FMEN式雑記

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

秋田バス戦争・西部編

2023-01-27 21:01:59 | バス・タクシー・その他陸海空運
やってきましたバス戦争シリーズ、次は西部です。
1休1勤1休→仕事びっちり!でしたが取材を考えたら晴れた今日で良かったか?

○市営バス独占の地
秋田市西の副都心、新屋が中心な西部地区は由利地方向けの羽後交通を除けば、市営バス独占地であった。

秋田駅前発→大町経由新屋線(一部別経路あり)、県庁川尻経由新屋西線、県庁川尻栗田町経由新屋西線、柳原経由新屋線、県庁臨海経由新屋西線、茨島環状線、川尻秋商経由免許センター線、川尻船場経由免許センター線、県庁秋商経由免許センター線など(新屋から大森山や新屋高校も)、海水浴場線
市内各所発→新港線、新屋日赤線、新国道交通局線など

さらに、新屋からは西部線として
新屋発→7号経由下浜線、桂根経由下浜線、旧街道浜田経由下浜線、浜田線、新屋高校線、大森山線、豊岩八田線、豊岩湯の目線、豊岩小山線、浜田環状線、海水浴場線、豊岩下浜周回ルートなど
があった。
みんな市営バスだったが、これだけ集まったのは、市営バスの南営業所が新屋駅前にあったから。
いろんな資料だと1993年まであり、三菱ふそう(太平興業?)随意契約だったらしい。
新屋は市営バスが前進の民間時代からの伝統的路線地だとか。

○厚遇されていたイメージ
南営業所が廃止されてから、新屋案内所という施設になり、2002年に全部移管されてから今は西部サービスセンターに。

下浜線とポール。
市営は行き先があったはず。

操車力の高さやたくさんの学校を結ぶイメージからとにかく新屋方面は本数で恵まれてる感があった。
南部に行くバスがパンパンに混雑してるのにガラガラな大型バスがひっきりなしに来て羨ましいなとなんど昔は思ったか。
さらに、新屋発もマイタウンに移管されたがこれまでとシステムはかわらず、秋田中央トランスポートバスと他の地域に比べ恵まれている。

しかしながら、減便の波にはあがなえないようで空白時間が増えてもいる。

今は
秋田駅前発→大町経由新屋線、県庁川尻経由新屋西線、県庁川尻栗田町経由新屋西線、川尻秋商経由免許センター線、川尻船場経由免許センター線、柳原経由新屋線(経路変更)、茨島環状線(経路変更)など
市内各所→新港線
新屋発→旧街道浜田経由下浜線、桂根経由下浜線、浜田線、豊岩八田線、豊岩湯の目線、豊岩小山線、新屋高校線、大森山線
である。

○新港線の意味?
新港線はしんみなとと読むと思いきやしんこう、らしい。
新屋と飯島北を新国道で結ぶ南北の秋田駅を無視した都市間ライナー便というべきか。
昔は営業所往復もかねていた。
ほかに飯島からは南高校、新屋高校へ。
新屋からは土崎港入口止もあったとか。
しかし最近は数が減り、片道系統ばかりに。

だが、待ってほしい。
飯島には秋田中央トランスポートの車庫がある。
回送していくなら乗せて稼いだほうが得な気もしないでもない。

○案外融通悪い?
免許センターの場合、新屋駅から行くのを更新多発する日曜日の朝とかだけ運行してもいいし、雄物川対岸の仁井田から目の前の新屋高校方面など、ありそうでない。
さらに、新屋西川尻割山は半分近く同じルートなのになぜか県庁川尻経由免許センター線、川尻船場経由新屋西線なんかがない。
新屋発はかなりの田舎だし、岩城まで伸ばすことは無理だとしても。
※だが、豊岩線は旧雄和町を走っていた。

いよいよ東西南北まとめました。
だが、まだ最終章には行けない予感。
さらなる取材が必要か。

街歩きの話はおいおい載せますよ!

