<長尾城趾の畠>
新緑の鎌倉:大船地区社寺史跡巡り(4)
(トドさんチームと仙人)
2009年4月13日(月)(つづき)
※地図とプロフィールマップはこの記事(↓)参照
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/40175dfe0ca199c3fea5f2684e39d36b
(つづき)
<田谷の洞窟>
■見知らぬ女性
私達は関谷地蔵堂を見学した後,竹林の中につづく踏み跡のような小径を登って,13時20分,小雀浄水場の柵沿いの道路に突き当たる.この辺りは浄水場より,ほんの少し高い丘になっている.竹林に覆われた丘は,格好の休息所になっている.
僅かの距離だったが,登り坂が続いたので,同行者の1人が,疲れたので少々休憩を取りたいという.そこで,この丘で10分ほど休憩を取ることにする.竹の落ち葉が広がる地面に,直接腰を下ろして座り込む.枯葉が絨毯のように柔らかいので,座り心地はとても良い.
私達から少し離れた所にいる仙人が,通りすがりの女性と,何やら親しげに話を始める.さすがに仙人だけあって,随分と顔が広いな・・・こんな所にも知人が居るんだと感心する.
仙人が,この女性を私達に紹介する.最近,この近くに住み始めた方のようである.私達のように仲間と一緒に散策している方々が羨ましい.私は近所に知人も居ないので1人で散歩していると寂しそうである.
13時37分,私達は竹林の丘を出発する.先ほどの女性も私達と一緒に歩き出す.小雀浄水場の柵に沿って東の方向に進む.
やがて,道路は二股に分岐する.私達は,右側の道路を辿る.この道は緩やかに右にカーブしながら,下り坂になる.私は,歩きながら,仙人とこの女性に,不躾かなと思いながら,
「いつ頃からのお知り合いですか?」
と伺ってみる.すると,仙人は,
「いや・・今日始めてお会いしたんですよ・・・先ほど丘の上から下を眺めていたら,こちらの方が歩いていたんで挨拶したんです・・・」
と意外な返事をする.するとこの女性が,
「山の中を歩いている方に,悪い方は居ないと思ったので挨拶したんです・・」
と相槌を打つ.
私はビックリする.かねてから,仙人の社交性の良さには,ときどき感心させられてきたが,今回も驚きである.女性から,どうやったら散策の仲間ができるんですかというような質問がでる.それに対して,仙人がムニャムニャと返事をしている.
やがて警察犬学校の近くを通過する.以前,この辺りに動かないモノレールの軌道が残骸になって残っていたが,いつの間にか撤去されてなくなっている.だらだらと続く下り坂を降りきると,笠間十字路に通じる自動車道路に突き当たる.近くにバス停「西谷戸」がある.私達は,自動車道路を横断して,がっくり橋跡辺りから流下する小川沿いの道を歩くつもりである.
ここで,このご婦人とお別れする.仙人がこれからの連絡方法を話し合っているようである.
<小雀・田谷・長尾台地区の農業専用地区>
■ラドン温泉を目指して
私達は,ここから小川沿いの裏道を,ひたすら歩き続ける.
単調な道を歩き続けて,いい加減,イヤになり始めた頃,私達はバス停「田谷」のある大きな交差点に到着する.交通量の多い交差点である.この辺りは,もう横浜市内である.私は鎌倉市の住民.従って横浜のことは,余りよく分からないが,ここは戸塚区田谷町だと思う.
交差点を鋭角に曲がって,側溝沿いの2車線道路を北西方向に歩き続ける.やがて,前方にラドン温泉の昇り旗が見え始める.私は,
「あそこにラドン温泉と書いた昇り旗が見えるでしょう.あの一寸先が定泉寺ですよ・・」
と一同を勇気づける.定泉寺のことが分からない方が,
「ラドン温泉は入らなくて良いですよ・・・」
と妙なことを言い出す.どうやら田谷の洞窟とラドン温泉が,頭の中でこんがらかっているようである.
