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生きとし生けるものが幸せでありますように。

安全運転とは「譲り合い」ではダメだと思うのです

2018-10-05 22:45:00 | 日記

 今、凄く強い風が吹いています。

 今日はいろいろと楽しみにして以前から予定していた事があったのですが、台風のおかげで全部キャンセルとなりました。

 こうした風の強い日って、やっぱり救急車のサイレンが耳に入ることが多いと感じています。

 そしてやはり、今日は交通事故が多いんじゃないかなぁ、などと思うのです。



 で、表題の件なのですが、安全運転とは、譲り合いでは実現できないと思うのです。

 相手に一切の期待を持たず、ただこちら側が一方的に「譲る」ことが出来ない限り「譲り合い」など実現不可能だと結論したのです。

 譲り合い、という言葉だと、それはどうしても相手側の協力がなければ成立しません。

 だから相手が譲ることに非協力的であれば、その相手に対して何らかの怒りが、自分の心に必ず芽生えてきます。

 そして怒りとは絶対に何ら良い結果をもたらさない毒である。という事実を知らない人が大多数であるのが今の世の中です。

 だからこそ人は、簡単に怒り、その自分の怒りがもたらした結果の責任を、他人や社会に転嫁する人が後を絶ちません。

 そんなふうに簡単に他人に怒りをぶつける人とは、赤ちゃんと一緒です。

 赤ちゃんは何か自分に不都合があった時に、自分ではどうする事もできませんからね。だからすぐにギャーギャーと泣き喚きます。これも怒りです。

 しかしそれに気づいた親や周囲の大人は、赤ちゃんの問題を直ちになんとかしてあげなければなりません。それが大人ってものです。

 ムチャな運転をする人や、すぐに怒りに捕らわれる人とは、男女の区別なく、実年齢が何才であれ、精神年齢が赤ちゃんのまま何も成長していない可哀想な人だと、私は思っております。

 従って、自分の方がちゃんとした大人として赤ちゃんの面倒をみるとの覚悟を持って運転していれば、幾らでも赤ちゃんに譲ることで、不幸な事故(純粋な自爆による単独事故以外)が起きる可能性を大きく下げることが出来ると思います。

 「譲り合い」などという相手任せの無責任な妄想は捨てて、自分自身が「おー、よちよち。うんてんがじょーずでちゅねーw」などという余裕を自らの心に作って、気持ちよく「譲る」ことこそが肝心かと存じます。



 しかしまあ、そうは言っても、やはりそれ以前に(以前も書きましたけど)ドライブレコーダーを装備する事と、それをアピールするステッカーを貼る事こそが、現状では一番、他人の危険行動を抑止する効果が高いと思うのです。

 だからせめて、私のブログなんぞをわざわざ好んでお読み下さる方々には、ドライブレコーダーを始め、何か有効な手段を見つけた折にはその都度、紹介させて頂こうかなと、考えております。

 やっぱり事故ってものは、本っ当につまらないものですからね。



 生きとし生けるものが幸せでありますように。


 230 拝

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