[復刻版] 東南アジア紀行[6] マレーシア輸出の最前線
(マレーシア・シンガポール駆け足の旅)
1997年8月26日(火)~9月4日(木)
ちょっと一言・・・
(2011年注)この記事は1997年のことを書いている.現在のFHではなく,過去のFHのことである.
大学の後期授業が始まってから数日経つ.そろそろ,体のペースも授業になれてくる.それと同時に,ついこの間東南アジアを調査したばかりだと思っていたのに,もう,あれから1ヶ月過ぎようとしていることに気付く.月日の経つのは,誠に早いものである.そういえば,もう鎌倉辺りも,すっかり秋色深くなってきた.
さて,"Back to the past !"
1997年8月28日.金曜日.クアラルンプール滞在4日目の時点に話を戻そう.
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第6話 輸出の最前線-びっくり仰天!
1997年8月28日.金曜日.クアラルンプール滞在4日目(その2).
<M社見学>
■M社に到着
午前中にK社を訪問したわれわれ一行は,途中のレストランで昼食を摂った後,13時50分,約束の時間の10分前に,次の訪問会社であるM社に到着する.
ここは日本を代表する家電の王様企業の現地法人である.
入口には,
[P] People
[O] Optimization
[W] Wisdom
[E] Exellence
[R] Revitalization
と馬鹿でかい看板に,大きな字がおどっている.
なるほど! ”POWER”か!
ど肝を抜かれるほど,とてつもなく大きな構えの会社である.
構内はゆったりとしていて,しかも,すばらしく整備が行き届いている.広い芝生の緑が目に映える.
■L氏のプレゼンテーション
素晴らしい会議室に慇懃に通された.焦げ茶色を基調とした広い絨毯敷きの部屋.大きな会議机が,部屋のやや奧に寄せて置いてある.一同,豪華な部屋に,またもや,ど肝を抜かれながら,おずおずと座る.われわれは,まさに,借りてきた猫状態で,身じろぎすら憚られる.
頭をオールバックにした恰幅の良いL氏が,正面に慇懃と座る.われわれ一同を代表して,「真面目」が,
「・・・あのぉ~ 私ども研究所では,・・・・・」
と,例の調子で,多少,上がり気味になって,挨拶をする.
L氏が,同社のパンフレットや資料を使って,平易にお話を進める(その内容は残念ながら,ここでは公表できない).とにかく,このM社グループだけの輸出額が,マレーシアの輸出全体の約5%を占めるというから,大変な企業である.
「この会社,凄いなぁ~!!」
これが私どもの率直な第一印象であった.
■どこにもない新しい鍋の開発
工場見学をさせていただく.
途中,"Lifestyle Research & Design Centre" という付属施設に立ち寄る.
入口に訪問者の記名帳がうやうやしく置いてある.一同,この記名帳にサインするように促される.手近にいる人たちから順に,一同,ぎこちなくローマ字で氏名,勤務先をサインする.記名帳をそっとめくってみると,記帳された氏名の中に,沢山の大学人が混じっている.
「こんなに沢山の方々が訪問してくるんでは,いちいちお相手するのも大変だな」
と私は心の中で同情している.そして,何だか申し訳ない気持ちになる.
このセンターは「マレーシアから世界に発信」を合い言葉に,「最先端のものを世界に供給する」意気込みで設立されている.そこで,まずは『食』に焦点を当てて,取り組んでいるという.
マレーシアには,マレー人,中国人,インド人が沢山住んでいる.だから,これらの人たちの持つ"食文化"を研究すれば,世界の「三大食文化」をカバーできることになる.その意味からはマレーシアの立地条件は最高ということになる.そこから新しい製品を生みだして,世界に供給していこうという発想である.つまり "Assembled in Malaysia" から,脱皮して,文字通り "Made in Malaysia"に徹していくことを目指しているという.
目測で,約30坪ほどのスペースに,何台かのキッチンユニットが置いてある.そこで,カラフルな割烹着を着たいろいろな民族の女性が,盛んに打ち合わせながら,楽しそうに何か試験をしている.