<定泉寺>
■田谷の洞窟
14時15分,ラドン温泉に到着する.温泉の建物の脇から,田谷山定泉寺の境内に入る.それほど大規模なお寺ではないが,大きな木々に囲まれた境内は静まりかえっている.少々高いなと思いながら,受付で,400円也の入山料を支払う.引き替えに,入場券とローソク1本を頂く.
ここは,鶴ヶ岡二十五坊の一つである相承院の弟子龍継阿闍梨が開山上人となり,1532年(天文元年)に創建されたお寺である(小林,1996.p.128).小林によれば,田谷の洞窟は,古代人の横穴式住居あるいは古墳の跡ともいわれていたが,鎌倉時代以降,鶴ヶ岡二十五坊との関係が深まり,真言密教の修行窟として,内部が逐次拡大されたという.洞窟の全長は,実測可能な部分だけでも540メートルに達するという.実際には1キロメートルにも及んでいるようである.
洞窟の入口で,頂戴したローソクをローソク立てに立てて,洞窟に入る.中に入って直ぐの所に種火が灯っているので,ここでローソクに火を点ける.そして,ローソク立ての火の明かりを頼りに,洞窟に入り込む.余り急いで歩くと,ローソクの火が消えてしまうので,どうしてもユックリと歩かなければならない.
洞窟の中には,十八羅漢,安達ヶ原の鬼女,高野山石童丸,七薬師,六地蔵,十二神将などの彫刻が壁ビッシリと彫り込まれている.どこをどう廻っているのか,ハッキリとは分からないまま,立て札が指し示す順路を辿る.参加者の内,2人は,今回初めて田谷の洞窟に入ったという.
残念ながら,洞窟内部は撮影禁止である.
25分ほどの間,洞窟の中を見学して,14時42分に洞窟から外へ出る.
暗い所に慣れた眼には,外がやけに明るく感じる.事務所脇の休憩所で,暫くの間,休憩を取る.
初めてここを訪れた2人に感想を聞いてみる.2人とも,入山料400円也の価値は十分あると感じたという.良かった.
<田谷の洞窟入口>
<田谷の洞窟の内部>
(引用)小林,1996,p.130
<長尾城趾>
■田圃の中の農道
14時52分,田谷の洞窟を出発する.私達は,今回の散策で最後の観光目的である長尾城趾を目指して,歩き始める.
まずは,定泉寺の前の自動車道路を横断する.そして,広い田畑の中を水路に沿って東南に進む.数百メートル進むと大きな森に突き当たる.ここを右折して,森沿いの道を辿ると,笠間十字路に抜ける自動車道に突き当たる.
自動車道を横断してから,歩道を笠間十字路方面に進む.なだらかな上り勾配の道は,やがてJR東海道本線,横須賀線などの上を通る大きな跨線橋になる.その手前から右折して,南側の山地へ昇る階段道に入る.階段道を登り切ると,再び長閑な畠が広がる台地になる.この台地一体が長尾城趾である.
長尾城趾の真ん中を真っ直ぐに延びる道路がある.その道路を少し進むと進行方向左手に直角に分岐する道路がある.この分岐路に沿って台地から岡本谷に沿って降りると,長尾台の住宅地を経て,大船駅に戻ることができる.
私達は,三叉路を直進する.そして次のY字形の分岐で左側の道を進む.やがて,この台地で一番高いところに到着する.ここからの眺望は素晴らしい.眼下に横浜の戸塚区,都筑区の住宅地が広がっている.
一番高い所には塚のような形をした小山がある.小山全体に雑木が繁茂している.その中に入り込むと「下病守護神」と書いた石碑がある.
<長尾城趾から横浜を眺める>
<長尾城趾山頂にある石碑>
■長尾城趾
この台地一帯が長尾城趾である.ここは,川中島の合戦で有名な上杉謙信,つまり長尾景虎の長尾氏発祥の城である.長尾氏は鎌倉権五郎景正の孫,景弘を祖とする相武平氏である.小林(1996,p.127)によると「景弘の長男為景と次男定景は,1180年(治承4年)8月,伊豆に挙兵した源頼朝を討つため従兄弟の当たる大場景親とともに石橋山に参戦した」.
