<フラワーセンター大船の温室にて>
秋の逍遙:鎌倉北部から藤沢まで:後北条の社寺史跡を巡る(1)
(五十三次洛遊会)
2010年10月7日(水)
<散策地図>
<大船駅から谷戸の池へ>
■定刻より10分遅れて大船駅から出発
秋雨前線の毎日である.ところが幸いなことに,五十三次洛遊会定例会開催日の今日は暑くも寒くもない絶好の散策日和である.
定刻10時に大船駅南口ルミネ前に集合する.ところが無断欠席をした方が居られたために,歩き出しを10分ほど遅らせることになる.無断欠席とはあってはならないこと.甚だ遺憾である.私の内心では,
「こんな,だらしのない輩とは,付き合いたくない.除名だ・・!」
正直なところ,はらわたが煮えくりかえるほど,もっと言えば胃が痛くなるほど不愉快である.とはいえ,喜んで参加される方が,沢山居られるので,私も案内し甲斐があるので,この立腹は,精神衛生上不健康ながら,ジッと腹のうちに収める.でも,ドタキャンでも構わないから,何で一言,メールなり電話で欠席する旨連絡できないのだろう.
こんなことが,毎回,続くようだと,ひょっとすると,私は案内役を辞退してしまうかも知れない.
まあ,それはともかく,今日は予想以上の好天である.大船駅から大船観音側の出口から,10分遅れの10時10分に歩き出す.
見上げると,実に秋らしい透明な青空が一杯に広がっている.こんな好天の下で,ただアスファルト道を歩くだけでは如何にも勿体ない.そこで,急遽,ご参加の皆さんに諮って,少し山道のあるオプションコースを選ぶことにする.
■黙仙寺の急坂を登る
最初の見学場所は,大船駅北側にある黙仙寺である.
大船駅前から柏尾川を渡って,狭い路地に入る.その路地の突き当たりに黙仙寺の参道入口がある.何段あるか数えたことはないが,いきなり長い登り階段になる.参加者には申し訳ないが,歩き始めて早々に,急な階段を登るのは一寸辛かったかも知れない.
階段の途中から,大船の市街地が良く見える.市街地の向こうには六国見山が見えている.大船は活気に満ちた街である.絶えず電車や自動車の音が下から聞こえてくる.どなたかが,
「大船は鎌倉市ですか・・?」
と定番の質問をする.
確かに,多くの方々が,大船が鎌倉市の一部だとは思っていないようである.
■黙仙寺
長い階段を登り切ると簡素な本堂がある.本堂の正面はシャッターが下りていて中を拝観することはできないが,ここは鎌倉には3寺しかない曹洞宗の寺である.山号は無我相山.何だか素敵な山号である.大船観音の北側にある無我相山にある寺である.1909年(明治42年),濱地八郎が曹洞宗大本山永平寺管長日置黙仙を迎えて開山した(資料1,p.96).本堂には本尊の釈迦牟尼仏.
人気のない本堂の裏手に廻って,墓地縁を進む.そして,岡本1丁目の住宅地に出る.私は,参加者一同に注意する.
「私より先に行かないで下さい.迷子になりますよ・・・」
■急坂を下りて谷戸池へ
住宅地に入ってすぐの所で左折する.なかなか分かりにくいところである.ここから狭くて急な下り階段を下って,閑静な玉縄2丁目の住宅地へ下りる.どなたかが,
「良くこんな凄いところに住んでいますね・・」
とビックリする.実は,大船観音脇の道を経由すれば大船駅に近いところだが,無我相山を経由したので,飛んでもない僻地だと勘違いしたようである.
住宅地内の細いクネクネとした道を辿って,10時42分に谷戸池に到着する.ここは桜の名所として知られている.台峰付近にも発音が同じの“矢戸ノ池”があるので紛らわしい.
谷戸池は金網の高いフェンスで囲まれている.住宅地のど真ん中の池なので,安全のために致し方ないことだとはいえ,何となく圧迫感があって残念である.
池の畔の公園では,どこかの保育園の園児達10名ほどが,綱引きをして遊んでいる.実に可愛い.見ているだけで,自然に頬が緩んでくる.
