いよいよニュープリマスへ
2006年2月1日(水) その1
<<ニュープリマスへ移動>>
今日はニュープリマスへ移動する日である。
私は,昨夜,あまりよく眠れなかったので,表には出さないものの,内心,とても不機嫌である。
というのも,同日のTさんには申し訳ないが,実はTさんのもの凄い鼾で一晩中悩まされた。昨夜,何時頃か分からないが,夜中に「ノンベイ部屋」から戻ったTさんが,ベッドに入るとすぐにもの凄い鼾をかきはじめた。私は頭から毛布を被ったり,ベッドで逆さ向きになったりしてみたが,どうにもうるさくて眠れない。暫くは,我慢していたが,いつまでも凄い鼾が続くので,わざと
「ゴホン」
と咳をする。
すると,一瞬,鼾が停まる。しかし,30秒もしない内に,また鼾の連鎖が始まる。このまま,朝,6時頃まで過ごす。その内に,鼾が治まりだしたので,ウトウトとし出す。ところが既にモーニングコールの時間である。寝入ったなと思った瞬間に起こされたような気がする。
今朝は快晴である。窓外では周辺の山々がクッキリと見えている。
6:55,ロビーへ降りる。そして,一同が揃うのを待つ。
7:02,レストランに入る。一同,昨日と同じ席に座る。例によってバイキング方式である。欲張って沢山とらないように注意をしながら食べるものを選ぶ。
私達の席から少し離れたところに,登山家,田部井さんグループが座っている。田部井さんのグループは,昨日,ルアペフ山に登ったが,山頂までたどり着けなかったという。原因は,山麓から登山口までのリフトが動かなかったことにある。本当ならばリフトで簡単に高度が稼げるところを,歩いて登ったために,時間の余裕がなくなってしまったので,残念ながら撤退したとのことである。お気の毒である。そういえば,あのリフトの鍵は,ガイド頭が勝手に使っていたような気がする。田部井さんのグループは本当に不運であった。
朝食後,ホテルの裏手の空き地に出てみる。ここから,一昨日登った登山ルートがハッキリと見える。あの落差200メートルの大滑走をした雪渓も良く見える。こんなに辺りの山並みがハッキリ見えるのは,ここに来て,初めてのことである。
8時頃,ホテルのチェックアウトを済ませる。まだ,出発まで少々時間がある。私は仲間と一緒にビジターセンターへ行ってみる。そして,トレッキングコース地図3枚と,ルアペフ山の写真を収めたCD-ROMを購入する。そして,8:34にホテルへ戻る。
ホテルの玄関近くで,出発時間を待っていると,昨日会った日本人老夫婦2人が出てきて,私達に話しかける。
「・・・私は,終戦直後から世界中を旅していましたよ・・・・でも,世界中でニュージーランドが一番良いところですよ・・・」
と自慢話が始まる。
私はこの種の自慢話は大嫌いだし,聞くのが苦手である。さりげなく,この方から遠い位置に移動する。
8:58,私達のバスが到着する。
辺りの写真を撮って,マゴマゴしている内に,私はバスに乗り込むのが一番後になってしまった。もう,一番前の席しか空いていない。少々怖い感じがするが,運転手のすぐ後ろの席に座る。
先ほどの老夫婦の旦那が,バスの入口のステップに立って,車内の私達にいろいろと自慢話の続きをする。私は心の中で,
「いい加減にしてくれ・・・」
と悲鳴を上げるが,老人は,
「・・・・皆さん,是非,是非,××××を訪問してみてください。とても良いところですよ・・・」
と熱弁を振るっている。聞いている方は,全く関心がないのに・・・・
ガイドのSさんが,この紳士に,「ちょっと失礼」というような仕草をしてバスに乗り込む。これが切っ掛けになって,老紳士はバスから退散する。
Sさんから,本日のドライバーさんの商会がある。すかさず,私は,ノートをドライバーさんに差し出しながら,
「・・・私,旅のログを取っています。貴方の名前を記録しておきたいので,ここ名前を書いて頂けませんか・・・」
とお願いする。
「・・・もちろん,ウエルカムだよ・・・」
と言いながら,
STEWART ERB
KIWI TOURS
と丁寧に書いてくれる。
Sさんが,
「ホテルフロントのノリ子さんが,『日本人の方は,大抵1泊なのに,皆さんは4泊もされたのは,とても珍しいです』と言っていましたよ・・・」
と私達に話す。
9:04,私達のバスは,ニュープリマスへ向けて発車した。これから西へ向かって,長いバスの旅が始まる。
