<賑やかな駅前通り>
ツールドモンブラン(28);5日目(4);シャモニーそぞろ歩き
(アルパインツアー)
2011年7月16日(土)~24日(日)
第7日目;2011年7月22日(金)(トレッキング5日目)
<シャモニー中心部の地図>
<ダウンタウンを一回り>
■沢山の観光客
ホテルの自室に入って,まずは入浴.そして,荷物の整理を済ませる.
今夜が,このツアーの最後の夜になる.最後の夜には,希望者だけ集まって晩餐会をやろうということになる.希望者は19時00分にホテルロビーに集合することになっている.それまでには,まだ時間があるので,同室のF田さんと一緒に,夕方のダウンタウンを一巡りすることになる.
17時頃から,2人で,何処という宛もなく,とにかく足の向くままにブラブラと歩き出す.
まずは,沢山の観光客が屯していて賑やかな広場の方へ歩き出す.
気温は暑くも寒くもなく,とても気持ちがよい.
フランス語ばかりの案内板の中で,英語で“Change”と画いてある店を発見する.両替屋かなと思うが,確かめる気にはならない.
散策をしている人の大部分が観光客のようである.顔つきや着ているものが実に多様である.人が多い割には,日本人は余り見掛けない.
<多種多様な観光客>
■格好いい駅
教会の前を通過して,通りを見通すと,突き当たりが駅のようである.
昔,列車マニアであった私は,どうしても駅へ行ってみたいので,何となくF田さんを促して駅へ行ってみる.
なかなか洒落た概観の駅である.
<洒落た駅舎>
■小綺麗な待合室
まずはともかく駅舎の中へ入ってみる.肝心の駅の正式名称は分からないが・・まあ,いいや.
待合室はこぢんまりとしている.天井まで白い漆喰が塗られている.突き当たりにBILLETSと書いてあるコーナーがある.私はフランス語が分からないが,何となく英語流に読んで,切符売り場だろうと想像する.間違っていたらハズカシイ.
<こぢんまりとした待合室>
■改札口
駅舎への入口と反対側に改札口がある.ホームに出る扉は閉まっているが,ホームに人影がある.勝手に扉を開けてホームへ行っても良いのかも知れないが,試してみる気にはならない.
改札口の両側に出発時刻と到着時刻を示す電光掲示板がある.この掲示板を見ると30分に1本くらいの頻度で電車が通っているようである.
<改札口>
<発車時刻表> <到着時刻表>
■何番線まであるんだろう?
列車の到着時刻が近付いたのか,何人かの乗客が,列を作ってホームに入っていく.私も,ついつい,一緒にホームへ行きたくなる.
まるでバカみたいな話だが,列車マニアにとって,この駅にはホームが何番線まであるのか,ホームの長さはどの程度か,何両編成の電車が走っているのか,レールは広軌か狭軌か,レールの太さ(1メートル当たりの重量)はどの程度か・・・そんな諸々が気になって仕方がない.
でも,まあ,今日は,これから後のスケジュールもあるし,1人で散歩しているわけではないので,適当なところで駅見学を終える.
<改札口から乗客がホームに入る.間もなく電車が来るのだろう.見たいな・・・>
■ますます混雑する繁華街
そろそろ時間が押してきた,ホテルへ戻ることにする.往路をそのまま引き返してもツマラナイので,多少,寄り道をしながらホテルを目指す.
先ほどより,大分観光客が増えている.
繁華街を適当に歩いて,18時50分頃,ホテルへ戻る.
<ますます混雑する繁華街>
(つづく)
「ツールドモンブラン」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/1ade3296fe34ad053d7a1b0e98d93161
「ツールドモンブラン」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/a4b797e87c0027071ee63d3947644c0e
「ツールドモンブラン」の目次
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/4a4c5fb759853b8b140c4d3944095d8c
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[編集後記]
2011年10月23日(日)
もう,10月も下旬である.街中の本屋を覗くと,もうさまざまな日記帳が陳列されている.ついつい,日記帳を次から次へと手にとって見較べてしまう.
