Right and Wide

シンガー・ソング・ライター田中正浩の素顔

2024年回顧

2024年12月31日 | 記事

2024年は日本被団協ノーベル平和賞受賞、総選挙での自公過半数割れなど、歴史的な出来事があった半面、能登半島地震や大切な人が他界するなど、悲しいニュースもたくさんありました。

個人的には、基本的に健康を維持し、公私ともに精力的に活動することができたと思います。


1月

3日 誕生日(61歳)

6日 宇治久世教組が能登半島地震支援緊急カンパ活動に取り組む

7日 「全世界民主青年歌」[LIVE]をYouTubeに公開

14日 「心さわぐ青春の歌」[LIVE]をYouTubeに公開

20日 「心はいつも夜明けだ」[LIVE]をYouTubeに公開

28日 グッデイが宇治田原新春のつどい(大道寺公民館)に出演

   「この勝利ひびけとどろけ」[LIVE]をYouTubeに公開


2月

4日 「戦争を知らない子どもたち'83」[LIVE]をYouTubeに公開

10日 「タンポポ」[LIVE]をYouTubeに公開

17日 「希望のみちへ」[LIVE]をYouTubeに公開

18日 宇治市職員労働組合70周年記念式典(ホテル長楽館)で挨拶

23日 宇治久世教職員組合第70回定期大会(城南勤労者福祉会館)に参加

   「日付変更線2024」をYouTubeに公開 歌詞、楽譜


3月

3日 「群青」[LIVE]をYouTubeに公開

9日 「Memories and Dreams」(2024 mix)をYouTubeに公開

16日 「勉強」をYouTubeに公開

20日 第二技術室が「♭ライブ番外編」(京都府庁旧議場)に出演

23日 「母のお墓」[LIVE]をYouTubeに公開

29日 職場の送別会(松井本館)に参加

30日 「ふるさとの風」[LIVE]をYouTubeに公開

   グッデイ第13回定期総会(宇城久教育会館)を開催

31日 宇城久地区労第57回定期大会 (鴻の巣会館)に参加


4月

6日 「私を待つ人がいる」[LIVE]をYouTubeに公開

10日 地区労「最賃ビッグアクションデー宣伝行動」(近鉄大久保駅前)

12日 宇治久世「春の教研」(宇治市生涯学習センター)に参加

13日 「柳の木の下に」[LIVE]をYouTubeに公開

14日 第二技術室がライブ(AFTER BEAT)

20日 「陽のあたる道」[LIVE]をYouTubeに公開

21日 グッデイが「第26回やましろ健康まつり」(あさくら診療所)に出演

26日 退職教職員の会宇城久支部「うたごえ喫茶」(宇治日和)に参加

27日 「日高の山」[LIVE]をYouTubeに公開

27日 第二技術室が「Nobu-hey!Presents宇治Waoya絆Sonic」に出演


5月

1日 第71回南山城メーデー集会(太陽が丘)

3日 スタンディングアピール宇治(宇治橋周辺)
   憲法集会in京都(円山音楽堂)石川康宏さんが講演

6日 姪の結婚式(迎賓館シェーナPARTIR KYOTO)に参列

15日~17日 修学旅行(引率)長野県

18日 「しあわせはこび」[LIVE]、「約束のうた」[LIVE]、「にじ」[LIVE]をYouTubeに公開

19日 「改憲・大軍拡、裏金政治NO! 減税・生活防衛! 5・19宇治・城陽・久御山総行動」(近鉄大久保駅前)に参加

22日 第二技術室がライブ(ORANGE HOUSE)

25日 「あの素晴らしい愛をもう一度」[LIVE]をYouTubeに公開


6月

2日 「『子どもまん中の子育て・教育を求める会』をつくるつどい・学習会」(宇治市生涯学習センター)に参加

   「イムジン河」[LIVE]、「時給1500円」[LIVE]をYouTubeに公開

7日 グッデイが退職教職員互助組合宇治西支部総会(亀石楼)に出演

8日 「手をつなごう」[LIVE]をYouTubeに公開

15日 宇治久世教職員組合平和アピール駅頭宣伝(近鉄大久保駅前)に参加

    アルバム「Right and Wide 11」[PV]をYouTubeに公開 ブログ(16日)

