お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

大観音城

2014-01-04 09:50:07 | 愛知県
 大観音城

2013/12/22

愛知県豊田市のお城めぐり

 足助七城の一つ

≪ お城の概要 ≫

城名: 大観音城
よみ: ダイカンノン
別称:
所在地: 愛知県豊田市足助町城山
現状: 観音寺・山
築城年代:
築城者:
形式: 山城
遺構: 本郭・腰曲輪・土橋
規模: 比高100m
文化財:
訪城日: 2013/12/22


≪ 訪城記 ≫

足助陣屋から徒歩で大観音城へ向かう。

足助陣屋跡の愛知県足助農林業振興センターを南へ一つ目の辻を左折、商店街を北東へJAあいち豊田足助支店の交差点を過ぎ、約100m直進した道が少し曲がった先の川を渡ったところ常夜灯があり、観音寺へ登る案内板のある参道が登城口です。

参道を登ること約7分で観音寺へ着く。観音寺前の広い削平地から見る足助の街並みの眺めはすばらしい。
さらに観音寺の右側から裏山へ登ると畝道があり、その奥の竹藪の中の踏みつけ道を登ること約10分で竹藪の中に広がる小さな削平地がある。ここが本郭です。登る途中に段々になった腰曲輪や土橋を竹藪の中で判りにくいが見ることが出来る。


≪ 歴 史 ≫

詳細は分からない。

≪ 写 真 ≫


常夜灯のある登城口


観音寺前の削平地


観音寺


観音寺裏の畝道


腰曲輪


腰曲輪の切岸


土橋


切岸


本郭

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
名古屋鉄道豊田線浄水駅から、おいでんバスで一の谷バス停下車、徒歩約40分。または名古屋鉄道本線東岡崎駅から名鉄バスで香嵐渓一の谷バス停下車、徒歩約40分。
<車>
東名高速日進JCTから名古屋瀬戸道路を通り、長久手ICで降りて県道6号を直進、愛・地球博記念公園横を通り過ぎ、八草ICから猿投グリーンロードを通り、終点の力石ICで降りて力石インター東三叉路信号を左折、国道153号飯田街道を東進、追分交差点信号を直進、足助大橋西三叉路信号を右折、川を渡り足助町へ入り、香嵐渓信号付近と巴川を渡った付近に有料駐車場がたくさんある。
香嵐渓交差点信号を北へ渡り、二つ目の辻を左折して東へ進み、足助交流館前を通って突き当りの三叉路を左折、川を渡り次の交差点を右折、商店街を東へ進み、突き当りの三叉路を左折、次の辻を右折してJAあいち豊田足助支店の交差点を過ぎ、約100m直進した道が少し曲がった先の川を渡ったところに常夜灯があり、観音寺へ登る案内板のある参道が登城口です。ここまで徒歩約20分。本郭まで徒歩約20分。


≪ 位置図 ≫

大観音城


登城口


紹介したお城の数 164城



城めぐりがもっと楽しくなる!お城の地図帳 (タツミムック)
クリエーター情報なし
辰巳出版

足助陣屋

2014-01-03 08:44:17 | 愛知県
 足助陣屋

2013/12/22

愛知県豊田市のお城めぐり

 本多淡路守忠周が築いた年貢徴収用の陣屋

≪ お城の概要 ≫

城名: 足助陣屋
よみ: アスケ
別称: 本多陣屋・本多忠周陣屋
所在地: 愛知県豊田市足助町陣屋跡19-3
現状: 愛知県足助農林業振興センター
築城年代: 天和元年(1681)
築城者: 本多淡路守忠周
形式: 陣屋
遺構:
規模:
文化財:
訪城日: 2013/12/22


≪ 訪城記 ≫

足助飯盛山城から徒歩で足助陣屋へ向かう。

香嵐渓交差点信号を北へ渡り、二つ目の辻を左折して東へ進み、足助交流館前を通って突き当りの三叉路を左折、川を渡り次の交差点を右折、商店街を東へ進み、突き当りの三叉路を左折した突き当りに足助陣屋跡の愛知県足助農林業振興センターがある。

愛知県足助農林業振興センター入口左側に説明板があるのみで遺構はない。
ここは旧足助町役場跡だそうです。


≪ 歴 史 ≫

天和元年 (1681) 本多淡路守忠周が陸奥国白河から三河国加茂郡に移され、陣屋を置いたのが始まりです。
天和三年 (1683) 足助藩となる。
元禄二年 (1689) 旗本に戻る。以後、幕末まで本多家が続く。
明治二年 (1869) 陣屋の建物が伊那県足助庁として使用される。
明治十六年 (1883) この地に東加茂郡役所が新築され、昭和三十三年(1958)まで足助町役場として使用されました。


