以前取り上げた「秋田市営バスのバスロケポール」の2代目である。
よく見て欲しい。
盤が再び見えるようになっている!
これです。
全盛期はこれが活躍していた。
秋田市のバスロケーションシステムは1981年に世界初のシステムを構築して65箇所に設置。
そのあと場所をしぼりこんみ、写真の2代目に更新された。
もう殆ど残ってないと記したが、あんがい残るとこあるようにも。
システムとしては、複数系統や路線のある場所に置かれ、バスが近づくと左の黄色が光る。
夜になると緑がつく。
いまワクチンなどでお役所システムが批判されてるが、お役所システムがここまでやれた時代があったのです。
ちなみに、この場所は「からみでん」。
手形からみでんという小字。
昔は手形の目抜き通りで、ト一屋や銀行がこのあたりにあったがいずれもなくなっている。
通る路線は仁別リゾート公園線と秋田温泉線。
見るからに観光路線っぽいが、旭川手形のアクセス、交通の便が悪く旭川小学校や東中学校に通う仁別、山内、添川あたりの通学スクールバスなど目的は多数。
東中学校経由とあるのはそれで、全部のバスが東中学校を経由するため東中学校経由しない路線が省かれてることはない。
また、県庁経由交通局行きも東中学校・秋田駅を経由して秋田駅とのハブ利用や山王方面の乗り換え無しである。
【追記】東部方面の交通局線は基本秋田駅を経由していたが、1日1便のみ秋田駅に寄らず直接広小路から出向く系統があった。
かなり重要な路線で移管がかなり遅くまでなされなかったはず。
市営バスを中央交通に移管させる時にシステムは引き継がれず、盤をアクリル板や紙で塞いだがなんかの切欠で出てきたのだろう。
もう動くことはないが、美品ぶりがすばらしい。
また、昭和感ある電話ボックスも味がある。
春雨に立ち尽くす寂しい姿で、きょうも手形の街を見守っている。
自分は仁井田で中央交通のシマでしたが、中学校以降でなるべく市内から戻るときは市営バス選んでました。
新屋なんか東京の鉄道並みに待たなくても大きなバスがすぐ来て羨ましいと思ったんですけどね。
当時としては(今でも?)斬新でスタイリッシュに見えました。
「からみでん」でも「搦田」でもないのがおもしろいですが、たしかに次の次である東中前経由としているのも、なんだか。「手形山崎経由」が妥当かもしれませんが、下の段も山崎は通るし…
「駅止まり」か「駅によらない県庁・交通局」なのかを区別しなかればならないわけですが、交通局も悩みどころだったのでしょう。
その東中学校前も、同型が設置されていたものの、上屋とともに撤去されました。
ここの表示面は最後まで隠されていたかと思いますが、大回り線(駅行きだけど微妙に経路が違う)や秋田高校入口行きの項目があったはず。見ておきたかったものです。
たぶん東中学校という通りから進むのを教えたかったのかな、とも。
秋大とからみでん間は、数学的な最短距離理論なら阿部とんや壁画自転車屋をまっすぐ行き、山形屋の踏切で直角に入り直進。
でも、わざわざ折れ数や折れ方を変えてまで東中学校を通過してます。
通学のためでしょうが、曲がりが変わるアピールとすれば。
さらに、交通局は東部方面は全て秋田駅経由と思いきや1本のみすぐ広小路に抜ける系統があったようで、それも…
東中学校前にそんなマイナーな系統まであったとは。
特に当時の御野場・飯島スクールは季節便でしたし。
そうなると、手形山崎には飯島北ゆきってのがあった?
飯島北、新屋方面のポールは北営業所、南営業所の表記訂正か新港の一部以外は積極的に交換を受けている感があります。