■子育地蔵
谷戸池のすぐ近くにある子育地蔵を詣でる.地蔵堂の中を覗くと,木造の地蔵像が安置されている.右手に錫杖を持っている.この像は市川茂助という仏師が彫ったものだという(資料2,p.233).
<信仰の山道を通って龍宝寺へ>
■岡本神社
10時46分,谷戸池を出発する.玉縄3丁目の道路を南西に進む.途中から右折して狭い路地に入る.路地が突き当たると石段になる.この石段を登り切ったところに,小振りだが立派な神社が建っている.岡本神社である.
境内にある案内文によると,村岡良文(平良文)の一門,角田家が,今から約1000年ほど前の938年頃(天慶1年)に岡本神社(別名お伊勢山神明社)を建立した.その後,玉縄城主らによって解体された.この神社を500年ぶりに復元したのが,この神社だという.
■伏見稲荷
岡本神社から岡本神社旧参道に入る.山道である.参道に入ってすぐ左側の土手の上に伏見稲荷がある.この稲荷社の由来は,私の手許にある資料では不明.稲荷社を参拝してから,旧参道を進む.緑深い尾根道が続く.やがて自然豊かな切通になる.
■後北条三代の墓
暫くの間,緑深い尾根道を進む.路面には枯葉が深々と積もっていて,柔らかい絨毯の上を歩くような心地よさを味わいながら歩き続ける.やがて峠に到着する.ここから峠を下ると栄光学園のグラウンド脇に出る.
ここで,峠で進行方向左手の尾根の急坂を登る.この辺りは道もないが,とにかく短い急坂を登り切ると龍宝寺裏山の山頂に到着する.山頂に後北条三代,つまり玉縄城主,氏時,綱成,氏繁の墓だと聞いているが真偽の程は私には分からないが,「ぶっけり仏」と言われるのはここのことだろうか.
■龍宝寺
道なりに下って,龍宝寺に降りる.寺の入口には大きな幼稚園がある.園児達の遊ぶ姿が可愛い.
境内の新井白石の碑を見学する.この碑の詳しいことは私には分からない.ただ,新井白石が城廻やこの辺りを支配していたといわれるている.また,龍宝寺が発祥といわれる玉縄小学校の校章は新井白石の家紋を図案化したものだという(資料2.pp.230-231).
新井白石碑のすぐ上の山腹には,「江戸初期,玉縄領を支配した松平正綱時代の家臣の墓が沢山並んでいる」(資料2.p.237).新井白石碑を見学した序でに,これらの墓も詣でる.沢山の宝筐印塔や五輪塔が並んでいる.中には五輪塔の最上部に宝筐印塔が継ぎ足されたり,上と下が不釣り合だったり不自然なものも多いが,とにかくその数の多さに驚かされる.
<新井白石の碑>
<松平正綱時代の家臣の墓群>
<諏訪神社を経由してフラワーセンター大船へ>
■諏訪神社
松平正綱家臣の墓を見学している内に,再び龍宝寺の裏山に登る.そして,すぐ北側にある諏訪神社の境内の下りる.
諏訪神社は,三方を山に囲まれた立派で静かな神社である.境内に説明文によると,旧玉縄村の鎮守である.資料2によると,「1619年(元和5年),玉縄城が廃された後,古くからあった鎌倉権五郎景正を祀る御霊社を合祀した」という(資料2.pp.238-239).
境内で小休止する.
■フラワーセンター大船
諏訪神社の長い階段を下って,自動車道路に出る.龍宝時前を通過してトンネルを潜る.ここで,近くに住むA氏の先導で(私には余計なことだと思ったが),高架橋を通らずに遠回りして,12時丁度にフラワーセンター大船に到着する.
65歳以上は入場料が100円に割り引かれる(つい2~3年前まで無料だった).
園内に入る.やっぱり素晴らしい.私たちは,広い芝生の一角に陣取って,車座になる.そして,それぞれが持参した昼食を摂る.暑くもなく,寒くもない.とても心地よい陽気である.昼食後,何人かの方々からお菓子や飴の差し入れがある.
