中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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歩いて巡る中山道六十九宿(第3回);(4)吹上駅で解散

2013年02月03日 07時37分05秒 | 中山道六十九宿

                   <箕田追分にて>

[修正版] 歩いて巡る中山道六十九宿(第3回):(4)吹上駅で解散
             (五十三次洛遊会)
        2009年11月28日(土)
(つづき)

※本稿の初出は2010年2月12日である.
 初稿のルート地図の差し替えと本文の加除修正を行った.

<ルート地図>


※再掲


             

<簑田追分周辺>

■中宿橋と行田道分岐

 14時31分に氷川八幡神社前を通過した私たちは,一路,中山道を北西に進む.
 14時38分,中宿橋を渡る.そして,14時42分に行田道分岐に到着する.
 分岐点には,案内文と中山道と彫字のある石塔が設置されている.石塔の近くに行田道分岐地蔵堂がある.私たちは地蔵堂前で,暫くの間,休憩を取る.
 
<行田道分岐>                    <地蔵堂>

■中山道石柱
 路傍に中山道石柱が立っている.
 石柱の脇に案内板が立っているが,字が殆ど消えていて,全く読めない.残念だが,そのまま通過する.

<分岐に立つ石柱>

■江戸時代の簑田追分分岐
 路傍に江戸時代の簑田追分分岐案内板が立っている.説明文が細かくて長いので,立ち止まって読んでいる時間がない.やむを得ず写真を撮るが,残念ながら殆ど読めない.

 
<追分説明文>                                           

<龍昌寺と妙徳地蔵尊>

■平成の道標と前砂村の碑
 14時59分,「江戸より十五里余前砂村」と彫字のある石塔の前を通過する.この石塔の側面には,「池田英泉の鴻巣・吹上の富士はこの辺りで描かれた」と彫ってある.
 池田英泉という画家のことは,浅学の私には良く分からない.
 
<追分近くに立つ平成の道標>          <前砂村> 

■龍昌寺

 14時46分,地蔵堂前から歩き出す.のどかな田園風景の中の街道を進む.そして,15時丁度に龍昌寺前を通過する.参道入口から写真を一枚撮るだけの余裕しかない.
 15時03分,一里塚跡を通過する.
 資料5によると,「真言宗豊山派寺院の龍昌寺は,自在山龍珠院と号し,江戸時代までは田龍珠院と通称していた.光範僧都が永長2年(1097)に開山したと伝えられ,古くより近郷における新義真言宗の中心的な寺院として栄え,天正19年(1591)には満願寺共に寺領5石の御朱印状を拝領,末寺三十六ヶ寺を擁していたという.往古は箕田龍珠院と称されていたが,江戸期より龍昌寺を通称とするようになった.」という趣旨の説明がある.



■一里塚跡
 15時03分,一里塚跡を通過する.古い案内板が立っているが,風化が進んでいて,全く読めないが,どうやら吹上市の重要文化財に指定されているようである.
  江戸日本橋から14里目の一里塚である.

 
<字が読めない一里塚案内板>                                <一里塚跡>

■中山道みち案内
 15時09分,「中山道みち案内」とかいてある看板の前を通過する.

<中山道道案内> 

■妙徳地蔵尊
 15時20分,JR高崎線の踏切を渡る.
 15時24分,妙徳地蔵尊を通過する.ここで,ほんの2分ほど立ち休憩を取る.
 資料6には,傍らにある案内文を引用して,「天保14年(1843年)ごろ,眼病をわずわった17 歳の娘が観世音菩薩を背負い流浪4年,日増しによくなり家路を急ぐあまり盗賊に襲われ殺害され,無念のあまり蛇体となり,悪霊となるが,法華経と出会い成仏,後世に伝えるため地蔵尊として祀られた」と記載されている.


<妙徳地蔵尊>

<JR吹上駅から帰宅>

■JR吹上駅
15時33分,中山道から左折して,JR吹上駅前の道路に入る.そして,15時36分,無事,JR吹上駅に到着する.
 吹上駅16時25分発湘南新宿ラインの電車に乗りたい.まだ,電車の時間まで,少々時間があるので,吹上駅近くの喫茶店で休憩を取る.
 急性胃炎復帰間もない私は,トマトジュースで我慢する.
 
<JR吹上駅へ急ぐ>                                       <駅近くの喫茶店で休憩>

■湘南新宿ラインで帰宅       
 湘南新宿ラインの電車に乗車.乗り換えなしで,18時30分に大船駅に到着する.急性胃炎の病み上がりで体調は余り良くなかったが何とか無事に歩き終えることができた.
 次回は,2010年11月6日に中山道の続きを歩くことに決定する.

<ラップタイム>

 9:22  JR上尾駅歩き出し
 9:35  彩の国平成の道標
 9:47  JR北上尾駅
10:03  桶川市境
10:07  庚申塔
10:10  木戸跡
10:15  浄念寺
10:17  本陣跡
10:19  小林材木店
10:22  中山道宿場館(10:34まで休憩)
10:39  大雲禅寺
10:43  一里塚跡(何もない)
11:22  北本宿の歴史看板
11:28  多聞寺
11:29  天神社
11:38  JR北本駅
11:50  一里塚(11:52まで見学)
12:00  浅間神社
12:00  食堂「夢庵」(12:42まで昼食)
13:01  鴻巣市境
13:06  八幡神社
13:11  雛尾歴史資料館(休館)
13:15  コミュニティーセンター
13:18  勝願寺
13:24  木村材木店(本陣跡)
13:26  猿田彦・仲町会館
13:29  与野フード(13:38まで休憩)
13:48  鴻神社
13:51  Y字交差点を左へ
13:57  踏切
13:59  Y字交差点を右へ
14:01  道端の御堂
14:14  光徳寺
14:16  観音堂
14:28  竜昌寺
14:31  氷川八幡神社
14:38  中宿橋
14:42  行田道分岐
14:44  行田道分岐地蔵堂(14:46まで休憩)
15:00  隆昌寺
15:09  中山道みち案内
15:20  踏切
15:24  妙徳地蔵尊(15:26まで休憩)
15:33  駅前通に左折
15:36  JR吹上駅着

[歩行記録]

■水平歩行距離 
   19.7km

■累積登攀高度    23m

■累積下降高度    21m

■所要時間休憩時間込み)
   上尾 発       9:22
   吹上 着       15:35
  (所要時間)     6時間13分(6.22h)
 水平歩行速度   19.7km/6.22h=3.16km/h

[参考資料]

資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料4;五街道ウォーク事務局,発行年不詳,『ちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料5;http://www.tesshow.jp/saitama/konosu/temple_mita_ryuju.html
資料6;http://footprint.life.coocan.jp/kounosu.html

[加除修正]
2013/2/6  ルート地図の差し替え,および本文の加除修正を行った.
                            (第3回おわり)

                            (第4回につづく)
「中山道六十九次」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/26b1c8ab2b2d963f5ea02d6d218ff634
「中山道六十九次」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/6f1d717a4cad253ed6c24ebd95970bcf

「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e

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