"世界中探しても,どこにもない新しい「なべ」を開発する"
これが彼女らの目標であり,合い言葉だという.
■工場見学
その後,工場を見学する.5Sが行き届いている.日本の先進的な工場と比較しても何ら遜色はない.たいしたものだ.ここから200万台のアイロンが世界中に供給されている.中には価格がたった6ドルという中南米向けのアイロンもあった.
「アイロンがたった6ドルとは! 作る方も大変だなぁ~」
というのが,私の偽らざる感想である.
また,ここからは,ウン千円の扇風機がウン十万台も日本に輸出されている.さすが「家電の王様」といわれる企業である.
<束の間の市内観光>
■スポーツ大会最終日
17時50分.ようやくM社訪問を終える.
折しも,本日は,オールM社関係会社のスポーツ大会の最終日である.今日は,その打上げ会が盛大に行われることになっている.L氏からも
「打上げ会に,是非,参加して下さい」
と言われている.打上げ会は19時30分から開催される.
そこでわれわれは,打上げ会が始まる時間までの僅かな時間を利用して,M社の車で,近くのM社のスポーツセンターや回教寺院などを観光することにする.
今日一日,われわれがチャータしていた大きな観光バスは,ここでオフにして,お帰り願うことになった.
予定より早く帰れるようになったガイドが小躍りして喜ぶ.
■偶然にも大学の後輩
われわれ一行は2台の乗用車に分乗した.案内役は,日本のM社本社からアプレンティスとして修行のためにマレーシアM社に派遣されているO氏である.まだ若い.偶然にも,O氏は,仙台にある私の出身大学を,一昨年卒業した後輩である.彼はラグビー部に所属していたというから,その点は,同じ大学でも,ぐうたらの私とは,最初から出目が大きく違う.はきはきしていて,なかなかの好青年である.
「M社は,良い人を採用しているな」
と私は心の中で感心している.
私が,以前奉職していたM社には,ちょっと見当たらないタイプの人物である.
われわれは,同社系列のエアコン工場の脇を通過する.当初,この工場も見学したいと思っていたが,日程の都合で割愛していた.この辺り一帯の広大な敷地は,全部M社関係の施設で埋められている.その規模は凄いものだ.
■ど肝を抜かれるスポーツセンター
やがて,大きなスポーツセンターに着いた.巨大な体育館,スイミングプール,テニス場,陸上競技グラウンドなどが整備されている.東京の中央線千駄ヶ谷,代々木駅付近の施設を綺麗に整備して,一カ所に集めたような感じである.とても一企業集団の施設とは思えないほど素晴らしい.
一同,ど肝を抜かれて言葉もない.
いつものように,「ソカさん」が写真を撮りまくっている.
中で野球ができるのではないかと思われるほどの大きな体育館がある.外の階段を登ると,広い踊り場になっている.この踊り場から,体育館の観客席の中段の席に入れるようになっている.
この踊り場から右手を見下ろすと,隣接するグラウンドが見える.グラウンドには,8人の選手が並んで走れる赤煉瓦色のトラックが見える.赤煉瓦色の中に何本もの白線が同心円状にカーブしながら平行線になって光っている.中央には広い芝生の緑が冴えている.芝生の中のあちこちに砂場みたいな設備がある.
陸上競技音痴の私には何の施設なのか知る由もないが,とにかくその広さに唖然とする.
グラウンドの向かい側には,高さ5メートル,長さ10数メートルの暗緑色の巨大きなボードが建っている.そして,ボードの上には,横長の白地のボードが横一杯につけられていて,そこに誰でも知っているM社の商品名「Pana・・・・」と「Natio・・・」が「赤」と「青」で横書きされている.
ボードの左上の部分に大きな時計が埋め込まれている.時計の針は,正に6時10分を指している.
すぐ手前を見下ろすと,やはり8コースある50メートルプールが空色の水を満々とたたえている.広いプールサイドには何脚かのデッキチェアーが置いてある.10数人の人たちがプールの中で遊んでいる.