秋田バス戦争・北部編

2023-01-20 22:24:34 | バス・タクシー・その他陸海空運
秋田市のバス事情まとめシリーズ、今回は北部。

○もともとは中央のシマ?
秋田市の交通崩壊が始まったのは市営バスの移管が開始された2000年と見る。
このときまであったのが、
市営バス(土崎系)→新国道土崎線、金足堀内線、寺内土崎線、臨海土崎線、将軍野線、浜なし山線、組合病院線、新国道大学病院線、新国道秋商線、新港線、飯島スクール線、堂の沢線、寺内交通局線、セリオン線など
さらに、市営バスは泉方面として神田系も主要にしていて、
市営バス(神田系)→神田旭野線、神田土崎線、笹岡土崎線、土崎駅組合病院線、神田スクール線、神田県庁線、卸売市場線、泉山王環状線、添川線、泉秋操線など
【追記】卸売市場線は神田線の派生。
※まだありましたらコメントなどで教えてください。
そこに、
中央交通→新国道経由土崎線、金足岩瀬線、追分線、五城目線、船川線、上新城線、下新城線など

があった。
もともと新国道にバスを走らせていたのは中央からと言う。
市営は寺内や市電、神田方面中心。
だから、新国道は中央にまかせて競合を止めるにするために移管がはじまったのだが…

○あれは嘘だ?
そうして、競合していた新国道経由土崎線、上新城下新城岩瀬にあわせるために堀内が先行移管、翌年土崎絡みが例外なく全部移管。
(新国道サンパーク線は一年長く新国道にいたことに)
その後どんどん削られ、最後まで残ったのが泉秋操だった。
当時は移管までするんだから路線を守ると風呂敷を広げていた中央交通だったが。

交通局解体からすぐ、
上新城、金足、下新城を廃止した。
これはいくらなんでもでないか。
代わりに秋田市のマイタウンで補完されたが、案の定乗り換えと互換わるさと秋田駅まで行かない。
市が赤字で廃止した市営バスをスケールダウンして復活というお粗末な話。
更に、船川や神田の大部分もばっさり廃止。
二枚舌ではないのか。

○さらなる系統経路変更や削減
中央交通は五城目が由来、だから系統番号は101【訂】100が付番されていてまだ本数が確保されている方。
土崎行きもまだ新国道寺内が二極化していて、神田も本数があるほうでまだ南や東より厚遇かな。
ただ、だいぶ減らされたりしたとこもある。

こないだ歩いた将軍野線は細かく分けると…
通町将軍野線、県庁寺内将軍野線、新国道将軍野線、将軍野飯島線、通町サンパーク線、県庁寺内サンパーク線、新国道サンパーク線、サンパーク経由無組合病院線などなとがあった。
※サンパークは飯島西袋の組合病院裏のニュータウン。
があったが今は通町将軍野線、県庁寺内サンパーク線のみ。
しかも1時間半待ちになるぐらいだった。
系統が一極化してしまい、やはり不便に。
神田や五城目は厚遇されているが経路変更をしている。

現在(土崎系)→新国道土崎線、県庁寺内土崎線、将軍野線、五城目線、追分線、セリオン線、新港線
(神田系)→神田旭野線、泉ハイタウン線、土崎駅組合病院線、添川線
スクール系統は新港線以外きえたと見ていいし、多様な手も減った。

○北営業所と飯島車庫
市営バス時代は北営業所が今の7号線のマクドナルドの敷地にあった。
上のように、堀内以外が無かったからか早々廃止。
しかしながら、飯島の車庫は復活していた。
飯島の工業団地に秋田中央トランスポートのマイタウン車庫である。
だが、これは西部のマイタウン用で北部には何も寄与してない。
北部マイタウンはキングタクシーだし、路線も臨海営業所か五城目営業所(男鹿営業所は廃止)だから。
いま、土崎線は派生でキタスカ経由がある。
これをここまで運べるなら、市営バスの浜なし山線みたいに運べ、操車できたのでは。
また、飯島北の回転地の旧マン倉に車庫を立てればまさに北営業所だったのでは?

