<j定泉寺の御大師様>
中秋の鎌倉:玉縄城趾・田谷の洞窟・長尾砦址を巡る(1)
(五十三次洛遊会定例会)
2011年10月14日(金)
<散策地図>
<黙泉寺から谷戸池へ>
■予定より10分遅れて大船駅から歩き出す
いよいよ五十三次洛遊会定例会の日である.私は昨夜までルート設定に苦慮していたが,ようやく腹が決まったので,早朝に最後の取り纏めを終えた.今回は大船駅10時集合の予定である.私は1時間ほど早く大船駅に向かう.そして,駅前のコンビニで,今日のコース案内を20枚あまりプリントする.
まだ,時間があるので,大船駅構内のBecker’sで,朝のコーヒーでも味わおうかと思う.
店内に入ると,今日の参加メンバーのKさんが,すでに店内に居られる.
「ここで通路を見ていると,Aさんの奥さんが通られますよ・・・そうしたら集合場所に行きましょう・・」
で,ノンビリとコーヒーを賞味する.
予想に違わず,定刻15分前頃,Aさんが目の前を通過する.もちろんAさんは私たちがお茶を飲みながら通過するのを見ていることには気がつかない.
定刻15分前に集合場所の大船駅ルミネ前に行く.間もなく某夫妻を除く全員が揃う.定刻を10分過ぎても,参加予定になっていたM夫妻が,結局,現れない.
「あれほど,無断欠席は全員に迷惑が掛かるので止めてください・・」
と言っているのに・・・こちろらは旅行社じゃない.すべてボランティアでやっているのに,心配を掛けるなと心の中で憤慨する.
結局,今回の参加者は,13人.内訳は男性8人,女性5人である.なかなかの盛況である.
定刻より10分遅れて,大船駅から歩き出す.
■黙泉寺の階段を登る
大船駅西口から黙泉寺の階段を登る.かなりの急坂.
10時21分,黙泉寺本堂に到着する.
この寺の山号は無我相山.曹洞宗.開山は日置黙泉,1909年(明治42年).
一気に山を登ったので,この辺りから大船の街が見下ろせる.活気に満ちた大船の騒音がそのまま聞こえてくる.
本堂の脇から墓地の縁を廻って岡本1丁目の住宅地に入る.
<黙泉寺の階段を登る>
<黙泉寺本堂>
■谷戸池と子育地蔵
住宅地に入ってすぐに左折して,狭いつづら折りの階段道を下る.かなり急傾斜の道である.転がり落ちないように注意しながら下る.
住宅地に中をクネクネと複雑に曲がりくねった細い道を歩いて,10時37分に谷戸池に到着する.ここは鎌倉でも有名な桜の名所でもある.
池の畔で,しばらく休憩を取る.その後,近くにある子育地蔵を拝観する.
<急坂を下る> <子育地蔵>
<桜の名所;谷戸池>
<岡本神社>
■石段を登って神社に到着
谷戸池から自動車道を横切って,岡本1丁目のバス道を5分ほど南西に歩く.
途中から右折して住宅地内の路地に入る.この路地はすぐに行き止まりになる.その先にある真新しい数十段の石段を登ると岡本神社に到着する.小高い小さな丘の上に神社がある.やや小振りながら立派なお社が建っている.
<岡本神社>
<岡本神社から見た大船観音>
■大船観音の横顔を見ながら古道に入る
境内から東の方向を見ると,山の向こうに大船観音の横顔が見える.
10時59分,岡本神社を出発する.神社脇から尾根道沿いの山道に入る枯れ葉が積もり倒木が横たわる掘り割り道が続く.ほとんど人が通らないところなので,踏み跡道は荒れている.
参加者の中の何人かが,
「・・・こんなところ,通るの・・・」
とビックリしている.
古道入口にある案内板によると,この道は平安・室町時代にかけて,お伊勢山神明社(現;岡本神社)の参道だったところである.
やがて,少し急坂の切通になる.大船駅近くに,こんな切通があることを知っている人は僅かではないかと思う.