好青年のO氏に,皆がいろいろと質問する.O氏は,質問を受けると,
「そうですね・・・」
と一呼吸,合いの手をいれて,体勢整えてから返事をする癖がある.しかし,返事に誠意が感じられるので,たとえ答えが得られなくても,決して悪い気はしない.
「そろそろ別の所へご案内しましょうか」
とO氏が気を利かせて提案する.
■大きな回教寺院
次に案内されたところは,大きな回教寺院である.
この寺院は,M社の体育施設から,車で数分のところにあった.寺院の名称は,
"MASSD SULTAN SALAHUDDIN ABDL AZIZ SHAH"
という.
勿論,この名称,何を意味しているのか,皆目,見当が付かない.
名称の中に「サルタン」とあるのは「王様」のことかな?
2万坪以上もあろうかと思われる広大な敷地である.敷地内の道路には,高さ10メートルほどの椰子の木の並木が続く.その間を芝生が埋める.
青い地色に白い目地が入った鹿子模様の巨大な塔が見える.全体が,春に野山で良く見掛ける「ツクシンボウ」の「頭」を「変身・巨大化」したような形をしている.そこから数10メートル離れた両側に,やはり「ツクシンボウ」の「茎」を巨大化したような塔が,合計2本,立っている.ツクシンボウの茎と同じように,塔には高さ数メートルおきに,青い地色に白い枠が映える「袴」がついている.これは,どうやら窓のようだ.これら三つの塔の間を埋めるように,2階建ての建物が作られている.そこが礼拝堂になっているらしい.
回教徒以外は,この建物の中に入れない.したがって,われわれは指をくわえて,建物の中を,恐る恐る覗き込むだけである.前庭は,直径200メートルほどの円い大きな窪地がある.ここで,何やらの儀式が行われるらしい.われわれは,思い思いに,この建物を背景にして写真を撮ったが,建物があまりに巨大すぎるので,建物の全景を写すことができない.
突然,スピーカーから,とてつもない大きな音で,コーラムが響きわたり始めた.日頃,宗教とは縁の薄い私には,一種,異様な雰囲気に感じられる.
■大運動会会場へ
「そろそろ会場へ行きましょうか」
とO氏が,そつなくわれわれを促す.もう午後7時を過ぎようとしているのに,まだ空は明るい.
19時20分に,われわれは年1回開催されるM社のスポーツカーニバルの会場に着いた.この会場は, "The Commonwelth of Games" という名称の所である.
会場に案内される.そこは何百人も入れる大きな宴会場であった.正面舞台には,
+----------------------ーー---------+
| |
| NA・・・・ PA・・・・ 20th A.M.S.C. |
| ↑ (これは商標) |
| We are the Champion |
| M○○○○ |
| ↑(これは会社名) |
| Victory Dinner |
| 29.8.97 |
| |
| Holiday Villa |
| |
+-------- --- - -----------------------+
と書かれた大きなポスターが貼られている.
会場には,数百人の若い従業員が集まっている.とにかく,開会前から,すごい熱気だ!
「一体,何が始まるのだろう・・・」
またもや,われわれは,圧倒的な迫力に,ど肝を抜かれた・・・・・・
(第6回おわり)
(次回へ続く)
**********************************
[資料編] 出典:JETROマレーシア,プライスウオータハウス社,M社
マレーシアの概況[4]
※古い資料なので,あまり参考にはならないが・・・
4.対日貿易(続き)
(3)日本の対マレーシア投資(億RM)
__________________________
1991|■■■■■■■■■■■■■■■■■ 38.1
92|■■■■■■■■■■■ 26.8
93|■■■■■■ 16.6
94|■■■■■■■17.7
95|■■■■■■■■■ 20.9
96|■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■46.1
|
(4)経済協力
a.円借款
1969年から.これまでに16次プラス特別借款7件(累計6,463億円).主なものとして,
新国際空港(615億円),
ポートクラン火力発電所
などがある.
