Right and Wide

シンガー・ソング・ライター田中正浩の素顔

ブーメラン発言

2012年01月26日 | 記事
いま流行ってる動画。
http://youtu.be/THkY0BZqwjE
「マニフェストに書いてあることはやる、書いてないことはやらない」
これあたりまえのことですよね!
「この人いいこと言ってるね。今の首相と代わったら?」の書き込みあり。全く…。
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バラバラになっている福島の人たちつなぎたい

2012年01月23日 | 集会

 憲法九条を守る木幡六地蔵の会は15日、宇治市の木幡地域福祉センターで恒例の新春のつどいを開催し、46人が参加しました。

 今年の講演は、避難者と支援者を結ぶ京都ネットワーク代表の西山祐子さんによる「福島原発事故 支援の輪をひろげて」。西山さんは、3月11日当日の様子やその後の原発事故の対応などについて体験を語りました。
 福島市の震度は5弱。断水で水を確保するのに苦労していたところに、福島原発の爆発で、通常0.04マイクロシーベルトの放射線量が24.24マイクロシーベルトに跳ね上がり、報道や政府、自治体からの適切な情報がないなかでメールによる情報ではじめて「被曝」していることを知ったこと。それから家族と相談して2歳の子どものことも考えて福島を出て、東京に移り、なんとか福島へ帰る道を探ったものの、福島では被曝が避けられないと知り、長期に避難する方向をとることにしたと話しました。
 「自主避難者」には行政の援助が少ない中で避難者に受け入れの手を差し伸べてくれた京都に移住。福島の人々がいろんな事情や行政の都合で、各地へ避難した人や残った人など、ばらばらになっているのが現状で、仕事で残っている夫の生活費用や福島で住んでいた借家、今京都での母子と両親の生活など大変な負担になるなど切実な体験や福島市の実態などを生々しく語りました。
 西山さんは「日本中にある原発、それを許してしまった震災以前の自分たちにも責任はあると思っている。支援されるだけでなく避難できない人などへの支援をしたい。ばらばらになっている福島の人たちをつなぎ、行政の不備を改善させたい」と述べ、仲間を募っていろんな活動を始めています。参加者からは、みずからも能動的に働きかけている姿に感動の拍手が送られました。

 また、昨年、九条の会が行った第4回全国交流集会に参加した太田哲彦さんの報告、田中正浩さんと黒田いづみさんのギターとピアノの演奏で「原爆許すまじ」「私の子どもたちへ」などをみんなで歌いました。(山崎恭一)


以上「京都民報」より転載

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福島原発事故―支援の輪を広げて

2012年01月15日 | 出演

2012.1.15(日) 憲法九条を守る木幡・六地蔵の会新年のつどい

開会挨拶、九条の会第3回全国交流集会の報告に続き、福島市出身で「避難者と支援者を結ぶ京都ネットワークみんなの手」を立ち上げて活動しておられる西山祐子さんが「福島原発事故―支援の輪を広げて」と題して講演をされました。

3月11日の直後、情報が錯綜する中、友人から避難を勧めるメールが西山さんに届きました。
以前から反原発の活動をしている友人でした。
福島第一原発が水素爆発を起こし、通常時は0.04μSv/hの放射線量が3月15日には24.24μSv/hに跳ね上がりました。
はじめは家族の反対にあいましたが、避難を決意。18日、飛行機で東京へ。3ヶ月過ごした後、さらに京都へ避難されます。

