<笠ヶ岳山荘から穂高連峰を望む>
やっぱり北アルプスはいいな:弓折岳・笠ヶ岳縦走(7)
(白馬館北アルプス総合案内所)
2009年8月22日(土)~24日(月)
第2日目 2009年8月23日(日) (つづき)
<笠ヶ岳山荘が見えている>
■まだまだ笠ヶ岳山荘は遠い
12時09分,小さなコルを越えて,標高2730メートルの鞍部で休憩を取る.笠ヶ岳が目の前に大きく聳えている.笠ヶ岳山頂から少し下った中腹の平らなところに笠ヶ岳山荘が見えている.中腹といっても,今,私たちが座っている場所からは,随分と高いところにある.こ地形図で見ると,こから笠ヶ岳山荘までの標高差は,せいぜい100メートルほどしかないが,視覚的には随分と高いところにあるように見える.
同行者の誰かが,
「・・(笠ヶ岳山荘まで)あと,もう一回,休憩を取らないと無理かな・・」
と呟く.それを聞いたガイドのKさんが,
「いえ,あとは休憩なしで,笠ヶ岳山荘まで登りますよ・・・」
と突き放すように言う.
<標高2730mの草原で一休み:中央がガイドのKさん>
<休憩場所から富士山が見える>
■幕営場を通過
休憩を終えて,12時16分に歩き出す.決して急な勾配ではないが,なまじ山荘が見えているので,これからが,いかにも大変そうに見える.私たちは,山荘が見えて安心したのか,あるいは疲労困憊しているのか分からないが,かなりゆっくりとしたペースで登り続ける.
歩いても,歩いても,そこに見えている山小屋が近づかないじれったさを感じるが,それでも時間と共に私たちの高度も次第に高くなっていく.小屋が近づくと,登山道周辺の灌木や,目の前の坂道の陰になって,逆に小屋が見えなくなる.暫くの間,私たちは,Kさんの後について黙々と登り続ける.
やがて峠のように見えている場所を通過する.辺りは緩やかな勾配の平地になっている.ただ,拳大以上の石や礫が一面に広がっている石原である.やがて勾配が一段となだらかになる.ここが笠ヶ岳の幕営場である.すでに若い男性が1張のテントを設営している.
幕営場の近くには水がありそうだが,一段と高いところに見えている笠ヶ岳山荘まで手続きに行くのは面倒そうである.
<幕営場から笠ヶ岳山荘が直ぐ近くに見える>
■やっと笠ヶ岳山荘に到着
幕営地を過ぎて,さらに笠ヶ岳山荘まで,最後の登り坂を登る.そして,12時45分,1人の落伍者もなく,笠ヶ岳山荘(標高2810m)に到着する.
今日の笠ヶ岳山荘は大変な混雑のようである.私たちが山荘に到着したときには,まだ日が高いのに,もう沢山の宿泊客で混雑している.
私たちは,とりあえず山荘前の広場にリュックを置いて,笠ヶ岳山頂を往復する予定である.
笠ヶ岳山荘からの眺望は素晴らしい.私たちが苦労して登ってきた道が,遠くまでクネクネと続いているのが見下ろせる.
<笠ヶ岳山荘に到着:人物は他のグループの方々>
<笠ヶ岳山荘からの素晴らしい眺望>
<笠ヶ岳山頂を往復>
■笠ヶ岳山頂へ
私たちは,水をタップリ飲んだ後,リュックを庭先に置いて,カメラだけを持って,12時59分に笠ヶ岳山頂を目指して,山荘前の広場を出発する.
目の前には,樹林帯を超えたガレ場が連続している.標高が高いせいか,同行者のお一人が,少し元気をなくしている.ジグザグのガレ場を,暫くの間,登り続ける.リュックを背負っていないと,こんなにも楽なのかと実感しながらゆっくりと登る.
やがて山頂らしいところに到着する.右手に小さなお社が建っている.ここが山頂かと思ったら,本当の山頂は,ここからさらに尾根沿いに大きな石ころの上を伝って進んだところにある.足元が悪くてバランスを崩したら石の間に転落して怪我をしそうである.とにかく足元に全神経を集中して山頂を目指す.
