月曜の弾き語りで初めて僕のライヴを観た女性から、素敵なライヴの感想を頂いた。演奏者の意志、ロックの精神に踏み込んだ内容に、感謝とともにこちらも身が引き締まる思いがした。ご本人「なりさん」の了承を得て、以下、全文を。
ちなみに、文中に登場するロディ・フレイム(アズテック・カメラ)は、僕が高3の時に聴いて憧れた元祖ネオアコ英国シンガー/ソングライター。引き合いに出してもらって光栄なのだ。
『綿内克幸さんの弾き語りライブに参戦してきました。日数が経ってしまいましたが、とても素晴らしかったそのライブについてレポートさせていただきます。
今までこうして書くことが出来なかったのは、私が受けた強烈な感動が何によるものなのかを正確に把握したうえで、私にとってそれがどんな意味があるのかを、熱演してくれた綿内さんにきちんと伝えたかったからです。
ライブはセットリストのとおり「フォトジェニック」から始まりましたが、あとで綿内さん自身が語っていたように序盤はやや体がほぐれず本調子ではないような気がしました。
先行してリリースされていた弾き語りのアルバム「UNPLUGGED2」が緊迫感のある作品だった為、観客である私もかなり緊張していましたが、綿内さんのようなベテランのミュージシャンでもギター1本と歌のみで勝負するライブというのは、これほどの緊張をもたらすものなのだなと思いました。
中盤の「Monkey Train」辺りからは完全に本領発揮されていたのではないかと思いますが、それ以降の演奏と歌には大変な迫力があり、とにかく圧倒され引きずり込まれました。最前列に陣取り目の前で観ていたにもかかわらず全感覚が耳で音を聴くことに集中していたので、私は綿内さんの動作や表情のことなどは殆ど何も覚えていません。
特にアルバムでも迫力のあった「いつの日かすべて」には激しさがあり、何か見えないエネルギーがステージから強烈に放たれているようでした。まさに人間の精神力の全てを注ぎ込んだ迸るような歌声で気迫に満ちていたと思います。曲の終盤は特にそうでしたが、私はこれほど力が漲った男性の高音のファルセットをかつてライブで聴いた覚えがありません。
全体に言えることは、アコースティックギター1本の演奏ならば普通はもっとまったりしたり、しっとりしたりしそうなものなのに、そんな雰囲気は微塵もなかったということです。
それは演奏する綿内さんの精神がそうさせたのであって、曲そのものが持つ叙情性を表現する以外には一切、余計な感傷を持ち込まないというかのような気概に溢れていた為に、弾き語りといえどもバンドが一丸となって鳴らす音に負けない”アコースティック・ロック”になっていたと思います。そうでなければ、たとえば「君がいた夏」のような曲はいくらでもセンチメンタルなものにもなりえたのではないでしょうか。
ラストの「希望の街」もアルバムのバンドサウンドより遥かに迫力と力強さがありました。アルバム・ヴァージョンが明るく爽やかな希望を感じさせるのであれば、弾き語りヴァージョンは強く激しい希望を感じさせるようなものでした。
私は人間の歌声の力というものをこれほど感じさせられたライブは経験したことがありません。
私はこれまでに多くのライブを観てきましたが、そのほとんどはバンドによるもので、1人のミュージシャンが1本のギターのみで演奏するライブといえば、これも私が愛するロディ・フレイムくらいです。
ロディも去年、サマーソニックで同様に弾き語りのライブをしたのでどうしても比較してしまいますが、どちらがロック的であったかといえば、考えるまでもなく圧倒的に綿内さんのライブの方です。
ロディのライブは、自分の音楽を聴きに来てくれるファンに対し誠意と愛情をこめて、自分も楽しみながら演奏するというようなもので、ステージでは終始ロディは微笑んでいて会場は和やかな雰囲気でした。
一方、私は正直に言ってライブのときの綿内さんの表情をよく見ていませんでしたが、記憶にある限りでは綿内さんは微笑んだりはしていなかったと思います。
これは私の勝手な想像ですが、綿内さんは“いま会場にいるファン”というミニマムな意識はなく、不特定多数の対象に向けてひたすら全身全霊で自分の音楽を投げかけていたのではないかという気がします。
ロディも美しい曲を見事な歌で聴かせてくれました。それは素晴らしいことであり、音楽ファンならば感動せずにはいられません。私はもちろんこのライブを観られてとても幸福でした。今でもそう思っています。
しかし、私はロディがかつての気品と気骨に溢れた”アコースティック・パンク”とも言えるような精神を徐々になくして、ひたすら楽曲指向のミュージシャンになってきていることを長いこととても淋しく思っていました。
私が綿内さんのこのライブにこれほど胸を打たれたのは、私がその失われたと思っていたものを維持しているミュージシャンの姿を目の当たりにし、その演奏を聴けたことに大きな喜びと感動を覚えたからではないかと思います。
最後になりましたが、この素晴らしいライブを私達に見せてくれた綿内さんに心から感謝したいと思います。
