中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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初秋の鎌倉:大町地区の社寺史跡巡り

2010年09月21日 21時11分36秒 | 鎌倉あれこれ

                       <蛭子神社>

          初秋の鎌倉:大町地区の社寺史跡巡り
            (鎌っこ倉ぶ第99回定例会)
            2010年9月18日(土)

<散策地図>



■鎌倉駅から歩き出す
 久々の「鎌っこ倉ぶ」例会への出席である.もう何年前になるだろうか.某ソフトウエア会社のユーザー会が音頭を取ってニフティ上に「IS(情報システム)フォーラム」を創立した.愛称はARENAと言った.このARENAのオフラインミーティングの一環として,鎌倉およびその周辺を散策するグループを立ち上げた.愛称はARENAオフミ.
 その後,ARENAオフミは数年間続いたが,途中から鎌倉の社寺史跡を巡るグループ(以下社寺史跡グループ)と,もっぱら里山を散策するグループ(以下新ARENAオフミ)の2グループに分かれた.このとき,社寺史跡グループの企画実施を,お師匠さん(現在,毎回詳細な資料を作成戴いているMさんのこと)に依頼した.これが「鎌っこ倉ぶ」の原点になった.一方,新ARENAオフミも,ロングテールさんが幹事長になって,延々と続いている.
 鎌っこ倉ぶは,今回のミーティングが発足以来99回目になるという.私は,途中,数年間,鎌っこ倉ぶから遠ざかっていたが,数年前から,「鎌っこ倉ぶ」にも参加させて戴いている.それにしても,次回で100回を越えるとは・・これは大変な記録だと思う.
 さて,私はこんな感慨を持って,集合場所である鎌倉駅に向かった.
 本日の参加者は,実に18人.随分と盛大である.
 定刻,10時に幹事と案内役のお師匠さんの挨拶がある.そして,10時10分に鎌倉駅から歩き出す.


■大巧寺
 最初に大巧寺(だいぎょうじ)を訪れる.鎌倉市民に「おんめさま」の愛称で親しまれているお寺である.山号は長慶山.ご存じ日蓮宗のお寺である.資料1(pp.105-106)によれば,檀家を持たずに安産祈願の寺として存在する珍しい寺のようである.
 境内はそれほど広くないが,地元の人が境内を生活道路にしているためか,境内を絶えず人が往来している.私には花のことは全く分からないが,この寺には珍しい花があるらしくて,花に詳しいジャイアンさんが,同行者を相手に盛んに講釈している.


■蛭子神社
 大巧寺の境内を通り抜けて,小町大路に出る.そして,小町の鎮守,蛭子神社(ひるこじんじゃ)を参拝する.一同境内の大イチョウの前で,ジャイアンさんのイチョウ節を一くさり伺う. 境内には私たちだけ.閑静な雰囲気の神社である.
 祭神は大己貴命(おおあなむちのみこと)(資料2.p.20).


■琴弾橋と琴引の松
 日蓮辻説法跡の少し南の三叉路を右折して,琴弾橋を渡る.朱塗りの美しい橋である.ここは観光客も滅多に来ないところ.
 橋の正面に「小御所の丘」と呼ばれる丘が見える.2代将軍源頼家の妻と,その子一幡が住んでいたところだという(資料2,p.20).この丘にあった松が風に揺れて琴のような美しい音色を出したことから「琴引の松」と呼ばれるようになったという.


■蛇苦止堂
 琴弾橋を渡って,閑静な住宅地の路地を南に下る.すぐに妙本寺参道入口に到着する.
 ここから,枝道に入ると突き当たりに蛇苦止堂がある.ただ,蛇苦止堂の手前に数十段の長い石段がある.私が石段登りが国なら内人だけを案内することになる.そして,今,体調が思わしくないお師匠さん他,若干の方々は,参道入口でお待ちいただく.
 今更,記述するまでもないが,蛇苦止堂(蛇苦止明神)は,比企能員一族が滅ぼされたとき,比企能員の娘,若狭の局(一幡の母)が家宝を抱いて井戸に飛び込んで自害,蛇に化けて家宝を守っているという(資料2,pp.72-73).若狭の局の亡霊が北条一族に取り憑いたので,北条政村が祠を建てて供養した.この祠が蛇苦止堂である.
 若狭の局が投身自殺した井戸が「蛇形ノ井」.この井戸は松葉ヶ谷の「六方ノ井」とつながっているという伝説がある(資料2.p.72).なお「六方ノ井」は私有地の中にあって見学できない.