(第22話おわり)
2006年2月1日(水) その1
<<ニュープリマスへ移動>>
今日はニュープリマスへ移動する日である。
私は,昨夜,あまりよく眠れなかったので,表には出さないものの,内心,とても不機嫌である。
というのも,同日のTさんには申し訳ないが,実はTさんのもの凄い鼾で一晩中悩まされた。昨夜,何時頃か分からないが,夜中に「ノンベイ部屋」から戻ったTさんが,ベッドに入るとすぐにもの凄い鼾をかきはじめた。私は頭から毛布を被ったり,ベッドで逆さ向きになったりしてみたが,どうにもうるさくて眠れない。暫くは,我慢していたが,いつまでも凄い鼾が続くので,わざと
「ゴホン」
と咳をする。
すると,一瞬,鼾が停まる。しかし,30秒もしない内に,また鼾の連鎖が始まる。このまま,朝,6時頃まで過ごす。その内に,鼾が治まりだしたので,ウトウトとし出す。ところが既にモーニングコールの時間である。寝入ったなと思った瞬間に起こされたような気がする。
今朝は快晴である。窓外では周辺の山々がクッキリと見えている。
6:55,ロビーへ降りる。そして,一同が揃うのを待つ。
7:02,レストランに入る。一同,昨日と同じ席に座る。例によってバイキング方式である。欲張って沢山とらないように注意をしながら食べるものを選ぶ。
私達の席から少し離れたところに,登山家,田部井さんグループが座っている。田部井さんのグループは,昨日,ルアペフ山に登ったが,山頂までたどり着けなかったという。原因は,山麓から登山口までのリフトが動かなかったことにある。本当ならばリフトで簡単に高度が稼げるところを,歩いて登ったために,時間の余裕がなくなってしまったので,残念ながら撤退したとのことである。お気の毒である。そういえば,あのリフトの鍵は,ガイド頭が勝手に使っていたような気がする。田部井さんのグループは本当に不運であった。
朝食後,ホテルの裏手の空き地に出てみる。ここから,一昨日登った登山ルートがハッキリと見える。あの落差200メートルの大滑走をした雪渓も良く見える。こんなに辺りの山並みがハッキリ見えるのは,ここに来て,初めてのことである。
8時頃,ホテルのチェックアウトを済ませる。まだ,出発まで少々時間がある。私は仲間と一緒にビジターセンターへ行ってみる。そして,トレッキングコース地図3枚と,ルアペフ山の写真を収めたCD-ROMを購入する。そして,8:34にホテルへ戻る。
ホテルの玄関近くで,出発時間を待っていると,昨日会った日本人老夫婦2人が出てきて,私達に話しかける。
「・・・私は,終戦直後から世界中を旅していましたよ・・・・でも,世界中でニュージーランドが一番良いところですよ・・・」
と自慢話が始まる。
私はこの種の自慢話は大嫌いだし,聞くのが苦手である。さりげなく,この方から遠い位置に移動する。
8:58,私達のバスが到着する。
辺りの写真を撮って,マゴマゴしている内に,私はバスに乗り込むのが一番後になってしまった。もう,一番前の席しか空いていない。少々怖い感じがするが,運転手のすぐ後ろの席に座る。
先ほどの老夫婦の旦那が,バスの入口のステップに立って,車内の私達にいろいろと自慢話の続きをする。私は心の中で,
「いい加減にしてくれ・・・」
と悲鳴を上げるが,老人は,
「・・・・皆さん,是非,是非,××××を訪問してみてください。とても良いところですよ・・・」
と熱弁を振るっている。聞いている方は,全く関心がないのに・・・・
ガイドのSさんが,この紳士に,「ちょっと失礼」というような仕草をしてバスに乗り込む。これが切っ掛けになって,老紳士はバスから退散する。
Sさんから,本日のドライバーさんの商会がある。すかさず,私は,ノートをドライバーさんに差し出しながら,
「・・・私,旅のログを取っています。貴方の名前を記録しておきたいので,ここ名前を書いて頂けませんか・・・」
とお願いする。
「・・・もちろん,ウエルカムだよ・・・」
と言いながら,
STEWART ERB
KIWI TOURS
と丁寧に書いてくれる。
Sさんが,
「ホテルフロントのノリ子さんが,『日本人の方は,大抵1泊なのに,皆さんは4泊もされたのは,とても珍しいです』と言っていましたよ・・・」
と私達に話す。
9:04,私達のバスは,ニュープリマスへ向けて発車した。これから西へ向かって,長いバスの旅が始まる。
(第22話おわり)