中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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歩いて巡る甲州道中四十四次(第6回);第2日目(3);阿弥陀海道宿・黒野田宿

2013年10月27日 07時26分53秒 | 甲州道中四十五宿

                                                          <杉林の中で一休み>

 歩いて巡る甲州道中四十四次(第6回);第2日目(3);阿弥陀海道宿・黒野田宿
            (五十三次洛遊会)
       2013年9月28日(土)~30日(月)

第2日目;2013年9月29日(日) (つづき)晴

<ルート地図>


※前掲図




<阿弥陀海道宿>

■阿弥陀海道宿の概要
 資料2(p.317)によれば,阿弥陀海道宿の宿内人口は262人.内,男127人,女145人.宿内惣家数65軒.内,本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠4軒の規模であった.
 江戸日本橋から32番目の宿場である.
 同資料には,「『此地名を葦が窪といへり.駅の南に阿弥陀堂あり』のために,宿名も阿弥陀海道と名付けられたもの.いまは道の字なくて,大月市の阿弥陀海(あみだかいどう)と読ませる聚落である.この先の黒野田とともに『旧(もと)阿弥陀海道・白野と合して一郷なりけれど,寛文中(1661~1673年)三村に分けしといへり.按に此三村は古の上初狩の地なるべし』というように,上初狩が分かれたこの三宿は,やはり問屋業務も1ヶ月を三分して勤めた…」という興味深い内容が記述されている.

阿弥陀海道宿に入る
 笹一酒造で休憩を終えた私たちは,11時10分に日本一大太鼓の前に集合して,歩き始める.相変わらず上り勾配の道が続く.
 11時17分,中央本線のガードの手前で右折して,道幅の狭い路地に入る.そして,間口の狭いガードを潜る.ガードの上には中央本線が走っているはずである.
 ガードを抜けると,また元の国道に合流する.
 このガードの手前辺りが阿弥陀海道宿があったところのようだが,阿弥陀堂も本陣跡もわからないまま,阿弥陀海道宿を通過してしまう.

<ガードを潜って阿弥陀海道宿に入る>

<黒野田宿>

■黒野田宿の概要
 資料2(p.318)によると,黒野田宿の宿内人口は334人.内,男170人,女164人.宿内惣家数79軒.内,本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠14軒の規模であった.
 江戸日本橋から33番目の宿場である.

黒野田宿の案内板
 ガードを潜って,すぐの所から左へ笹子駅へ向かう道路が分岐する.
 「(笹子駅で)トイレ休憩を取りますか…」
と一応確かめるが,まだ笹一酒造で休憩を取ってから間がないので,休憩の希望者は居ない.そのまま通過.
 300メートルほど歩いたところに「黒野田宿」の案内板が立っている.
 私たちは,いよいよ黒野田宿に入る.黒野田宿を過ぎると,いよいよ今回の最大の難所笹子峠越えが待っている.

<黒野田宿の案内板>

笠懸地蔵
 傍らに笠懸地蔵の由来を記した案内板が立っている.
 此の案内板の記事によると,昔からこの街道の路傍に分厚い傘様の物を被った石造りの地蔵があったという.この地蔵のことを黒埜宿笠懸地蔵と呼んでいるが,その由来は不明.創建は安政2年(1852年)13代将軍徳川家定の天領であった頃である.天明の百姓一揆,天保の大飢饉,重税,餓死,心中,乞食など窮状が跡を絶たなかったので,この笠懸地蔵に心願していたという.

古い家並み
 宿場跡には古い家並みが残っている.
 その中でも,特に目立つ大きな屋敷をデジカメに収める.もと旅籠だろうか,何れにしても,知識不足の私には良く分からない.
 資料1によると,この辺りに御蔵屋敷跡,御殿屋敷跡,本陣跡が立ち並んでいるはずだが,通りすがりの私たちには,どれがどれかは分からないまま通過してしまう.
 何れにしても,武田氏の家臣,天野氏が勝頼没後,この地に移り住んだところはこの辺りである.

