中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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ビバ小諸:浅間山登頂記(1)

2006年10月09日 21時32分57秒 | 関東・伊豆箱根・上信越

       ビバ小諸:浅間山登頂記(1)
          (小諸グループ)
      2006年10月7日(土)~8日(日)

■まえがき
 小諸は広大な浅間山麓の千曲川近くに開けた城下町である。この街で生まれ育った私ことflower-hillは,小学校時代から,何回となく浅間山へ登っている。浅間山は,小諸に育った私達にとっては,信仰の山,特別の山なのである。地元の高校を卒業するまでは,毎年,何回となく浅間山へ登っていたが,大学生になってから今日まで,生まれ育った小諸には帰ることなく,今は鎌倉に住んでいる。
 しかし,望郷の念は耐え難く,今でも時折は浅間山を訪れ続けている。特に,毎年,体育の日前後には,小諸在住の弟(仮名をmegとしておこう),および弟の飲み仲間数名と一緒に,何をさしおいても,必ず浅間山を訪れることにしている。
 今年も待ちに待った浅間山登頂の日が近付いた。
 長い間,活躍期にあった浅間山も,ようやくレベル1になるまでに落ち着いてきた。そこで,今年こそ浅間山山頂のすぐ南に聳えている前掛山まで合法的に登れるのである。こんなに嬉しいことはない。これまで長い間,浅間山の活動が活発で,漸く数年前にレベル2に下がったばかりであった。そんなわけで,前回,浅間山山頂まで登ってから,もう何年も経っている。それだけに,今回の浅間山には,大変な期待感を持っている。

■「しなの鉄道」軽井沢から小諸駅へ

 今回の登頂日は,10月8日(日)と決まった。前日,10月7日(土)の夕方までに,小諸在住の弟の家に入り,翌朝早く浅間山に向かうことになっている。
 山行の数日前に赤道付近で発生した二つの大きな低気圧が,最初は西北西に進んでいたが,途中から方向を変えて,本州南岸を東北東に上ってきた。そして,10月7日は房総沖を通過し,本州南に停滞している秋雨前線を刺激した。そのために,天気予報が発表ごとにクルクルと変わる。小諸に行く日が近付くに連れて,登山予定日が果たして晴なのか雨なのかが,ハッキリと見通せなくなる。浅間山登山を心待ちにしている私は,ヤキモキしながら天候の回復を待っていた。
 いよいよ小諸へ 小諸への出発の前日,2006年10月6日(金),朝からもの凄い雨が降り続く。運動不足になるのを気にしながらも,殆ど外に出ずに,終日,家の中でグダグダと過ごす。それでも,夜,ギリギリになって,山行の準備を始める。もう年だから,余り沢山の荷物は持っていきたくない。そこで,地形図,磁石,雨具一式,防寒具,8mmφロープ5m,120cmスリング,カラビナ3枚(安全環付1枚),非常食など最低限の荷物をリュックに収める。それでも,こんなリュックを背負って列車に乗るのは少々億劫な感じがする。
 昨日(10月6日)は,終日激しい雨が降り続いていた。その影響で,今日になっても,千葉方面の列車に大分遅れが出ているようである。体育の日を挟んで,今日から三連休である。何時も人出が多い大船駅だが,今日は特に沢山の乗客で混雑している。
 前回,小諸に行ったときのように,湘南新宿ラインで高崎まで行き,信越線,関東バスを乗り継いで軽井沢まで出るか,それとも新幹線を利用するか随分と迷うが,今回は何となく新幹線を利用することにした。ガンジガラメの旅はしたくないので,新幹線は気楽な自由席にする。そして,大船発11時20分の横須賀線に乗車し,12時06分に東京駅に到着する。
 サラリーマン時代の一時期,丸の内にある会社に通うために,毎日,東京駅を利用していた。そんな懐かしさもあって,暫くの間,東京駅構内をウロウロと歩き回ってから,新幹線のホームに向かう。今日は三連休の初日のためか,ホームは乗客で溢れかえっている。案の定,自由席は座れない。急ぐ旅ではないので,次の列車を待つ。乗車待ちの列に並び,ボンヤリと何も考えずに時が経つのを待つ。色々な音が聞こえてくる。目の前の東海道本線のホームから電車が発車する。そして,すぐに次の列車がホームに入ってくる。その度に,マイクが何事かをうるさく放送している。私は,ボンヤリしながら,こんな雰囲気に浸って,列車を待つのが好きである。
 東京発12時40分長野行あさま571号の1号車に乗車する。前の列車に比較すると,ヤケに空いている。私は進行方向左側の窓際の席に座る。上野,大宮で乗客が増えて,ほぼ満席になる。列車は関東平野を北上する。昨日までの豪雨で貯まった水がまだ引いていないためか,ところどころで,水田や道路が水浸しになっている。川の名前は分からないが,利根川の支流は黄色の濁流で溢れそうになっている。