22日 「柳の木の下に」[LIVE]をYouTubeに公開

23日 国民平和大行進(宇治市役所→城陽市役所)に参加 平和行進~通し行進者の大村美恵さんが平和への思いを語る~

29日 11枚目のオリジナルアルバム「Right and Wide 11」をリリース ブログ(16日)

   ニューアルバム発売記念コンサート(宇城久教育会館)を開催

   宇治久世教職員組合バレーボール大会(久御山町立総合体育館)に参加

   日本共産党希望を語るトークのつどい(宇治市文化センター)に参加

30日 「僕の古いギター」[LIVE]をYouTubeに公開


7月

6日 「時給1500円」[LIVE]をYouTubeに公開

7日 「解の公式~ショートバージョン~」をYouTubeに公開

13日 「陽気に行こう」[LIVE]をYouTubeに公開

18日 第二技術室がライブ(ORANGE HOUSE)

20日 「私を待つ人がいる」[LIVE]をYouTubeに公開

21日 宇城久地区労「潮干狩り」(御殿場浜)に参加

24日 宇治市教委交渉(宇治市役所)に参加

27日 「メルちゃん」をYouTubeに公開

28日 京教組・京都教育センター地方教育行政研合同学習会(京都教育文化センター)に参加 中嶋哲彦さんが講演

31日 原水禁世界大会出発式(宇治市職員労働組合書記局)に参加


8月

3日 「解の公式」をYouTubeに公開

4日 宇城久地区労「元ユニチカ労働者の被害者を励まし身近なアスベスト問題を考える学習会」(宇治市産業会館)に参加

10日 「はるか昔」をYouTubeに公開

17日 「日付変更線2024」[LIVE]をYouTubeに公開

   高石ともやさん死去(82)

24日 「ソプラノ」[LIVE]をYouTubeに公開

24日~25日 家族旅行(城崎温泉 深山)



26日 「うたごえ新聞」が「メルちゃん」の楽譜と「Right and Wide 11」の紹介記事を掲載 ブログ

30日 第二技術室がライブ(ORANGE HOUSE)


9月

7日 京都総評第「96回定期大会」に参加

   「それが戦争」[LIVE]をYouTubeに公開

8日 グッデイが木幡六地蔵九条の会「夏のつどい」(木幡地域福祉センター)に出演

   グッデイが「第12回平和のつどいin宇治」(ゆめりあ宇治)に出演 ブログ(22日)

10日 義母・角屋トモ死去 13日 葬儀式

14日 「You Need Only Love」をYouTubeに公開

21日 「時給1500円」[LIVE]をYouTubeに公開

28日 「それが戦争ver.2」[LIVE]をYouTubeに公開

   第二技術室が「昼下がりコンサート2024」(円山音楽堂)に出演

29日 「柳の木の下に」[LIVE]をYouTubeに公開

   グッデイのホームページを開設


10月

5日 SFファンタジー短編アニメ映画「金箔の宇宙船」をYouTubeに公開

12日 「金箔の宇宙船」をYouTubeに公開

13日 グッデイが「うたごえとシネマの集い」(鴻の巣会館)に出演

17日 俳優・西田敏行さん死去(76)「もしもピアノが弾けたなら」

19日 「9条改憲・日米一体の大軍拡ストップ!10.19宇治・城陽・久御山総行動」(近鉄大久保駅前)に参加

   「日高の山」[LIVE]をYouTubeに公開

26日 「陽気に行こう」[LIVE]をYouTubeに公開

27日 衆議院選挙投開票日 自民191(-56) 公明24(-8) 立民148(+50) 維新38(-6) 共産8(-2) れいわ9(+6) 社民1(±0) 参政3(+2) 保守3(+3) 無12(-10) 


11月

2日 「デイブレイク・イン・デキシー」[LIVE]をYouTubeに公開

3日 憲法集会in京都(円山音楽堂)村上一博さんが講演

4日 給食フェスタ、山本由美講演会(西小倉コミュニティセンター)に参加 ブログ(28日)

7日 グッデイが退職教職員の会宇城久支部「文化祭」(宇治市生涯学習センター)に出演

9日 宇治久世「秋の教研」(城南勤労者福祉会館)に参加

   「ふるさとの風」[LIVE]をYouTubeに公開

13日 詩人・谷川俊太郎さん死去(92)「死んだ男の残したものは」

14日 宇城久地区労が「秋の地域総行動」(近鉄大久保駅前)