b.専門家派遣
長期16名(1997年1月末現在)
c.プロ技協
MATRADE,日マ技術学園,SIRIM計量センターなど
(5)日系企業等
a.日経企業数(1997/5現在)
製造業 755
セランゴール州 489
非製造業 623
クアラルンプール 359
合計 1,373
ジョホール州 146
ペナン州 134
b.在留邦人数(1997/5現在)
クアラルンプール 5,619(人)
ペナン州 359
ジョホール州 950
全国計 11,144(人)
c.マレーシア日本人商工会議所会員企業数
505社
5.労働事情
(1)ブミプトラ
民族比率に応じて民族資本の形成,社会参加の実現を目指す.
(2)賃金水準(日系企業/製造業平均,1996年末現在)
M$/月
ラインマネージャ 3,550
エンジニア 2,405
フォアマン 1,308
技能者 1,062
クラーク 1,020
オペレータ/ワーカ 541
※この賃金格差の大きさに吃驚する.
マネージャ,エンジニア不足の極みが端的にあらわれている.
(3)年次別昇給率推移
____________________________%__
1990|■■■■■■■■■■■■■■■■ 7.9
1991|■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 11.7
1992|■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 9.0
1993|■■■■■■■■■■■■■■■■ 8.3
1994|■■■■■■■■■■■■■■■■ 8.3
1995|■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 9.8
1996|■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 10.1
1997|■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 9.0(予測)
|
(資料:次回に続く)
第6回 終わり
(次回に続く)
「東南アジア紀行」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/653d35c40abcc30828edf670a6dd4e14
「東南アジア紀行」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/4129f13174d77153adb07d13f8468b81
**************************
[編集後記]
2012年2月21日(火)
私は「サンデー毎日」を楽しんでいるはずだが,このところ水彩画の制作に没頭しすぎていて,焦りにも似た気持ちがずっと頭の中に棚引いている.
「別に,誰からも,やりなさいと強制されているわけでもないんだから,ノンビリしたら良いんじゃないの・・」
と心の中のもう一人の私が言う.
確かkにその通りだが,どうも描きかけの絵が気になってしまい,気がつくと絵筆を持って絵の前に座っている.気が向かないときには,そろそろ画かなければと思っているのに,全くその気にならないのに,いざ,始めてしまうと,こんどは止まらなくなる・・・・どうも私に体内にある制御装置が故障していて暴走状態になっているようである.
でも,まあ,暴走の甲斐があって,出品予定の3点の作品は何とか目途が立った.3点とも40号の大きさである.
まずは額縁に入れてみる.小さな部屋では3点を並べておくことが出来ないので,隣の部屋まではみ出して並べてみる.
「フム,フム,・・・まあ,まあ,という所だな・・・もう少し手を入れなければ・・」
と細々としたところが気になり始める.これがまた楽しいのである.
夜遅くまで絵に没頭してしまったこともあって,昨日は,折角,塔ノ岳に行こうかと思ったのに,明け方に二度寝してしまい,起床するのが遅くなった.そして塔ノ岳に行きそびれた.残念!
さて,今日は五十三次洛遊会有志12人の皆様と一緒に,早春の鎌倉を終日ハイキングする予定である.企画役の私は,混雑する観光地を避けて,大船から深沢,鎌倉山,笛田辺りを一回りするコース案を作った.この案のルートを,カシミールで測定すると,水平歩行距離11.9キロメートル,累積登攀高度364メートル,累積下降高度365メートルの手頃なコースになっている.
さて,実施日の今日は,大船に10時に集合することになっている.久々に(・・と言っても1ヶ月ぶりだが),東海道五十三次で同じ釜の飯を食べてきた仲間との再会である.
塔ノ岳の山猫ミー君に会うのも楽しいが,同じ趣味の仲間と会うのも,これまた“楽しからずや”である.
ンな訳で,今日の編集後記は愚痴ではなかった.
(おわり)
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