Look at the Dawn Sky (^^)

生きとし生けるものが幸せでありますように。

3/31 桜 (えなハ 二十四日目)

2016-03-31 10:08:04 | 日記

金があるときゃ ちゃらついて

金がなけりゃあ手の平返す

馬鹿は死ななきゃなおらない~♪




とは、清水の次郎長一家、遠州森の石松の台詞(歌詞かな?)だったかと思われます。

しかし問題は、たかだか「死ぬ」ぐらいの事で本当に馬鹿がなおるものかどうかという事です。

多分、なおりません(笑)。

(﹡ˆ ˆ﹡)生きているうちになんとか頑張りましょう。








今朝は濃霧です。

それでも今朝もまたアオサギ若様がいらしております。




この様子だと霧が晴れるまでザッと一時間半くらいはかかると見ました。

それまでの間、私の馬鹿をなおす為にも今朝も元気に雑木林をほっつき歩きます。
































































(﹡ˆ ˆ﹡)みんなおはよ。



































まだまだ後ろ姿には幼さが残るアオサギ若様であります。

今朝は川の水位がまた一段ほど下がっている為か、若もあっちこっちに移動してお魚を探しているみたいでした。








そしてついに…















小さなナマズを一匹捕まえました。




ここからおよそ十分ほどかけてやっとこさナマズを飲み込む若様です。
























「ふんがーッ!」



















ほんの一、二週間前までは親鳥が取って来たお魚を喉まで突っ込んでもらっていたであろう若様が、こうしてたどたどしくもしっかりと確実に成長しています。

「(こりゃあ、負けちゃらんねぇ…)」

と、彼を見る度に力づけられる私であります。




えながハウス 二十四日目

今朝の濃霧で鳥たちの活性が上がる時間もやはり一時間半ほどズレていました。

私が歩く瞑想を終え、次に座る瞑想を予定時間まで続け終えたタイミングで…




(﹡ˆ ˆ﹡)おそらくいつものエナガペアが近くまで顔を見せに来てくれました。








…んが、今朝も写真的にはとても残念極まるこんなんしか撮れませんでした(汗)。

そしてエナガペアが巣の方に飛び去った木の足元にはアントニオくん(ジョウビタキ♂)が…

|ω・`)チラッと顔を覗かせていたのですが、私と目があった途端に逃げ出してしまいます。

良かれ悪しかれエナガペアもアントニオくんも、私を意識していること自体は間違いありません。

私はただただ彼らの幸せを願うものでありますが…アントニオくんの態度が気にかかりつつ歩いていると…




(﹡ˆ ˆ﹡)いつもと変わらない態度のジョビ吉くんも顔を見せてくれました。癒やされまふ(萌)。




帰り際に桜の様子を見に行きます。




ポポポーーン!




(﹡ˆ ˆ﹡)と、いつもの枝の蕾たちが花開いていました。




「はーい!おまたせおまたせー!わたくし咲きましたよー!ほらほらー遠慮せずに蜜をすって花粉を運んでくださーい!」

「すいません…僕は吸いません」

「えっ?…あなた蜜すわないんですかー!えーっ、そんなの聞いてないですよー!」

「あー、ごめん。確かに言ってなかったね。でも、桜さん綺麗だし早くぁぃ…ゴニョゴニョ、言わせんな恥ずかしい!」

「はっ?綺麗だから早く会いたかっただけ……って、はぁ…まぁそれならたっぷりご覧くださーい♪」




(〃▽〃)…みたいな怪電波を送受信していた今朝の川っぺりはこれまでに御座います。




生きとし生けるものが幸せでありますように。







230 拝







3/30 瞑想 (えなハ 二十三日目)

2016-03-30 14:14:18 | 日記

ここしばらく明日かな明後日かな…と、毎朝レンズを向けていた桜の蕾が一つ…













(﹡ˆ ˆ﹡)そおっと花弁を開こうとしていました。




この桜の木についた蕾は数あれど、毎日毎朝レンズを向け続けたこの蕾さんが一番最初に花開こうとしていました。

もしかしたらこの蕾さんは、毎朝毎朝続く私の執拗な催促に…

❀… 「わーかったってばー!やってるから、わたくしいまがんばってますからー!もうすぐ咲きますからー!…ほらーーッ!!」

(﹡ˆ ˆ;;)…なーんて桜さんに無理をさせてしまったような妄想をしてしまい…大変申し訳無い気持ちで一杯の私であります(笑)。




(﹡ˆ ˆ﹡)ついでに今朝は単騎で颯爽と登場したツバメさんもとも今季初お目見えであります。




ちょっと証拠写真にしてもあんまりなのでトリミングします…




(°∀°;)………まあなんとかうっすらと燕尾も見えるかなという程度の写真ですが、一応目視では彼の長~い燕尾と白いお腹をしっかりと確認出来ています。

そして…




(﹡ˆ ˆ﹡)こちらは、もう一週間ほど前からチラチラッとお見かけしていたモンシロチョウさんであります。




(﹡ˆ ˆ﹡)今朝は瞑想を切り上げた途端に…まるで待ち伏せでもしていたかのような春の使者達がいっぺんに襲いかかって来たような川っぺりであります。





























今朝はガスの濃い曇天の空でしたので、太陽が雲の山を越えるまではみっちりと瞑想に時間をかけることにします。




一般的に瞑想といえば…

一心不乱に意味不明な呪文を念じたり…

または神の愛とやらに精一杯祈りを捧げたり…

或いは肉体から精神だけが抜け出して宇宙との合一を果たしたりと…(笑)。

そんな安い小説やマンガやアニメ的なイメージの偏見にまみれていることと思われます。

世間一般でいう瞑想とは、妄想して妄想して妄想して妄想して妄想して妄想して妄想して…妄想をとことん鍛え上げる事を瞑想だと(なんとなく)思っているようです。

こうしたイメージを瞑想と称するのならば、お釈迦様の作ったヴィパッサナー瞑想は瞑想ではないと言えます。

ヴィパッサナー瞑想を行う時は、今この瞬間瞬間に実際に起こっている現実のみを一つ一つ心で丁寧に実況中継します。

その実況以外に心に浮かぶ思いや考えは全て「妄想、妄想、妄想」と三回念じて切り捨てます。

このようにヴィパッサナー瞑想を真剣に行えば、最低でも私たちのだらしなくて我が儘で芯のないどうしようもない性格が、かなり改善出来ることは私も身を持って経験しています。