16日 京都総評「第2回地区労協全体交流会議」(ラボール京都)に参加

20日 「こんな宇治市に~2024 ver.~」をYouTubeに公開

22日 宇城久地区労「公契約条例」学習会(ゆめりあうじ)に参加

   「石川かずし」をYouTubeに公開

23日 うたごえいぶき同窓会(京都教育文化センター)に参加

24日 グッデイが「みんなの響き広がるつどい」(宇治市文化センター)に出演

26日 「こんな宇治市に」[LIVE]をYouTubeに公開

29日 グッデイが年金者組合城陽支部「文化のつどい」(文化パルク城陽)に出演

30日 労働者決起集会(宇治市職員会館)に参加


12月

1日 「マウンテンデュー」[LIVE]をYouTubeに公開

8日 「さよならが言えない」[LIVE]をYouTubeに公開

   宇治市長選挙投開票日 当・松村あつこ(30,335) 石川かずし(9,141) かきはらのりひろ(4,434)

10日 宇治久世教職員組合などが平和アピール宣伝(近鉄大久保駅前)、ノーベル平和賞授賞式

13日 「あれはいつだったろう」をYouTubeに公開

15日 グッデイが「第14回クリスマスのつどい」(西小倉コミュニティセンター)に出演

21日 「上を向いて歩こう」[LIVE]をYouTubeに公開

22日 「めるちゃんへの手紙」[LIVE]をYouTubeに公開

   グッデイが「第12回うたごえ喫茶」(城南勤労者福祉会館)を開催
28日 「Sit Down!」[LIVE]をYouTubeに公開


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グッデイ第12回うたごえ喫茶

2024年12月27日 | 記事

12月22日(日)グッデイは京都府立城南勤労者福祉会館3F大会議室にて「第12回うたごえ喫茶」を開催しました。
大人48名と元気いっぱいの子ども9名(総勢57名)が参加してくれました。

第1部 オープニング
しあわせはこび(畑優子/田中正浩)
開会挨拶(部長・田中正浩)(下欄に掲載)
にじ(新沢としひこ/中川ひろたか)

第2部 民衆の暮らしと平和、そして若者たち~1960年代から現代まで~
花をおくろう(森田ヤエ子/荒木栄)
見上げてごらん夜の星を(永六輔/いずみたく)
友よ(岩谷時子/いずみたく)
橋を作ったのはこの俺だ(トム・パクストン/高石ともや) 
街(高石ともや/木田たかすけ・高石ともや)
風に吹かれて(ボブ・ディラン/桑田佳祐)
がんばろう(森田ヤエ子/荒木栄)


第3部 リクエストコーナー 1

折り鶴(梅原司平)
イムジン河(松山猛/高宗漢)
世界がひとつになるまで(松井五郎/馬飼野康二)
青春(門倉詇/じぬしみきお)
野に咲く花のように(杉山政美/小林亜星)
贈る言葉(武田鉄矢/千葉和臣)


第4部 沖縄に思いを込めて

Sit Down!(田中正浩/武義和編曲)
約束のうた(きむらいずみ・田中正浩)


    
第5部 リクエストコーナー 2

時代(中島みゆき)
竹田の子守唄(京都府民謡)
あわてん坊のサンタクロース(吉岡治/小林亜星)
恋人よ(五輪真弓)
未来へ(玉城千春)
「いちご白書」をもう一度(荒井由実)
糸(中島みゆき)
君をのせて(宮崎駿/久石譲)
あの素晴らしい愛をもう一度(北山修/加藤和彦)
青葉城恋唄(星間船一/さとう宗幸)


第6部 エンディング

群青(小高中平成24年度卒業生/小田美樹)
ケサラ(ミリアッチ/フォンタナ、ペス)
(以上29曲)
なお、演奏の様子をYouTubeに順次アップしていく予定なのでチャンネル登録お願いします。
田中正浩YouTubeチャンネル


