<市野川神社からの眺望>
善光寺西街道;第2回;第3日目(2);市野川から聖湖へ
(五十三次洛遊会)
2015年5月29日(金)~31日(日)
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第3日目;2015年5月31日(日)(つづき) 晴
<ルート地図>
■聖高原
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■一里塚から聖高原まで
※現地の案内図から引用
<市野川神社>
■市野川神社鳥居と高札場跡
9時38分,市野川神社(と思われる?)の鳥居に到着する.傍らに高札場跡の案内柱が立っている.しかし,その周辺には高札場らしい痕跡は全く残っていない.
進行方向,左手,少し離れた高い所にお宮が見えている.市野川神社である.ここの地名は市野川.その地名が付いている神社なら是非お参りしておきたい.
私は,
「よおしっ…! 市野川神社をお参りしましょう…」
と皆さんを促す.
<市野川神社の鳥居> <高札場跡>
■市野川神社の参道
これが正式な参道かどうか良く分からないが,神社に向かって草道が続いている.あまり歩く人も居ないらしく,草ぼうぼうの踏み跡に近いような道である.
同行者の数名が私と一緒に草道に入り込む.どうしようかと迷っていた方々も,お一人を残して全員が私の後に続く.
<草道に入る>
■市野川神社の石塔
草道を抜けると,市野川神社という刻字のある大きな石塔が立っている.ここで舗装道路に飛び出すように出る.どうやらこの舗装道路が正式な参道のようである.どうやらさきほど見かけた鳥居のところが参道入口だったようである.
石塔を見ると,市野川神社が諏訪神社の分社であることがわかる.
<市野川神社の石塔>
■見晴が開ける
大きな鳥居を潜る.
今登ってきた山道を振り返ると,素晴らしい展望が広がっている.私が住む鎌倉辺りではお目に掛かれない広々とした風景である.
この風景を見ただけで,ここまで登ってきた甲斐があったというものである.
<鳥居を潜ると広々とした風景が望める>
■幽玄な感じのお社
坂道を登って,9時47分に市野川神社に到着する.深い森の中に大きなお社が建っている.周囲には全く人の気配はなく,不気味に静まり返っている.社殿は少々荒れた感じがする.
広い境内を一回りしてみるが,物音一つ聞こえてこない.
<市野川神社社殿>
<市野川の集落>
■火の見ヤグラと洒落た街灯
9時55分,市野川神社の参拝を終えて,元の場所まで下る.
神社には登らずに,下で待っていたUDさんが,
「上から太平洋が見えましたか…」
と冗談を言う.
昨日,高い所にある西条神社に登ったときに,下で待っていたUDさんに,
「日本海が見えましたよ…」
と冗談を言ったが,その仕返しということだろう.
下り終えたところで一呼吸休憩を取ってから,すぐに善光寺西街道の続きを歩き始める.
9時58分,火の見ヤグラの脇を通過する.道路の両側には立派な家屋が建ち並んでいる.
ふと目に入ったのが,洒落た街灯である.下右の写真でも分かるように,どこかヨーロッパの田舎で見かけるような可愛い街灯である.
<火の見ヤグラの脇を通過する> <洒落た街灯>
■バス停吉原
10時03分,バス停吉原に到着する.
バスの時刻表を見ると,バスの便は1日たった2本.午前中に1本,午後1本だけ.日々の買い物や病院通いはどうしているんだろう.一見自然豊かで素晴らしいところのように見えるが,自家用車がないと,日々の生活の大変さが偲ばれる.
バス停の直ぐ近くに,善光寺街道の道標が立っている.
<バス停吉原> <善光寺街道の道標>
■趣のある坂道
善光寺街道の道標と地図を確かめながら歩き続ける.長い板塀が続く閑静な道が続く.緩い上り坂である.
この黒い板塀を過ぎると,道は大きく左にカーブする.
<長い板塀のある街道>
■国道への分岐と名号碑
10時05分,「↑善光寺街道 ←国道」と書いた案内杭が立っている三叉路に到着する.私達は,当然,善光寺街道の方を選ぶ.この三叉路の右手の道に踏み入れる.ここからは再び砂利道になる.
10時07分,大きな石塔の脇を通過する.石塔に呪文を連想させるような飾り文字で何か刻字されているが,私には全く読めない.何かの名号碑だろうなと勝手に想像する.
<国道への分岐> <名号碑(?)>
■バス停市野坂
10時10分,バス停市野坂に到着する.このバス停を手がかりにして,地図で現在地を確認する.このバス停からほんの少し国道を歩いて,10時11分,「1.2km聖湖」と書いてある道標付近で左折する.