ありがとうございました。』 (Picture Urata)
ちなみに、文中に登場するロディ・フレイム(アズテック・カメラ)は、僕が高3の時に聴いて憧れた元祖ネオアコ英国シンガー/ソングライター。引き合いに出してもらって光栄なのだ。
『綿内克幸さんの弾き語りライブに参戦してきました。日数が経ってしまいましたが、とても素晴らしかったそのライブについてレポートさせていただきます。
今までこうして書くことが出来なかったのは、私が受けた強烈な感動が何によるものなのかを正確に把握したうえで、私にとってそれがどんな意味があるのかを、熱演してくれた綿内さんにきちんと伝えたかったからです。
ライブはセットリストのとおり「フォトジェニック」から始まりましたが、あとで綿内さん自身が語っていたように序盤はやや体がほぐれず本調子ではないような気がしました。
先行してリリースされていた弾き語りのアルバム「UNPLUGGED2」が緊迫感のある作品だった為、観客である私もかなり緊張していましたが、綿内さんのようなベテランのミュージシャンでもギター1本と歌のみで勝負するライブというのは、これほどの緊張をもたらすものなのだなと思いました。
中盤の「Monkey Train」辺りからは完全に本領発揮されていたのではないかと思いますが、それ以降の演奏と歌には大変な迫力があり、とにかく圧倒され引きずり込まれました。最前列に陣取り目の前で観ていたにもかかわらず全感覚が耳で音を聴くことに集中していたので、私は綿内さんの動作や表情のことなどは殆ど何も覚えていません。
特にアルバムでも迫力のあった「いつの日かすべて」には激しさがあり、何か見えないエネルギーがステージから強烈に放たれているようでした。まさに人間の精神力の全てを注ぎ込んだ迸るような歌声で気迫に満ちていたと思います。曲の終盤は特にそうでしたが、私はこれほど力が漲った男性の高音のファルセットをかつてライブで聴いた覚えがありません。
全体に言えることは、アコースティックギター1本の演奏ならば普通はもっとまったりしたり、しっとりしたりしそうなものなのに、そんな雰囲気は微塵もなかったということです。
それは演奏する綿内さんの精神がそうさせたのであって、曲そのものが持つ叙情性を表現する以外には一切、余計な感傷を持ち込まないというかのような気概に溢れていた為に、弾き語りといえどもバンドが一丸となって鳴らす音に負けない”アコースティック・ロック”になっていたと思います。そうでなければ、たとえば「君がいた夏」のような曲はいくらでもセンチメンタルなものにもなりえたのではないでしょうか。
ラストの「希望の街」もアルバムのバンドサウンドより遥かに迫力と力強さがありました。アルバム・ヴァージョンが明るく爽やかな希望を感じさせるのであれば、弾き語りヴァージョンは強く激しい希望を感じさせるようなものでした。
私は人間の歌声の力というものをこれほど感じさせられたライブは経験したことがありません。
私はこれまでに多くのライブを観てきましたが、そのほとんどはバンドによるもので、1人のミュージシャンが1本のギターのみで演奏するライブといえば、これも私が愛するロディ・フレイムくらいです。
ロディも去年、サマーソニックで同様に弾き語りのライブをしたのでどうしても比較してしまいますが、どちらがロック的であったかといえば、考えるまでもなく圧倒的に綿内さんのライブの方です。
ロディのライブは、自分の音楽を聴きに来てくれるファンに対し誠意と愛情をこめて、自分も楽しみながら演奏するというようなもので、ステージでは終始ロディは微笑んでいて会場は和やかな雰囲気でした。
一方、私は正直に言ってライブのときの綿内さんの表情をよく見ていませんでしたが、記憶にある限りでは綿内さんは微笑んだりはしていなかったと思います。
これは私の勝手な想像ですが、綿内さんは“いま会場にいるファン”というミニマムな意識はなく、不特定多数の対象に向けてひたすら全身全霊で自分の音楽を投げかけていたのではないかという気がします。
ロディも美しい曲を見事な歌で聴かせてくれました。それは素晴らしいことであり、音楽ファンならば感動せずにはいられません。私はもちろんこのライブを観られてとても幸福でした。今でもそう思っています。
しかし、私はロディがかつての気品と気骨に溢れた”アコースティック・パンク”とも言えるような精神を徐々になくして、ひたすら楽曲指向のミュージシャンになってきていることを長いこととても淋しく思っていました。
私が綿内さんのこのライブにこれほど胸を打たれたのは、私がその失われたと思っていたものを維持しているミュージシャンの姿を目の当たりにし、その演奏を聴けたことに大きな喜びと感動を覚えたからではないかと思います。
最後になりましたが、この素晴らしいライブを私達に見せてくれた綿内さんに心から感謝したいと思います。
ありがとうございました。』 (Picture Urata)