参加者の感想
伴奏と一緒に歌うって気持ちのいいものだなと思いました。くせになりそう…。子どもの歌う姿を見るのはいいものだなと思いました。子どもの声を響かせようとしきりに操作していた人、ごくろうさまでした。(K)
とっても楽しい時間をありがとうございました。「青春」50年前に歌ったことを思い出しました。あんなふうに踊ったことも一緒に思い出しました。荒木栄の歌も良かったです。最後に「群青」を歌ったのも良かったです。だれかに用意してもらって参加するのもいいです。(H)
初めて参加しました。すごく楽しかったです。(Y)
素敵な時間をありがとうございました。なつかしい声を聞いたり、一緒に歌いながら、歌っていいなあと改めて思いました。これからも引き続いてこのような機会を作って下さい。(X)
楽しい時間をありがとうございました。なつかしい歌の数々、青春がよみがえってきました。がんばれ!グッデイさん(I)
グッデイの「おきて」が分かったのでまた来ます。楽しかったあ!(K)


反省会
メンバーの感想
(司会=部長)「皆さん、一言ずつ、長くても1分以内でお願いします。」
今日はお疲れ様でした。資料を作りました。みんなに見てもらう時間がなくて、それを(本番では)Fさんに上手にまとめてもらったんだけど、もう少し準備する時間が必要だったかなと思います。(MA)
さっき、車の中でIさんとも言ってたけど、西小倉で歌っていた(12月15日)ので、西小倉の方がたくさん来てもらってたので、すごい西小倉でずっと歌っていて良かったな~と思って、子どもたちもいっぱい来てたので、今回良かったなと思いました。(OH)
私が誘った人の中ではTさんがIさんに(車に)乗せてもらって来てくれて、来てくれてよかった。(IF)
久しぶりにグッデイ(のイベント)に参加できて、今日もどうしようかと思っていたけど、あっという間に終わって、来てよかったと思いました。リクエストもなんとかなったし。(SE)
今日はご苦労さんでございました。やっぱり司会は嫌ですね。Mさんともしゃべってたんやけど、みんなで歌いたい、自分が歌いたいというリクエストのところをもうちょっと膨らませる余裕ができたらよかったな、という話をしていました。あまりグッデイの発表みたいになりすぎない方がいいのかなあという。その辺の微妙な塩梅が難しいと思いますが。今日はたくさんリクエストしてくれたのでよかったなあと思います。子どもたちも歌ってくれて、あれがやっぱり盛り上がった。(FS)
皆さんありがとうございました。良かったと思いますよ。一言では言えません(一言で言えと言うたやろ!笑)けど、僕は全然満足してます。(TM)
私も満足してます。Sちゃんがほぼやってくれて、そこにHさんが付いて…最初から2人でやっとったらよかったやんという感じのリクエストコーナーのところが、安心して任せられたんでうれしかった。それから、FMさんが受付に来てくれて、楽しげにしてくれたそう。また来年もお願いしたい。(NY)
直前の練習を抜けてるから、えっと思うことがいっぱいありましたけど、子どもたちが「群青」にしろ何にしろ全部歌ってくれるから、すごいなって。「ケサラ」まで。ああいう歌を子どもたちが歌っているのがすごいなあって思いました。(HY)
あっという間の時間やったなあと思います。ちょこちょこ新しい参加者がおられて、選曲も良かったと思います。(YH)
12回目にして初めて緊張せずに来れたなと言う感じでした。まあまあ弾けたかなという。NYさんが「(受付要員)3人はいいわ。2人はしんどかった」と言うてくれてたので、すごい助けてもらったかなと思います。ごくろうさまでした。(TK)


