<猿橋>
歩いて巡る甲州道中四十四次(第6回);第1日目(4);猿橋から大月へ
(五十三次洛遊会)
2013年9月28日(土)~30日(月)
第1日目;2013年9月28日(土)(つづき) 晴
<ルート地図>
<もうすぐ猿橋>
■前田商店前の三叉路を右折する
12時22分,前田商店(休業中のようだ)前のY字三叉路で右の細い枝道に入る.枝道と言っても,ここは舗装道路である.自動車の往来も殆どなく,閑静な道である.この閑静な道をほんの少しだけ歩いたところで,左折して草道に入る予定である.
<前田商店前で右折する>
■人懐こいネコちゃん
枝道には行って直ぐに,人懐こいネコが道路の真ん中にいる.近所の家の飼い猫なのだろう.ネコ好きの人が分かるのか,頭を足にゴツンゴツンのぶつけて甘える.
“オイ,オイ,…お前さんの写真を撮りたいんだ,もう少し離れてくれ…”
とネコに話しかける.
実に可愛い.
まだ若そうである.時間があれば,暫く,ネコと遊んでいたい所である.
その内に道路の真ん中で,でんぐり返しになり,腹を上にして甘える.犬は吠えるから私は苦手,でも,ネコはとにかく可愛いなと思う.
ユックリもできないので,数枚の写真を撮った所で,ネコとオサラバする.
<ネコちゃんと遊ぶ>
■宮谷入口
ネコちゃんと遊んだ場所のすぐ先で左折して草道に入る.この草道は殆ど人が通っていないようで,夏草がビッシリと繁茂していて,一見,道かどうか分からない状態になっている.
資料1を見ると,この草道が旧甲州街道に間違いなさそうなので,そのまま先へ進む.かなり急な下り坂で,飛んでもないヤブ道である.
草道はほんの2~3分で終わり,また県道30号線に飛び出るようにして合流する.
暫く30号線を下って,12時37分,信号宮谷入口に到着する.
<信号宮谷入口>
■常夜灯
道路は大きな弧を描いて左の方に廻る,
14時50分,進行方向右手の少し高い所に設置されている常夜灯の前を通過する.
常夜灯の少し先でY字型の三叉路に到着する.
<常夜灯>
<景勝地の猿橋で昼食>
■猿橋への曲がり角
常夜灯近くの三叉路を右折してから,さらに左折して猿橋へ通じる曲がり角を差がしながら歩き続ける.
12時52分,あまりに蒸し暑いので,民家の軒下で直射日光を避けながら,立ち休を取って給水する.
12時55分,民家の軒先に「日本三奇橋猿橋」と書いてある案内板を見つける.この角を左折する.
<猿橋への曲がり角>
■猿橋を渡る
看板に沿って左折すると,直ぐに猿橋に到着する.なんだか,いきなり猿橋に飛び出してしまったような,あっけなさを感じる.
一同,ユックリと橋を渡る.
<猿橋を渡る>
■猿橋付近で昼食
猿橋を渡って,一同,ようやくひと息入れる.ここで,13時30分まで昼食タイム.自由行動.
全員が昼食を持参しているようである.猿橋近くのベンチに三々五々座り込んで昼食を摂る.
広場の木陰に居る地元の女性から,無料で猿橋の紙芝居をやるから見るように誘われるが,丁重にお断りする.悪口を言うわけではないが,得てしてボランティアの方は聞き手の興味や時間のことを全く気にしないで,自分の知っていることを全部は為そうとするから,お相手するのが億劫になる.この辺りの配慮が一般に欠けている媼気がしてならない.とはいっても,紙芝居を勧めてくれる方には,こんな指摘は当てはまらないとは思うが…
一同,時間がないので,ソソクサと昼食を摂る.
<猿橋で昼食のフリータイム>
■猿橋の説明
猿橋について,ここで多少なりとも触れなければならないが,猿橋の近くに立っている説明板の写真を撮ったので,説明の代わりにこの写真を下記の通り収録しておく.