■フラワーセンターの温室
昼食後,温室を一回りする.温室の中に入ると,ムッとする熱気を感じる.当たり前のことだが・・
花の知識がほとんどない私には,花の名前はほとんど分からないが,色鮮やかな花が沢山咲いている.実に綺麗である.訳は分からないが,とにかく美しい花の写真をデジカメに収める.
<鎌倉北部の古刹を訪ねる>
■湘南鎌倉総合病院前を通過
13時丁度にフラワーセンター大船を出発する.玉縄中学校沿いの細い道を抜けて,最近,岡本に新築された湘南鎌倉総合病院前を通過する.ここで,右折して住宅地の中のクネクネ道に入る.
■貞宗寺
やや広い駐車場わきからさらに左折して,路地に入る.
13時22分,貞宗寺に到着する.ここは梅が見事な古刹である.毎年,梅が咲くころになると,私は一人で何回となくこの寺を訪れている.こんな閑静な寺を,一同に紹介するのは勿体ない気もするが,反面,観光で有名になった寺ばかりが鎌倉の寺ではないぞと紹介したくもなる.
資料1(pp.100-101)によると,この寺は浄土宗.徳川二代将軍秀忠の祖母,貞宗院が隠居した.貞宗院が没後,1611年(慶長16年)にこの寺が開山されたという.山号は玉縄山.
参道入口のすぐ左手に,多数の藁草履や菅笠などが祀られている.なぜなのか良く分からない.
■園光寺
13時30分,貞宗寺を出発する.往路を少し戻り左折.さらに住宅地の路地を進んで再び左折,突き当たりの長い石段を登って,園光寺に到着する(13時37分).
資料1(p.85)によれば,園光寺は真言宗大覚寺派.山号城護山.初代玉縄城主北条氏時(北条早雲の子)が永禄年間に玉縄城内に創建.本尊は不動明王.薬師堂に行基作薬師如来ほか十二神将立像が安置されているという.
ものと一つしない閑静な境内である.声を出すのも憚られる.この寺も梅が見事である.静かに参拝を済ませて,13時40分,寺を退散.
■久成寺
バス通り裏手の住宅地の中の路地を北北西に進む.私としては,二伝寺に向かう階段道の所まで,この路地伝いに歩いてから,バス通りに出て,横断歩道を渡るつもりだったが,地元在住を誇示したいのか,私より先に歩いていたA氏が,手前の十字路で勝手に右折してしまう.
正直なところ,私はカチンと来る.心の中で,
「勝手に先へ行くんなら,これから先,全部,あんたが案内しなさい!」
と無言で罵倒する・・・が,曲がってしまったものは仕方がない.どうせ大差ないんだから荒立てるなと自分の感情を沈める.どなたかが,後ろから,
「勝手に先に行くなよ・・」
と声を掛ける.私は内心で,「その通り!!」と思うが,荒立てても仕方がないので,
「良いですよ・・そのまま先へ行って下さい・・・」
その結果,横断歩道のないところでバス通りを渡ることになる.13時50分,久成寺に到着する.
資料1(p.104)によれば,この寺は日蓮宗.山号円光山.梅田尾張守秀長(北条氏の家臣),1520年(永正17年)に創建.公曉を討った長尾定景の墓があるという.
今年の春,私はこの寺の参道で,クレジットカード,預金通帳,免許証などを入れた大切なポーチを置き忘れたことがある.そのために大変な苦労をした.結局,参道入口向かって右手にある大きな石の陰にポーチが落ちてしまったのに気がつかなかった.後で,この寺の方が庭掃除をしているときに,私のポーチを拾ってくれた.あのときは本当に助かった!
今日の参加者一同に,この縁の医師の前で,私がどうしてポーチを置き忘れたのか実演する.
(つづく)
[参考資料]
資料1;鎌倉商工会議所(監),2009,『改訂版鎌倉観光文化検定公式テキストブック』かまくら春秋社
資料2:鎌倉市教育センター(編),2009,『かまくら子ども風土記(第13版)』鎌倉市教育委員会
「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/9ac39bbd1d962c6faf8ee3cbbe6335d2
「鎌倉あれこれ」の次回に記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/a1e8284983ad76f24491c22fdfb15eea
秋の逍遙:鎌倉北部から藤沢まで:後北条の社寺史跡を巡る(1)
(五十三次洛遊会)
2010年10月7日(水)
<散策地図>
<大船駅から谷戸の池へ>
■定刻より10分遅れて大船駅から出発
秋雨前線の毎日である.ところが幸いなことに,五十三次洛遊会定例会開催日の今日は暑くも寒くもない絶好の散策日和である.