部長挨拶
皆さん、こんにちは。ようこそお越し下さいました。ありがとうございます。部長の、今紹介していただきました、田中です。今歌った曲(「しあわせはこび」)を作ったのが僕なんですけど、歌詞を書いたのは今紹介して下さった畑さんです。コロナの時に、こういう出番が少なくなったときに「歌作ろか~」みたいなことで、みんなで歌詞を応募して、その中で一番良かったやつを選んで、それにみんなが曲をつけて、僕のが選ばれました。
僕、他にもいろいろ曲を作ってまして、「メルちゃん」っていう歌知ってますか。今年作ったんですけど、めるちゃんというのは大村美恵さんという人の子どもさんの名前なんです。でも生まれてすぐに亡くなったんです。何でかと言うと、旦那さんが被曝2世で、大村義則さんという人なんですけど、そのお父さん(めるちゃんのお父さんにあたる人)が、長崎で原爆が落ちた後に1週間ほど働かされていて、それで被曝をしたということを、このあいだの平和行進の時に(美恵さんが)話をされたんです。それを聞いて曲を作ったんですけど、先日その大村(美恵)さんがコンサートを開いて、僕が作った「メルちゃん」という歌を披露してくれはったんです。その動画が今朝の4時頃に送られてきて、それ見ながら感動してたんですけど…全然グッデイの紹介じゃなかったですね。(笑)
今年グッデイは8回ぐらい、色んなところに呼んでいただいきました。木幡にも行かしてもらったし、宇治田原でやったりしたんですけど。夏は「平和のつどい」に呼んでもらったりとか、いろいろやってます。荒木栄の生誕100年の取組が城陽であったんですけど、それにも呼んでいただいて(荒木栄の作った歌を)たくさん歌いました。
今年は(先ほどの話と関連しますが)日本被団協がノーベル平和賞をもらったりとか、いろいろ話題満載なんですけど、今年のトピックにちなんだ曲もいろいろ出てきますので、ぜひ最後までごゆっくりおくつろぎ下さい。
後ろ(の子どもたちは)めちゃめちゃくつろいだはりますけどね。(笑)そのビデオこわさんようにしてや。(笑)
今年はリクエストコーナーの時間をたくさん確保したいなということで、僕らの出番は削ってでもリクエストを取るつもりなのでたくさんして下さい。よろしくお願いします!

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戦争反対!核兵器廃絶の願い込め宇治久世教組が宣伝

2024年12月10日 | 記事

12月10日(火)、オスロでノーベル平和賞の授賞式が行われるその日。宇治久世教職員組合は近鉄大久保駅前にて「平和アピール宣伝」を行いました。
長年にわたり核兵器の廃絶を訴え続けてきた日本被団協に連帯し「教え子を再び戦場に送るな」の思いを込めて下村書記長が平和をアピール。うたごえサークルグッデイが「青い空は」「ヒロシマの有る国で」「折り鶴」などの歌を歌いました。
宇城久退教、新婦人宇治のみなさんと力を合わせ、総勢15名で140枚の「赤紙ビラ」を配布しました。