○まさに多様化すべきでは?
せっかく北部手に入れたのだから、多様な系統は残すべきだったようにも。
例えば県庁寺内が足りなすぎて新国道が余るなら五城目を県庁寺内経由で一部置き換えてもいいかもしれないし、神田は泉外旭川やサッカーモールで大再編してもいい。
なによりサッカーモール線は昔の卸売市場線の復活。

それにしても、向こう見ずな移管とマイタウンの仕切り割の悪さがこんなことになってるんでは、は何回目か。
先になくすをありきにしてやばくなったという稚拙な行政のせいでみんなが被害者化してるんでは…
負の遺産がでかすぎます。

次は西部ですが、来週オフの荒天は取材行けないだろう…

秋田バス戦争・東部編

2023-01-13 23:47:22 | バス・タクシー・その他陸海空運
秋田市のつらい路線バスシリーズは第二弾。
南部よりは厚遇されているが全体では冷遇されている東部について。

○前提から崩壊?市営中央縄張り意識
東部も南部同様かつては市営バス中央交通のどちらも走る街。
しかし、こちらは異常に縄張り意識が強かった
市営バス西口→手形山大学病院線、仁別リゾート公園・国民の森線、秋田温泉線、城東消防署方面線(東営業所、大学病院など)、明田方面線(経法大、桜ヶ丘など)、築地方面線(楢山大回も入れる。経法大、桜ヶ丘、中北手など)、東小学校方面線(東営業所など)、駅東線
中央交通西口→三吉神社方面線(赤沼、松崎団地、太平、下北手、木曽石など)
※移管前。一部は東口発に整理されました。
つまり、市営バスは三吉神社に乗り入れが出来ず中央交通は他に乗り入れが出来ないのが移管までずーっとつづいてしまった!
厳密には市営は飯島から来る大学病院行きが三吉神社経由だが、このおかしな縄張り意識が複雑怪奇になる。
そもそも中央交通は旧市内を通過する太平だけを五城目追分式にとどめ、あとの赤沼松崎木曽石あたりは市営に一任で良かった、参入にムリがあったのではないかとも。
赤沼はなんかは昔は東営業所が東口にあったからそこを回遊する方が良かったし、境田団地は市営で松崎は中央交通なんてのもなかっただろう。

○東口の使い方
かつては市営東営業所だったため市営の単独地であったが、コレもまた使い方が悪い。

縄張り意識の名残と稼働率のせいであまり使い勝手がいいとは言えない。
例えば駅東線なんかは残す気になればいくらでも残せたし、いまは手形バイパスが出来たから仁別や蓬田まで行けたはず。
あと、日赤病院絡みをムリに東口にこだわらなくても良かったとも思う。
そして、東西均等バランスも必要だったかと。
城東消防署経由大学病院線なんかは東口にされて整理されたが西口から増やしても良かったはず。
今、西口からでるのは楢山大回と城東消防署経由桜ヶ丘のみ、寂しい。

○東営業所と小型バス
東営業所は後に鍋沼に移転→中央交通化→廃止解体になったが、これも最後まで使い勝手が悪かった。
市営時代は東小学校経由があったが末期は廃止されて「東小学校東営業所」の幕の東小学校が削られ、「   東営業所」になっていた。
ただ東地区の開発期にはもう移管の話がきていたのか「秋田駅東口」の幕しかなく「城東消防秋田駅東口」や「横森秋田駅東口」は制作されていない。
また、中央時代は管轄の意識をかなり無駄にした。
三吉神社方面線でなく、移管した土崎や牛島を管轄地にしたため利点をいかせない。
また、管轄の縛りがきついため乗り入れてこない。
東営業所には小型バスもあった。
これこそ今は使い勝手が良さそうなのに、廃車にして今はぐるるのみ。
小型バスで稼働を上げれば不便もなくなるのになと残念である。
(大型で東営業所まで行くのもあったらしいが多分所属は本局か新屋だろう)