はじめは外部被曝からの心配、次に内部被曝への心配がありました。2才の娘さんが安心して外で遊べる環境を求めての決断でした。
政府が決めた避難区域の外側であっても、より安心して暮らせる場所へ移住する「自主避難者」は多くおられるそうですが、そうした人々を受け入れている京都市のような自治体は限られています。また、父親の勤務の関係などで母子のみが避難するケースや、週末だけの避難、県内の比較的線量の低い地域へ一時避難している人も大勢います。11月の時点で福島県外に5万人近い人が生活しているそうです。
避難を決意した人、残ることを決意した人、それぞれ、家族のこと、経済的負担、ふるさとへの思い、健康のこと、差別など、様々な問題に直面し、悩んでおられます。
どこに住んでいたかによって補償に差があり、政府から「安全」と見なされた場合には補償が受けられないという現実もあります。そのことで県民の気持ちがバラバラになることをとても憂いておられました。
今後、いつか福島に帰りたいが、先が見えない。山林に降り積もった放射性物質を除染するにはおそらく何十年もかかるでしょう。除染作業をすればするほど、その人が被爆するという矛盾もあります。

国は「20mSv/年」を避難基準として設定。市民団体が求めてきた「選択的避難区域の設定」を拒否し続けています。福島市の中でも渡利地区は放射能汚染が深刻で、6月の調査で3μSv/h以上を観測。市民団体が政府交渉でたびたびこの問題を指摘するも政府側は無視し続けました。除染も効果が上がりません。このような状況の中、渡利の市民団体が国、市に対し要望書を提出、説明会を開かせます。しかし、住民が「線量計が振り切れる箇所があちこちにある」「全世帯を調査せよ」と迫っても国、市は特定避難勧奨地点への指定を拒否。
とうとう10月28日には怒った住民が国の原子力災害対策本部や文科省、原子力安全委員会と直接交渉を行いますが、政府側は「誠意を持って検討する」というお決まりの答弁をするだけでした。
この事態を一刻も放置できない。子どもたちを守ろう、と発足したのが「渡利土湯ぽかぽかプロジェクト」。渡利の子どもを近隣の線量が低い土湯温泉に一時的に避難させようという取組です。「みんなの手」はこのプロジェクトにも積極的に関わっておられます。

西山さんはご自身の心情の変化についても率直に語られました。事故が起こるまで「私一人の力では何も変わらないと思い行動しなかった」自分を責め、地元の農業を守ろうと必死で活動している農家に思いを寄せながら、母親の立場として、子どもを守りたいという気持ちを行動に移された勇気と決断力、物事の本質を見抜く力、そして人とつながり、その輪を広げていこうとする熱意に感動しました。
また、マスコミでは決して報道されない市民団体の粘り強く力強い活動にも希望の光を見た思いがしました。政治の無能さ、情けなさを嘆いてばかりじゃいけないですね。結局は僕たち一人ひとりがしっかりし判断し、行動しなくては…!

講演の後、「まさひろとその仲間」(黒田いづみ、田中正浩)が会場の皆さんと一緒に歌を歌いました。

  • 弥生の空 (田中正浩 作詞・作曲)
  • 原爆を許すまじ (浅田石二 作詞/木下航二 作曲)
  • 私の子どもたちへ (笠木透 作詞・作曲)
  • 愛に生き平和に生きる (岩谷時子 作詞/いずみたく 作曲)

その時の様子です。(ケータイで撮影→wmvファイル「私の子どもたちへ」)
ダウンロード

 

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脱原発・再生可能エネルギー中心の社会へ

2012年01月14日 | 記事

2012年もよろしくお願いします。

1月13日(金)、文化パルク城陽にて開催された「原発ゼロをめざす城陽の会」の学習会に参加しました。
日本環境学会会長、自然エネルギー市民の会代表の和田武さん(元立命館大学教授)のお話を聞きました。
とっても勉強になりました。
と同時に、世界はどんどん再生可能エネルギーにシフトしていっているのに、
「終息宣言」まで出して原発の再稼働を急ぐ日本はなんなんだ、
あれだけ放射性物質をまき散らして、その上京都議定書からも離脱するって…
と、恥ずかしさを通り越して情けない気持ちになりました。
政府は和田先生の提案に耳を傾け、脱原発に舵を切ってほしいと強く思いました。

明日は木幡六地蔵9条の会の取組で「まさひろとその仲間」が演奏します。
弥生の空」も歌う予定です。
1月15日(日)13:30~木幡福祉センターにて

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