被団協の田中熙巳さん演説全文 ノーベル平和賞授賞式
国王・王妃両陛下、皇太子・皇太子妃両殿下、ノルウェー・ノーベル委員会の皆さん、ご列席の皆さん、核兵器廃絶を目指して闘う世界の友人の皆さん、ただいまご紹介いただきました日本被団協の代表委員の一人の田中熙巳でございます。本日は受賞者「日本被団協」を代表してあいさつをする機会を頂きありがとうございます。
私たちは1956年8月に「日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)」を結成しました。生きながらえた原爆被害者は歴史上未曽有の非人道的な被害を再び繰り返すことのないようにと、2つの基本要求を掲げて運動を展開してきました。1つは、日本政府の「戦争の被害は国民が受忍しなければならない」との主張にあらがい、原爆被害は戦争を開始し遂行した国によって償われなければならないという運動。2つは、核兵器は極めて非人道的な殺りく兵器であり人類とは共存させてはならない、速やかに廃絶しなければならない、という運動です。
この運動は「核のタブー」の形成に大きな役割を果たしたことは間違いないでしょう。しかし、今日、依然として1万2千発の核弾頭が地球上に存在し、4千発が即座に発射可能に配備がされている中で、ウクライナ戦争における核超大国のロシアによる核の威嚇、また、パレスチナ自治区ガザに対しイスラエルが執拗な攻撃を続ける中で核兵器の使用を口にする閣僚が現れるなど、市民の犠牲に加えて「核のタブー」が壊されようとしていることに限りない悔しさと憤りを覚えます。
私は長崎原爆の被爆者の一人です。13歳の時に爆心地から東に3キロ余り離れた自宅で被爆しました。
1945年8月9日、爆撃機1機の爆音が突然聞こえると間もなく、真っ白な光で体が包まれました。その光に驚愕(きょうがく)し2階から階下に駆け降りました。目と耳をふさいで伏せた直後に強烈な衝撃波が通り抜けていきました。その後の記憶はなく、気が付いた時には大きなガラス戸が私の体の上に覆いかぶさっていました。ガラスが1枚も割れていなかったのは奇跡というほかありません。ほぼ無傷で助かりました。
長崎原爆の惨状をつぶさに見たのは3日後、爆心地帯に住んでいた2人の伯母の安否を尋ねて訪れた時です。私と母は小高い山を迂回し、峠にたどり着き、眼下を見下ろしてがくぜんとしました。3キロ余り先の港まで、黒く焼き尽くされた廃虚が広がっていました。れんが造りで東洋一を誇った大きな教会・浦上天主堂は崩れ落ち、見る影もありませんでした。
麓に下りていく道筋の家は全て焼け落ち、その周りに遺体が放置され、あるいは大けがや大やけどを負いながらもなお生きているのに、誰からの救援もなく放置されているたくさんの人々。私はほとんど無感動となり、人間らしい心も閉ざし、ただひたすら目的地に向かうだけでした。
1人の伯母は爆心地から400メートルの自宅の焼け跡に大学生の孫の遺体と共に黒焦げの姿で転がっていました。
もう1人の伯母の家は倒壊し、木材の山になっていました。祖父は全身大やけどで瀕死(ひんし)の状態でしゃがんでいました。伯母は大やけどを負い私たちの着く直前に亡くなっていて、私たちの手で荼毘(だび)に付しました。ほとんど無傷だった伯父は救援を求めてその場を離れていましたが、救援先で倒れ、高熱で1週間ほど苦しみ亡くなったそうです。1発の原子爆弾は私の身内5人を無残な姿に変え一挙に命を奪ったのです。
その時目にした人々の死にざまは、人間の死とはとても言えないありさまでした。誰からの手当ても受けることなく苦しんでいる人々が何十人何百人といました。たとえ戦争といえどもこんな殺し方、傷つけ方をしてはいけないと、強く感じました。
長崎原爆は上空600メートルで爆発。放出したエネルギーの50%は衝撃波として家屋を押しつぶし、35%は熱線として屋外の人々に大やけどを負わせ、倒壊した家屋の至る所に火を付けました。多くの人が家屋に押しつぶされ焼き殺されました。残りの15%は中性子線やガンマ線などの放射線として人体を貫き内部から破壊し、死に至らせ、また原爆症の原因をつくりました。
その年の末までの広島、長崎両市の死亡者の数は、広島14万人前後、長崎7万人前後とされています。原爆を被爆しけがを負い、放射線に被曝(ひばく)し生存していた人は40万人余りと推定されます。
生き残った被爆者たちは被爆後7年間、占領軍に沈黙を強いられ、さらに日本政府からも見放され、被爆後の10年間を孤独と、病苦と生活苦、偏見と差別に耐え続けました。
1954年3月1日のビキニ環礁でのアメリカの水爆実験によって、日本の漁船が「死の灰」に被ばくする事件が起きました。中でも第五福竜丸の乗組員23人全員が被曝して急性放射能症を発症、捕獲したマグロは廃棄されました。この事件が契機となって、原水爆実験禁止、原水爆反対運動が始まり、燎原(りょうげん)の火のように日本中に広がったのです。3千万を超える署名に結実し、1955年8月「原水爆禁止世界大会」が広島で開かれ、翌年第2回大会が長崎で開かれました。この運動に励まされ、大会に参加した原爆被害者によって1956年8月10日「日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)」が結成されました。
結成宣言で「自らを救うとともに、私たちの体験を通して人類の危機を救おう」との決意を表明し、「核兵器の廃絶と原爆被害に対する国の補償」を求めて運動に立ち上がったのです。
運動の結果、1957年に「原子爆弾被爆者の医療に関する法律(原爆医療法)」が制定されます。しかし、その内容は、「被爆者健康手帳」を交付し、無料で健康診断を実施するほかは、厚生大臣が原爆症と認定した疾病に限りその医療費を支給するというささやかなものでした。