定刻10時に大船駅南口ルミネ前に集合する.ところが無断欠席をした方が居られたために,歩き出しを10分ほど遅らせることになる.無断欠席とはあってはならないこと.甚だ遺憾である.私の内心では,
「こんな,だらしのない輩とは,付き合いたくない.除名だ・・!」
正直なところ,はらわたが煮えくりかえるほど,もっと言えば胃が痛くなるほど不愉快である.とはいえ,喜んで参加される方が,沢山居られるので,私も案内し甲斐があるので,この立腹は,精神衛生上不健康ながら,ジッと腹のうちに収める.でも,ドタキャンでも構わないから,何で一言,メールなり電話で欠席する旨連絡できないのだろう.
こんなことが,毎回,続くようだと,ひょっとすると,私は案内役を辞退してしまうかも知れない.
まあ,それはともかく,今日は予想以上の好天である.大船駅から大船観音側の出口から,10分遅れの10時10分に歩き出す.
見上げると,実に秋らしい透明な青空が一杯に広がっている.こんな好天の下で,ただアスファルト道を歩くだけでは如何にも勿体ない.そこで,急遽,ご参加の皆さんに諮って,少し山道のあるオプションコースを選ぶことにする.
■黙仙寺の急坂を登る
最初の見学場所は,大船駅北側にある黙仙寺である.
大船駅前から柏尾川を渡って,狭い路地に入る.その路地の突き当たりに黙仙寺の参道入口がある.何段あるか数えたことはないが,いきなり長い登り階段になる.参加者には申し訳ないが,歩き始めて早々に,急な階段を登るのは一寸辛かったかも知れない.
階段の途中から,大船の市街地が良く見える.市街地の向こうには六国見山が見えている.大船は活気に満ちた街である.絶えず電車や自動車の音が下から聞こえてくる.どなたかが,
「大船は鎌倉市ですか・・?」
と定番の質問をする.
確かに,多くの方々が,大船が鎌倉市の一部だとは思っていないようである.
■黙仙寺
長い階段を登り切ると簡素な本堂がある.本堂の正面はシャッターが下りていて中を拝観することはできないが,ここは鎌倉には3寺しかない曹洞宗の寺である.山号は無我相山.何だか素敵な山号である.大船観音の北側にある無我相山にある寺である.1909年(明治42年),濱地八郎が曹洞宗大本山永平寺管長日置黙仙を迎えて開山した(資料1,p.96).本堂には本尊の釈迦牟尼仏.
人気のない本堂の裏手に廻って,墓地縁を進む.そして,岡本1丁目の住宅地に出る.私は,参加者一同に注意する.
「私より先に行かないで下さい.迷子になりますよ・・・」
■急坂を下りて谷戸池へ
住宅地に入ってすぐの所で左折する.なかなか分かりにくいところである.ここから狭くて急な下り階段を下って,閑静な玉縄2丁目の住宅地へ下りる.どなたかが,
「良くこんな凄いところに住んでいますね・・」
とビックリする.実は,大船観音脇の道を経由すれば大船駅に近いところだが,無我相山を経由したので,飛んでもない僻地だと勘違いしたようである.
住宅地内の細いクネクネとした道を辿って,10時42分に谷戸池に到着する.ここは桜の名所として知られている.台峰付近にも発音が同じの“矢戸ノ池”があるので紛らわしい.
谷戸池は金網の高いフェンスで囲まれている.住宅地のど真ん中の池なので,安全のために致し方ないことだとはいえ,何となく圧迫感があって残念である.
池の畔の公園では,どこかの保育園の園児達10名ほどが,綱引きをして遊んでいる.実に可愛い.見ているだけで,自然に頬が緩んでくる.