■妙本寺
 10時53分,妙本寺祖師堂前に到着する.今更,超有名な妙本寺の説明をここでしても無駄.
 一幡の袖塚,比企一族の墓,仙覚の石碑,竹ノ御所跡の墓地,源媄子(将軍頼経の妻)墓などを詣でる.


■常栄寺
 つづいて,常栄寺(ぼたもち寺)を参拝する.言うまでもなく「首つぎのぼたもち」で有名である.
 「鎌っこ倉ぶ」では,すでに何回もこの寺を訪れているが,参加者の中の男性1人が,
 「なんで,ぼたもち寺って言うんだろう・・・」
と大きな声を出す.その声を聞いている私が恥ずかしくなる.私は内心で,
 「この人,一体,これまで何を見聞きしてきたんだろう・・」
と呆れ果てる.


■八雲神社で昼食
 11時42分に八雲神社に到着する.鬱蒼とした緑の木々に囲まれた神社は,実に落ち着いた良い雰囲気である.私たちは少々早いが,神社の境内に設置されているベンチをお借りして昼食を摂ることにする.境内の借り賃として,1人100円の賃料を社務所に支払う.
 数名の会員が持参した菓子類を次から次へと配って歩く.有り難いことである.
 この神社は,後三年の役のとき,八幡太郎義家を応援するために,奥州に下った新羅三郎義満が,疫病に苦しむ鎌倉の庶民を救うために,京都祇園社の祭神を祀ったのが始まりだという(資料2,p.71).


■別願寺
 昼食後,12時50分,別願寺に到着する.ここで足利持氏の墓だと伝えられる宝塔を見学する.時宗の寺である.以前,そそっかしい参加者が,この寺の入口に時宗別願寺と書いてあるのを見て,
 「・・ここは北条時宗の墓がある寺ですよ・・」
と知ったかぶりをしたことがあった.側に居た私は,それこそ穴があったら入りたいほどハズカシイ思いをした.願わくは知ったかぶりをして,あやふやなことを公言して貰いたくない.
 

■上行寺
 続いて,道路の反対側にある上行寺を詣でる.この寺については,このブログでも何回となく紹介しているので,多くは触れないが,山門の裏側にある伝左甚五郎の作,龍の彫り物が有名である.
 私はこの寺の何となく俗っぽい雰囲気が大好きである(失礼).
 序でと言ってはまずいが,水戸浪士広木松之助の墓を詣でる.


■安養院
 引き続き安養院を訪れる.私の他に数人は,山門の外で,一同が参拝と見学が終わるのを待つ.ここには尊観が開山した善導寺があったが焼失.笹目の長楽寺が戦火で焼けたので,鎌倉末期にこの地に移された.そして政子の法名である安養院を院号にしたという(資料2,p.77).
 境内の見所は,北条政子と尊観の宝筐印塔である.


■安国論寺
 当初,妙法寺も見学する予定だったが,時間が押してきたので省略する.そして,13時24分,安国論寺を詣でる.ここは説明するまでもなく「松葉ヶ谷法難」の跡と伝えられるところである.
 日蓮が立正安国論を執筆したところと伝えられる御法窟,御小庵,日朗御荼毘所,南面窟,富士見台などを見学する.
 富士見台見学は山道なので,希望者だけ案内することにしたが,大半の方が参加する.その結果,富士見台から急な下り階段で四苦八苦する方々が少なからず居られたのは意外.皆さん,まだ若いのに・・・
     

■長勝寺
 次いで長勝寺を詣でる.ここも松葉ヶ谷法難跡だと言われている.帝釈堂の前で一休みする.誰かが,
 「・・折角,ここまで来たんだから,赤城圭一郎碑まで登ったほうが良いですよ・・」
と言っている.でも,安国論寺の急坂で四苦八苦した方々には無理.