<平安・室町時代の古道;お伊勢山神明社参道>
<龍宝寺>
■北条三代の墓「ぶっけり仏」
切通の道を進むとやがて鞍部に到着する.この鞍部を越えて,そのまま進むと栄光学園に出る.
私たちは鞍部から左手(南西)の急斜面を登る.とくに道らしいところはないが登りやすいところを適当に選んで先へ進む.
ほんの数分で尾根の一番高いところに到着する.ここに玉縄城主北条綱成(ツナシゲ),氏繁(ウジシゲ),氏勝(ウジカツ)の三代の墓がある(資料1,p.238).資料1によれば,龍宝寺の前身,香華院(現在の栄光学園の場所)があった山居(サンキョ)と呼ばれるところに宝塔3基があったが,この宝塔が三代の墓だった.これらは,宅地造成のために,現在の場所に移されたという.
ただ,私たちが今見ている墓には宝塔らしきものは見当たらない.
もともとあった宝塔は,よく倒れる.そこで村人が直すのだが,また何時の間にか倒れていることから,「ぶっけり仏」「ぶっがえり仏」と呼ばれるようになったという.
<急坂を登る> <北条三代の墓>
■龍宝寺
尾根道を辿って龍宝寺境内に出る.
立派な石畳が続く広々とした寺である.この寺は玉縄城3代城主北条綱成が16世紀中頃に香光院(瑞光院)を立てたのが始まりといわれる(資料1,p.236).
玉縄城6代(注1)城主氏勝によって現在地に移されたらしい.ここも曹洞宗の寺である.山号は陽谷山.
<龍宝寺本堂>
■幼稚園と旧石井家住宅
広い参道をはさんで幼稚園と旧石井家住宅がある.
旧石井家住宅を見たいという人が多いので,ここで休憩.予想外に時間が取られるので,タイムキーピングをしている私は,内心でやきもきしている.
幼稚園では,お昼に流しそうめんをするとかで,大賑わいである.ご家族の方も沢山集まっている.その脇の花壇ではコスモスが見頃を迎えている.
<境内のコスモスが見頃>
■新井白石の碑
スケジュールは,私の目論見よりも15分ほど遅延しているが,11時45分頃,新井白石の碑を拝観する.
新井白石は,この辺り植木地区から200石の知行を得ていたといわれる(資料1,p.236).
<新井白石の碑>
<諏訪神社>
■山道を越えて
無縁仏墓石,五輪塔,宝篋印塔などがずらりと並ぶ坂道を登ると,急な階段になる.この階段を登り切ると鉄塔が建つ平らなところに出る.ここで坂道で荒れた呼吸を整える.
そして,さらに少しばかり登ると,尾根に到着する.この尾根を反対側に下って,11時57分,諏訪神社に到着する.
<おびただしい数の石塔類>
■諏訪神社に到着
この神社はもともと玉縄城にあったが,玉縄城廃止の時に,ここに移転.以前からあった鎌倉権五郎影政を祀った御霊神社と合祀したところである(資料1,pp.238-239).
境内は静まりかえっている.
私たち以外に誰もいない.本殿前の広場に置かれているベンチに適当に座り込んで,昼食を摂る.
<急坂を下って諏訪神社へ>
<諏訪神社>
<コンビニ弁当>
<七曲りを経て玉縄城趾へ>
■長屋門から七曲がりへ
昼食を終えて,12時25分,諏訪神社を出発する.
神社前のバス通りを越えて,植木地区植谷戸にある長屋門のところで右折して谷戸に入る.かれこれ10年以上前には,梅林が広がる長閑な谷戸だったが,今はすっかり住宅地に変わっている.
住宅地を抜けると,いよいよ七曲りである.誰かが本当に七ヶ所の曲がり角があるのか数え始める.
5~6分で七曲りを登り切る.曲がり角が幾つあったかは,数え方にもよるが,七つあったよという人もいる.
