<荏柄天神社の梅>
鎌倉:観梅ハイキング<十二所果樹園と金沢街道沿いの史跡巡り>
(東海道五十三次宿場巡り同窓会洛遊会(第2回例会)
2009年2月15日(月)
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2009年2月15日(月).晴.洛遊会第2回例会が開催された.
今回のテーマは,観梅,それに,鎌倉七口の一つ,朝比奈切通を見学することである.また,ルート沿いにある十二所神社,光触寺,大慈寺跡など古刹,神社,史跡もできるだけ尋ねることにする.
ルート設定に当たって,一般の市販書では触れていないひと味違ったコースを設定するのに腐心した.また,途中のコースに変化を持たせることにも留意した.
参加者は約20名.旅行会社を通さずに自主的に実施する集いにしては,参加者の人数がとても多い.
幸いなことに,お天気にはまあまあ恵まれた.この時期にしては,そう寒くもなく,終始快適なハイキングを実施することができた.
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<ハイキングマップ>
<プロフィールマップ>
■水平歩行距離 11.0km
■累積登攀・下降高度 400 m
<コース>
鎌倉駅→青梅聖天社→鶴岡八幡宮→荏柄天神社→大塔宮→護良親王墓→天園ハイキングコース→十二所神社→梶原大刀洗→三郎滝→朝比奈切通→熊野神社→十二所果樹園→日本海軍石碑→光触寺→大慈寺跡→明王院→浄妙寺→犬懸橋→田楽辻子→若宮大路→鎌倉駅==(横須賀線)==>大船駅
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■鎌倉駅から歩き出す
今日は鎌倉駅表口,10時集合である.自宅から鎌倉駅まで歩いて出るか,それともバスと電車を乗り継いで出るかで随分と迷う.でも,結局は,歩くのが面倒くさいので,バスで大船まで出てから横須賀線で鎌倉駅へ出ることにする.
大船駅9時26分発横須賀線電車に乗車,9時33分に鎌倉駅に到着する.すでに大半の参加者が集まっている.このグループの最大の長所は,何といっても時間厳守である.
平日とはいえ,今朝の鎌倉駅前は,観光客の姿が何時もよりも少なくて,何となく閑散とした感じである.
10時10分,予定通りに,鎌倉駅から歩き出す.
まずは,小町通を北上する.
■巨福呂坂切通と青梅聖天社
小町通も,まだ時間が早いせいか空いている.鎌倉十井の一つである「鉄の井(くろがねのい)」で鎌倉街道に出る.
昔,この井戸から,鉄製の観音像が掘り出された.このことから,「鉄の井」と言われるようになったという(小林,1994,p.54).
そのまま北上して左折し,巨福呂坂切通跡に入る.途端に閑静な住宅地になる.住宅地内ではなるべく静かに歩くように,同行者に訴えるが,なかなか徹底できないのが悩みである.
巨福呂坂は執権北条泰時が作ったといわれている(鎌倉商工会議所(監修),2007,p.55).現在の巨福呂坂は,明治になってから開かれたものである.
10時30分に青梅聖天社(歓喜天)に到着する.ここは夫婦和合の神様である.希望者には長い階段を登って参拝するように促す.その結果,大多数の方々は,参拝を済ませる.
石段脇には沢山の梅の木があるが,まだ花は疎らである.ただ,足許にある沢山の水仙は今が見頃である.
<梅の木の向こうの青梅聖天社の参道を登る>
■鶴岡八幡宮から荏柄天神社へ
巨福呂坂切通を引き返して,鶴岡八幡宮の境内に入る.本殿脇の石段を登って,本殿の前に出る.正面の階段から,沢山の参拝者が次から次へと登ってくる.
参拝を済ませて,本殿正面に向かって右側の脇の階段を下りる.
畠山忠久屋敷跡側の出口から外へ出る.横浜国立大学附属小学校前を通り抜けて,11時05分,西御門から荏柄天神前に到着する.
長い石段を登って,荏柄天神社を参拝する.沢山の観光客が参詣している.境内の紅梅が見事である.
ここは,鎌倉でも最も古い神社で,荏柄山天満宮とも言われた(鎌倉商工会議所(監修),2007,p.111).京都の北野天満宮,福岡の太宰府天満宮とともに,日本三大天神のひとつである.源頼朝は幕府の鬼門の守護神として荏柄天神社を崇敬したという.
<紅梅が綺麗な荏柄天神社>
■大塔宮から護良親王墓を詣でる
11時13分に荏柄天神社を出発する.宮前通を突き当たりまで進んで,11時24分に大塔宮に到着する.ここで,15分ほどトイレ休憩を取る.参加者が多いために,意外に手間取ってしまう.
11時40分,大塔宮を出発.途中から枝道に入って,理智光寺跡を巡る.希望者だけに護良親王墓を参拝して貰う.10名ほどの方々が,長い石段を登って参拝を済ませる.
護良親王は後醍醐天皇の子.鎌倉幕府倒幕のため,1333年,征夷大将軍になるが,足利尊氏と対立,鎌倉の東光寺に幽閉される.そして,足利尊氏の弟,直義に殺害される.理智光寺の住職によって埋葬.理智光寺は明治時代になって廃寺.その後に墓塔が建てられた(鎌倉商工会議所(監修),2007.p.44).
<大塔宮> <護良親王墓の長い階段>
■十二所神社の境内で昼食を摂る
二階堂の住宅地脇から,天園ハイキングコースに入る.やや急な登り坂を進んで,瑞泉寺口からの登山道と合流する.天園ハイキングコースの途中から右折して谷筋の道を下って,12時18分,十二所神社に到着する.