<猿橋の説明>
<猿橋宿と駒橋宿を行く>
■猿橋宿・駒橋宿の概要
資料2(pp.205-206)によれば,猿橋宿の宿内人口は542人.内,男267人,女275人.宿内惣家数138軒,内,本陣1軒,脇本陣2軒,旅籠10軒であった.
駒橋宿の宿内人口は267人.内,男128人,女139人.宿内惣家数85軒.内,本陣0軒,脇本陣0軒,旅籠4軒であった.
■馬頭観音と三嶋神社
13時30分,昼食を終えて猿橋を出発する.
甲州街道の旧道を通ろうとして,街道の入口を探すのに少々迷うが,大過なく旅を続ける.
程なく馬頭観音の前を通過して,13時58分,信号宮下橋商店街詰の先にある三嶋神社に到着する.立派な鳥居と社殿を眺めるだけで,参拝はせずに通過する.
<馬頭観音> <三嶋神社>
■阿弥陀寺と一里塚跡
14時05分,阿弥陀寺参道入口に到着する.入口に「一里塚跡猿橋」と書いた小さな木杭と石塔が立っている.ここは殿上一里塚,江戸日本橋から22里目の一里塚である.
時間が許せば阿弥陀寺にも立ち寄りたかったが,今日の行程は長いので,時間的余裕は全くない.残念ながら通過する.
なお,帰宅後,この阿弥陀寺について,色々調べてみたが,頼りになる情報は今のところ入手していない.
<阿弥陀寺と一里塚跡>
■枝道に入ってマムシに出会う
阿弥陀寺のすぐ先で,県道30号線から三叉路を右折して裏道に入る.三叉路のところに山梨中央自動車の社屋が建っているので迷うことはない.
なお,資料1によると,この三叉路付近に焔魔堂があるはずだが,見つけられなかった.なお,この焔魔堂には運慶作の閻魔像が安置されているという.
枝道に入って,4~5分歩いた所で,道路の上を小さなヘビが動いている.
物好きな方がヘビに悪戯を仕掛けようとする.田舎出身の私は,このヘビが小さいながらマムシだと直感して,
「マムシだ! 近付かないで…」
と大声を出す.
一行の中で,出会ったヘビなどにチョッカイをして,同行の方々をからかう性癖のある方が居られるので少々気になる.
<山梨中央自動車前で枝道に入る> <マムシに出くわす>
■中央線踏切を渡る
緩やかな下り坂の枝道を歩き続ける.
14時14分,大月駒橋郵便局からすぐ先の木陰を利用して,ほんの1~2分,給水休憩を取る.
14時21分,JR中央線の第五甲州街道踏切を渡る.この辺りが駒橋宿の核心部になる.
踏切を渡ってすぐに県道30号線に合流する.
<中央線の踏切を渡る>
■厄王大権現
14時23分,厄王大権現の前を通過する.残念ながら参拝見学は省略である.
厄王大権現の社歴などは,今のところ良く分からない.
<厄王大権現>
■コンビニで休憩
14時23分,たまたまコンビニに到着したので,臨時休憩を取る.
9月下旬とはいえ,まだまだ暑い.一同,アイススティックなど冷たい物を購入する.私も,早速,ガリガリ君を購入する.そして,皆で建物の日陰に入って暫くの間休憩を取る.
<コンビニで休憩>
■威風堂々の岩殿山
10分ほどの休憩の後,コンビニを出発する.進行方向右手には威風堂々の岩殿山(標高634メートル)が聳えている.私も,過去数回,岩殿山に登ったことがある.
資料3には,「『甲斐国志』に拠れば、岩殿山には大同元年(806年)開創と伝わる天台宗寺院の円通寺が存在し,円通寺は岩殿山の南東麓に観音堂や三重塔,新宮などの伽藍が配され,「岩殿権現」「七社権現(明神)」と呼ばれた.13世紀に入ると天台系聖護院末の修験道の場として栄えている.