<笠ヶ岳山頂を目指して:石ころがゴロゴロしていて歩きにくい>
■笠ヶ岳山頂に到着
12時45分,私たちは笠ヶ岳山頂(標高2897m)に到着する.山頂は狭いが,四方に視界を遮る山がないので,文字通り360度の贅沢な展望が広がる.
微風が吹いている.気温がどの程度あるか分からないが.立ち止まると寒くなる.
山頂を示す案内板は朽ち果てている.僅かに「笠ヶ岳山頂」という字が残る板切れ転がっている.この板きれを持って,交替しながら,写真を撮る.
<意外に狭い笠ヶ岳山頂>
<笠ヶ岳山頂:石ころがゴロゴロと転がっている:人物は無関係>
■360度の眺望
今日の山頂は空気が澄んでいる.まるで日本中の山が見えているのではないかと思うほど遠くの山まで見える.ガイドのKさんが見えている山の名前を片っ端から教えてくれるが,聞いている側から忘れるので,結局はどの山が何という山か分からずじまいである.
とにかく,360度の写真を撮る.後で写真を解析して写っている山を同定するつもりだが,一方では「どうせやらないだろう」とも思う(9月3日現在,一向にその気になっていない).
同行者の中の1人の女性が,今回の塔ノ岳で日本百名山を全部登頂したことになるという.彼女を囲んで記念写真を撮る(残念ながら,この写真,私の手元にはない).
※360度の眺望写真は別途整理して掲載する予定.
<笠ヶ岳山頂からの眺望:北東方向;槍ヶ岳が見える>
<北.先ほど歩いてきた稜線が見える>
<北北西.立山方面が見える>
<西北>
<西南西>
<南>
<東:穂高連峰が間近>
<笠ヶ岳山頂からの眺望:左回りで一周>
■下山開始
素晴らしい眺望を何時までも眺めていたいが,ガイドのKさんに促されて,12時59分に笠ヶ岳山頂から下山を開始する.
途中,名前の分からない神社をお参りする.神社のお社の周囲には,冬の厳しい風雪に耐えるように,頑丈な石垣がぐるりと囲んでいる.
急なガレ道を慎重に降り続ける.
最近,年のせいか視力が弱くなっている.若い頃に比較すると,足元は見えているのだが,どうも凸凹の識別能力が落ちているような気がする.そのため,眼科に行ってわざわざ足元が良く見えるように調整した登山専用の眼鏡を作ったのだが,それでも万全ではない.
とにかく,足元を注意しながら下山し続ける.
<山頂近くの神社>
■油断大敵
あともう少しで下りが終わりというところで,私は後ろの人と雑談をする.途端に前方が不注意になり,前に出そうとした右足が,岩角に引っかかる.そのままゆっくりと前方に転倒してしまう.転倒する前に立ち止まっていたので,大事に至らなかったが正に油断大敵である.念のために,ずっと手袋をしていたので,手の平も大丈夫のようである.
私の後ろにいた添乗員のMさんが,私の所へ来て,
「大丈夫ですか? 手を動かしてみてください.足の脛は大丈夫ですか・・・」
と私の全身をチェックする.
私は面目ないなと恐縮することしきりである.そして,もっと気を付けようと気を引き締める.
<笠ヶ岳山荘が直ぐ近く;こんなところで油断して転倒した>
<笠ヶ岳山荘>
■混雑する笠ヶ岳山荘
13時45分,最後に転倒したものの何とか無事に笠ヶ岳山荘に到着する.
まだ,新築間もないらしくて,なかなか綺麗な小屋である.1階は事務室,食堂,洗面,トイレ,乾燥室,2階が宿泊室になっている.トイレは簡易水洗.洗面所の水は飲料水にもなる.飲料水が無料で調達できるのは有り難い.
今日も山荘は登山客で大混雑のようである.私たち11人+ガイド+添乗員,合計13人に割り当てられた部屋は6畳ほどの広さである.ここに2列にびっしりと布団が並んでいる.入口から左側が女性,右側が男性に割り当てられる.部屋には,リュックを持ち込むスペースはない.狭い廊下にリュックを置いて,部屋に入る.