            <軽井沢駅前>
 13時49分,軽井沢に到着する。折角の軽井沢なので,暫くの間,駅前を散歩する。お土産屋を数軒,覗いてみる。昔々,大学生の頃,友人と一緒に乗った草軽電鉄のことを急に思い出す。あの頃の軽井沢は,人気が少なくて,駅前や,旧軽井沢の三叉路には,数軒の家しかなく,寂しいところだった・・・そんな思い出に耽りながら駅に戻る。
 しなの鉄道軽井沢発14時40分小諸行に乗車する。乗客はマバラである。ガラ~ンとした車内。三連休の今日,こんなに乗客が少ないのでは,しなの鉄道の経営も楽ではないなと,余計な心配をする。車窓から,明日登る浅間山が良く見える。だが,山頂付近は重苦しい色をした雲で被われていて,全く見えない。
 15時03分,小諸駅に到着する。
 小諸駅は木造でボロボロである。この駅は,私が上田にある中学(あるいは高校)に汽車通をしていた頃,建て替えられたものである。従って,かれこれ50年も使っている駅舎である。この駅舎を見る度に懐かしさを感じる一方で,随分と古くなったなと感一入である。 まだ,日は高い。私は懐かしい懐古園を一回りすることにした。
                        (つづく)



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2 コメント

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小諸の思いで (ふうちゃん)
2006-10-14 15:10:51
学生時代、小諸の学生村に何回か行きました。

特に、思い出に残っているのは、後平にあったOさんのところです。

夏の高校野球決勝。三沢対松山商業の延長、再試合を

すべて、0さんのところのテレビで見た記憶があります。クーラーボックスに入っているアイスクリームは

食べ放題でした。これは、当時の学生にとっては、とても、有難いサービスであったと言えます。

目的は、ゼミのメンバーと先生とで勉強に行ったはずが、高校野球三昧の日々を送ったのです。

0さんの親類の方が、小諸駅の北口で、喫茶店をしており、こちらには、その後も立ち寄ったように思います。もちろん懐古園にも行きました。「佐久の草笛」と藤村の詩にありますが、実際に草笛を吹いている

おじいさんがいました。昨年、懐古園を訪れてみましたが、草笛を録音して流す装置がありました。でも、

実際に草笛を吹いている人はいませんでした。

学生時代の思い出をつづってみました。

後平の学生村は、今、どなっているのでしょうか?



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コメント有り難うございます (flower-hill_2005)
2006-10-16 15:48:13
コメント有り難うございます。



「後平」には,私にも懐かしい思い出・・・佐久地方近隣の小学校の生徒が集まって,定期的に戦意発揚の行事が行われていましたっけ・・・



「草笛」も,子供の遊びでした。葉っぱをちぎって,唇に当て,

 「ピイ,ピイ」

と音を立てます。



今,「後平」は本当にどうなっているんででょうね。小諸在住の弟に聞いてみましょう。
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