<混雑する休憩所>
小田原:曽我梅林と社寺史跡巡り(2)
(「鎌っこ倉ぶ」第83回例会)
2009年2月15日(日)(つづき)
<名刹・史跡を巡る>
■宗我神社
10時54分に,バス停小学校前を,北に向けて歩き出す.すぐに5差路に到着する.国府津発10時30分の電車で,下曽我に来た観光客の方々と合流する.5差路を右に曲がって,北へ向かう.なだらかな登り坂である.
程なく大きな鳥居を潜る.この辺りは曾我兄弟ゆかりの地である.
10時57分,宗我神社に到着する.お師匠さんから頂いた資料によると,1028年創建の由緒ある神社だということである.祭神は宗我都比古命と宗我都比女命.この2柱の神の曰く因縁は,浅学の私には良く分からない.
<宗我神社:参道から望む>
■法輪寺
11時07分,宗我神社を出発する.蘇我神社の脇から南に少し下って,11時12分に盤谷山法輪寺に到着する.ここは臨済宗のお寺である.お師匠さんの説明によると,末寺として,曾我兄弟の義父,蘇我祐信が兄弟の菩提を弔うために,創建した祐信山崇泉寺あったという.
<法輪寺>
■大光院
11時25分に,法輪寺のすぐ近くにある諸法山大光院実相寺に到着する.
ここには,珍しい石幢型六地蔵があると,お師匠さんが説明する.なるほど,笠付きの六角柱の各面に地蔵が彫り込まれている.同行者の1人が,独り言のように,
「・・・なるほど,1体ごとに彫るよりは,これは省資源で効率的だな・・・」
とうがった感想をいう.
<大光院>
■蘇我五郎の踏み石
11時25分,大光寺境内から外に出る.車が1台やっと通れるほどの狭い道である.境内を出てすぐの石垣に人集りができている.近付いてみると,そこには史跡,蘇我五郎の踏み石がある.石垣の途中,腰位の高さのところに大きな平たい石が置いてある.その石の表面に,窪みがある.この窪みは.蘇我五郎の足跡だという.
蘇我五郎が病後に自分の力を試すために踏んだ足跡だという伝説である.嘘話にしても,この手の話は面白い.
<五郎の踏み石>
■城前寺
11時45分,踏み石の脇の入口から稲荷山祐信院城前寺の境内に入る.お師匠さんの説明によると,この寺は,宇佐見禅師が1193年に庵を作った所だという.宇佐見氏は曾我兄弟の叔父である.その後,曾我兄弟の義父,蘇我祐信が,曾我兄弟の供養のために,この寺を創建したという.
ここで,20分ほど,参詣と休憩を取る.
<城前寺>
<曾我兄弟の像> <蘇我縁の者の墓地>
■雄山荘
11時45分,城前寺の門を出る.すぐに左折,坂道を辿る.やがて,進行方向右側に,草木に覆われた古い家屋が建っている.ここは,太宰治が居住していた家だという.太宰治の小説『斜陽』に,この家のことが詳しく書かれているらしい.
浅学の私は,残念ながら,この小説を読んでいない.ハズカシイ!
<太宰治住居:雄山荘>
<蘇我梅林>
■東光院
11時59分,「お休み所」に到着する.梅の木が並ぶ空き地に出店が並んでいる.沢山の観光客でとても混雑している.ここで5分ほど休憩を取る.
12時05分,休憩所を出る.1分ほどで瑠璃山東光院南谷寺の境内に入る.この寺の詳しいことは全く分からないが,真言宗の寺である.境内に笠付六角柱の各面に地蔵菩薩が彫り込まれている.
<東光院>
■蘇我梅林で休憩
12時21分,蘇我梅林に入る.広大な梅林である.見渡す限りの梅の木である.沢山の観光客が訪れている.所々にベンチが置いてあるが,どのベンチも観光客で一杯になっている.沢山の家族連れや,グループが,梅の木の間で車座を作っている.私達も,適当に車座を作って,昼食を摂ることにする.
近くの建物の拡声器からうるさい音楽や放送が絶え間なく流れてくる.折角,静かに梅の花を観賞しようと思っているのに,音の暴力ではないかと,私は内心で憤っている.
<蘇我梅林>
■大混雑の休憩所
13時27分,昼食を終えた私達は,蘇我梅林の中を,ブラブラと歩きながら,梅林入口にある休憩所に向かう.そして,13時31分に休憩所に到着する.休憩所に近付くに連れて,ますます人が増えて,大混雑になる.沢山の出店が並んでいる.入口近くの食券売り場には長い行列ができている.
ここでトイレ休憩をとるが,トイレの行列があまりに長いので,トイレは諦める.待ち合わせ場所で,人波に揉まれながら呆然と待ち続ける.