もちろん,1枚の布団に2人ずつ寝ることになる.部屋に入った順に窓際の場所から埋めていく.たまたま一番先に部屋に入った私は,添乗員の指示で一番奥の窓際になる.寝ると片側が窓なので有り難いが,夜中にトイレに行くのが大変である.
■夕方のひととき
夕食は,16時30分からである.昨日の19時30分夕食に較べると3時間も早い.
「・・15時まで食堂を使っても良いそうですから,食堂で一休みしましょう・・」
とガイドのKさんが私たちを誘う.
男性諸氏は,
「ますば,ビールだ・・」
と言いながら部屋を出る.暫くして,私も,売店で缶コーヒーを買ってから,食堂へ向かう.
私たち一行が食堂の片隅に集まって談笑している.私も加わる.1人の女性が,
「・・FHさんはストックも使わずに,岩稜をよろけずに歩けるんですね.貴方の後につくと,とても歩きやすかったですよ・・」
と褒める.
それを切っ掛けにして,私が通った登山学校では,ストックを使うのは3年早い.まずは自分の足でバランス良く歩けるようになってからストックを使いなさい・・と言われてきた.それが癖になって,ストックは一応持参しているものの,今でもほとんど使わない.ただ,明日の下り坂では,慎重を期して,ストックを使うつもりである.などと発言する.
6年前にアンナプルナダウラギリトレッキングに同行したT女史が,私のことを話題にする.
「・・FHさんはキリマンジャロ,モンブラン,ユングフラウ・・など海外の高い山に,随分登っておられるんですよ・・」
途端に,私は先ほど不注意で転倒したことが恥ずかしくなり,この場を逃げ出したくなる.
雑談をしている内に,今回の笠ヶ岳が,百名山登頂の98番目,および99番目の方が居られることが分かった.さすがに凄い人ばかりが集まっているなと感心する.
私は問われるままに,
「あまり百名山は意識していませんが,結果的に70~80座ぐらいは登っていると思います」
と答える.
「そんなに登って居られるならば,当然,百名山を目指すべきですよ・・」
と,どなたかが言う.私は内心で「そんなものかな」と思いながら,心の中で皮算用をする.
“仮に1座当たり3万5000円の登山費用が掛かるとして,20座登るには70万円.1年間に国内の山に費やせる資金は,せいぜい40万円/年.その内,塔ノ岳に登るのが3000円/回×50回/年=15万円/年. 40万円-15万円=25万円.1座3万5000円だから,25万円/年÷3万5000円/回=約7座/年.すると, 20座÷7座/年=約3年.”
“う~ん・・後3年か!
今の体力が3年も持つかな・・・待てよ!
登山靴だって減るので,1年に1足は必要になるぞ!
そうなると,実際には,100名山制覇は,5~6年掛かることになるぞ.こりゃ~無理だ!”
こんなろくでもないことを考えている内に,15時頃,雑談が一旦お開きになる.すぐに部屋へ戻る.
■ボリュームたっぷりの夕食
16時30分から夕食である.
笠ヶ岳山荘の夕食も,ネーベンが多くて大変なご馳走である.ご飯が美味しく炊けているので,お代わりをする.このところ,日本の山小屋も随分と良くなったなと実感しながら食事を摂る.
特にお蕎麦が美味しかった.
※ご飯と味噌汁の位置が反対になっている.お箸も逆向き;まあいいか
■長い一日だった
17時頃,食事を終える.後の組の食事があるので,そそくさと食堂を引き上げる.
部屋に戻って,暫くの間,お互いに雑談する.
外を見ると,穂高岳の山頂に雲が掛かっている.一瞬,雲間から穂高連山が顔を出したが,ほんの数秒で,また雲に隠れてしまう.
19時頃,就寝.
やれ,やれ,2日目も長かった.いよいよ明日は下山である.
