<フェレのコル:イタリアとスイスの国境>
ツールドモンブラン(23);4日目(3);フェレのコルを経てフーリー村へ
(アルパインツアー)
2011年7月16日(土)~24日(日)
第6日目;2011年7月21日(土)(トレッキング4日目)
<地図;エレナ小屋からプーリー村まで>
※この地図に誤りがありますので,近日中に正しい地図と差し替えます.
<エレナ小屋を出発>
■エレナ小屋を出発
休憩を終えた私たちは,10時30分にエレナ小屋(標高2062m)を出発する.
エレナ小屋のテラスから裏手の登山口へ進む.いきなりジグザグの急な登りが始まる.つづら折りの長い登り坂の始まりである.地図を見ると,私たちは,エレナ小屋東側の尾根を登っている.尾根の南側には小さな川が流れる谷間がある.
辺りは素晴らしいお花畑である.私は,花が全く分からないので,何という花が咲いているのか伝えられないが,辺り一面の黄色い花が咲いている.
坂道の勾配が緩くなる.前方には雪を頂い尾根が見えている.
<黄色や青の花が沢山咲いている>
<前方には雪山が見えている>
■素晴らしい眺望
11時17分,標高2360メートル付近で,10分ほど休憩を取る.エレナ小屋から標高差で300メートルほど登ったことになる.
ここからの眺望は素晴らしい.
眼下に,先ほど休憩を取ったエレナ小屋が見えている.その先には雪を頂く尖鋒が連なっている.
<お花畑の真ん中で休憩>
<眼下の谷間から登ってきた>
■残雪の稜線歩き
休憩を終えて11時22分,再び歩き出す.
勾配はそれほどきつくはないが,幅が広い両川沿いの登り坂が続く.見晴らしはますます良くなる.
標高が高くなるにつれて,足許にも残雪が見え始める.そして,登山道にも水分を多く含んだ残雪が現れる.いわゆる“くされ雪”である.もちろん,アイゼンは不要だが,ぐしゃぐしゃな雪道に変わる.
どの位の気温か分からないが,少々寒いのでウインドウブレーカー代わりに雨具の上着を着用する.
やがて,前方に,雪を抱いた稜線が見え始める.この稜線イタリアとスイスの国境である.
<国境の山並み;こちら側がイタリア,山の向こうはスイス>
■フェレのコルに到着
11時45分,すぐ先にイタリアとスイスの国境,フェレのコル(標高2537m)が見え出す.
現地ガイドのクリストファさんが,
「あそこが,フェレのコル,イタリアとスイスの国境ですよ・・・あそこで昼食にしますよ・・」
と一同を励ます.
すぐ近くに見えているのに,歩いているとなかなか近付かないので,多少イライラするが,11時52分,漸くフェレのコルに到着する.
<フェレのコルまであと僅か>
<フェレのコル;ここがイタリアとスイスの国境だ>
<フェレのコル>
■フェレのコルからの眺望
フェレのコルからの眺望は素晴らしい.スイス側は広い谷間が続いている.見渡す限り,一面の銀世界である.
どうやら,天気も回復しはじめているのか,雲が次第に高くなり,遙か東の空には青空も顔を覗かせている.
フェレのコルも,イタリア側の斜面は陽が当たるためか雪はなく草地が広がっている.
<フェレのコルからスイス側を望む>
■豪華な昼食
クリストファさんの指示で,一同分担して背負ってきた食料を草地に広げる.さまざまなチーズ,野菜,スモモ,メロン,パンなどがドッサリ.
クリストファさんとツアリーダーのS村さんが手際よく並べる.
一同車座になって,豪華な昼食を楽しむ.
<クリストファさんが昼食を準備する>
<悪路の連続>
■残雪を踏みながら・・
食事が終わる頃,急に雨が降り出す.
12時31分,昼食を終えた私たちは,雨具を着て,フェレのコルを出発する.雨でグシャグシャになっている残雪を踏みながら,スイス側の谷を下り始める.暫くの間,なだらなな下り坂が続く.
<所々に残雪がある下り坂を進む>
<雪から顔を出す可憐な花>
■踏み跡のような道に入る
12時33分,クリストファさんが,
「・・近道を通ります・・・」
と言って,登山道から外れて牧場の中の踏み跡道に入る.外れた場所を地図で確かめるが正確には,どこか分からない.
やや急な下り坂になる.少し進むと広い谷の左岸を下るトラバース道になる.
暫く進むと,今度は,緩やかな登り坂が連続する.地図で現在地を確かめたかったが,余りハッキリとは分からない.
<牧草地の中を進む>
<ハッキリした道のないところへ入りこむ>
■林の中の泥んこ道
やがて林の中に入り込む.雨のために足許が極端に悪い.少し急な下り坂になる.