○そして、路線はどんどん切り捨てられた
たくさんあった路線も今は…
手形方面→仁別リゾート公園、秋田温泉、手形山大学病院
三吉神社方面→太平、赤沼、松崎団地
東口発→広面御所野、南が丘、桜ヶ丘、桜台
南通方面→楢山大回、城東消防経由桜ヶ丘
しかない。
東営業所代替路線は廃止され、駅東も廃止、下北手木曽石中北手はマイタウン変更など。
しかもこのあたりは山奥なのに。
更に桜ヶ丘や太平などは末端区間が廃止や経路変更あり、手形方面は旧市営だからかかなり冷遇。
しかもなぜか伝統の五城目線や追分線が臨海管轄になり、本来本局扱いの臨海管轄になるはずの手形方面が大川反に変わる不思議ぶり。
なんでこんなことに。
ちなみに桜台南が丘は新設だがこれは福祉団地線とノースアジア線を付け替えただけ。

ここもかなり厳しい実情であろう。
花形の路線である広面御所野線ですらなんと中央交通委託で無料バスまで出してるぐらいの競合だから仕方がないかもしれない。
更に廃止や経路変更を安易にしたため、手形山方面や駅東線難民が赤沼線に大量乗車ということになっていたり、接続悪いマイタウン待ちに苦労したり。
(以前牛島線が楢山で大混雑していたがこれは築地難民なんだろうか?)

南部もそうだけど、マイタウンは小型でもいいからやはり秋田駅や東口から出せないものか。

また、残された路線も広面御所野赤沼以外はいつどうなるか怪しいとこ。
東部系統は300、400番が付番されているがかなり欠番ばかり。
だいぶ廃止したんだろうなあ。

次は北部を予定します。

秋田バス戦争・南部編

2023-01-06 22:15:21 | バス・タクシー・その他陸海空運

雪国秋田市、本格的な根雪に。
そうなるとバスが必要不可欠。
しかし秋田市のバスはかなり悲惨なのが有名。
しかも地域ごとに差別があるのか、西部>北部>東部>南部で厚遇差がある。
地域発展を阻害する秋田市の交通事情の悪さを不定期シリーズで記す。
まずは、南部。

○もとは百花繚乱の路線だった
南部地区は主に牛島方面と見ていい。
過去は中央が仁井田四ツ小屋線、雄和町線、和田線、大野線、目長田線、岩見三内線。
市営が大住線、南高校線、二ツ屋線、福島線、上北手線に国道経由御野場線2つ。
共同で御野場団地線があり市営でスクール2本と茨島環状線。
しかし、2001年に市営が例外無き一括移管されたあとは減便の繰り返し。これが悲劇の始まりである。

○経路変更の実験台と安直な廃止
南部はやけに経路がコロコロ変わることで有名。
雄和町線の場合、昔は仁井田経由で役場方面や芝野まで行ったが御野場ニュータウン経由になったり、末期は築地経由に変わったりした。
仁井田四ツ小屋線も昔は仁井田内部を回る路線だが、今は御所野行き通過系統。
上北手線は南大通経由になってるうちにわけわからなくなった。
ちなみに今は同じような行き先で同じような時間発車が増えたような。

○なぜなJR東側
イオンや日赤病院などができたが使い勝手はよくならなかった。
なぜか東口からの運行をして牛島仁井田方面を置き去りにする新路線を採用。
東部は冷遇され気味だがここだけは厚遇された感がある。
また、南大橋ができたのに牛島仁井田経由にしないで東口から遠回りする路線が短命であったり。

