中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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ロッキー山脈紀行(15):第3日目(3):メサベルデ国立公園

2010年09月20日 13時50分50秒 | アメリカ;ロッキー山脈

                <メサベルデ遺跡:パンフレットより引用>

     ロッキー山脈紀行(15):第3日目(3):メサベルデ国立公園
             (アルパインツアー)
        2010年8月19日(木)~28日(土)

第3日目:2010年8月21日(土) (つづき)

<メサベルデ国立公園概要図>


※下図は枠の範囲を拡大したもの

<メサベルデ国立公園詳細図>



<谷間を下る>

■素晴らしい眺望
 11時21分,メサベルデ国立公園(Mesa Verde National Park)ビジターセンター(正確にはChapin Mesa Museum)に到着した私たちは,館内を軽く一巡りした後,11時34分,早速,散策に出掛ける.
 ビジターセンターのすぐ近くから,断崖沿いのトラバース道を下る.勿論,現地ガイドのネイトさんが先頭である.ダラダラ,クネクネの,やや急な坂道を下る.
 とても見晴らしがよい.谷間の向こうには断崖が見えている.断崖の下に岩をくり抜いた聚落の跡のような建造物が見下ろせる.これが,今日の観光の目玉であるメサベルデの遺跡である.


■曲がりくねった散策路
 ダラダラと曲がりくねった下り坂が続く.散策路は良く整備されていて歩きやすい.ときどき観光客と出会う.厚着で,トレッキングシューズを履いて,たいそうな格好で歩いているのは,われわれ日本人だけである.
 大きな岩塊の横をすり抜ける.谷間には,沢山の植物が繁茂している.そこを,私たちはお上りさん然とした格好で,ぞろぞろと続いて歩く.
 



■英語名の草木はチンプンカンプン

 
11時50分,散策道が鋭角に右に曲がる角で,ネイトさんが,突然足を止める.そして,近くの木を指さしながら,
 「皆さん,この植物,分かりますか.触ると大変ですよ・・」
と私たちに問いかける.傍らにある標識には,黒地に白い字で,
 “CAUTION POISON IVY”
と書かれている,ウルシの木である.
 ウルシの他にも,時々,見知らぬ草木の前で立ち止まって,これはナントカという木だと,英語名で説明する.草や木の名前など日本名で聞いても,私にはチンプンカンプンなのに,英語名など聞いても,私にとっては,時間の無駄である.でも,まあ,草や木のことがお好きな方も居られるだろうから,これも致し方ない.


<メサベルデの遺跡>

■先住民のピットハウス

 11時50分頃,先ほど崖の上から見下ろしていた崖下の聚落に到着する.ここには沢山の観光客が屯している.
 ネイトさんの弁舌爽やかな説明が始まる.彼の説明によると,崖下の定住者の前に先住民が居て,彼らは西暦550年から750年位から,地面に竪穴住居を作って定住していたという.


■大小様々な住居跡
 以下は正確を期するために,メサベルデのパンフレット(資料1)の記事を要約する.
 西暦1000年頃,彼らは“柱と煉瓦(Pole and adobe)”の建造物から,もっと高級な2~3階建ての住居に住むようになった.これらの住居は厚い壁に仕切られていて,出入口が2カ所にあり,各部屋は通路で連結されていた.ときには連結された部屋が50室以上にも及んでいた.
 西暦1100年から1300年の初期の時代には,ここの人口は数千人にも達していたが,西暦1200年頃から,次第に他の地方へ移動し始めた.なぜ,ここを捨てて移動し始めたのか,その理由は明らかではないが,一説には外敵からの防衛上の問題があったのではないか,あるいは宗教上の問題があったのだろうか.何れにしても,この住居跡が有名になった.
 これらの住居の大半は1190年代後半から1270年代後半に掛けて作られたものであり,住居の大きさは様々である,小さいものはワンルーム,大きいものは150室にも及ぶ.


■儀式の場所:キバ
 遺跡群の真ん中辺りに,儀式の場所キバ(Kiva)がある.半地下構造の広場になっている.
 地下には,比較的新しい時代に作られた寺院があるという.ここで雨乞いの儀式が行われたのかもしれない.
 キバを囲んで,住居の入口が並んでいる.これらの入口は,申し合わせたように,“凸”の字を逆さにしたような形をしている.これにはある種の宗教的な意味があると,ガイドが説明する.
 

■メサベルデ国立公園とアナサジ族
 資料2によれば,メサベルデ国立公園の概要は以下の通りである.
 世界遺産の1つに指定されているネイティブアメリカンのアナサジ族が住んでいたとされる国立公園.アメリカの国立公園で唯一の自然遺産でない国立公園である.遺跡は1400年前のアナサジ族の断崖住居で,約700年前に忽然と姿を消し廃墟となったもので,アナサジ族が,なぜ,ここを離れた原因は疫病とも気候の変動とも言われている.崖下の住居以外にも多くの遺跡があり,広大な地域に渡っている.特に,スプルースツリーハウスは,最も良い状態で保存されている住居跡で崖の下に114の部屋があり,当時は1000人以上が住んでいたとされている.その他にも,園内最大規模で217の部屋があるクリスパレスと呼ばれる遺跡や,メサベルデの中で一番美しいとされる高層建築物のスクエアタワーハウスは,当時80以上の部屋があったとされている.
 資料3には,次のような記事がある.この地域を長びいた干ばつが襲った西暦1300年頃,それらの古代都市は見捨てられた.現在アリゾナとニューメキシコに住んでいるプエブロ族とホピ族は,アナサジ族の子孫であると信じられている.