■子育地蔵
谷戸池のすぐ近くにある子育地蔵を詣でる.地蔵堂の中を覗くと,木造の地蔵像が安置されている.右手に錫杖を持っている.この像は市川茂助という仏師が彫ったものだという(資料2,p.233).
<信仰の山道を通って龍宝寺へ>
■岡本神社
10時46分,谷戸池を出発する.玉縄3丁目の道路を南西に進む.途中から右折して狭い路地に入る.路地が突き当たると石段になる.この石段を登り切ったところに,小振りだが立派な神社が建っている.岡本神社である.
境内にある案内文によると,村岡良文(平良文)の一門,角田家が,今から約1000年ほど前の938年頃(天慶1年)に岡本神社(別名お伊勢山神明社)を建立した.その後,玉縄城主らによって解体された.この神社を500年ぶりに復元したのが,この神社だという.
■伏見稲荷
岡本神社から岡本神社旧参道に入る.山道である.参道に入ってすぐ左側の土手の上に伏見稲荷がある.この稲荷社の由来は,私の手許にある資料では不明.稲荷社を参拝してから,旧参道を進む.緑深い尾根道が続く.やがて自然豊かな切通になる.
■後北条三代の墓
暫くの間,緑深い尾根道を進む.路面には枯葉が深々と積もっていて,柔らかい絨毯の上を歩くような心地よさを味わいながら歩き続ける.やがて峠に到着する.ここから峠を下ると栄光学園のグラウンド脇に出る.
ここで,峠で進行方向左手の尾根の急坂を登る.この辺りは道もないが,とにかく短い急坂を登り切ると龍宝寺裏山の山頂に到着する.山頂に後北条三代,つまり玉縄城主,氏時,綱成,氏繁の墓だと聞いているが真偽の程は私には分からないが,「ぶっけり仏」と言われるのはここのことだろうか.
■龍宝寺
道なりに下って,龍宝寺に降りる.寺の入口には大きな幼稚園がある.園児達の遊ぶ姿が可愛い.
境内の新井白石の碑を見学する.この碑の詳しいことは私には分からない.ただ,新井白石が城廻やこの辺りを支配していたといわれるている.また,龍宝寺が発祥といわれる玉縄小学校の校章は新井白石の家紋を図案化したものだという(資料2.pp.230-231).
新井白石碑のすぐ上の山腹には,「江戸初期,玉縄領を支配した松平正綱時代の家臣の墓が沢山並んでいる」(資料2.p.237).新井白石碑を見学した序でに,これらの墓も詣でる.沢山の宝筐印塔や五輪塔が並んでいる.中には五輪塔の最上部に宝筐印塔が継ぎ足されたり,上と下が不釣り合だったり不自然なものも多いが,とにかくその数の多さに驚かされる.
<新井白石の碑>
<松平正綱時代の家臣の墓群>
<諏訪神社を経由してフラワーセンター大船へ>
■諏訪神社
松平正綱家臣の墓を見学している内に,再び龍宝寺の裏山に登る.そして,すぐ北側にある諏訪神社の境内の下りる.
諏訪神社は,三方を山に囲まれた立派で静かな神社である.境内に説明文によると,旧玉縄村の鎮守である.資料2によると,「1619年(元和5年),玉縄城が廃された後,古くからあった鎌倉権五郎景正を祀る御霊社を合祀した」という(資料2.pp.238-239).
境内で小休止する.
■フラワーセンター大船
諏訪神社の長い階段を下って,自動車道路に出る.龍宝時前を通過してトンネルを潜る.ここで,近くに住むA氏の先導で(私には余計なことだと思ったが),高架橋を通らずに遠回りして,12時丁度にフラワーセンター大船に到着する.
65歳以上は入場料が100円に割り引かれる(つい2~3年前まで無料だった).
園内に入る.やっぱり素晴らしい.私たちは,広い芝生の一角に陣取って,車座になる.そして,それぞれが持参した昼食を摂る.暑くもなく,寒くもない.とても心地よい陽気である.昼食後,何人かの方々からお菓子や飴の差し入れがある.