○大改悪!大住線柳原経由
最近は大住線が牛島から柳原経由に変更になった。
コレがかなり使いにくく大失敗とも言うべき害悪ダイヤ。
・牛島方面が激減する中で経路を切ったため牛島方面線が常時乗車率200%に近い
・朝は国道出勤ラッシュに巻き取られて大渋滞、帰りもラッシュに巻き取られる 
・南高の通学バスの役割が無くなった
・サティ方面はたりるとみられて柳原経由御野場線のあおり減便
これを良かったという人の顔が見たい。
そもそも他なら寺内土崎線を新国道移管にしたようなもん。
※まあ、神田方面や昔の東営業所でもこんな改悪はあったが。

○マイタウンの接続の悪さ
旧外地線の河辺雄和方面まで廃止されたため、御所野や四ツ小屋で乗り換えを強いられるがこれもだめだめの極み
・乗り換えが無駄
・タクシーより安いのにタクシー並なデマンドでもうからない
・四ツ小屋駅と御所野自体に行きにくい
もう、河辺雄和方面や上北手はマイタウンに移管して秋田駅から出してほしい。

○異常減便
市営、中央両方で走ってた御野場団地線がこの年末年始0本とは皆さんおわかりだろうか。
この花形をここまで減らすとは。

それにしても、なんでここまで南部は冷遇されたのだろうか。
のちに書くけど交通改革担当した石川元市長と中央交通渡邉元社長が五城目の同郷だから南部を見たことがなかったからなんだろうか。
客のわりに単価がわるいとかで需要のわりに冷遇されているのとも思ったり。
※コインバスや障害者手帳は安値になる。
系統番号なんて要りません。
だって誰も使わないし、番号振るほど多くないから。
まあ、昔のうちに御野場ニュータウンや四ツ小屋、仲谷地、堤台、御所野あたりに営業所をおけなかったのもありますが。

もし自分がまかり間違い政治家になるなら秋田市と中央交通や浮田や高尾、キングとマイタウンバス合弁企業を作り移管。
・二ツ屋福島線の完全移管にして二ツ屋や南高止
・河辺雄和線を中央に一択化させるかわりに大野、大住、仁井田、四ツ小屋、上北手の再移管
・日赤病院や新屋への充実
・大住の一部を牛島に戻す代わりに昼間などの大住仁井田四ツ小屋あたりの柳原経由化
・御野場団地の共同運行

ただ、財源が厳しいか。
男鹿市では合弁企業ではないけど逆移管して路線を活かしてるから学ぶことが多そうですが。

次は、東部をいつか。

バスの小品

2021-10-29 17:58:48 | バス・タクシー・その他陸海空運
バスネタ2つ。小品ですが。

☆まんたらめ号

我々の時は大森山だった林間学校。
いまは仁別のまんたらめ。
以前相撲話で書いた大横綱の額はまだあるのだろうか。

まんたらめになってから、こんなバスが走っている。
これは二代目らしく、先代は市営バスの観光車が老人会用に運用変更→市営バス廃止で白ナンバーになり払い下げ→廃車。
我々の時は「秋田八丈」の路線バス。
仁井田に来る率が凄く高かった。
余談ながら修学旅行は市営観光だった。

他にやまびこ号という東北新幹線のような名前の車もあるらしい。

☆七区?

予てから気になっていた名前。
秋田市は市営バス中央交通含め、〜n区というバス停名をつけるのにはまった時期があった。

市営命名→中村一区、通町二区など
中央命名→大野四区、千秋丘一区など
不明→高野二区、中野二区など
※ただし市営バスの場合は八柳など改名してしまった場所あり。

この相染七区は中央交通命名。
市営バス運行が無い飯田街道系統なので。
まず、七区という番号のでかさに驚く。
中野、中村、大野は律儀に1から番号を振り、通町二区は通町の次だからというのがあるがここは1〜6が無い。
場所も土崎港相染町七丁目とかではない(そんな住所は無い)し、土崎港北七丁目からは離れ、場所は港北新町。
実に不思議である。