(つづき)
「北アルプスの山旅」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/e0a0c711f7db1d8e4be617d39c360bcc
「北アルプスの山旅」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/8c964e746dc460bd27703f66e6b3fdc5
やっぱり北アルプスはいいな:弓折岳・笠ヶ岳縦走(7)
(白馬館北アルプス総合案内所)
2009年8月22日(土)~24日(月)
第2日目 2009年8月23日(日) (つづき)
<笠ヶ岳山荘が見えている>
■まだまだ笠ヶ岳山荘は遠い
12時09分,小さなコルを越えて,標高2730メートルの鞍部で休憩を取る.笠ヶ岳が目の前に大きく聳えている.笠ヶ岳山頂から少し下った中腹の平らなところに笠ヶ岳山荘が見えている.中腹といっても,今,私たちが座っている場所からは,随分と高いところにある.こ地形図で見ると,こから笠ヶ岳山荘までの標高差は,せいぜい100メートルほどしかないが,視覚的には随分と高いところにあるように見える.
同行者の誰かが,
「・・(笠ヶ岳山荘まで)あと,もう一回,休憩を取らないと無理かな・・」
と呟く.それを聞いたガイドのKさんが,
「いえ,あとは休憩なしで,笠ヶ岳山荘まで登りますよ・・・」
と突き放すように言う.
<標高2730mの草原で一休み:中央がガイドのKさん>
<休憩場所から富士山が見える>
■幕営場を通過
休憩を終えて,12時16分に歩き出す.決して急な勾配ではないが,なまじ山荘が見えているので,これからが,いかにも大変そうに見える.私たちは,山荘が見えて安心したのか,あるいは疲労困憊しているのか分からないが,かなりゆっくりとしたペースで登り続ける.
歩いても,歩いても,そこに見えている山小屋が近づかないじれったさを感じるが,それでも時間と共に私たちの高度も次第に高くなっていく.小屋が近づくと,登山道周辺の灌木や,目の前の坂道の陰になって,逆に小屋が見えなくなる.暫くの間,私たちは,Kさんの後について黙々と登り続ける.
やがて峠のように見えている場所を通過する.辺りは緩やかな勾配の平地になっている.ただ,拳大以上の石や礫が一面に広がっている石原である.やがて勾配が一段となだらかになる.ここが笠ヶ岳の幕営場である.すでに若い男性が1張のテントを設営している.
幕営場の近くには水がありそうだが,一段と高いところに見えている笠ヶ岳山荘まで手続きに行くのは面倒そうである.
<幕営場から笠ヶ岳山荘が直ぐ近くに見える>
■やっと笠ヶ岳山荘に到着
幕営地を過ぎて,さらに笠ヶ岳山荘まで,最後の登り坂を登る.そして,12時45分,1人の落伍者もなく,笠ヶ岳山荘(標高2810m)に到着する.
今日の笠ヶ岳山荘は大変な混雑のようである.私たちが山荘に到着したときには,まだ日が高いのに,もう沢山の宿泊客で混雑している.
私たちは,とりあえず山荘前の広場にリュックを置いて,笠ヶ岳山頂を往復する予定である.
笠ヶ岳山荘からの眺望は素晴らしい.私たちが苦労して登ってきた道が,遠くまでクネクネと続いているのが見下ろせる.
<笠ヶ岳山荘に到着:人物は他のグループの方々>
<笠ヶ岳山荘からの素晴らしい眺望>
<笠ヶ岳山頂を往復>
■笠ヶ岳山頂へ
私たちは,水をタップリ飲んだ後,リュックを庭先に置いて,カメラだけを持って,12時59分に笠ヶ岳山頂を目指して,山荘前の広場を出発する.
目の前には,樹林帯を超えたガレ場が連続している.標高が高いせいか,同行者のお一人が,少し元気をなくしている.ジグザグのガレ場を,暫くの間,登り続ける.リュックを背負っていないと,こんなにも楽なのかと実感しながらゆっくりと登る.
やがて山頂らしいところに到着する.右手に小さなお社が建っている.ここが山頂かと思ったら,本当の山頂は,ここからさらに尾根沿いに大きな石ころの上を伝って進んだところにある.足元が悪くてバランスを崩したら石の間に転落して怪我をしそうである.とにかく足元に全神経を集中して山頂を目指す.
<笠ヶ岳山頂を目指して:石ころがゴロゴロしていて歩きにくい>
■笠ヶ岳山頂に到着
12時45分,私たちは笠ヶ岳山頂(標高2897m)に到着する.山頂は狭いが,四方に視界を遮る山がないので,文字通り360度の贅沢な展望が広がる.