源頼朝が再起すると長尾兄弟は窮地に立たされる.定景の子,景茂は1219年(宝治元年),三浦泰村に協力して北条時頼と合戦,長尾城は落城する.その後,小田原北条氏によって,玉縄城の出城として復活した.
一番高い場所から裏邸に廻ってみる.東側には平戸山山地が連なっている.その間に平場が巡らされていて,切岸のようなものも見えている.私は素人ながら,長尾城趾の構造には多少の興味を持っている.帰宅後,文献(鎌倉市歴史編纂委員会,1959,pp.233-237)を開いてみるが,どうも明確には分からない.
余談だが,当該文献によると,藤沢市にも二伝寺砦跡,高谷砦跡,おんべ山砦跡があるらしい.素人の私が訪れても,所詮は何も分からないだろうが,何れジックリと見物してみたいなと思っている.
<長尾城趾の見取り図>
(引用)鎌倉市史編纂委員会,1959,p.234
<大船駅へ>
■再び黙仙寺へ
ゆっくりしている内に,15時30分を廻っている.時間も押してきた.
私達は,先ほどの登り口の方へ戻る.道路の両側には畠が広がっている.やがて,先ほどのT字路まで戻る.ここから,岡本谷を下る.鬱蒼とした竹林の中の下り坂である.途中の石垣に長尾城の説明文が設置されている.
長尾台の閑静な住宅地に降りる.住宅地の中の山沿いの道を,10分ほど南へ進む.やがて,横浜市と鎌倉市の市境になっている尾根に突き当たる.突き当たった山の斜面を,排水溝に沿って上っていくと,ジグザグの踏み跡が続く.ここを登り切ると鎌倉市玉縄2丁目の尾根に出る.この尾根を東南に辿って,岡本1丁目の住宅地に入る.閑静な住宅地である.この住宅地を抜けて,朝,通り抜けた黙仙寺本堂前に出る.
黙仙寺の石段を下る.そして,16時05分,大船駅西口に到着する.
■スカイラークで一休み
まだ,時間が早い.
そこで,駅前のスカイラークに入り込む.私はとリンクバー.3XX円でお値打ちである.オレンジジュース,カルピス,ホットコーヒーで元を取る.
今日は,長い時間を掛けて,大船北部地区の社寺史跡をぐるぐると廻った.私としては,結構変化に富んだ素晴らしいコースだと思っている.それにもかかわらず,このコースを歩いている間に,ほとんど観光客に会わずじまいである.こんなに素晴らしい所があるのに,ほとんど知られていないのは,実に「勿体ないな」とつくづく思う.
[ラップタイム]
10:07 大船駅歩き出し
10:15 黙仙寺本堂
10:35 谷戸の池(10:38まで休憩)
10:40 子育地蔵
10:52 岡本神社(10;55まで参拝)
11:17 後北条三代墓
11:26 龍宝寺(11:35まで参拝見学)
11:42 諏訪神社(12:18まで昼食)
12:33 七曲がり
12:35 玉縄城址
12:56 関谷地蔵堂(13:00まで参拝)
13:20 小雀浄水場脇の台地(13:37まで休憩)
14:15 定泉寺(田谷の洞窟)(14:52まで参拝見学)
15:17 長尾城趾(15:30まで見学)
15:53 黙仙寺
16:05 大船駅 着
[散策記録]
■水平歩行距離 9.6km
■累積登攀下降高度 370m
■所要時間
大船駅発 10:07
〃 着 16:05
(所要時間) 5時間58分(6.0h)
水平歩行速度 9.6km/6.0h=1.6km/h
(おわり)
[参考文献]
鎌倉市教育研究所2000『かまくら子ども風土記(中巻)』鎌倉市教育委員会
鎌倉市歴史編纂委員会,1959『鎌倉市史考古編』吉川弘文館
小林伸男,1996『神奈川ぶらりいウォーキング』神奈川図書
「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/2f86818a26b214df202cfacc7cc54827
「鎌倉あれこれ」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/e15f6b0786e8b5775343bcea225f201c
新緑の鎌倉:大船地区社寺史跡巡り(4)
(トドさんチームと仙人)
2009年4月13日(月)(つづき)
※地図とプロフィールマップはこの記事(↓)参照
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/40175dfe0ca199c3fea5f2684e39d36b
(つづき)
<田谷の洞窟>
■見知らぬ女性
私達は関谷地蔵堂を見学した後,竹林の中につづく踏み跡のような小径を登って,13時20分,小雀浄水場の柵沿いの道路に突き当たる.この辺りは浄水場より,ほんの少し高い丘になっている.竹林に覆われた丘は,格好の休息所になっている.
僅かの距離だったが,登り坂が続いたので,同行者の1人が,疲れたので少々休憩を取りたいという.そこで,この丘で10分ほど休憩を取ることにする.竹の落ち葉が広がる地面に,直接腰を下ろして座り込む.枯葉が絨毯のように柔らかいので,座り心地はとても良い.
私達から少し離れた所にいる仙人が,通りすがりの女性と,何やら親しげに話を始める.さすがに仙人だけあって,随分と顔が広いな・・・こんな所にも知人が居るんだと感心する.
仙人が,この女性を私達に紹介する.最近,この近くに住み始めた方のようである.私達のように仲間と一緒に散策している方々が羨ましい.私は近所に知人も居ないので1人で散歩していると寂しそうである.
13時37分,私達は竹林の丘を出発する.先ほどの女性も私達と一緒に歩き出す.小雀浄水場の柵に沿って東の方向に進む.
やがて,道路は二股に分岐する.私達は,右側の道路を辿る.この道は緩やかに右にカーブしながら,下り坂になる.私は,歩きながら,仙人とこの女性に,不躾かなと思いながら,
「いつ頃からのお知り合いですか?」
と伺ってみる.すると,仙人は,
「いや・・今日始めてお会いしたんですよ・・・先ほど丘の上から下を眺めていたら,こちらの方が歩いていたんで挨拶したんです・・・」
と意外な返事をする.するとこの女性が,
「山の中を歩いている方に,悪い方は居ないと思ったので挨拶したんです・・」
と相槌を打つ.
私はビックリする.かねてから,仙人の社交性の良さには,ときどき感心させられてきたが,今回も驚きである.女性から,どうやったら散策の仲間ができるんですかというような質問がでる.それに対して,仙人がムニャムニャと返事をしている.
やがて警察犬学校の近くを通過する.以前,この辺りに動かないモノレールの軌道が残骸になって残っていたが,いつの間にか撤去されてなくなっている.だらだらと続く下り坂を降りきると,笠間十字路に通じる自動車道路に突き当たる.近くにバス停「西谷戸」がある.私達は,自動車道路を横断して,がっくり橋跡辺りから流下する小川沿いの道を歩くつもりである.
ここで,このご婦人とお別れする.仙人がこれからの連絡方法を話し合っているようである.
<小雀・田谷・長尾台地区の農業専用地区>
■ラドン温泉を目指して
私達は,ここから小川沿いの裏道を,ひたすら歩き続ける.
単調な道を歩き続けて,いい加減,イヤになり始めた頃,私達はバス停「田谷」のある大きな交差点に到着する.交通量の多い交差点である.この辺りは,もう横浜市内である.私は鎌倉市の住民.従って横浜のことは,余りよく分からないが,ここは戸塚区田谷町だと思う.
交差点を鋭角に曲がって,側溝沿いの2車線道路を北西方向に歩き続ける.やがて,前方にラドン温泉の昇り旗が見え始める.私は,
「あそこにラドン温泉と書いた昇り旗が見えるでしょう.あの一寸先が定泉寺ですよ・・」
と一同を勇気づける.定泉寺のことが分からない方が,
「ラドン温泉は入らなくて良いですよ・・・」
と妙なことを言い出す.どうやら田谷の洞窟とラドン温泉が,頭の中でこんがらかっているようである.
<定泉寺>
■田谷の洞窟
14時15分,ラドン温泉に到着する.温泉の建物の脇から,田谷山定泉寺の境内に入る.それほど大規模なお寺ではないが,大きな木々に囲まれた境内は静まりかえっている.少々高いなと思いながら,受付で,400円也の入山料を支払う.引き替えに,入場券とローソク1本を頂く.
ここは,鶴ヶ岡二十五坊の一つである相承院の弟子龍継阿闍梨が開山上人となり,1532年(天文元年)に創建されたお寺である(小林,1996.p.128).小林によれば,田谷の洞窟は,古代人の横穴式住居あるいは古墳の跡ともいわれていたが,鎌倉時代以降,鶴ヶ岡二十五坊との関係が深まり,真言密教の修行窟として,内部が逐次拡大されたという.洞窟の全長は,実測可能な部分だけでも540メートルに達するという.実際には1キロメートルにも及んでいるようである.
洞窟の入口で,頂戴したローソクをローソク立てに立てて,洞窟に入る.中に入って直ぐの所に種火が灯っているので,ここでローソクに火を点ける.そして,ローソク立ての火の明かりを頼りに,洞窟に入り込む.余り急いで歩くと,ローソクの火が消えてしまうので,どうしてもユックリと歩かなければならない.
洞窟の中には,十八羅漢,安達ヶ原の鬼女,高野山石童丸,七薬師,六地蔵,十二神将などの彫刻が壁ビッシリと彫り込まれている.どこをどう廻っているのか,ハッキリとは分からないまま,立て札が指し示す順路を辿る.参加者の内,2人は,今回初めて田谷の洞窟に入ったという.
残念ながら,洞窟内部は撮影禁止である.
25分ほどの間,洞窟の中を見学して,14時42分に洞窟から外へ出る.
暗い所に慣れた眼には,外がやけに明るく感じる.事務所脇の休憩所で,暫くの間,休憩を取る.
初めてここを訪れた2人に感想を聞いてみる.2人とも,入山料400円也の価値は十分あると感じたという.良かった.
<田谷の洞窟入口>
<田谷の洞窟の内部>
(引用)小林,1996,p.130
<長尾城趾>
■田圃の中の農道
14時52分,田谷の洞窟を出発する.私達は,今回の散策で最後の観光目的である長尾城趾を目指して,歩き始める.
まずは,定泉寺の前の自動車道路を横断する.そして,広い田畑の中を水路に沿って東南に進む.数百メートル進むと大きな森に突き当たる.ここを右折して,森沿いの道を辿ると,笠間十字路に抜ける自動車道に突き当たる.
自動車道を横断してから,歩道を笠間十字路方面に進む.なだらかな上り勾配の道は,やがてJR東海道本線,横須賀線などの上を通る大きな跨線橋になる.その手前から右折して,南側の山地へ昇る階段道に入る.階段道を登り切ると,再び長閑な畠が広がる台地になる.この台地一体が長尾城趾である.
長尾城趾の真ん中を真っ直ぐに延びる道路がある.その道路を少し進むと進行方向左手に直角に分岐する道路がある.この分岐路に沿って台地から岡本谷に沿って降りると,長尾台の住宅地を経て,大船駅に戻ることができる.
私達は,三叉路を直進する.そして次のY字形の分岐で左側の道を進む.やがて,この台地で一番高いところに到着する.ここからの眺望は素晴らしい.眼下に横浜の戸塚区,都筑区の住宅地が広がっている.
一番高い所には塚のような形をした小山がある.小山全体に雑木が繁茂している.その中に入り込むと「下病守護神」と書いた石碑がある.
<長尾城趾から横浜を眺める>
<長尾城趾山頂にある石碑>
■長尾城趾
この台地一帯が長尾城趾である.ここは,川中島の合戦で有名な上杉謙信,つまり長尾景虎の長尾氏発祥の城である.長尾氏は鎌倉権五郎景正の孫,景弘を祖とする相武平氏である.小林(1996,p.127)によると「景弘の長男為景と次男定景は,1180年(治承4年)8月,伊豆に挙兵した源頼朝を討つため従兄弟の当たる大場景親とともに石橋山に参戦した」.
源頼朝が再起すると長尾兄弟は窮地に立たされる.定景の子,景茂は1219年(宝治元年),三浦泰村に協力して北条時頼と合戦,長尾城は落城する.その後,小田原北条氏によって,玉縄城の出城として復活した.
一番高い場所から裏邸に廻ってみる.東側には平戸山山地が連なっている.その間に平場が巡らされていて,切岸のようなものも見えている.私は素人ながら,長尾城趾の構造には多少の興味を持っている.帰宅後,文献(鎌倉市歴史編纂委員会,1959,pp.233-237)を開いてみるが,どうも明確には分からない.
余談だが,当該文献によると,藤沢市にも二伝寺砦跡,高谷砦跡,おんべ山砦跡があるらしい.素人の私が訪れても,所詮は何も分からないだろうが,何れジックリと見物してみたいなと思っている.
<長尾城趾の見取り図>
(引用)鎌倉市史編纂委員会,1959,p.234
<大船駅へ>
■再び黙仙寺へ
ゆっくりしている内に,15時30分を廻っている.時間も押してきた.
私達は,先ほどの登り口の方へ戻る.道路の両側には畠が広がっている.やがて,先ほどのT字路まで戻る.ここから,岡本谷を下る.鬱蒼とした竹林の中の下り坂である.途中の石垣に長尾城の説明文が設置されている.
長尾台の閑静な住宅地に降りる.住宅地の中の山沿いの道を,10分ほど南へ進む.やがて,横浜市と鎌倉市の市境になっている尾根に突き当たる.突き当たった山の斜面を,排水溝に沿って上っていくと,ジグザグの踏み跡が続く.ここを登り切ると鎌倉市玉縄2丁目の尾根に出る.この尾根を東南に辿って,岡本1丁目の住宅地に入る.閑静な住宅地である.この住宅地を抜けて,朝,通り抜けた黙仙寺本堂前に出る.
黙仙寺の石段を下る.そして,16時05分,大船駅西口に到着する.
■スカイラークで一休み
まだ,時間が早い.
そこで,駅前のスカイラークに入り込む.私はとリンクバー.3XX円でお値打ちである.オレンジジュース,カルピス,ホットコーヒーで元を取る.
今日は,長い時間を掛けて,大船北部地区の社寺史跡をぐるぐると廻った.私としては,結構変化に富んだ素晴らしいコースだと思っている.それにもかかわらず,このコースを歩いている間に,ほとんど観光客に会わずじまいである.こんなに素晴らしい所があるのに,ほとんど知られていないのは,実に「勿体ないな」とつくづく思う.
[ラップタイム]
10:07 大船駅歩き出し
10:15 黙仙寺本堂
10:35 谷戸の池(10:38まで休憩)
10:40 子育地蔵
10:52 岡本神社(10;55まで参拝)
11:17 後北条三代墓
11:26 龍宝寺(11:35まで参拝見学)
11:42 諏訪神社(12:18まで昼食)
12:33 七曲がり
12:35 玉縄城址
12:56 関谷地蔵堂(13:00まで参拝)
13:20 小雀浄水場脇の台地(13:37まで休憩)
14:15 定泉寺(田谷の洞窟)(14:52まで参拝見学)
15:17 長尾城趾(15:30まで見学)
15:53 黙仙寺
16:05 大船駅 着
[散策記録]
■水平歩行距離 9.6km
■累積登攀下降高度 370m
■所要時間
大船駅発 10:07
〃 着 16:05
(所要時間) 5時間58分(6.0h)
水平歩行速度 9.6km/6.0h=1.6km/h
(おわり)
[参考文献]
鎌倉市教育研究所2000『かまくら子ども風土記(中巻)』鎌倉市教育委員会
鎌倉市歴史編纂委員会,1959『鎌倉市史考古編』吉川弘文館
小林伸男,1996『神奈川ぶらりいウォーキング』神奈川図書
「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/2f86818a26b214df202cfacc7cc54827
「鎌倉あれこれ」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/e15f6b0786e8b5775343bcea225f201c