1968年「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(原爆特別措置法)」が制定され、数種類の手当を給付するようになりました。しかしそれは社会保障制度であって、国家補償は拒まれたままでした。
1985年、日本被団協は「原爆被害者調査」を実施しました。この調査で、原爆被害はいのち、からだ、こころ、くらしにわたる被害であることを明らかにしました。命を奪われ、身体にも心にも傷を負い、病気があることや偏見から働くこともままならない実態がありました。この調査結果は、原爆被害者の基本要求を強く裏付けるものとなり、自分たちが体験した悲惨な苦しみを二度と、世界中の誰にも味わわせてはならないとの思いを強くしました。
1994年12月、2法を合体した「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(被爆者援護法)」が制定されましたが、何十万人という死者に対する補償は一切なく、日本政府は一貫して国家補償を拒み、放射線被害に限定した対策のみを今日まで続けてきています。もう一度繰り返します。原爆で亡くなった死者に対する償いは日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたい。
これらの法律は、長い間、国籍にかかわらず海外在住の原爆被害者に対し、適応されていませんでした。日本で被爆して母国に帰った韓国の被爆者や、戦後アメリカ、ブラジル、メキシコ、カナダなどに移住した多くの被爆者は、被爆者特有の病気を抱えながら原爆被害への無理解に苦しみました。それぞれの国で結成された原爆被害者の会と私たちは連帯し、ある時は裁判で、ある時は共同行動などを通して訴え、国内とほぼ同様の援護が行われるようになりました。
私たちは、核兵器の速やかな廃絶を求めて、自国政府や核兵器保有国ほか諸国に要請運動を進めてきました。
1977年国連NGOの主催で「被爆の実相と被爆者の実情」に関する国際シンポジウムが日本で開催され、原爆が人間に与える被害の実相を明らかにしました。この頃、ヨーロッパに核戦争の危機が高まり、各国で数十万人の大集会が開催され、これら集会での証言の依頼なども続きました。
1978年と1982年にニューヨーク国連本部で開かれた国連軍縮特別総会には、日本被団協の代表がそれぞれ40人近く参加し、総会議場での演説のほか、証言活動を展開しました。
核拡散防止条約(NPT)の再検討会議とその準備委員会で、日本被団協代表は発言機会を確保し、併せて再検討会議の期間に、国連本部総会議場ロビーで原爆展を開き、大きな成果を上げました。
2012年、NPT再検討会議準備委員会でノルウェー政府が「核兵器の人道的影響に関する会議」の開催を提案し、2013年から3回にわたる会議で原爆被害者の証言が重く受け止められ「核兵器禁止条約」交渉会議に発展しました。
2016年4月、日本被団協が提案し世界の原爆被害者が呼びかけた「核兵器の禁止・廃絶を求める国際署名」は大きく広がり、1370万を超える署名を国連に提出しました。2017年7月7日に122カ国の賛同を得て「核兵器禁止条約」が制定されたことは大きな喜びです。
さて、核兵器の保有と使用を前提とする核抑止論ではなく、核兵器は一発たりとも持ってはいけないというのが原爆被害者の心からの願いです。
想像してみてください。直ちに発射できる核弾頭が4千発もあるということを。広島や長崎で起こったことの数百倍、数千倍の被害が直ちに現出することがあるということです。皆さんがいつ被害者になってもおかしくないし、加害者になるかもしれない。ですから、核兵器をなくしていくためにどうしたらいいか、世界中の皆さんで共に話し合い、求めていただきたいと思うのです。
原爆被害者の現在の平均年齢は85歳。10年先には直接の体験者としての証言ができるのは数人になるかもしれません。これからは、私たちがやってきた運動を、次の世代の皆さんが、工夫して築いていくことを期待しています。
一つ大きな参考になるものがあります。それは、日本被団協と密接に協力して被団協運動の記録や被爆者の証言、各地の被団協の活動記録などの保存に努めてきたNPO法人「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」の存在です。この会は結成されてから15年近く、粘り強く活動を進めて、被爆者たちの草の根の運動、証言や各地の被爆者団体の運動の記録などをアーカイブスとして保存、管理してきました。これらを外に向かって活用する運動に大きく踏み出されることを期待します。私はこの会が行動を含んだ、実相の普及に全力を傾注する組織になってもらえるのではないかと期待しています。国内にとどまらず国際的な活動を大きく展開してくださることを強く願っています。
世界中の皆さん、「核兵器禁止条約」のさらなる普遍化と核兵器廃絶の国際条約の策定を目指し、核兵器の非人道性を感性で受け止めることのできるような原爆体験の証言の場を各国で開いてください。とりわけ核兵器国とそれらの同盟国の市民の中にしっかりと核兵器は人類と共存できない、共存させてはならないという信念が根付き、自国の政府の核政策を変えさせる力になるよう願っています。
人類が核兵器で自滅することのないように!!
核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張りましょう!!
著作権ⓒノーベル財団、ストックホルム、2024年

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