16世紀になって大名の領国支配制が成立すると甲斐守護武田・郡内領主の小山田両氏の支配を受けるようになった.
築城時期は不明であるが、,化年間に編纂された『国志』では小山田氏による谷村館の詰城説を取っている.『国志』に先立つ天明3年(1783年)の萩原元克『甲斐名勝志』でも同様の見解が取られており,江戸後期には小山田氏による要害説が認識されていたと考えられている.一方で,近年は岩殿山城を谷村館の詰城とするには距離が離れすぎていることから,武田氏による相模との境目の城として築かれたと考えられている.」
という説明がある.
同行の方の話によると,最近,城の一部が復元されているとのことである.
<岩殿山>
<大月宿>
■大月宿の概要
資料2(p.308)によると,大月宿の宿内人口は373人.内,男171人,女202人.宿内惣家数は92軒.内,本陣1軒,脇本陣2軒,旅籠21軒の規模であった.
大月宿に関連する資料をインターネットで調べたが,今のところ出所が明確な資料は見つかっていない. なお,資料1によると,大月は,元は駒橋と一村だったが,寛文年中(1661~1673年)分村して一宿を形成した.また,大月宿は寛文9年(1669年)に駒橋宿から分宿した.
■小山田氏妾宅跡
資料1を参考にしながら歩く.
小山田氏妾宅跡付近で県道30号線に合流するが,時間の都合もあって,この妾邸跡は探さなかった.
資料1には,「武田信玄が志賀城を落とした際,城主の奥方に下賜され館を建てて迎えた」という説明がある.
なお,この付近に光照寺,菊花山,三嶋神社など,見学したい所がいくつかあるが,今回は割愛して先を急ぐ.
■さつき通商店街
14時42分,満北亭付近で斜め右に分岐する道に入る.
14時45分,駒橋跨線橋を渡って,さつき通商店街に入る.道幅は狭いが,路面に飾りタイルが敷き詰められている.随分と賑やかな商店街が続く.
<さつき通商店街>
■大月駅前を通過する
14時49分,JR大月駅前を通過する.
富士山が世界遺産に登録されたためかどうか分からないが,駅前はかなり活気づいているなという印象を受ける.
早速,駅前の写真を撮るが,ご覧の通り写真の真ん前に大きな箱のようなものが写っていて,折角の写真が台無しになっている.
<大月駅前>
■大月橋を渡る
14時57分,信号大月二丁目を渡る.資料1によると,この辺りが大月宿の入口だったようである.
近くに明治天皇御召換所跡がある.
15時14分,大月橋を渡る.
<大月橋を渡る>
[参考資料]
資料1;完全踏査街道マップシリーズ「ちゃんと歩ける甲州道中四拾四次」五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1998,『今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州』日本交通公社
資料3;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%AE%BF%E5%B1%B1%E5%9F%8E
(つづく)
「甲州道中」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/8f0e141f8f02e735527bd5ff5e5efe33
「甲州道中」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/9563293ca3aeb27dfdeef4ed5a556d7d?fm=entry_awc
「甲州道中」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/a622a87fbc7f4454e3e837fc990ece58
「甲州道中」の目次
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/583886c80d2ce6bd9956f000f9258589
※お願い
この記事はあくまで個人的趣味,仲間との情報共有を目的としたものであり,第三者を読者の対象にはしておりません.
記事の正確性は保証しかねます.なるべく誤字脱字転換ミスは少なくするように努力しますが,不具合は多々残っているでしょう.これらがご不快に思われる方は,どうぞ当ブログへアクセスしないようにお願いします.
最新の画像[もっと見る]
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前
- 精密検査から戻って;長女が老夫婦を日比谷花壇大船フラワーセンターへ招待・・・ 4年前