<田島古墳群を経由して国府津へ>
■玉泉寺
13時38分,休憩所を出発する.剣沢川の左岸堤防沿いの道を,暫くの間,南下する.右岸の道には,観光客の車が沢山停車している.堤防を下るに連れて,観光客は次第に少なくなり,長閑な散策路になる.
13時48分,橋を渡って川沿いにある玉泉寺を訪れる.
境内入口に,「気は長く心は丸く腹を立てずに人は大きくおのれは小さく」と書いてある洒落た看板が立っている.
この寺の詳細は全く分からない.私達は山門の前からお寺を眺めるだけで,すぐに,今,渡った橋を引き返し,そのままバス通りに出る.そして,暫くの間,バス通りを南に向かう.
<玉泉寺>
<「気は長く・・・」の看板>
■田島古墳群
田島公民館前を通過して,暫く進んで,旧道との分岐点から,公園脇を通って,東に向かう枝道に入る.集落の中をくねくねと抜ける小径を辿る.やがて農道に突き当たる.この農道を山の方へ少し進んだ所から,小川沿いに細い道を遡る.さらに,小さな橋を渡って,小川の左岸の空き地に出る.
小川の両岸から山が迫っている,急斜面の山裾にある空き地に,田島古墳群の説明板が立っている.この説明版によると,古墳時代末期のものらしく,全部で33穴の存在が確認されているという.
お師匠さんに促されるまま,古墳群が並ぶ坂道を,ほんの少し登って,いくつかの穴を覗いて見る.さらに急坂を登ってみる.坂道を右に曲がってさらに進むと8,9,10号古墳が並んでいる.そこから先は,暫くの間,全く古墳がない.これ以上進むと時間が掛かって,他の方に迷惑が掛かるので,引き返す.
お師匠さんに伺うと,さらに坂道を登ると,広域農道と交差し,その先に沢山の古墳があるとのことである.
<田島古墳群の一部>
■一徳寺
空き地から左岸沿いに畠の中の道を進む.そして,14時29分,天陽山一徳寺の境内に,裏手から入る.
この寺は臨済宗建長寺派.お師匠さんの資料によると,もともとは1298年,雪庭白禅師が開基した天台宗の寺だったという.こぢんまりとした寺である.本堂脇に六地蔵が並んでいる.
<一徳寺> <蓮台寺>
■八幡神社
ほんの1分ほど見学しただけで一徳寺を後にする.すぐにバス通りに出る.そして,バス通りを東南に向かう.すぐ先に小田原厚木道路の高架が見えている.
小田原厚木道路の高架と,新幹線の高架を潜る.
お師匠さんに頂いた地図を見ていると,進行方向右手に八幡神社があるはずである.
「・・・小さな神社ですよ・・」
とお師匠さんがいう.
14時45分,八幡神社の前を通過する.500~600平方メートルほどの小さな境内の一角に,赤い小さな社殿が建っている.
■寶金剛寺
御殿場線の高架のすぐ手前で,国府津山医王院寶金剛寺の境内に入る.ここは国府津地区最古の寺だという.真言宗.
この寺には広大な裏山がある.お師匠さんから,
「・・・裏山へ登ってきたら,景色が良いですよ・・・」
と言われる.
大急ぎで裏山へ登る.墓地を抜けて,ミカン畑の間を登ると,農道を交差する.さらに登り詰めると尾根で,再び農道と交差する.左折して農道に入る.農道を北西に暫く進むと,標高が一番高い所に到着する.ここから,小田原の街や駿河湾が一望の下に見える.素晴らしい景色である.
他の人を余り待たせては困るので,すぐに大急ぎで,往路を下る.ほぼ下り終えそうなところで,これから登ろうとする幹事とすれ違う.
<寶金剛寺>
■連台寺と菅原神社
15時13分,寶金剛寺を出発する.
ほんの少し,バス通りを下って,15時18分,国府山蓮台寺に到着する.時宗の寺である.閑静な寺である.手入れの行き届いた庭で休憩を取る.
15時24分,蓮台寺を出てから,2分ほど歩いて,菅原神社に到着する.祭神は菅原道真.
曾我兄弟の隠れ石.ご神木のムクノキなどを見学する.
■国府津駅で解散
15時48分,菅原神社を後にする.裏道を通って,ガードを潜り,16時丁度に国府津駅に到着する.ここで流れ解散.