■由比八幡
 長勝寺から水道道沿いの路地を抜けて,水道道交差点に出る.ここから水道道を少し西へ進んだところで右折,住宅地内の路地を突き当たったところで,由比若宮に到着する.
 源頼義が京都石清水八幡宮の祭神を祀ったのが,この神社の始まり.次いで後三年の役の帰途,源義家が社殿を修理した.そして源頼朝が,1180年に,現在の鶴岡八幡宮に社殿を移した(資料2,p.50).
 鶴岡八幡宮と違って,ここを訪れる観光客は極めて少ない.人気が全くない境内は静まり返っている.
 

■石清水ノ井
 14時27分,由比若宮を出発する.そしてすぐ近くにある石清水ノ井を見学する.ここは鎌倉十井にも入っていないので,訪れる観光客は殆ど居ない.石清水という名前からも,由比若宮との繋がりを連想させられる.


■辻の薬師堂
 14時30分,横須賀線の踏切を渡って辻の薬師堂に到着する.薬師堂に近付くとスイッチが入って薬師堂の中が明るくなる.
 ここには由比の長者,染谷太郎時忠が立てた長善寺という寺があったという説がある(資料2p.78).長善寺は江戸時代に廃寺となり薬師堂だけが残ったそうである.
 道内には薬師如来像,十二神将像が安置されている.

本覚寺
 時間が押してきたので,夷道橋を経由して本覚寺に入る.
 幾分蒸し暑いせいか,大分疲れてしまった方々が多いようである.誰からともなく,あちこちに腰を下ろしてグッタリとしている方が多い.
 「これでは,とても,とても,山へは一緒に行けないな・・・」
と私は内心で思っている.


■鎌倉駅前に到着
 10分あまり休憩の後.やっと腰を上げて,14時58分に鎌倉駅前に到着する.ここで解散.
 希望者だけで(と言っても帰られた
のはお1人だけ),小町踊り「モア」で懇親会.幹事から,鎌っこ倉ぶ100回記念行事の提案がある.
 私は祈念すべき100回記念の当日は先約があって欠席の予定である.まことに残念だがやむを得ない.
 16時30分,懇親会はお開き.
 「モア」の店員の応対がハキハキしていて,とても気分が良い.

<ラップタイム>

10:10  鎌倉駅歩き出し
10:12  大巧寺(10:20まで)
10:25  蛭子神社(10:30まで)
10:35  琴弾橋
10:43  蛇苦止堂(10:47まで)
10:53  妙本寺祖師堂(11:30まで)
11:35  常栄寺(11:40まで)
11:42  八雲神社(12:47まで昼食)
12:50  別願寺
12:52  上行寺(12:57まで)
13:00  安養院(13:12まで)
13:24  安国論寺(13:56まで)
14:02  長勝寺(14:12まで)
14:21  由比若宮(14:27まで)
14:28  石清水ノ井
14:30  辻薬師堂
14:45  本覚寺(14:55まで)
14:58  鎌倉駅 着

[散策記録]

■水平歩行距離
    5.8km

■累積登攀高度    140m

■累積下降高度    140m

■所要時間(休憩時間込み)
  鎌倉駅 発   10:10
   〃  着    14:58
 (所要時間)  4時間48分(4.80h)
 歩行速度  5.8km/4.80h=1.20km/h
                      (おわり)

[参考資料]

資料1:鎌倉商工会議所(監),2009,『改訂版鎌倉観光文化検定公式テキストブック』かまくら春秋社
資料2:鎌倉市教育センター,2009,『かまくら子ども風土記』鎌倉市教育委員会

「鎌っこ倉ぶ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/3f8507a4e50182d07421ae02f61d0d17
「鎌っこ倉ぶ」の次回の記事
(なし)  



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