≪ 写 真 ≫


足助陣屋跡の愛知県足助農林業振興センター


現地説明板見取図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
名古屋鉄道豊田線浄水駅から、おいでんバスで一の谷バス停下車、徒歩約15分。または名古屋鉄道本線東岡崎駅から名鉄バスで香嵐渓一の谷バス停下車、徒歩約15分。
<車>
東名高速日進JCTから名古屋瀬戸道路を通り、長久手ICで降りて県道6号を直進、愛・地球博記念公園横を通り過ぎ、八草ICから猿投グリーンロードを通り、終点の力石ICで降りて力石インター東三叉路信号を左折、国道153号飯田街道を東進、追分交差点信号を直進、足助大橋西三叉路信号を右折、川を渡り足助町へ入り、香嵐渓信号付近と巴川を渡った付近に有料駐車場がたくさんある。
香嵐渓交差点信号を北へ渡り、二つ目の辻を左折して東へ進み、足助交流館前を通って突き当りの三叉路を左折、川を渡り次の交差点を右折、商店街を東へ進み、突き当りの三叉路を左折した突き当りに足助陣屋跡の愛知県足助農林業振興センターまで徒歩約15分。


≪ 位置図 ≫

足助陣屋(愛知県足助農林業振興センター)


紹介したお城の数 163城



Nikon デジタル一眼レフカメラ D3200 200mmダブルズームキット 18-55mm/55-200mm付属 ブラック D3200WZ200BK
クリエーター情報なし
ニコン

足助飯盛山城

2014-01-02 05:40:28 | 愛知県
 足助飯盛山城

2013/12/22

愛知県豊田市のお城めぐり

 足助氏累代の居城で、跡を継いだ鈴木氏代々の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 足助飯盛山城
よみ: アスケイイモリヤマ
別称: 飯盛城
所在地: 愛知県豊田市足助町飯盛
現状: 山
築城年代: 治承年間(1177-81)
築城者: 足助重長
形式: 平山城
遺構: 主郭・二の曲輪・三の曲輪・腰曲輪・居館跡・空堀
規模: 標高345m
文化財:
訪城日: 2013/12/22


≪ 訪城記 ≫

足助真弓山城から足助飯盛山城へ向かう。

城跡公園足助城から山を下りて足助中学校横の三叉路を右折、国道420号鳳来寺道を飯盛山沿いに北へ廻り、国道153号飯田街道と合流する三叉路で国道153号へ出て西進、香嵐渓信号付近と巴川を渡った付近に有料駐車場がたくさんある。私は足助八幡宮南側の有料駐車場に車を駐車しました。

香嵐渓のお土産屋さんの辻を東へ進み巴川に突き当り、巴川沿いを北上、国道153号へ出て橋を渡った香嵐渓信号から南へ入ると「もみじ」で有名な香嵐渓です。この香嵐渓の裏山が足助飯盛山城跡です。
香嵐渓入口の森林公園と書かれた碑の前に石板の説明板があり、ここから山へ登ります。
途中に空堀や山頂付近に段々の腰曲輪があり、約25分で三の曲輪、二の曲輪に着きます。二の曲輪の上が主郭で岩のある鎖で囲まれた場所があり、その東に東屋があります。
主郭東から下に降りると腰曲輪があります。
三の曲輪から香積寺へ降ります。麓付近に豊栄稲荷、装束塚、鈴木氏五代の墓があり、香積寺に着きます。寺の前には三州足助屋敷があります。


≪ 歴 史 ≫

足助氏代々の居城で、足助氏没落後鈴木氏が飯盛山城を継ぐ。
大永五年 (1525) 松平清康(家康の祖父)に攻められ、城主鈴木重政は清康の妹を嫡子重直の妻とすることを条件に松平氏の麾下に入る。
天文四年 (1535) 守山崩れで清康が殺されると重直の妻を松平氏に送り返し、松平氏から独立する。
永禄三年 (1560) 桶狭間合戦後、再び松平氏の麾下に入る。
元亀二年 (1571) 武田信玄が足助城を攻略し、下條伊豆守信氏を城代とする。
天正元年 (1573) 家康の長男岡崎三郎信康が武田勢を追い払い、足助鈴木氏に足助城が戻る。
天正十八年 (1590) 徳川家康の関東入国に鈴木氏が従い足助の地を離れ、足助飯盛山城は廃城となる。


≪ 写 真 ≫


足助飯盛山城全景


登城口


北面の空堀


西面の空堀


段々の腰曲輪


三の曲輪


二の曲輪


主郭


主郭の東屋


主郭東下の腰曲輪


主郭東側の切岸


南面の空堀


豊栄稲荷


装束塚


鈴木氏五代の墓


居館跡の香積寺


香積寺の門

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
名古屋鉄道豊田線浄水駅から、おいでんバスで一の谷バス停下車、徒歩約25分。または名古屋鉄道本線東岡崎駅から名鉄バスで香嵐渓一の谷バス停下車、徒歩約25分。
<車>
東名高速日進JCTから名古屋瀬戸道路を通り、長久手ICで降りて県道6号を直進、愛・地球博記念公園横を通り過ぎ、八草ICから猿投グリーンロードを通り、終点の力石ICで降りて力石インター東三叉路信号を左折、国道153号飯田街道を東進、追分交差点信号を直進、足助大橋西三叉路信号を右折、川を渡り足助町へ入り、香嵐渓信号付近と巴川を渡った付近に有料駐車場がたくさんある。香嵐渓の飯盛山山頂まで徒歩約25分。