■フラワーセンターの温室
昼食後,温室を一回りする.温室の中に入ると,ムッとする熱気を感じる.当たり前のことだが・・
花の知識がほとんどない私には,花の名前はほとんど分からないが,色鮮やかな花が沢山咲いている.実に綺麗である.訳は分からないが,とにかく美しい花の写真をデジカメに収める.
<鎌倉北部の古刹を訪ねる>
■湘南鎌倉総合病院前を通過
13時丁度にフラワーセンター大船を出発する.玉縄中学校沿いの細い道を抜けて,最近,岡本に新築された湘南鎌倉総合病院前を通過する.ここで,右折して住宅地の中のクネクネ道に入る.
■貞宗寺
やや広い駐車場わきからさらに左折して,路地に入る.
13時22分,貞宗寺に到着する.ここは梅が見事な古刹である.毎年,梅が咲くころになると,私は一人で何回となくこの寺を訪れている.こんな閑静な寺を,一同に紹介するのは勿体ない気もするが,反面,観光で有名になった寺ばかりが鎌倉の寺ではないぞと紹介したくもなる.
資料1(pp.100-101)によると,この寺は浄土宗.徳川二代将軍秀忠の祖母,貞宗院が隠居した.貞宗院が没後,1611年(慶長16年)にこの寺が開山されたという.山号は玉縄山.
参道入口のすぐ左手に,多数の藁草履や菅笠などが祀られている.なぜなのか良く分からない.
■園光寺
13時30分,貞宗寺を出発する.往路を少し戻り左折.さらに住宅地の路地を進んで再び左折,突き当たりの長い石段を登って,園光寺に到着する(13時37分).
資料1(p.85)によれば,園光寺は真言宗大覚寺派.山号城護山.初代玉縄城主北条氏時(北条早雲の子)が永禄年間に玉縄城内に創建.本尊は不動明王.薬師堂に行基作薬師如来ほか十二神将立像が安置されているという.
ものと一つしない閑静な境内である.声を出すのも憚られる.この寺も梅が見事である.静かに参拝を済ませて,13時40分,寺を退散.
■久成寺
バス通り裏手の住宅地の中の路地を北北西に進む.私としては,二伝寺に向かう階段道の所まで,この路地伝いに歩いてから,バス通りに出て,横断歩道を渡るつもりだったが,地元在住を誇示したいのか,私より先に歩いていたA氏が,手前の十字路で勝手に右折してしまう.
正直なところ,私はカチンと来る.心の中で,
「勝手に先へ行くんなら,これから先,全部,あんたが案内しなさい!」
と無言で罵倒する・・・が,曲がってしまったものは仕方がない.どうせ大差ないんだから荒立てるなと自分の感情を沈める.どなたかが,後ろから,
「勝手に先に行くなよ・・」
と声を掛ける.私は内心で,「その通り!!」と思うが,荒立てても仕方がないので,
「良いですよ・・そのまま先へ行って下さい・・・」
その結果,横断歩道のないところでバス通りを渡ることになる.13時50分,久成寺に到着する.
資料1(p.104)によれば,この寺は日蓮宗.山号円光山.梅田尾張守秀長(北条氏の家臣),1520年(永正17年)に創建.公曉を討った長尾定景の墓があるという.
今年の春,私はこの寺の参道で,クレジットカード,預金通帳,免許証などを入れた大切なポーチを置き忘れたことがある.そのために大変な苦労をした.結局,参道入口向かって右手にある大きな石の陰にポーチが落ちてしまったのに気がつかなかった.後で,この寺の方が庭掃除をしているときに,私のポーチを拾ってくれた.あのときは本当に助かった!
今日の参加者一同に,この縁の医師の前で,私がどうしてポーチを置き忘れたのか実演する.
(つづく)
[参考資料]
資料1;鎌倉商工会議所(監),2009,『改訂版鎌倉観光文化検定公式テキストブック』かまくら春秋社
資料2:鎌倉市教育センター(編),2009,『かまくら子ども風土記(第13版)』鎌倉市教育委員会
「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/9ac39bbd1d962c6faf8ee3cbbe6335d2
「鎌倉あれこれ」の次回に記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/a1e8284983ad76f24491c22fdfb15eea