十二所神社の勧請年月は不明.ただ,この神社の前身は熊野社であろうといわれる(鎌倉市史編纂委員会,,1959,pp.1420143).
神社の境内で,やや遅い昼食を摂る.
<十二所神社>
<十二所神社で昼食>
■朝比奈切通
12時55分,十二所神社を出発する.
環状4号線の道路を渡って,旧道に入る.滑川の上流を遡る.やがて,舗装道路から砂利道になり,辺りは深山幽谷の趣を増してくる.梶原大刀洗水を通り過ぎて,三郎滝から朝比奈切通に入る.切通の雑木が整理され,岩に刻まれた沢山のヤグラがとても見やすくなっている.
梶原大刀洗水は,鎌倉五名水の一つ.梶原景時が上総介広常を討ち,その太刀を洗った場所だと言われている.ここから直ぐ近くに上総介広常の屋敷跡がある.上総介広常は平氏の一族で,石橋山の合戦で敗れた源頼朝が兵を募ったときに,最後まで参戦を渋った.このことが災いして,頼朝から疑念の目で見られ,頼朝の意を受けた梶原景時に討たれてしまった(小林,1996,pp.72-73).
<朝比奈切通付近のヤグラ群>
■熊野神社
鎌倉市と横浜市の市境の三叉路を右折して,熊野神社の参道に入る.辺りは鬱蒼とした杉林になる.
12時30分に熊野神社に到着する.参拝の後,7分ほど休憩を取る.
<熊野神社>
■十二所果樹園
熊野神社から,池子弾薬庫沿いの尾根道を辿る.深い森林に覆われた気持ちの良い散策路が続く.
14時02分,十二所果樹園に到着する.尾根道から果樹園を見下ろすと,一面梅の花である.その先に鎌倉霊園が見えている.
14時08分,果樹園の中にある展望台に到着する.ここで休憩.
展望台からは,東京湾を挟んで千葉の山々が見えている.反対側を見ると,鎌倉の市街地と相模湾が見渡せる.もし,霞が掛かっていなければ,ここから富士山がとても良く見えるはずだが,今日は残念ながら,富士山は雲の中である.
<十二所果樹園の梅>
■光触寺
14時18分に展望台を出発する.果樹園を抜けて,暫く尾根道を進む.途中から右折してヤブ道を下る.足許が滑りやすいので,山道になれていない方々には,苦労を掛けたが,14時44分,山麓にある岩蔵山光触寺に到着する.時宗.藤沢山清浄光寺(遊行寺)の末寺.開山は作阿,開基は一遍上人.1279年創建.
本堂前に塩嘗地蔵がある.
<光触寺付近にある歴史の遺構>
<光触寺境内にある塩嘗地蔵>
■大慈寺跡から田楽辻子へ
14時50分に光触寺を出発する.自動車の往来が激しい道はなるべく通りたくないので,イエズス会鎌倉修道院前から裏道に入る.そして,大慈寺跡を通過して五大堂明王院に到着する.途中で,暫くの間,バス通りを通るが,再び鎌倉公方屋敷跡から裏道に入る.閑静な住宅地が続く.
大慈寺は,源頼朝が,1212年,惣門などを創建.実朝の死後,1226年に大伽藍が作られた(小林,1996,pp.101-102).
杉本観音付近で,またバス通りに出る.犬懸橋を渡って,田楽辻子を西へ進む.本来ならば,釈迦堂切通,大町を経由して,鎌倉駅に戻りたかったが,懇親会場の予約時間の関係で,残念ながら割愛.そのまま枝れ道から若宮大路を経由して,15時55分,鎌倉駅に戻る.
懇親会の時間に制約されて,肝心の釈迦堂切通が見学できなかったのは,慚愧に耐えないが,やむを得ない.
■大船駅構内「はーべすと」で懇親会
横須賀線で,大船へ出る.大船駅構内の「はーべすと」で懇親会を開催する.一同,大変,盛り上がる.
17時40分にお開き.
<ハーベストのバイキング>
[ラップタイム]
10:10 鎌倉駅歩き出し
10:30 青梅聖天社
11:05 絵柄天神(11:13まで参拝)
11:24 大塔宮(11:34までトイレ休憩)
11:36 護良親王墓所(11:45まで参拝)
12:18 十二所神社(12:37まで昼食)
13:25 熊野神社(13:40まで休憩)
14:02 十二所果樹園
14:08 展望台(14:18まで休憩)
14:44 光触寺(14:50まで参拝)
15:00 明王院
15:55 鎌倉駅着
[ハイキング記録]
■水平歩行距離 11.0km
■累積登攀高度 400m
■所要時間(休憩時間を含む)
鎌倉駅発 10:10
鎌倉駅着 15:55
(所要時間) 5時間45分(5.75h)
■水平歩行速度
11.0km/5.75h=1.91km/h
(おわり)
[参考文献]
鎌倉商工会議所(監修),2007『鎌倉観光文化検定公式テキストブック』かまくら春秋社
鎌倉市史編纂委員会,1959『鎌倉市史社寺編』吉川弘文館
小林伸男,1996『神奈川ぶらりいウオーキング鎌倉・江ノ島・藤沢編』神奈川図書
[加除修正]
2009/2/23 転換ミス訂正
「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/8c656e127edd7105a7b1f7b2d8c5f056
「鎌倉あれこれ」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/05b1f2b1106f598e4f9fd2951b1defed
「洛遊会」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/3b0190668f0ae17db436f773d5a2b2ae
「洛遊会」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/281d948ce66f5689141d11fdcfedb92f
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