中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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鎌倉:大町・材木座の古刹・史跡を一回り(3)

2009年04月03日 10時59分27秒 | 鎌倉あれこれ

                      <和賀江島の石碑>

 
      鎌倉:大町・材木座の古刹・史跡を一回り(3)    
              (単独散策)
           2009年3月17日(火)


           <地図は(↓)の記事を参照>
      
ttp://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/dd4260f5aca31ca05a4a241ab87894c5

(つづき)

■光明寺
 13時34分,九品寺を出る.バス通りを素直に辿って,13時42分に天照山光明寺に到着する.
 1243年(寛元元年),4代執権北条経時が開いた浄土宗の大寺院である.遡ること3年前,経時が佐助ヶ谷に開基した蓮花寺が光明寺の前身だという(小林,1996,p.114).開山は然阿良忠(鎌倉商工会議所, 2007,pp.98-99).山門の額に描かれている「天照山」は後花園天皇の直筆だというから驚く.本堂に向かって左手には小堀遠州が作った庭があるが,今日は見学を省略する.
 広い境内に訪れる人の数は疎らである.境内の隅に飼い猫か捨て猫か分からないが,数匹の猫がノンビリと寝そべっている.
 本堂に向かって右手の幼稚園がある.その手前から秋葉山大権現に通じる参道があるが,このところ通行できなくなっている.ところが,今日は「通せんぼ」をしていた柵が開けてある.これは有り難い.私は迷わずに,この参道を登る.やや急な参道を登り切ると舗装道路に出る.
 舗装道路への参道出口には,「工事中危険立入禁止」と書いた看板が立っている.やっぱり,ここは通ってはいけなかったのかと気が付くが,後の祭りである.

                    <光明寺三門>

■良忠上人の御廟
 ここから,左手に見える山を目指して,さらに進むと秋葉山大権現を参拝することができるが,今日は参拝を省略して,鎌倉第一中学校の方へ進む.第一中学校校庭の手前で左折して路地に入る.校庭で元気に球技をしている中学生が,とても可愛く感じる.
 路地の突き当たり左手の石段を登ると,光明寺を開山した良忠上人の御廟がある.そして,その左手にある宝篋印塔は,光明寺を開基した北条経時の墓だといわれている(小林,1996,p.114).私は厳粛な気分でお参りをする.

                     <良忠上人の御廟>

■神奈川景勝50選
 ふたたび,第一中学校前の道路に戻る.道路は山裾を巻くように造られている.道路脇の枯れ枝の間から,材木座海岸や江ノ島方面の風景を見下ろすことができる.ここは神奈川景勝50選に選ばれている景勝の場所である.ただ残念なことに,樹木が大きくなって,折角の絶景を遮っている.

               <光明寺裏山からの展望:神奈川景勝50選>

■内藤家の墓
 道路はやや急な下り坂になる.短いトンネルと潜ると,眼下に内藤家の墓地が見える.そのまま坂道を下って,最初の三叉路を右折する.すると,13時56分,先ほど見下ろしていた内藤家の墓地の縁に到着する.
 内藤家は日向国延岡藩7万石の大名家である.8代,124年にわたって在封した.ここから眺める内藤家の墓地は壮観である.どのくらいの面積があるのか目測で測るのは難しいが,3000平方メートルほどだろうか.資料によると,墓地内には宝篋印塔40基,笠塔婆12基,石仏4基,その他合計58基の墓碑と,灯籠218基,手水鉢17基が現存するという(小林,1996,p.114).

                      <内藤家の墓>

■和賀江島
 内藤家の墓を見学してから,再び元の道に戻る.そして,下り坂を進んで,バス通りに出る.バス通りを逗子方面に進み,トンネルの手前で,材木座海岸脇の高台に出る.この高台から材木座海岸の東側,和賀江島,住吉城趾を見渡すことができる.
 海岸へ降りる.海は,丁度,引き潮である.海水が引いて,和賀江島が陸続きになっている.
 和賀江島は,現存する日本最古の築港遺跡である.国の史跡にも指定されている.飯島岬から200メートルほど石積の防波堤が突き出ている.北条泰時が築港.相模川,酒匂川,伊豆辺りから運んだ石を積み上げて築港した(神奈川商工会議所,2007,pp.32-33).
 潮が引いた波打ち際を歩いて,石碑が立っている大きな岩に登る.この石碑は,鎌倉青年団が建立もので,和賀江島の説明文が刻まれている.

       <右手に和賀江島が見える:折から引き潮で,ほぼ陸続きになっている>

■六角ノ井
 大きな岩の近くにある石段を登って,飯島岬を周回する道路に出る.この道路をほんの少し逗子方面に進む,14時08分,道路の右手にある六角ノ井に到着する.ここは鎌倉十井の一つである.別名「屋の根ノ井」とも言うらしい.
 1156年(保元元年),皇位継承のからむ保元の乱で破れた源為朝は,腕の筋を切られて伊豆大島に流される.為朝は伊豆から,光明寺裏山の天照山を目掛けて矢を打ったところ,この井戸に矢が落ちたという伝説がある(鎌倉商工会議所,2007,p.48).
 また,この井戸は8角だが,逗子の小坪側に2角があるので,鎌倉側の残り6角を指して六角ノ井というらしい.井戸を覆っている遮蔽物の間から覗き込んでみるが,本当に八角形なのか確かめることはできない.

