懐古園の山門:浅間山登頂記(2)
(小諸グループ)
2006年10月7日(土)~8日(日)
■懐古園の山門
小諸駅から大きな跨線橋を渡って懐古園の前に出る。
flower-hillが幼少の頃は,駅前から北側の道を回り込んで,信越本線の踏切を渡ってから,急坂を下って,懐古園へ入っていた。その内に,信越本線が複線電化された頃から,この踏切が地下道になり,歩くのが随分と楽になった。
懐古園の入口には,寄せ木造り二階の大きな山門がある。三の門といわれている。資料によると,最初の山門は元和元年(1615年)に創建され,その後洪水により流出,現在の山門は明和2年(1765年)に再建されたものだという。国指定重要文化財である。
山門を潜って園内に入る。広場の右手には昔から余り変わっていない土産店がある。そして左手には徴古館が建っている。
広場の正面にある三の門料金所で,園内にある博物館や美術館の閲覧券がセットになった入場券,500円也を購入する。園内にはいると,道路が3方向に分かれる。向かって一番右手が小諸城趾へ,中央が谷間を経由して千曲川に下る道(廃道に近い状態になっている),左手が動物園に至る道である。
私は小諸城趾から動物園を一回りして戻るコースを取ることにした。折から3連休の初日で,まずまずの天気ということもあって,結構,見物客が多い。
石垣の間の坂を登ると,すぐに道路はクランク状に曲がる。突き当たりの石垣には,小諸義塾の創始者である木村熊二のレリーフが填め込まれている。そして,右折するとすぐに若山牧水の詩碑が建っている。二の丸跡を通り過ぎて,黒門橋を渡る。ここで左手の本丸跡へ向かう道と,右手の天守台の石垣を廻る道に分かれる。とりあえずは,右折して,天守台の石垣を見上げながら先へ進む。
そして,最初の見学場所である。藤村記念館に入場した。
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■回想
小諸で育った私にとって,懐古園の思い出は尽きない。
私が子供の頃は,今のように公園として整備されて(悪い言葉で言えば俗化して)いなかった。勿論,入場料などなく,通常の町中の公園のように,何時でも好きなときに入ることができた。懐古園は,当時から,佐久地方では有数の公園だったので,来訪者は多かったようである。
終戦間もない頃,桜の名所として有名な園内の馬場で,競馬が開かれたことを覚えている。夏になると,懐古園から谷間の道を千曲川まで下って,水浴びを楽しんだ。帰りに谷間を登る頃には,カナカナ蝉の鳴き声が谷間に溢れていた・・・こんなことを思い出しながら,久々の懐古園を楽しんでいる。
(つづく)
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