再び砂利道になる.
<バス停市野坂> <聖湖まで1.2km>
■坊主墓と石塔
上り坂の砂利道が続く.
10時13分,坊主墓らしいところを横目で眺めながら通過する.さらに,10時23分,草むらに小さな石塔が立っているのを見付ける.
<坊主墓> <路傍の石塔>
■市野川の集落を見下ろす
10時15分頃,立ち止まって,後ろを振り返る.
素晴らしい展望が開けている.眼下に,今し方通過したばかりの市野川の集落が見下ろせる.遠くには幾重にも重なった山脈が見えている.
”まるで,日本のスイスだ…!”
少々気障な言い方なので口には出さないが,私は内心でスイスを連想している.
”これだから,旅は止められないんだよ…”
私は,何時も私に悪態をつく,体内のもう一人の私に言い聞かせる.
景色を眺めながら,給水休憩だ.
<市野川の集落を眺めながら給水休憩>
<いよいよ山道だ>
■馬の水飲み場
10時20分,国道を横切る.この辺りの国道は大きく右左に蛇行しながら聖湖方面に登って行く.私達は蛇行する国道を真っ直ぐ横切るようにして,坂道を直登する.歩き進むにつれてだんだんと山道らしくなる.
10時24分,馬の水飲み場に到着する.ここには馬の水飲み場を示す案内杭と,苔むした水飲み場が現存している.今でも水が滴れ落ちている.
<馬の水飲み場の道標> <苔むした馬の水飲み場>
■深い森
10時35分,善光寺街道の道標を通過する.この辺りから先は,如何にも峠道らしく深い森の中の路になる.勾配もいくらか急になりはじめる.
<深い森の中に入る>
■沢山の歌碑
10時36分,最初の歌碑を見付ける.
”おや,こんなところに歌碑が立っている…”
私は誰の歌碑か分からないまま,とにかくデジカメに収める.後でゆっくり読むつもりで…
ところが,歩き進む先々で次から次へと歌碑が現れる.
”こりゃあ~…きりがないな”
で写真を撮るのを止める.
この歌碑群はどうやら観光目的で設置されているようである.
言葉が悪いかもしれないが,
“過ぎたるは及ばざるがごとし”
正直,あまりに数が多いのでウンザリする.
<歌碑群>
■お仙の茶屋跡
国道を横切って,土道に入る.
10時42分,お仙の茶屋跡に到着する.
ここには屋根付きの立派な案内板が立っている.
この案内板の説明によると,この茶屋にお仙という美しい娘がすんでいた.この娘は村の若者の憧れの的だったが,お選は人知れぬ旅の若者を慕い悲恋に終わった.
松尾芭蕉も,
”さされ蟹 足這いのほる 清水哉”
という句を残しているという.
資料1の説明には,「吹雪の日に善光寺の寺侍西村という男が行き倒れになる.おせんが西村を介抱している内に二人は恋仲になる.その後西村は山賊に襲われて殺害される.吹雪の夜,西村の亡霊が現れる.お仙は後を追って,翌日,西村の死体を発見した」という趣旨のことが書かれている.
<お選の茶屋跡>
■弘法清水
お仙の茶屋跡近くに弘法清水と書いた案内杭が立っている.
案内板のすぐ下に,土から滲み出るようにわずかばかりの水が湧出している.
先ほどの案内板の説明によると,この清水はもともと一杯清水と呼ばれていたが,弘法大師がこの清水に立ち寄ってかあ弘法清水と呼ばれるようになったという.
<お仙の茶屋跡> <弘法清水>
<聖湖に到着>
■聖湖に到着
11時03分,視界が突然開ける.
目の前にいきなり自動車道路が現れる.私達は,予定より1時間近く早めに,3日目の終着天,聖湖に到着する.
これから聖湖で昼食を摂ってから,ゆっくりと聖湖半を散策する積もりである.散策を終えてから,13時30分頃,予約済みのタクシーで篠ノ井線聖高原駅まで降りて,解散する予定である.
<聖湖に到着>
■無事を祝って万歳
暫くの間,自由行動.
まずは,無事到着を祝って万歳!
<3日目完歩万歳>
[参考資料]
資料1;完全踏査街道マップシリーズ『ちゃんと歩ける善光寺街道』五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
(つづく)
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「善光寺西街道」の目次
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「善光寺西街道」の索引
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