                    <六角ノ井>

■正覚寺
 六角ノ井近くの三叉路から,石段を登って正覚寺を詣でる.小さな寺である.1240年(仁治元年),記主禅師が悟真院を結んだのが,この寺の始まりだが,北条早雲が住吉城を攻めたときに焼失した.その後,1541年(天文10年),光明寺第18世住職によって中興開山されたという(小林,1996,p.113).
 境内に入るのが気が引けるほど,人気が無くひっそりとしている.こんなところに入り込んで申し訳ないなと思いながら参拝する.

                    <正覚寺>

■住吉神明社 
正覚寺の本堂脇から,狭い階段を数十段登ると,住吉神明社に到着する.ここは三浦郡総鎮守だった.祭神は大綿津見神(おおわだつみのかみ).ご本尊は運慶作の坐像(小林,1996,p.113).
 住吉城趾の崖下にある小さなお社である.眼下には大きな木立の間から相模湾が見えている.辺りは静まりかえっている.
 社殿に向かって右側に,「くらやみヤグラ」といわれるトンネルがある.数年前に,ここを訪れたときには,このヤグラを通り抜けると,すばらしい小径が続いていた.あの辺りはどうなっているのだろうかと気になる.
 私は,久々にヤグラの中に入ってみる.足許は濡れた岩盤で滑りやすい.ほんの数メートル,ヤグラに入っただけで,真っ暗になる.壁を手で触りながらソロリソロリと先へ進む.やっと反対側の出口から光が射し込んでくる所まで到着する.ところが残念なことに,反対側の出口には覆いが作られていて,通り抜けができなくなっている.出口の向こうが,どうなっているのか,知るよしもない.もっとも私有地だから仕方がないことだが,あの散策路が通れなくなったのは,とても残念である.

                    <住吉神明社>


                     <くらやみヤグラ>
 
■住吉城趾 
 「くらやみヤグラ」を住吉神明社側に戻る.真っ暗で足許が滑りやすい下り坂になっているので,結構難儀する.
 住吉神明社前の路地を西へ進んで,狭い舗装道路に出る.この舗装道路は,正覚寺脇から住吉城趾に登る急坂の道である.勿論,自動車は通れない.急坂を登り始める.道掃除をしている近所の方が,見慣れない人が歩いているなというような視線を私に向ける.私は,無関心を装って,「こんにちは」と挨拶して通り過ぎる.
 坂道を登り詰めると,小さなトンネルがある.このトンネルを潜り抜けると,逗子市小坪6丁目,小坪トンネルの上に出る.この辺り一帯は住吉城があった所である.今はどこに城があったのか,素人目には全く分からない.急な斜面に作られた石段の周りには何軒かの民家が建っている.
 住吉城は三浦道寸の弟,道香の居城であった.北条早雲は小田原城を手に入れた後,関東一円を平定するために,1512年(永正9年),三浦道寸の岡崎城を撃破,落ち延びる道寸を追って,住吉城に迫った.道寸,道香は敗走する.そして,道香は逗子の延命寺で自刃した(小林,1996,p.114).
 改めて,住吉城趾を見回してみる.素人の私には,ここから北条早雲や三浦道香の痕跡すらも感じられない.早春の緑に囲まれた山間に民家が散在しているだけである.
 谷間の急階段を降りる.そして,小坪トンネルの逗子側の入り口付近で自動車道路に降りる.時々通過する自動車に注意しながら,小坪トンネルを潜って,再び鎌倉市側に戻る.先ほど通った内藤家の墓近くを通り過ぎて,14時28分,バス停飯島に到着する.

                      <住吉隧道>


                      <住吉城趾の一部>

■京急バスで鎌倉駅へ
 もともとは,バス停飯島を通過して,材木座海岸を散策してから鎌倉駅へ戻るつもりだった.ところが,バス停で,バス待ちをしている中年の女性から,
 「まだ25分のバスがも来ないんです・・・もうすぐ来ると思いますよ・・」
と話しかけられる.私がバスの乗るものと勘違いしている.でも,もうすぐバスが来るのなら,バスで帰っても良いかなと宗旨変えをする.どうせ,半年2万円也で購入した京急バス全線定期を持って居るんだから・・・
                             (おわり)

[ラップタイム]

12:24  鎌倉駅歩き出し
12:28  妙本寺(12:35まで拝観)
12:37  常栄寺
12:42  上行寺
12:57  本興寺
12:58  辻ノ薬師
13:01  元八幡
13:08  妙長寺
13:10  乱橋
13:14  五所神社
13:18  実相寺
13:32  九品寺(13:34まで拝観)
13:42  光明寺(13:45まで拝観)
13:50  良忠上人御廟(13:52まで参拝)
13:56  内藤家の墓
14:01  和賀江島展望台
14:03  和賀江島碑(14:06まで見学)
14:08  六角ノ井
14:09  正覚寺(14:06まで参拝)
14:12  住吉神明社・住吉城趾(14:23まで見学)
14:28  バス停「飯島」着

[散策記録]

■水平歩行距離
     5.6km

■累積登攀下降高度   127m

■所要時間(休憩時間を含む)
  鎌倉駅発      12:24
  バス停「飯島」着  14:28
 (所要時間)  2時間04分(2.07h)
 水平歩行速度  5.6km/2.07h=2.70km/h

[参考文献]

鎌倉市史編纂委員会(編),1959『鎌倉市史社寺編』吉川弘文館
鎌倉商工会議所(編),2007『鎌倉観光文化検定公式テキストブック』かまくら書房
小林伸男,1996『神奈川ぶらりーウオーキング鎌倉・江ノ島・藤沢編』神奈川図書

「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/6be610f6faaa2f9a50f339deba3d61db



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