林が途切れて,広場になる.
クリストファさんが,
「トイレに行きたい人は,あっちの方でしてきてください・・」
と言いながら,少し離れた場所を指さす.
そのとき,どこからともなく男性が現れて,大声で,クリストファさんに何かを言っている.
「そんなところでトイレをしては困ると言っているよ・・余り沢山の人が居るのでクレームです・・」
と苦笑する.
<人の気配がない道を進む>
<フーリー村らしいところが見える.ここから林の中のとんでもない悪路を下る>
■空き地で一休み
なおも悪路が続く.正確に言えば道ではないかも知れない.
林の中の急斜面を下る.足許は泥んこ.ヌルヌルと滑る急斜面を転倒しないで下るのは容易ではない.でも,こんな悪路も面白いなと思いながら下り続ける.山道になれていない人は,かなり苦労しているようである.
14時24分,急な下り坂が終わったところの空き地で一休みする.悪路が終わってホッとする.どうやら雨も止んだようである.
<広場で一休み>
<ようやくフーリー村へ>
■橋を渡りフーリー村入口で泥靴を洗う
悪路が終わって,漸く並の登山道になる.
14時50分,フェレ川(?)(地図にはla Drang de Ferret )に架かる木造の橋を渡る.綺麗な水がとうとうと流れる川である.
川を渡ると草地になる.これまでの悪路から解放され,最高の気分である.
フーリー村(標高1800m)の村はずれにある水飲み場に到着する.
風呂桶ほどの大きな水溜に,絶えず水が注ぎ込まれている.
ツアーリーダーのS村さんから,
「桶の水を汚さないように,注意して靴の泥を洗い流しましょう・・」
と言われる.
一同,桶から水を手ですくて,靴の泥を落とす.近くの雑草をちぎってタワシ代わりにする人もいる.ねばねばした泥はなかなか落ちないが,とにかく件名に落とす.
そうこうしている内に,クリストファさんがやってくる.
「オレの靴はゴアテックスが貼ってあるので防水だよ・・・」
と言って,いきなり泥足を桶に入れてしまう.
一同唖然とする.でも誰も何も言わない.内心では,
「折角,桶の水を汚さないように注意していたのに・・・それに,俺たちの靴だって,全員,ゴアテックスだよ・・・俺たちがどんなボロ靴を履いていると思っているんだろう・・・」
とあきれる.
<一寸怪しい木橋を渡る>
■閑静なフーリー村
靴を洗い終えて,フーリー村の集落に入る.閑散とした集落である.
私たちは,フーリー村から専用車に乗って,教の宿泊地,シャンペまで向かう予定である.
クリストファさんが,
「皆さん,歩き方が早かったので,予定より大分早く,(フーリー村に)着いてしまったよ.バス会社に,早く自動車を回してくれるように頼んでけれど,予定が詰まっていて,早くできないって・・・・喫茶店にでも入って,待ちましょう・・」
と言う.
<フーリー村に到着>
<閑静なフーリー村中心街>
■小さなレストラン
一寸した広場に面して,小さなレストランがある.ここに入って,暫く休憩.
私はコーラを注文する.コーラはどこの国に行っても同じ味なので安心して注文できる.
レストランの窓からは,近くの山が見えている.完成で落ち着いた雰囲気の店である.
15時35分,私たちの専用車が到着する.
私たちは,これから専用車に乗って,今日の宿泊地,シャンペへ向かう予定である.
<小さなレストラン>
<コーラを所望する;世界中どこでも同じ味だから安心だ>
(つづく)
「ツールドモンブラン」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/d4185db7309a7a4675dd9b358bbc911b
「ツールドモンブラン」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/9661df8c3b57d3af0eb7d3cfc06762fa
「ツールドモンブラン」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/4a4c5fb759853b8b140c4d3944095d8c
「ツールドモンブラン」の目次
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/4a4c5fb759853b8b140c4d3944095d8c
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[編集後記]
2011年10月14日(金)
今日は五十三次洛遊会メンバーと一緒に,鎌倉北部のマイナーコースを終日歩く予定である.今日の資料を整えるために,昨夜は頑張った.それも,所用があって東京郊外の多摩市まで出掛けていたので,資料整備は深夜まで続いた.そのため,今朝は少々寝不足気味.
正直なところ,諸事をサッサと,こなしてしまいたい.
「おまえ・・・ちょっと色々なことに手を出しすぎているぞ・・・」
と私の中に巣喰っているもう一人の私が私に忠告する.
ご尤も.のんびりと晩秋を楽しみたいなと思っている.
アッ! そうだ!!
そろそろ年1回受診している健康診断を受けなければ・・・
(愚痴おわり)