹藪内に小さな曲輪が段々に存在します。
ここまで来る途中の道は竹藪の竹が折れて道に倒れかけ、道を塞いでいてたどり着くまで苦労しました。おかげで途中にも腰曲輪や空堀がありそうですが発見できませんでした。


≪ 歴 史 ≫

星野刑部左衛門尉正頼の屋敷跡と言われていますが、詳細については判りません。

≪ 写 真 ≫


登城口


遊歩道


登城道


主郭1と主郭2の間の堀切


主郭1の腰曲輪


二段になった主郭1


主郭1


主郭2

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
名古屋鉄道豊田線浄水駅から、おいでんバスで一の谷バス停下車、徒歩約40分。または名古屋鉄道本線東岡崎駅から名鉄バスで香嵐渓一の谷バス停下車、徒歩約40分。
<車>
東名高速日進JCTから名古屋瀬戸道路を通り、長久手ICで降りて県道6号を直進、愛・地球博記念公園横を通り過ぎ、八草ICから猿投グリーンロードを通り、終点の力石ICで降りて力石インター東三叉路信号を左折、国道153号飯田街道を東進、追分交差点信号を直進、足助大橋西三叉路信号を右折、川を渡り足助町へ入り、香嵐渓信号付近と巴川を渡った付近に有料駐車場がたくさんある。
香嵐渓交差点信号を北へ渡り、二つ目の辻を左折して東へ進み、足助交流館前を通って突き当りの三叉路を左折、川を渡り次の交差点を右折、商店街を東へ進み、突き当りの三叉路を左折、次の辻を右折して約200m直進したJAあいち豊田足助支店の交差点を右折、すぐに道が大きく右に曲がり細くなっていく。住宅街を通り過ぎ、国道153号バイパスの高架下をくぐり三叉路へ出る。三叉路を右折して国道153号バイパスへ出る。バイパスとの合流点の東側に山へ登る遊歩道がある。
遊歩道を登ること約20分で主郭1と主郭2の間の堀切に到着します。


≪ 位置図 ≫

足助城山城


登城口


紹介したお城の数 165城



愛知の山城ベスト50を歩く
愛知中世城郭研究会,中井 均
サンライズ出版