ずっと金曜日に特集していたバスシリーズですが、実はあるとこを忘れてました。

緑の部分には昔は市章。

これは、中央部。
忘れてた理由として基幹過ぎて灯台下暗しだったからか。
○移管までの流れ
元々(一部別地区扱い含)は、
市営→県庁経由交通局線、県庁経由県立プール&スケート場線、たけやパン線、商業高校線、県庁寺内経由交通局線、通町寺内経由交通局線、東北製紙線、大川町経由交通局線など
中央→県庁八橋線、長崎屋車庫線(2つ合わせて中央交通線)
だった。
特徴としては一部を除き県庁市役所を通る。
また、昔は中央交通は秋田地裁前の市民広場で運転打ち切り。
基本道が広いからどちらも大型中型小型様々走っていた。
○移管開始からは
第一次で「たけやパン線」(正式名・山王線)が移管され、これにて県庁八橋車庫線が新設された。
たけやパン線は昔はクリスマス電球工場前で終わっていたが、後に中央交通車庫近くのデイリーストア本店のバス停まで延伸。
免許維持のためにやっていた感が強くて真っ先に対象に。
この移管は仕方がないが、操車機能としてダブル入ならまたどうだったか。
大川交通局や東北製紙は移管前になくなっているようだ。
○交通局廃止後
廃止少し前から中央交通が交通局を間借りしていたが、廃止あとに交通局の蛭根車庫は中央交通臨海営業所にかわった。

緑の部分には昔は市章。
また左手の出入り口のポールから乗れる。
昔何回か市営時代に始発乗りをしたことがある。
なぜか臨海土崎線や臨海新屋西線の「臨海県庁秋田駅」の幕だったことも。
あと、市営時代はたくさんバスが出ていたから旧県立球場で中総体の応援して秋田駅までバス使うなら律儀に球場で待つより交通局まで降りた方がかなり早いし、しかも空いていた。
閑話休題。
そんな臨海だが、やはり支社に格下げされて本数は減っている。
○管轄の整理は正しいの?
この再編でただでさえ管轄にうるさい中央交通なのだが、やはりきつい管轄再編をした。
中央管轄→中央交通線、県庁寺内土崎線、将軍野線、南部全般、三吉神社方面線、東口発止線、手形山大学病院線など
臨海管轄→五城目線、追分線、新国道経由土崎線、大学病院以外の手形方面線、西部全般、泉ハイタウン線、神田線、添川線など
である。
管轄にうるさいというのは、その営業所の管轄のバスは他には絶対入らないということ。
例えば秋田駅→牛島→御野場→新屋→新屋西→秋田駅→通町→生協みたいな編成は無い。
市営時代は関係なく効率で走らせていたが。
これのなにが問題かといえば営業所で差がでること。
南東部冷遇に感じるのは臨海厚遇にされている感があるかと。
秋田で減便減車かかると特定の路線だけ減る構造だから。
臨海は
・減便が少ない
・買物広場や秋田駅前待機が優先なため始発の待ち時間が少ない
などがある。
なかでも悲惨なのが手形山や将軍野かもしれない。
長年市営バスだった名残で臨海だったのが秋田に配置転換されてからは減便も増えたりしている。
ちなみに寺内は臨海から異動してから大型バスも来なくなっているし、移管時に交通局の県庁寺内経由と通町寺内経由の2系統は引き継がれていない。
反対に長年大川反だった五城目追分土崎の新国道3兄弟は臨海に異動されたから比較的安泰。
管轄なんて客にはなんも関係ないからもう少し緩やかに管理したらいいのに。
○そもそも同じ系統に似た位置の車庫は必要?
大川反も臨海も同じ県庁経由で少し行けばは同じ。
県庁方面がダブついてしまうんだから、臨海は仮操車場に残して市営時代は南東部に強かった東営業所(これも移管担当艦にされて非効率になり潰れた)を残すか、トランスポートの名目で新屋に南営業所か飯島に北営業所を設立か御野場仁井田四ツ小屋に新しい操車場を置いても良かったかも。
持論であるからまたいつか書くけど、臨海はマイタウン集約団体を作りそれの車庫にすればいいかもしれない。
○古巣に帰ってきていたバス

秋田市の所有バス「やまびこ号」と他一台が厳密には市の道路部だが臨海営業所にいた。
これらは市営時代を知らないが先輩たちがいた場所にいた。
確かに市営バスはここにいたを思わせる一枚。
バスネタばかり続きました。
明日は違う話題にします。
いくら増やしても管轄しばりがきついと東営業所の二の舞は避けられません。
最近では、回転地自体も減ってきていますので。
大住は借地理由で短くなりましたが、市民生協や蓬田もいつまで残るか。
新国道県庁寺内の土崎駅乗り入れ開始も飯島北をマックに渡して移転もあったのでしょうか。
回転地はおろか終点無しな二ツ屋福島、御野場、サンパークなどが減ってるのも。
臨海はどうなっても操車機能だけは残すべきで、東は東営業所だけでなくノースアジアになってから大学と揉めて出入り禁止も痛かった気がしてきました。