本屋に陳列されている日記帳を眺めていると,もう1年が経つのか,時間が過ぎ去るのは実に速いなと改めて思う.
実は,ここ1週間ばかりの間,私は大変過重な仕事に精根尽き果ててしまうほど没頭してきた.それは,来月中頃に実施予定の五十三次洛遊会中仙道六十九宿巡りの資料作りである.
資料作りには,まず,カシミールを使う.1日ごとの旧中仙道の道筋を辿って,水平歩行距離と,累積登攀高度,累積下降高度を確かめる.この道筋が,参考文献・資料によって,細部にかなりの差異があったり,一口に中仙道と言っても,江戸初期の中仙道と江戸末期の中仙道では,かなりのヶ所で微妙に違うところがある.また,文献・資料では現在も通過可能になっているところが,実際に現地に行ってみると,通れなくなっているなど,悩みの種は尽きない.
宿場ごとに,本陣,脇本陣,高札所跡,一里塚跡,常夜灯,枡形,食事処などの位置を調べて,25000分の1の地図の上にプロットする.さらに,めぼしい交差点名,バス停,踏切などを記入していく.
これら一連の作業は,正に神経をすり減らしながらの難行苦行である.
今回は福島宿から中津川宿までの地図を仕上げた.その結果,A4版の用紙で28枚と大量の資料になった.
昨日は,午後の時間全部を使って,自宅のPCプリンターから,3組,合計84枚の資料をプリントアウトした.プリントアウトの時間が長いこと,長いこと,これには閉口した.
プリントアウトした3組の資料は,今日,最終チェックをして,封書に収め,明日,月曜日に,鎌倉梶原郵便局から,世話役3人に郵送する予定である.
ここまでやっと漕ぎ着けて,正直なところ,ホッとしている.
ここから先,世話役のお1人が,これらの資料を複写して,参加者約10名ほどに,開催日初日に配布することになっている.
実は,この一連の資料は,江戸日本橋を歩き出してから,ずっと作り続けている.前回の旅で,中仙道の中間点を漸く越えた.そして次回,11月の例会で,中津川宿まで手が届く.段々と京都が射程距離に入ってきた.今後も京都三条大橋の終点まで,この地図を作り続けるつもりだ.
全部が完成したときには,数百枚に上る貴重な資料になるはずである.多分,分厚いバインダーでないと収まらない量になるだろう.でも,これらの資料は非売品.旅の仲間以外に出回ることはないだろう.
ところで,私には,他人がどう評価するかは別にして,自分にとっての宝物がいくつかある.中仙道の資料も,私の宝物のひとつになることは間違いない.
願わくは,この資料のコピーを受け取った同行の皆さん.
「・・・この資料には私の執念と情熱が籠もっています.その辺に棄てたり,破ったりしないで下さい.それでは悲しすぎます.どうぞ,大切に活用して下さい.お願いしますよ・・・」
<今回の資料は全部で28枚.これで1組>
「何で,そこまで頑張るの・・・」
と私の身体を心配してくれる方から忠告を受ける.
でも,平素の塔ノ岳往復に比較すれば,体力的な消耗はゼロに近いほど少ない.ただ,加齢のせいもあって,目の疲れだけはどうにもならない.
それでも,こんな七面倒くさい作業をするのには,大きな理由が三つある.それは,
第1に,これから歩く道がどんなところかを予め予想するのが面白い,
第2に,実際に現地を歩いてみて,予想と違うところが見つかるのが面白い,
第3に,旅を終えて,記録を残すことが楽しい,
である.事前に行き先を調べることにより,”1回の旅で,3回楽しめる”からである.いわば,“3回快楽旅病”ともいえる立派な病気である.この病気,死ぬまで治らない私の業(ごう)でもある.
余談だが,このツールドモンブランのブログ記事だって,私が”3回快楽旅病”に罹っているから,書き続けられるんだ.
だから,今後も多少無理は承知で,一連の資料を作り続けるだろう.
…でも,そんなことばかり言っていられない.
来週からは,水彩画の制作に専念しよう.なにせ,芸術の秋だもの・・・水彩画も,また,私の業(ごう)だから・・・・
(愚痴おわり)
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