≪ 位置図 ≫

足助飯盛山城


紹介したお城の数 162城



ビジュアル百科 日本の城1000城 1冊でまるわかり!
大野 信長,加唐 亜紀,有沢 重雄
西東社

足助真弓山城

2014-01-01 08:48:58 | 愛知県
 足助真弓山城

2013/12/22

愛知県豊田市のお城めぐり

 城郭が復元された足助鈴木氏の本城

≪ お城の概要 ≫

城名: 足助真弓山城
よみ: アスケマユミヤマ
別称: 足助城・真弓山城・松山城・足助松山の城
所在地: 愛知県豊田市足助町須沢39-2
現状: 城跡公園足助城
築城年代: 十五世紀後半
築城者: 鈴木忠親
形式: 山城
遺構: 本丸・本丸腰曲輪・南の丸・南の丸腰曲輪・西の丸・西の丸腰曲輪・北腰曲輪・復元高櫓・南物見台・西物見台・堀切・井戸
規模: 標高301m
文化財:
訪城日: 2013/12/22


≪ 訪城記 ≫

自宅から足助真弓山城へ向かう。

東名高速日進JCTから名古屋瀬戸道路を通り、長久手ICで降りて県道6号を直進、愛・地球博記念公園横を通り過ぎ、八草ICから猿投グリーンロードを通り、終点の力石ICで降りて力石インター東三叉路信号を左折、国道153号飯田街道を東進、追分交差点信号を直進、足助大橋西三叉路信号を右折、川を渡り足助町へ入り、香嵐渓信号から約250mの三叉路を右側の山側へ登る道に入り、足助中学校を過ぎた三叉路を左折、山へ登って行き、途中の三叉路を左折約400mで足助真弓山城の城跡公園に着く。入口の前に駐車場があり、ここに車を駐車する。

城跡公園足助城は遺構構造物の復元がされていて入口料金所で入場料300円を払い中へ入る。
まず城門から入って碑のある曲がり角を曲がるといきなり復元された中世の城郭が目に入ってくる。切岸で囲まれた砦のようです。
手前の堀切のある分かれ道を左へ行くと二段になった南の丸腰曲輪があり、回り込んだところに井戸跡、下には天然の空堀、井戸を過ぎて左手奥に進むと西の丸腰曲輪に出る。井戸から上へ登ると柵に囲まれた西の丸と西物見台が復元されている。西物見台の右手、本丸の裾を進むと南の丸へ出る。南の丸には建物が二棟復元されている。南の丸入口付近から上へ登ると南物見台、木製の橋を渡ると高櫓が復元されている本丸に着く。
高櫓内部は見学でき、二階の望楼は眺め良いです。
本丸から東側へ降りると二段の北腰曲輪、本丸腰曲輪へでる。本丸東側の裾道を通って出る。本来は逆方向に見学する方が良いかも。


足助真弓山城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

大永五年 (1525) 松平清康(家康の祖父)に攻められ、以後、足助鈴木氏が松平氏の麾下に入る。
天文二十三年 (1554) 今川氏に攻められ、鈴木氏が今川方に降る。
永禄七年 (1564) 松平元康(家康)に攻められ再び松平氏の麾下に入る。
元亀二年 (1571) 武田信玄が足助城を攻略し、下條伊豆守信氏を城代とする。
天正元年 (1573) 家康の長男岡崎三郎信康が武田勢を追い払い、足助鈴木氏に足助城が戻る。
天正十八年 (1590) 徳川家康の関東入国に足助鈴木氏が従い足助の地を離れ、足助城は廃城となる。


≪ 写 真 ≫


城跡公園足助城の入口


足助城の門


復元された足助城


南の丸腰曲輪


井戸跡


天然の空堀


西の丸腰曲輪


西の丸の切岸


西の丸


西物見台


紅葉の落葉で赤く染まった天然空堀


南の丸の復元建物


南物見台


本丸高櫓


北腰曲輪


北腰曲輪から見た本丸高櫓


足助城全景


現地縄張図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
名古屋鉄道豊田線浄水駅から、おいでんバスで一の谷バス停下車、徒歩約40分。または名古屋鉄道本線東岡崎駅から名鉄バスで香嵐渓一の谷バス停下車、徒歩約40分。
<車>
東名高速日進JCTから名古屋瀬戸道路を通り、長久手ICで降りて県道6号を直進、愛・地球博記念公園横を通り過ぎ、八草ICから猿投グリーンロードを通り、終点の力石ICで降りて力石インター東三叉路信号を左折、国道153号飯田街道を東進、追分交差点信号を直進、足助大橋西三叉路信号を右折、川を渡り足助町へ入り、香嵐渓信号から約250mの三叉路を右側の山側へ登る道に入り、足助中学校を過ぎた三叉路を左折、山へ登って行き、途中の三叉路を左折約400mで足助真弓山城の城跡公園に着く。入口の前に駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

足助真弓山城(城跡公園)


紹介したお城の数 161城



愛知の山城ベスト50を歩く
愛知中世城郭研究会,中井 均
サンライズ出版