微風が吹いている.気温がどの程度あるか分からないが.立ち止まると寒くなる.
山頂を示す案内板は朽ち果てている.僅かに「笠ヶ岳山頂」という字が残る板切れ転がっている.この板きれを持って,交替しながら,写真を撮る.
<意外に狭い笠ヶ岳山頂>
<笠ヶ岳山頂:石ころがゴロゴロと転がっている:人物は無関係>
■360度の眺望
今日の山頂は空気が澄んでいる.まるで日本中の山が見えているのではないかと思うほど遠くの山まで見える.ガイドのKさんが見えている山の名前を片っ端から教えてくれるが,聞いている側から忘れるので,結局はどの山が何という山か分からずじまいである.
とにかく,360度の写真を撮る.後で写真を解析して写っている山を同定するつもりだが,一方では「どうせやらないだろう」とも思う(9月3日現在,一向にその気になっていない).
同行者の中の1人の女性が,今回の塔ノ岳で日本百名山を全部登頂したことになるという.彼女を囲んで記念写真を撮る(残念ながら,この写真,私の手元にはない).
※360度の眺望写真は別途整理して掲載する予定.
<笠ヶ岳山頂からの眺望:北東方向;槍ヶ岳が見える>
<北.先ほど歩いてきた稜線が見える>
<北北西.立山方面が見える>
<西北>
<西南西>
<南>
<東:穂高連峰が間近>
<笠ヶ岳山頂からの眺望:左回りで一周>
■下山開始
素晴らしい眺望を何時までも眺めていたいが,ガイドのKさんに促されて,12時59分に笠ヶ岳山頂から下山を開始する.
途中,名前の分からない神社をお参りする.神社のお社の周囲には,冬の厳しい風雪に耐えるように,頑丈な石垣がぐるりと囲んでいる.
急なガレ道を慎重に降り続ける.
最近,年のせいか視力が弱くなっている.若い頃に比較すると,足元は見えているのだが,どうも凸凹の識別能力が落ちているような気がする.そのため,眼科に行ってわざわざ足元が良く見えるように調整した登山専用の眼鏡を作ったのだが,それでも万全ではない.
とにかく,足元を注意しながら下山し続ける.
<山頂近くの神社>
■油断大敵
あともう少しで下りが終わりというところで,私は後ろの人と雑談をする.途端に前方が不注意になり,前に出そうとした右足が,岩角に引っかかる.そのままゆっくりと前方に転倒してしまう.転倒する前に立ち止まっていたので,大事に至らなかったが正に油断大敵である.念のために,ずっと手袋をしていたので,手の平も大丈夫のようである.
私の後ろにいた添乗員のMさんが,私の所へ来て,
「大丈夫ですか? 手を動かしてみてください.足の脛は大丈夫ですか・・・」
と私の全身をチェックする.
私は面目ないなと恐縮することしきりである.そして,もっと気を付けようと気を引き締める.
<笠ヶ岳山荘が直ぐ近く;こんなところで油断して転倒した>
<笠ヶ岳山荘>
■混雑する笠ヶ岳山荘
13時45分,最後に転倒したものの何とか無事に笠ヶ岳山荘に到着する.
まだ,新築間もないらしくて,なかなか綺麗な小屋である.1階は事務室,食堂,洗面,トイレ,乾燥室,2階が宿泊室になっている.トイレは簡易水洗.洗面所の水は飲料水にもなる.飲料水が無料で調達できるのは有り難い.
今日も山荘は登山客で大混雑のようである.私たち11人+ガイド+添乗員,合計13人に割り当てられた部屋は6畳ほどの広さである.ここに2列にびっしりと布団が並んでいる.入口から左側が女性,右側が男性に割り当てられる.部屋には,リュックを持ち込むスペースはない.狭い廊下にリュックを置いて,部屋に入る.
もちろん,1枚の布団に2人ずつ寝ることになる.部屋に入った順に窓際の場所から埋めていく.たまたま一番先に部屋に入った私は,添乗員の指示で一番奥の窓際になる.寝ると片側が窓なので有り難いが,夜中にトイレに行くのが大変である.