[ハイキング記録]
■水平歩行距離 6.8km
■累積登攀高度 170m
■累積下降高度 174m
■所要時間(休憩時間を含む)
バス停小学校前発 10:45
湯河原駅着 16:00
(所要時間) 5時間15分(5.25h)
歩行速度 6.8km/5.25h=1.30km/h
(おわり)
「鎌っこ倉ぶ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/ce28239ef988531fd66382cadd429e14
「鎌っこ倉ぶ」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b03a9ed59b4db0af1bf5045c50309d6e
小田原:曽我梅林と社寺史跡巡り(2)
(「鎌っこ倉ぶ」第83回例会)
2009年2月15日(日)(つづき)
<名刹・史跡を巡る>
■宗我神社
10時54分に,バス停小学校前を,北に向けて歩き出す.すぐに5差路に到着する.国府津発10時30分の電車で,下曽我に来た観光客の方々と合流する.5差路を右に曲がって,北へ向かう.なだらかな登り坂である.
程なく大きな鳥居を潜る.この辺りは曾我兄弟ゆかりの地である.
10時57分,宗我神社に到着する.お師匠さんから頂いた資料によると,1028年創建の由緒ある神社だということである.祭神は宗我都比古命と宗我都比女命.この2柱の神の曰く因縁は,浅学の私には良く分からない.
<宗我神社:参道から望む>
■法輪寺
11時07分,宗我神社を出発する.蘇我神社の脇から南に少し下って,11時12分に盤谷山法輪寺に到着する.ここは臨済宗のお寺である.お師匠さんの説明によると,末寺として,曾我兄弟の義父,蘇我祐信が兄弟の菩提を弔うために,創建した祐信山崇泉寺あったという.
<法輪寺>
■大光院
11時25分に,法輪寺のすぐ近くにある諸法山大光院実相寺に到着する.
ここには,珍しい石幢型六地蔵があると,お師匠さんが説明する.なるほど,笠付きの六角柱の各面に地蔵が彫り込まれている.同行者の1人が,独り言のように,
「・・・なるほど,1体ごとに彫るよりは,これは省資源で効率的だな・・・」
とうがった感想をいう.
<大光院>
■蘇我五郎の踏み石
11時25分,大光寺境内から外に出る.車が1台やっと通れるほどの狭い道である.境内を出てすぐの石垣に人集りができている.近付いてみると,そこには史跡,蘇我五郎の踏み石がある.石垣の途中,腰位の高さのところに大きな平たい石が置いてある.その石の表面に,窪みがある.この窪みは.蘇我五郎の足跡だという.
蘇我五郎が病後に自分の力を試すために踏んだ足跡だという伝説である.嘘話にしても,この手の話は面白い.
<五郎の踏み石>
■城前寺
11時45分,踏み石の脇の入口から稲荷山祐信院城前寺の境内に入る.お師匠さんの説明によると,この寺は,宇佐見禅師が1193年に庵を作った所だという.宇佐見氏は曾我兄弟の叔父である.その後,曾我兄弟の義父,蘇我祐信が,曾我兄弟の供養のために,この寺を創建したという.
ここで,20分ほど,参詣と休憩を取る.
<城前寺>
<曾我兄弟の像> <蘇我縁の者の墓地>
■雄山荘
11時45分,城前寺の門を出る.すぐに左折,坂道を辿る.やがて,進行方向右側に,草木に覆われた古い家屋が建っている.ここは,太宰治が居住していた家だという.太宰治の小説『斜陽』に,この家のことが詳しく書かれているらしい.
浅学の私は,残念ながら,この小説を読んでいない.ハズカシイ!
<太宰治住居:雄山荘>
<蘇我梅林>
■東光院
11時59分,「お休み所」に到着する.梅の木が並ぶ空き地に出店が並んでいる.沢山の観光客でとても混雑している.ここで5分ほど休憩を取る.
12時05分,休憩所を出る.1分ほどで瑠璃山東光院南谷寺の境内に入る.この寺の詳しいことは全く分からないが,真言宗の寺である.境内に笠付六角柱の各面に地蔵菩薩が彫り込まれている.
<東光院>
■蘇我梅林で休憩
12時21分,蘇我梅林に入る.広大な梅林である.見渡す限りの梅の木である.沢山の観光客が訪れている.所々にベンチが置いてあるが,どのベンチも観光客で一杯になっている.沢山の家族連れや,グループが,梅の木の間で車座を作っている.私達も,適当に車座を作って,昼食を摂ることにする.
近くの建物の拡声器からうるさい音楽や放送が絶え間なく流れてくる.折角,静かに梅の花を観賞しようと思っているのに,音の暴力ではないかと,私は内心で憤っている.
<蘇我梅林>
■大混雑の休憩所
13時27分,昼食を終えた私達は,蘇我梅林の中を,ブラブラと歩きながら,梅林入口にある休憩所に向かう.そして,13時31分に休憩所に到着する.休憩所に近付くに連れて,ますます人が増えて,大混雑になる.沢山の出店が並んでいる.入口近くの食券売り場には長い行列ができている.
ここでトイレ休憩をとるが,トイレの行列があまりに長いので,トイレは諦める.待ち合わせ場所で,人波に揉まれながら呆然と待ち続ける.
