Right and Wide

シンガー・ソング・ライター田中正浩の素顔

あの歌はもう歌わないのです

2007年12月25日 | 作品
子どもの頃 わけも分からず
折にふれ 口ずさんでいた
大事なセレモニーでは
必ず流れてたメロディー

いつしか大人になって
その意味を知ってしまった
誰に何と言われようと
あの歌はもう歌わないのです

「君が代」の「君」って誰なの?
「さざれ石」どんな石なの?
「苔のむすまで」の時間って
いったいどれくらいなの?

いつしか大人になって
疑うことを学んだ
どんな場面であろうと
あの歌はもう歌わないのです

その昔
お国のために死ぬことが名誉と信じ
教え子は戦地へ向かった
あの歌を口ずさみながら

いつしか時代は移り
平和が僕らを包む
笑顔のウラに隠した彼らの
飽くなき野望が透けて見える

※今回は歌詞のみの発表となります。
昔、風が「あの唄はもう唄わないのですか」(伊勢正三 作詞・作曲)というのを歌っていました。今聞いても胸がキュンとなる切ない歌詞とメロディー…。小田さんといい、「正」のつくアーティストはほんとにいい曲を作りますねえ。
タイトルは似てますが、これはそれとは全く違うテーマです。かなりマジで作りました。1週間後ぐらいには楽譜とデモをアップする予定です。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

拝啓大統領殿

2007年12月17日 | 雑記
作詞・作曲 ボリス・ヴィアン
日本語詞 高石ともや

 大統領殿 おひまがあれば
 読んでくれるだろう この手紙を
 僕は今 戦場へ行く
 徴兵カードを もらったところ
  僕は逃げる 戦いたくない
  あわれな人を 殺したくない
 大統領殿 腹を立てないで
 聞いてほしい 僕は逃げる

 親父は昔 戦争で死んで
 子どもたちは 泣きじゃくってた
 女手一つ 苦労していた
 お袋も今は お墓の中
  爆弾を もてあそび
  ぼくの心を 奪っていった
 旅に出よう 明日の朝にも
 僕の住み慣れた 家を後に

 世界中 すべての兄弟に
 僕は言おう 言って歩こう
 人生を 大切になさい
 僕らはみんな 兄弟だ
  血を流すなら あなたの血を
  猫かぶりの 偉い方々
 僕は逃げる 武器は持っていない
 憲兵たちよ 撃つがいい
 憲兵たちよ 撃つがいい

12月14日の某日刊のスポーツ新聞に、同僚であり先輩のKさんの記事が写真入りで掲載されました。たまたま某紙の記者と旧友だったKさんが取材に快く応じ、自分の生い立ちから音楽の道に入ったきっかけ、今の思いなど話したものを、さすがにその道のプロであるその記者が上手に記事にしてくれたそうです。
記事の中身は…
Kさんが学費値上げ反対闘争に奔走していた学生時代。当時全盛だったフォークソングの中でも特に印象に残っているのがこの曲とのこと。
当時の気分にぴったりだったそうですが、今でもその精神は失われてない!というより今こそフォークソングを思い出す時じゃないかな、と僕は思います。先輩、これからもよろしくお願いします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒロシマの有る国で

2007年12月09日 | 出演

平和を願うトーク&コンサート
12月1日(土) 文化パルク城陽
写真はクールジュネスの合唱

■合唱団の人が、「この曲はシンガー・ソング・ライターの山本さとしが学生の時に作った歌です」と紹介されていましたが、実はその当時の彼を僕は少しだけ知っています。
山本さとし君は日本社会事業大学うたごえサークル「大空」で「さと坊」というサークルネームで活躍されていました。(ちなみに僕は京都教育大学の「いぶき」というサークルで「ファイト」と呼ばれていました。)
在学中、全国の仲間の集いで何回か一緒になったことがあります。たしか作曲の分科会でも同席しました。
彼は卒業後、プロの道へ。そして僕は…。

■この日、会場で大合唱した「ヒロシマの有る国で」や「まつり」を歌う度に彼のことやそのときの仲間の顔を思い浮かべます。
そして、「この曲を今こそみんなで歌いましょう!」なんて言われると、まるで自分のことのように嬉しくなってしまうのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする