鎌倉散策:春の百八ヤグラと番場ヶ谷探訪
(山旅スクール第5・6期生希望者)
2007年4月4日(水) 晴後雨
■北鎌倉駅から歩き出し
前日の天気予報では,今日の午前中は曇,午後から雨であった。ところが,今朝は朝から晴。眩しい日光が降り注いでいる。今日の鎌倉散策参加者は山旅スクール第5・6期生希望者7名である(女性6名,アルカリ性1名)。
9時30分,北鎌倉駅から歩き出す。まずは,北鎌倉駅から建長寺方面へ向かう。お馴染みのネコ,「プリンちゃん」「ゴハンちゃん」が居る店はお休みで,ネコには会えない。大変残念。
■勝上嶽から十王岩へ
裏道を通り抜けて,名月院通りに出る。名月谷の途中から右折して急坂から山道に入る。名月院の裏山を越えて,長い石段を下ると,今泉台住宅地からの登山道入口と合流する。この辺りから,六国見山が良く見える。
<途中から六国見山が良く見える>
尾根を辿って,10時13分に勝上嶽に到着する。ここからの眺望を楽しむために,5分ほど休憩を取る。次いでこのルートでは有名な十王岩に向かう。ここは「かながわ景勝50選」の一つとして有名な場所である。
大方の方がご存じだろうと思うが,ここから若宮大路を見下ろすと,段葛が海に向かって登り坂になっているように見える。もちろんこれは錯覚で,本当は,ほぼ水平に近い道路である。なぜ,このような錯覚が起きるのだろうか。その理由は,段葛の幅が,八幡宮側の方が,入口である海側の半分程度しかないためである。このことを同行者に話すと,一同,
「ほぅ~・・・そうでしたか。段葛の道幅がだんだん細くなっているなんて知らなかった・・」
とビックリする。
■朱ダルキやぐら群と覚園寺四国八十八箇所巡り
十王岩のすぐ近くの崖下に有名な「朱だるきヤグラ」がある。文献によるとこの辺りには50穴ほどのヤグラが点在していて,これらを朱だるきヤグラ群と呼んでいるようである。
天園ハイキングコースを寄り道しながら先へ進む。そして,11時05分に鷲峰山(しゅうぶぜん)山頂にある四国大窪寺の薬師如来像を参拝する。
<四国大窪寺如来像>
この如来像の下にヤグラが1穴ある。その中には首が欠けた仏像が何体か並んでいる。良く見ると,八十七番札所だけが欠落している。実はこの欠落している八十七番札所は,ここから20~30メートルほど急な崖を下ったところにあるヤグラの中に安置されている。なぜ,八十七番札所だけが,離れたところにあるのか,素人の私には見当も付かない。
辺りを良く見回すと,とても不思議なものがある。この如来像が安置されている山の岩肌に「秀」と読める漢字が1字刻まれているのが,ハイキングコースから良く見える。この字は一体何なんだろう。いつ頃,誰が何のために掘ったものだろうか。それとも誰かのイタズラなのだろうか?
■百八ヤグラ群
さらに先へ進む。一寸した岩場を下って,11時12分に散在が池と覚園寺へ向かう道との交差点に到着する。ここは夏場になると,涼しい風が何時も吹いていて,とても気持ちの良いところである。この辺り一帯には,177穴が集まっている有名な百八ヤグラ群がある。このような場所に立ち入るのは差し控えなければいけないが,一般の案内書にも公開されている第2層を,手を触れないように注意しながら,少しばかり見学させて頂く。ハイキングコースの直ぐ下に,このように大規模なヤグラ群があるのは脅威である。
<百八ヤグラ群>
このやぐら群の第2層中心に,ヤグラの中に仏像が安置されている。仏像の台座には四国霊場の何番目の寺かが彫り込まれているはずだが,風化が激しくて殆ど読みとれない。
■鷲峰山と豊島屋
この第2層の上に第1層のヤグラ群があり,さらにその山頂には,立派な石基が安置されている。ここも鷲峰山と呼ぶようである。この石基は四国八十八霊場巡りの完成記念に造られたもののようである。明治35年に造られたことが分かる。
台座には寄進者の名前が刻まれている。その中に豊島屋支店の名前がある。あの「鳩サブレ」で有名な豊島屋のことかと思うが,どうもハッキリしない。私の山仲間の一人が,若宮大路にある豊島屋の店員に,このことを問い合わせたが「知らない」という返事だったようである。
■峠の茶屋
12時20分に峠の茶屋に到着する。
私はこの茶屋の常連である。茶屋の女将に,
「今日は,女性ばかりを案内してきました・・・」
と挨拶する。
茶屋には,超常連のAさん(俗称あんチャン)が来ている。あんチャンは,私と同年代である。この方は,私以上に,無類の山好きで,いろいろな山を良く知っている。
「・・・この頃,仙人に会わないけれども,元気にして居るんでしょうね・・・」
と私に聞く。仙人は,湘南カラビナ隊のメンバーでもある。
「彼は,暫く落ち込んでいたようですが,つい先日,私と一緒に熊野古道へ行って来ましたよ・・・大分元気になって,ドンドン歩いていました・・・」
と近況報告をする。ついでに,
「・・・あんチャン,今度,また仙人と一緒に近場の山へ行きましょう・・」
とお誘いする。あんチャンは,
「・・・ンで,今日は何処へ行くの・・・」
と私に質問する。
「これから番場ヶ谷下りをして,瑞泉寺に出ようと思ってます・・・」
「そう,気を付けて・・・」
■番場ヶ谷と夫婦坂
峠の茶屋で昼食を済ませた私達は,12時53分に峠の茶屋を出発する。
茶屋近くの展望台に立ち寄るが,春霞が立ち込めていて富士山は全く見えない。眼下に広がる鎌倉の山々は,咲き始めた山桜の淡い桃色と新緑で,ほんわかとした雰囲気に包まれている。横浜市民の森の方に少し進む。番場ヶ谷へ下るところで,高年齢の男性が,私達が近付くのを見詰めている。アルカリ性の私が,6人もの女性を引き連れているので,何か一言言いたそうである。私にしてみれば,何も好き好んで女性ばかりを引き連れているわけではない。さっさと無視をして,谷を下り始める。
この谷を下るたびに,私は心が洗われたような気分になる。初めてこの谷を訪れたのは,もう10数年前になるが,当時は踏み跡すら不明瞭な深山幽谷の雰囲気があったが,最近は案内書にも紹介されはじめたこともあって,随分と歩きやすくなった。最も,数十年前までは,この谷で盛んに炭焼きが行われていたらしい。焼き上げた炭を夫婦で運び上げた坂道が,今でも残っていて,俗に夫婦坂と呼ばれている。
■隠れた紅葉の名所
川の上流付近では,川を伝って下るが,中流付近になると,両岸を行ったり来たりする踏み跡が現れる。谷の両側は断崖になっていて,途中から何本もの支流が流れ込む。この辺りは隠れた紅葉の名所である。秋,12月中旬になると,紅葉のトンネルになる場所もある。下流近くになると,小さな池に出る。この池から支流を遡ると,一寸怖い1本橋を渡って,有名なお塔の窪ヤグラを見学することができる。さらに急坂を登ると,天園ハイキングコースの貝吹地蔵付近に出られる。
<番場ヶ谷を下る>
参加者一同,1本橋を渡るのが怖いというので,そのまま川に沿って下り続ける。そして,泥だらけの平地を抜けて,ボーイスカウトが良く利用している空き地に出る。この空き地の片隅には国庫掲揚台が設置されている。
■再び天園ハイキングコースへ出る
すぐに十二所住宅地に出る。住宅地内は静かに歩こうと注意を促す。私自身,鎌倉中央公園付近に住んでいるが,無遠慮な観光客に家の中を覗き込まれたり,ワイワイ騒いだりしながら歩く方々が多いのに困惑している。そんなところに住んでいる方が悪いと言われればそれまでだが・・・
途中から,再び山道に入り,15分ほど谷間を登って,ふたたび天園ハイキングコースに出る。瑞泉寺方面に少し進んだところで明王院方面へ逝くか,それとも瑞泉寺方面へ出るか迷うが,今日の所は,瑞泉寺方面に進むことにする。また少し進んだところで,瑞泉寺へ出るか,それとも直進して浄明寺住宅地へでるか,またまた迷うが,結局,そのまま直進して,浄明寺住宅地を経て鎌倉宮へ出る。
■大倉山やぐら群と源頼朝墓
まだ時間があるので,鶴岡八幡宮への道の途中から東御門の谷に入る。そして大倉ヤグラ群を見学する。まず山麓にある三浦ヤグラ,つづいて長い石段の上にある大江広元,島津忠久らの墓を詣でる。そのままトラバース道を辿って,源頼朝の墓を詣でる。 この辺りまで来ると,沢山の観光客とすれ違う。雑踏の小町通を避けて歩きたいという希望が多いので,彼岸花で有名な鶴岡八幡宮脇の道を経由して,若宮幕府跡,大佛次郎邸,妙隆寺,宇都宮辻子稲荷を経由して鎌倉駅に向かう。
<妙隆寺にある丸山定夫の碑>
■鎌倉駅前の「モア」でお茶
16時20分,小町通入口の銅ビル2階にある喫茶店「モア」に立ち寄り雑談。16時40分,バスの時間の都合で,私は一足先に店を出る。いつの間にか,かなり強い雨が降り出している。
[ラップタイム]
9:30 北鎌倉駅歩き出し
↓
10:13 勝上嶽山頂展望台
↓
10:29 十王岩展望台
↓
11:12 百八ヤグラ
↓
12:20 峠の茶屋
12:53 (昼食)
↓ ※番場ヶ谷経由
13:55 十二所住宅地
↓ ※天園ハイキングコース経由
14:24 浄明寺住宅地
↓
14:48 鎌倉宮
↓
15:20 大倉やぐら群
↓
15:26 源頼朝墓
↓
16:20 鎌倉駅前
■累積登攀・下降高度 約200(m)
■水平歩行距離 約7(km)
■所要時間(休憩時間込み) 6時間45分(6.75h)
歩行速度 7(km)/6.45(h)=1.09(m/h)
(おわり)
(山旅スクール第5・6期生希望者)
2007年4月4日(水) 晴後雨
■北鎌倉駅から歩き出し
前日の天気予報では,今日の午前中は曇,午後から雨であった。ところが,今朝は朝から晴。眩しい日光が降り注いでいる。今日の鎌倉散策参加者は山旅スクール第5・6期生希望者7名である(女性6名,アルカリ性1名)。
9時30分,北鎌倉駅から歩き出す。まずは,北鎌倉駅から建長寺方面へ向かう。お馴染みのネコ,「プリンちゃん」「ゴハンちゃん」が居る店はお休みで,ネコには会えない。大変残念。
■勝上嶽から十王岩へ
裏道を通り抜けて,名月院通りに出る。名月谷の途中から右折して急坂から山道に入る。名月院の裏山を越えて,長い石段を下ると,今泉台住宅地からの登山道入口と合流する。この辺りから,六国見山が良く見える。
<途中から六国見山が良く見える>
尾根を辿って,10時13分に勝上嶽に到着する。ここからの眺望を楽しむために,5分ほど休憩を取る。次いでこのルートでは有名な十王岩に向かう。ここは「かながわ景勝50選」の一つとして有名な場所である。
大方の方がご存じだろうと思うが,ここから若宮大路を見下ろすと,段葛が海に向かって登り坂になっているように見える。もちろんこれは錯覚で,本当は,ほぼ水平に近い道路である。なぜ,このような錯覚が起きるのだろうか。その理由は,段葛の幅が,八幡宮側の方が,入口である海側の半分程度しかないためである。このことを同行者に話すと,一同,
「ほぅ~・・・そうでしたか。段葛の道幅がだんだん細くなっているなんて知らなかった・・」
とビックリする。
■朱ダルキやぐら群と覚園寺四国八十八箇所巡り
十王岩のすぐ近くの崖下に有名な「朱だるきヤグラ」がある。文献によるとこの辺りには50穴ほどのヤグラが点在していて,これらを朱だるきヤグラ群と呼んでいるようである。
天園ハイキングコースを寄り道しながら先へ進む。そして,11時05分に鷲峰山(しゅうぶぜん)山頂にある四国大窪寺の薬師如来像を参拝する。
<四国大窪寺如来像>
この如来像の下にヤグラが1穴ある。その中には首が欠けた仏像が何体か並んでいる。良く見ると,八十七番札所だけが欠落している。実はこの欠落している八十七番札所は,ここから20~30メートルほど急な崖を下ったところにあるヤグラの中に安置されている。なぜ,八十七番札所だけが,離れたところにあるのか,素人の私には見当も付かない。
辺りを良く見回すと,とても不思議なものがある。この如来像が安置されている山の岩肌に「秀」と読める漢字が1字刻まれているのが,ハイキングコースから良く見える。この字は一体何なんだろう。いつ頃,誰が何のために掘ったものだろうか。それとも誰かのイタズラなのだろうか?
■百八ヤグラ群
さらに先へ進む。一寸した岩場を下って,11時12分に散在が池と覚園寺へ向かう道との交差点に到着する。ここは夏場になると,涼しい風が何時も吹いていて,とても気持ちの良いところである。この辺り一帯には,177穴が集まっている有名な百八ヤグラ群がある。このような場所に立ち入るのは差し控えなければいけないが,一般の案内書にも公開されている第2層を,手を触れないように注意しながら,少しばかり見学させて頂く。ハイキングコースの直ぐ下に,このように大規模なヤグラ群があるのは脅威である。
<百八ヤグラ群>
このやぐら群の第2層中心に,ヤグラの中に仏像が安置されている。仏像の台座には四国霊場の何番目の寺かが彫り込まれているはずだが,風化が激しくて殆ど読みとれない。
■鷲峰山と豊島屋
この第2層の上に第1層のヤグラ群があり,さらにその山頂には,立派な石基が安置されている。ここも鷲峰山と呼ぶようである。この石基は四国八十八霊場巡りの完成記念に造られたもののようである。明治35年に造られたことが分かる。
台座には寄進者の名前が刻まれている。その中に豊島屋支店の名前がある。あの「鳩サブレ」で有名な豊島屋のことかと思うが,どうもハッキリしない。私の山仲間の一人が,若宮大路にある豊島屋の店員に,このことを問い合わせたが「知らない」という返事だったようである。
■峠の茶屋
12時20分に峠の茶屋に到着する。
私はこの茶屋の常連である。茶屋の女将に,
「今日は,女性ばかりを案内してきました・・・」
と挨拶する。
茶屋には,超常連のAさん(俗称あんチャン)が来ている。あんチャンは,私と同年代である。この方は,私以上に,無類の山好きで,いろいろな山を良く知っている。
「・・・この頃,仙人に会わないけれども,元気にして居るんでしょうね・・・」
と私に聞く。仙人は,湘南カラビナ隊のメンバーでもある。
「彼は,暫く落ち込んでいたようですが,つい先日,私と一緒に熊野古道へ行って来ましたよ・・・大分元気になって,ドンドン歩いていました・・・」
と近況報告をする。ついでに,
「・・・あんチャン,今度,また仙人と一緒に近場の山へ行きましょう・・」
とお誘いする。あんチャンは,
「・・・ンで,今日は何処へ行くの・・・」
と私に質問する。
「これから番場ヶ谷下りをして,瑞泉寺に出ようと思ってます・・・」
「そう,気を付けて・・・」
■番場ヶ谷と夫婦坂
峠の茶屋で昼食を済ませた私達は,12時53分に峠の茶屋を出発する。
茶屋近くの展望台に立ち寄るが,春霞が立ち込めていて富士山は全く見えない。眼下に広がる鎌倉の山々は,咲き始めた山桜の淡い桃色と新緑で,ほんわかとした雰囲気に包まれている。横浜市民の森の方に少し進む。番場ヶ谷へ下るところで,高年齢の男性が,私達が近付くのを見詰めている。アルカリ性の私が,6人もの女性を引き連れているので,何か一言言いたそうである。私にしてみれば,何も好き好んで女性ばかりを引き連れているわけではない。さっさと無視をして,谷を下り始める。
この谷を下るたびに,私は心が洗われたような気分になる。初めてこの谷を訪れたのは,もう10数年前になるが,当時は踏み跡すら不明瞭な深山幽谷の雰囲気があったが,最近は案内書にも紹介されはじめたこともあって,随分と歩きやすくなった。最も,数十年前までは,この谷で盛んに炭焼きが行われていたらしい。焼き上げた炭を夫婦で運び上げた坂道が,今でも残っていて,俗に夫婦坂と呼ばれている。
