藤村記念館:浅間山登頂記(3)
(小諸グループ)
2006年10月7日(土)~8日(日)
■藤村記念館
懐古園へ入園し,二の丸跡を通り過ぎて,黒門橋を渡り,天守台の石垣を見上げながら先へ進む。そして,進行方向右手にある藤村記念館に入場した。 記念館の中に入る。先客は一人も居ない。入口の従業員がビックリしたような顔つきで, 「いらっしゃいませ・・・」と私に挨拶する。
展示場は入口を挟んで左右に分かれている。案内文によると,この記念館は昭和27年に開設されたらしい。展示物の中で,特に圧巻なのは,入口左手の展示室に展示されている『千曲川のスケッチ』『破戒』『落葉集』などの初版本である。何れも重厚なデザインの表紙である。『破戒』第壱章の最初のページを開いて展示されている。黄ばんだ紙にルビが振られた文章が印刷されている。
明治29年に開設された小諸義塾に関連する資料も沢山展示されている。展示物を建学している内に,崇高な建学精神を垣間見た気がする。今はもう全員が故人になっているが,凛とした顔が並ぶ熟生の記念写真は見応えがある。
小諸義塾の教師一覧表が展示されている。その中に,flower-hillの縁者の名前もある。これ以上記述するとflower-hillの素性が分かってしまうので,この辺りで記述を止めるが,この縁者は私が幼少の頃,他界した。
小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ みどりなすはこべはもえず
・・・・・・・
で有名な「千曲川旅情のうた」の拓本が展示されている。これは水の手展望台の手前にある藤村碑の拓本である。ただ「はこべ」のところは,物の本によると,当初は「わらべ」だったという。勿論真偽のほどは分からない。
私がセピア色の写真に見入っているときに,数名の観光客がドヤドヤと入ってきた。ろくに展示物も見ないで,ワイワイと騒いでいる。私は何となく落ち着かないので,藤村記念館を後にした。
外は心地よい秋風が吹いている。 私は,鹿島神社の方へ行こうか,それとも,水の手展望台の方へ先に行こうか迷うが,まずは,鹿島神社の方へ行くことにした。
(つづく)
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