<長屋門>
<七曲り>
■玉縄城趾
七曲がりを登り切って玉縄城趾に入る.道の両側にはややせせこましく住宅が建ち並んでいる.
玉縄城趾の本丸跡は清泉女学院の敷地になっているので,見ることができない.
<玉縄城祉付近>
■陣屋坂とふわん坂
住宅地を抜けると陣屋坂の三叉路に突き当たる.陣屋坂の両側には昔陣屋が建ち並んでいたという.
三叉路の高い石垣の上に鎌倉青年団が建てた玉縄城趾の石碑がある.私は狭くて急な石段をわざわざ登る気がしないので,希望者が見学するのを下で待っている.
石碑の見学を終えてから,城廻のバス通りを北北西に進む.ごく緩やかな下り道である.
<陣屋坂下り口の石垣;この上に碑がある>
<関谷地蔵堂とその周辺>
■関谷地蔵堂に到着
やがて,大きな自動車道に突き当たる.平素自動車に乗らない私には自動車道は良く分からないが,この自動車道を右折すると笠間十字路に至るみちである.
私たちは突き当たりを左折する.
左折してすぐの道路脇に関谷地蔵堂がある.小さなお堂だが,ここは準四国八十八ヶ所十八番札所である.
資料3(p.130)によれば,文政年間(1818~1829年),鵠沼の浅場太郎左ェ門が鵠沼普門寺の住職と相談,四国八十八ヶ所へ層を派遣して持ち帰らせた砂土を相模川以東の寺院八十八ヶ所に埋めて,八十八体の大師像を安置した.関谷地蔵堂はその第十八番に当たるという.
<関谷地蔵堂前にて>
■がっくり橋跡
関谷地蔵堂前で参拝を兼ねて,休憩を取る.もう10月も半ばだというのに,今日はやたらと蒸し暑い.
数分の休憩後,近くの横断歩道で自動車道の反対側に渡る.右折して笠間十字路方面に歩く.道路脇には小さな飲食店など数軒が並んでいる.緩やかな下り坂である.
商店街を過ぎると,野趣豊かな農村風の風景が広がり始める.
前方には立体交差の陸橋が見え始める.この陸橋が地面の高さになる辺りに,小さな川が流れている.すぐ脇には工場のような建物が見えているが,このあたりにがっくり橋があった.
玉縄城が豊臣方に包囲され,死を覚悟した北条方は,龍宝寺住職などの説得で城を明け渡す.そのとき,あまりにも力を落としてこの橋を渡ったので,この橋を「がっくり橋」「がっから橋」などと呼んでいる(資料1,p.249).
<がっくり橋跡付近;今は何もない>
<小雀浄水場>
■細い農道を北上する
高架下で左折して枝道に入る.関谷石原谷戸と呼ばれるところである.
細い道を北に進む.進行方向左手は小高い森,右手に民家が並ぶ.ほんの5分ほど進むと集落は途絶え,舗装道路も終わる.ここから先は,未舗装の細い農道になる.谷戸の両側には畠が広がる.
農道は途中で,何回か枝分かれする.この辺りは,何回か歩いてみないと,何処をある家いるか,なかなか良く分からないところでもある.
誰も歩いていないらしく,倒木がそのままになっていて,行く手を遮る.何という木か知らないが,枝にトゲトゲがあって,手で枝を払いのけようとするとトゲが刺さる.
<トゲトゲが行く手を阻む>
■見事な竹林
農道は,湿地帯(池になっていることもある)の上部で右にカーブして途絶える.ここから先は手入れの行き届いた竹林になる.竹林に中には道はないが,かなり急勾配の斜面をユックリと登る.坂道を登り切ると竹林の中の台地に到着する.ここで一休み.
同行者のお一人が,この竹林の手入れをしている人を知っているとのこと.近くに住む方が一人で竹林の世話をしているという.
この竹林から東側に下ると,すぐに石原谷戸公園がある.
竹林のすぐ向こうには横浜市水道局小雀浄水場の広大な敷地が広がっている.