■隠れた紅葉の名所
川の上流付近では,川を伝って下るが,中流付近になると,両岸を行ったり来たりする踏み跡が現れる。谷の両側は断崖になっていて,途中から何本もの支流が流れ込む。この辺りは隠れた紅葉の名所である。秋,12月中旬になると,紅葉のトンネルになる場所もある。下流近くになると,小さな池に出る。この池から支流を遡ると,一寸怖い1本橋を渡って,有名なお塔の窪ヤグラを見学することができる。さらに急坂を登ると,天園ハイキングコースの貝吹地蔵付近に出られる。
<番場ヶ谷を下る>
参加者一同,1本橋を渡るのが怖いというので,そのまま川に沿って下り続ける。そして,泥だらけの平地を抜けて,ボーイスカウトが良く利用している空き地に出る。この空き地の片隅には国庫掲揚台が設置されている。
■再び天園ハイキングコースへ出る
すぐに十二所住宅地に出る。住宅地内は静かに歩こうと注意を促す。私自身,鎌倉中央公園付近に住んでいるが,無遠慮な観光客に家の中を覗き込まれたり,ワイワイ騒いだりしながら歩く方々が多いのに困惑している。そんなところに住んでいる方が悪いと言われればそれまでだが・・・
途中から,再び山道に入り,15分ほど谷間を登って,ふたたび天園ハイキングコースに出る。瑞泉寺方面に少し進んだところで明王院方面へ逝くか,それとも瑞泉寺方面へ出るか迷うが,今日の所は,瑞泉寺方面に進むことにする。また少し進んだところで,瑞泉寺へ出るか,それとも直進して浄明寺住宅地へでるか,またまた迷うが,結局,そのまま直進して,浄明寺住宅地を経て鎌倉宮へ出る。
■大倉山やぐら群と源頼朝墓
まだ時間があるので,鶴岡八幡宮への道の途中から東御門の谷に入る。そして大倉ヤグラ群を見学する。まず山麓にある三浦ヤグラ,つづいて長い石段の上にある大江広元,島津忠久らの墓を詣でる。そのままトラバース道を辿って,源頼朝の墓を詣でる。 この辺りまで来ると,沢山の観光客とすれ違う。雑踏の小町通を避けて歩きたいという希望が多いので,彼岸花で有名な鶴岡八幡宮脇の道を経由して,若宮幕府跡,大佛次郎邸,妙隆寺,宇都宮辻子稲荷を経由して鎌倉駅に向かう。
<妙隆寺にある丸山定夫の碑>
■鎌倉駅前の「モア」でお茶
16時20分,小町通入口の銅ビル2階にある喫茶店「モア」に立ち寄り雑談。16時40分,バスの時間の都合で,私は一足先に店を出る。いつの間にか,かなり強い雨が降り出している。
[ラップタイム]
9:30 北鎌倉駅歩き出し
↓
10:13 勝上嶽山頂展望台
↓
10:29 十王岩展望台
↓
11:12 百八ヤグラ
↓
12:20 峠の茶屋
12:53 (昼食)
↓ ※番場ヶ谷経由
13:55 十二所住宅地
↓ ※天園ハイキングコース経由
14:24 浄明寺住宅地
↓
14:48 鎌倉宮
↓
15:20 大倉やぐら群
↓
15:26 源頼朝墓
↓
16:20 鎌倉駅前
■累積登攀・下降高度 約200(m)
■水平歩行距離 約7(km)
■所要時間(休憩時間込み) 6時間45分(6.75h)
歩行速度 7(km)/6.45(h)=1.09(m/h)
(おわり)