<古くて立派な街並み>

明治天皇行在地址碑
 11時29分,明治天皇行在地址碑の前に到着する.大きくて立派な石碑である.この石碑の後ろには,立派な門が残っている.
 ひょっとしたら,ここが本陣跡なのかな思いながら写真を撮る.

<明治天皇行在地址碑>

普明院
 11時32分,普明院に到着する.立派な寺院のようだが,笹子峠越え前なので,時間を惜しんで,参拝は省略する.
 資料1によると,普明院は景信が開基した寺で,本陣天野屋の先祖,各大名の関札,講中看板などが残されているようである.
 寺の門前に一里塚跡碑があって,「江戸日本橋より25里」と刻字された石碑が立っているとのことである.この写真の中に,この石碑が写っているかもしれない.

<普明院>

<笹子温泉>

笹子温泉の休憩所で一休み
 登り坂が連続する.何人かの人が少しバテ気味である.このままでは先行きが少々心配である.
 11時43分,軒先に「笹子鉱泉」と書いてある通りすがりの休憩所に立ち寄る.店の前には老犬が1匹居るが,私たちが近付いても,全く吠えない.犬の吠える声が大嫌いな私でも,吠えない犬なら少しは可愛いなと思う.
 どうやら店は無人のようである.軒先の自動販売機で冷たい物を購入して,火照った体をpくールダウンする.
 「少し時間が早いけど,ここで昼食にしましょうか…?」
とリーダーのONさんに伺う.
 「…もう少し歩いて,矢立杉まで行きませんか…昼食の時間が多少遅くなっても…」
 勿論,私にも異論はない.内心では,早め,早めの行動は,大いに結構と思っている.

<「笹子鉱泉」休憩所で一休み>

追分(バス停新田下)
 10分ほどの休憩を終えて,また歩き出す.だんだんと上り勾配がきつくなる.私は絶えず,
 「ユックリ歩きましょう…」
と後ろの人に言い続ける.
 産業廃棄物業者付近で,国道20号線から左折して土道に入る.そして,12時09分,小田原沼津道との追分に到着する.
 追分から斜め左に分岐した小田原沼津道は,ゆるやかな下り坂になり南下している.
 追分のすぐ先にバス停新田下がある.

<バス停新田下>

<杉林の旧道>

いよいよ草道に入る
 バス停新田下の直ぐ近くの石垣に,「甲州街道 矢立の杉 笹子駅」と書いてある案内板がある.
 12時09分,この案内板のある三叉路を直角に右折して草道に入る.

<甲州街道の案内板>

緑豊かな草道に入る
 草道に入ると,周囲の雰囲気が一変して山道になる.落ち葉が重なる静寂な道が続く.周囲はむせかえるような木々の緑で一杯である.
 私は絶えず,
 「ゆっくり,ゆっくり…ゆっくり歩きましょう」
と言い続ける.
 一同,一列になって,ユックリペースで歩き続ける.

<緑陰を行く>

県道と交差で一休み
 杉林の旧道は,歩き進むにつれて勾配が次第に急になる.場所によっては,路面が随分と荒れている所もある.
 旧道は意外に長い.途中で道を間違えたかなと,少し心配になる.
 12時35分,急な登り坂を飛び出るように登って,舗装道路の甲州街道に飛び出す.ここも深い杉林の中である.ここで,杉林の日陰を利用して,10分ほど休憩を取る.
 休憩を取りながら,地図で現在地を確かめる.
 矢立の杉までは,まだ,1キロメートルほどの距離がある.

<今の甲州街道に飛び出る>

[参考文献]
資料1;完全踏査街道マップシリーズ「ちゃんと歩ける甲州道中四拾四次」五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1998,『今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州』日本交通公社
                                         (つづく)

「甲州道中」の前回の記事
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「甲州道中」の目次
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