面白いことに,横浜市水道局の施設のかなりの部分が鎌倉市の市域の入っている.
<竹林の急坂を登る>
■東正院橋からの眺望
竹林で一休みした後,浄水場沿いの農道を西へ向かう.およそ5分ほど歩くと東正院橋に到着する.
この橋からの眺望は素晴らしい.
目の前に,玉縄城趾が見えている.本丸跡に建っている清泉女学院の建物が見える.この建物を囲むように山が連なっている.ここから眺めていると往時の玉縄城が彷彿と目に浮かぶ.
<東正院橋から鎌倉方面を望む;遠くの山が天園,目の前が玉縄城祉>
<田谷の洞窟へ>
■横浜市の田谷町へ下る
東正院橋から往路を引き返す.そのまま浄水場沿いの道を歩いて,横浜市戸塚区(栄区がな?)小雀町に入る.舗装道路になる.
ここから,やや急な下り坂2車線道路になる.ここは高いところだから眺望がよい.進行方向右手には警察犬訓練所がある.ドスの利いた犬の鳴き声が聞こえてくる.犬が苦手の私は,この声を聞くと背筋が寒くなる.
この辺りには,ついこの間まで,モノレール線路の残骸が残っていたが,何時の間にか,撤去されている.
西谷戸の信号で,自動車道を横断する.この自動車道は,さきほどの関谷地蔵堂からつながる道である.そして,がっくり橋付近から流下する小川沿いの道を東へ進む.小川の名前は分からない.進行方向左側,つまり小川の反対側には民家が連なっている.
やがて田谷交差点で笠間大橋の上を通る自動車道に合流する.
田谷交差点から,北へ向かう.進行方向左手(西側)には丘陵,右手には田園が広がる.田園の先には,大企業の公共群が見えている.その先にJR戸塚駅があるはずである.
<浄水場脇の散策路>
■ラドン温泉跡
14時12分,ラドン温泉跡に到着する.ここはすでに廃業している.
ラドン温泉敷地から近道をして,定泉寺(田谷の洞窟)に入ろうとしたが,近道は通行止めになっている.
やむを得ず,入口かで引き返して,定泉寺の正面に向かう.
<ラドン温泉跡>
■定泉寺
13時30分,定泉寺に到着する.
ここは真言宗の寺.田谷山粦瑜伽洞が正確な呼称.鶴ヶ岡二十五坊の修禅道場だったところである.鎌倉時代初期開山創建.洞窟は江戸時代まで拡張され,上下3段,延長1キロメートル.本尊一願弘法大師,四国,西国,秩父,板東札所,両界曼荼羅諸尊,十八羅漢など週百体の彫像が並ぶ(以上定泉寺案内文より引用).
<定泉寺に到着>
■洞窟を一周
受付で参観料400円を支払う.案内文と小さなローソクを1本貰う.
洞窟入口においてあるローソク立てに小さなローソクを立てる.そして,入口にあるローソクの火から,火を貰って自分のローソクを点す.
ここから先,洞窟内は撮影禁止なので,ここで写真は紹介できないが,洞窟内の彫刻は実に素晴らしい.あまりに沢山の彫刻があるので,じっくり見ていたらどれほどの時間があっても足りないだろう.
右へ左へと曲がりくねりながら道内を歩く.所々の隙間から,自分たちがいるところより下にある洞窟の明かりが見える.その内に自分が一体何階を歩いているのか分からなくなる.
洞内をザッと見ながら一周するのに30分ほどかかる.
一周後,休憩場所で5分ほど休憩を取る.
<洞窟内は撮影禁止;ローソクの火だけ撮影してデジカメを鞄に入れる>
(つづく)
※参考資料は次回の末尾に掲載します.
「鎌倉あれこれ」の前回の記録
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b46a18e069d5d0b2c72b39721d5cff8a
「鎌倉あれこれ」の次回の記録
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/8933dba16e754fd156bd8c88b52f74e2
「五十三次洛遊会」の前回の記録
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/7f90230c6147fb6f522d8f0fc86d06fe