■夕方のひととき
夕食は,16時30分からである.昨日の19時30分夕食に較べると3時間も早い.
「・・15時まで食堂を使っても良いそうですから,食堂で一休みしましょう・・」
とガイドのKさんが私たちを誘う.
男性諸氏は,
「ますば,ビールだ・・」
と言いながら部屋を出る.暫くして,私も,売店で缶コーヒーを買ってから,食堂へ向かう.
私たち一行が食堂の片隅に集まって談笑している.私も加わる.1人の女性が,
「・・FHさんはストックも使わずに,岩稜をよろけずに歩けるんですね.貴方の後につくと,とても歩きやすかったですよ・・」
と褒める.
それを切っ掛けにして,私が通った登山学校では,ストックを使うのは3年早い.まずは自分の足でバランス良く歩けるようになってからストックを使いなさい・・と言われてきた.それが癖になって,ストックは一応持参しているものの,今でもほとんど使わない.ただ,明日の下り坂では,慎重を期して,ストックを使うつもりである.などと発言する.
6年前にアンナプルナダウラギリトレッキングに同行したT女史が,私のことを話題にする.
「・・FHさんはキリマンジャロ,モンブラン,ユングフラウ・・など海外の高い山に,随分登っておられるんですよ・・」
途端に,私は先ほど不注意で転倒したことが恥ずかしくなり,この場を逃げ出したくなる.
雑談をしている内に,今回の笠ヶ岳が,百名山登頂の98番目,および99番目の方が居られることが分かった.さすがに凄い人ばかりが集まっているなと感心する.
私は問われるままに,
「あまり百名山は意識していませんが,結果的に70~80座ぐらいは登っていると思います」
と答える.
「そんなに登って居られるならば,当然,百名山を目指すべきですよ・・」
と,どなたかが言う.私は内心で「そんなものかな」と思いながら,心の中で皮算用をする.
“仮に1座当たり3万5000円の登山費用が掛かるとして,20座登るには70万円.1年間に国内の山に費やせる資金は,せいぜい40万円/年.その内,塔ノ岳に登るのが3000円/回×50回/年=15万円/年. 40万円-15万円=25万円.1座3万5000円だから,25万円/年÷3万5000円/回=約7座/年.すると, 20座÷7座/年=約3年.”
“う~ん・・後3年か!
今の体力が3年も持つかな・・・待てよ!
登山靴だって減るので,1年に1足は必要になるぞ!
そうなると,実際には,100名山制覇は,5~6年掛かることになるぞ.こりゃ~無理だ!”
こんなろくでもないことを考えている内に,15時頃,雑談が一旦お開きになる.すぐに部屋へ戻る.
■ボリュームたっぷりの夕食
16時30分から夕食である.
笠ヶ岳山荘の夕食も,ネーベンが多くて大変なご馳走である.ご飯が美味しく炊けているので,お代わりをする.このところ,日本の山小屋も随分と良くなったなと実感しながら食事を摂る.
特にお蕎麦が美味しかった.
※ご飯と味噌汁の位置が反対になっている.お箸も逆向き;まあいいか
■長い一日だった
17時頃,食事を終える.後の組の食事があるので,そそくさと食堂を引き上げる.
部屋に戻って,暫くの間,お互いに雑談する.
外を見ると,穂高岳の山頂に雲が掛かっている.一瞬,雲間から穂高連山が顔を出したが,ほんの数秒で,また雲に隠れてしまう.
19時頃,就寝.
やれ,やれ,2日目も長かった.いよいよ明日は下山である.
(つづき)
「北アルプスの山旅」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/e0a0c711f7db1d8e4be617d39c360bcc
「北アルプスの山旅」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/8c964e746dc460bd27703f66e6b3fdc5
私も山荘から山頂までの短い道のりを
「なんでこんなに岩ばかり???」と思いつつ
登りました。
明日はいよいよ笠新道ですね!
コメント,有り難うございました.
山頂付近は,ご指摘の通りで,大きな石を伝って歩くのが怖かったです.
笠新道も,大きな石がゴロゴロで,本当に往生しました.それに疲れました.
また,私のブログをお尋ね下さい.