■博物館見学
 12時20分頃,遺跡の見学を終えて,谷間の道をビジターセンターに向けて登り始める.相変わらずジグザクの登り坂が続く.沢山の観光客とすれ違いながら,12時40分,元の出入口に戻る.
 トイレ休憩を兼ねて,ビジターセンター内の博物館を,ザッと見学する.博物館には,初期から最盛期までのアナザシ族の生き様がジオラマ形式で再現されている.歴史のことは,最後まで余りよく分からなかったが,遺跡を通じて,些かでも過去のロマンに触れることが出来た.



※何枚ものジオラマがある.

<メサベルデからマンコス町へ>

■マンゴス町に到着
 12時53分,2台の専用車に分乗する.12時55分,出発,往路を下る.
 専用車の中で,地図を広げながら,何処を走っているかをトレースしているが,結局,どの辺りを走っているのか正確には分からないが,13時頃,マンコス町に到着する.
 資料4によれば,「マンコス町(Mancos Town)は,モンテスマ郡に位置する Statutory Townである(注;英語の部分の意味不明.郡庁所在地のことか?).人口は 2000年の国勢調査で1,119人であった.マンコス町は メサベルデ国立公園のベースの Fourコーナーの近くの南西のコロラドに位置していて,メサベルデへの入口の町として有名である. 町は草地と山によって囲まれていて,多種多様な野外レクリエーション活動の拠点となっている.マンゴスは1894年に設立された.初期のスペイン人探検家が最初にマンコス川を横断した近くの場所であり,東ヒガシモンデスマ郡の商業中心地でもある.一時期は,モンテスマ郡の郡都でもあった.ここは 米国ハイウェイルート160と 州ハイウェイルート184が交わる交通の要所でもある.」

<マンゴスのレストラン>

■遅めの昼食
 13時03分,多分,マンコス(Mancos)の市街地にあると思われるレストランに到着する(レストランの名前は聞き漏らした).ここで,大分遅めの昼食を摂る.
 メニューは,現地ガイドにお任せ.大皿にサラダとビーフが盛り合わせてある.料理の名前を聞いたが,聞いた途端に忘れてしまう.結構,美味しい.


                                 (つづく)

[参考資料]

資料1;Mesa Verde National Park, Colorado,”National Park Service, U.S. Department of the Interior
資料2;http://www.visitcolorado.jp/region/southwest/
資料3;http://www.usatourist.com/japanese/destinations/colorado/nationalparks/mesaverde/mesa-verde-main.html
資料4: http://www.excite-webtl.jp/world/english/web/?wb_url=http%3A%2F%2Fen.wikipedia.org%2Fwiki%2FMancos%2C_Colorado&wb_lp=ENJA&wb_dis=2

「ロッキー山脈紀行」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/064a27cd1126b83457a8285761c4b318
「ロッキー山脈紀行」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b535b3b13ba69cc469306a457e477c72

[編集後記]

2010年9月18日(土)

 第99回鎌っこ倉ぶ例会に出席.参加者18名.鎌倉駅から歩き出して,大巧寺,蛇苦止稲荷,妙本寺,ぼた餅寺,別願寺,上行寺,安養院,安国論寺,長勝寺,由比の若宮,辻ノ薬師堂,本願寺をぐるり一回り.
 この記事もブログに早く載せたいが手が回らない.

2010年9月19日(日)

 山旅スクール第5期鎌倉トレッキング会定例会.
 北鎌倉駅に集合.足任せ,行き当たりばったりのルートででたらめ歩き.
 結局,北鎌倉,台峰緑地,源氏山公園(昼食),銭洗弁天,佐助稲荷,裏大仏ハイキングコース,馬馬ヶ谷,稲村ヶ崎小学校,極楽寺,御霊神社,長谷観音前,吉屋信子邸,由比ヶ浜住宅地,鎌倉図書館前,裁許橋,鎌倉駅とロングコースを歩く.
 この記事もブログに載せたいが何時になることやら・・

 鎌倉も漸く涼しい日が続くようになってきた.暫くの間,姿を見せなかった隣の三毛ネコが定位置の軒下で昼寝をするようになった.
 残暑厳しい毎日が終わろうとしている.嬉しくもあり,寂しくもある.


 10月初旬,山旅スクール5期の同窓生数名と1泊2日で浅間山へ出掛けることになった.男性不足も甚だしく,男性に限って5期以外の期の方にも声を掛けて良いと言うことになった.だれか参加する男性,居ないかな.
 女性が元気なので怖い.困ったな~ぁ・・・

                         (今回の「ぼやき」終わり)



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