<田島古墳群を経由して国府津へ>
■玉泉寺
13時38分,休憩所を出発する.剣沢川の左岸堤防沿いの道を,暫くの間,南下する.右岸の道には,観光客の車が沢山停車している.堤防を下るに連れて,観光客は次第に少なくなり,長閑な散策路になる.
13時48分,橋を渡って川沿いにある玉泉寺を訪れる.
境内入口に,「気は長く心は丸く腹を立てずに人は大きくおのれは小さく」と書いてある洒落た看板が立っている.
この寺の詳細は全く分からない.私達は山門の前からお寺を眺めるだけで,すぐに,今,渡った橋を引き返し,そのままバス通りに出る.そして,暫くの間,バス通りを南に向かう.
<玉泉寺>
<「気は長く・・・」の看板>
■田島古墳群
田島公民館前を通過して,暫く進んで,旧道との分岐点から,公園脇を通って,東に向かう枝道に入る.集落の中をくねくねと抜ける小径を辿る.やがて農道に突き当たる.この農道を山の方へ少し進んだ所から,小川沿いに細い道を遡る.さらに,小さな橋を渡って,小川の左岸の空き地に出る.
小川の両岸から山が迫っている,急斜面の山裾にある空き地に,田島古墳群の説明板が立っている.この説明版によると,古墳時代末期のものらしく,全部で33穴の存在が確認されているという.
お師匠さんに促されるまま,古墳群が並ぶ坂道を,ほんの少し登って,いくつかの穴を覗いて見る.さらに急坂を登ってみる.坂道を右に曲がってさらに進むと8,9,10号古墳が並んでいる.そこから先は,暫くの間,全く古墳がない.これ以上進むと時間が掛かって,他の方に迷惑が掛かるので,引き返す.
お師匠さんに伺うと,さらに坂道を登ると,広域農道と交差し,その先に沢山の古墳があるとのことである.
<田島古墳群の一部>
■一徳寺
空き地から左岸沿いに畠の中の道を進む.そして,14時29分,天陽山一徳寺の境内に,裏手から入る.
この寺は臨済宗建長寺派.お師匠さんの資料によると,もともとは1298年,雪庭白禅師が開基した天台宗の寺だったという.こぢんまりとした寺である.本堂脇に六地蔵が並んでいる.
<一徳寺> <蓮台寺>
■八幡神社
ほんの1分ほど見学しただけで一徳寺を後にする.すぐにバス通りに出る.そして,バス通りを東南に向かう.すぐ先に小田原厚木道路の高架が見えている.
小田原厚木道路の高架と,新幹線の高架を潜る.
お師匠さんに頂いた地図を見ていると,進行方向右手に八幡神社があるはずである.
「・・・小さな神社ですよ・・」
とお師匠さんがいう.
14時45分,八幡神社の前を通過する.500~600平方メートルほどの小さな境内の一角に,赤い小さな社殿が建っている.
■寶金剛寺
御殿場線の高架のすぐ手前で,国府津山医王院寶金剛寺の境内に入る.ここは国府津地区最古の寺だという.真言宗.
この寺には広大な裏山がある.お師匠さんから,
「・・・裏山へ登ってきたら,景色が良いですよ・・・」
と言われる.
大急ぎで裏山へ登る.墓地を抜けて,ミカン畑の間を登ると,農道を交差する.さらに登り詰めると尾根で,再び農道と交差する.左折して農道に入る.農道を北西に暫く進むと,標高が一番高い所に到着する.ここから,小田原の街や駿河湾が一望の下に見える.素晴らしい景色である.
他の人を余り待たせては困るので,すぐに大急ぎで,往路を下る.ほぼ下り終えそうなところで,これから登ろうとする幹事とすれ違う.
<寶金剛寺>
■連台寺と菅原神社
15時13分,寶金剛寺を出発する.
ほんの少し,バス通りを下って,15時18分,国府山蓮台寺に到着する.時宗の寺である.閑静な寺である.手入れの行き届いた庭で休憩を取る.
15時24分,蓮台寺を出てから,2分ほど歩いて,菅原神社に到着する.祭神は菅原道真.
曾我兄弟の隠れ石.ご神木のムクノキなどを見学する.
■国府津駅で解散
15時48分,菅原神社を後にする.裏道を通って,ガードを潜り,16時丁度に国府津駅に到着する.ここで流れ解散.
[ハイキング記録]
■水平歩行距離 6.8km
■累積登攀高度 170m
■累積下降高度 174m
■所要時間(休憩時間を含む)
バス停小学校前発 10:45
湯河原駅着 16:00
(所要時間) 5時間15分(5.25h)
歩行速度 6.8km/5.25h=1.30km/h
(おわり)
「鎌っこ倉ぶ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/ce28239ef988531fd66382cadd429e14
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