世間的な瞑想では、なんの効き目もない呪文や言霊とか、会ったこともない神様だの天使だの守護霊だのとか、行ったこともない宇宙がどうのこうのと…

そんな御大層な存在達が私たちの面倒を見て、世話を焼いてくれると言い張っています(笑)。

私たちが自分の性格や心を正し成長させるのに、いちいちそんな御大層な助けがないといけないのでしょうか?。

では逆に、私たちは私たち以下の小さな存在…例えばお腹に居る大腸菌やなんかの悩み苦しみを助けることが出来るのでしょうか?(笑)。

そんな訳ありませんね。

本当は誰だって、自分のことは自分で出来ます。

自分で自分のことをなんとかするのが「ヴィパッサナー瞑想」であると、私は理解します。

自分のことを妙な呪文やら神様やら宇宙やらに責任転嫁する類の瞑想とは何の関係も関心もありません。

(﹡ˆ ˆ﹡)という訳で私は今朝も元気に……超!ゆーーっくりと雑木林をほっつき歩いてきました(笑)。














































(﹡ˆ ˆ﹡)みんなおはよ。












(﹡ˆ ˆ﹡)多分昨日と同じ個体のアオサギ若様ですね。








(﹡ˆ ˆ﹡)今朝はツバメさんの他にイーグレットさん達もぼちぼち帰って来てました。





















「えっ?」「なに?!」と、お互いに思っているご様子(笑)。





「……」「………」(笑)



「…なにやってんのキョキョ?」(笑)




(﹡ˆ ˆ﹡)シメさんのペアも初めて見つけました。




(﹡ˆ ˆ﹡)ジョビ吉くんもいつも通りであります。


































































(﹡ˆ ˆ﹡)そして今朝もえながハウスは大忙しです。




もう私になんぞ構ってられない忙しさの中で…




(〃^〃)たまたまちょこっと近づいて来られると…もー、たまりまぜん!(萌)。




おそらくヒナ達の巣立ちまでもうあと僅か…子育てのラストスパートを私が邪魔することがないようにここから離れます。




しばらく歩いて件のエナガペアのテリトリーからかなり離れた木立の中に…




(⊙⊙)‼




(◎-◎;)こ、こ、こりは…巣立ちして間もないエナガベィベさんではないでしょうかかか?!。

私はエナガの幼鳥を生で見たことがないのですが、調べてみたところエナガの幼鳥は瞼(アイリング)が赤いのだそうですが…

(ง🔥Д🔥)งはい!トリミングーッ!!!











(◎-◎;)うーーーん…?

赤いっちゃ赤いのかもしれませんが、私のコンデジ様ではこれが限界であります。

ともあれこの方が幼鳥だったとして、私が追っているえながハウスの住人ではなさそうなので…やはり他にもここで営巣していたエナガが居たということですね。








(﹡ˆ ˆ﹡)ちょっと焦りましたけれど…冬鳥と春の鳥たちが混在し、ちょっとええもんがたくさん見られた今朝の川っぺりはこれまでに御座います。




生きとし生けるものが幸せでありますように。







230 拝







3/29 歩く瞑想 (えなハ 二十二日目)

2016-03-29 11:48:04 | 日記



今朝も川っぺりの雑木林では日の出からでっかい図体をしたおっさんが、超スローなペースで徘徊していたと聞き及んでおります(笑)。

傍目にはさぞや不気味な光景だったとは思われますが……止めるつもりはサラサラ御座いません(笑)。

今朝もみっちり歩いたおかげで、朝からかなりヘトヘトになっております(笑)。

これは一昨日の瞑想会で出来たおけつや股関節の痛みとはまた別の、ふくらはぎや太ももに出来た懐かしいまでの筋肉痛がブイブイいわせております。

「たかだか一時間ほどゆっくり歩くだけで筋肉痛?…それおかしくね?」と、思われる方々も多くいらっしゃると思います。

でもこれはやってみればすぐに分かる事でもあります。

ヴィパッサナーの歩く瞑想は、今この瞬間瞬間に身体で起きている現実をつぶさに観察し実況することが主題になります。

歩くという一連を流れを…「(足を)上げます」「運びます」「下ろします」と、ある程度細かく動作毎に分割し確認することで、今この瞬間瞬間をしっかりと観察するメソッドなのです。

従って歩く動作をスローにすることで確認が大変やりやすくなります。

そこで私に出来る範囲の極限にまで動作をスローなペースに落とすのですが…

先日のブログでも書きましたが、ゆっくり歩くということは、慣性や摩擦などの自然法則的なエネルギーの補助があまり得られなくなるということでもあります。

この補助が外された状態で歩くには私たちの肉体の神経と筋肉と骨だけの駆動だけで身体全部の質量を動かさなければなりません。

これがかなりの重労働であることは誰であってもやってみればすぐに理解出来る類のものです。

そして次に歩く場所の問題があります。

整地された道路や建物の床のようなフラットな場所を歩くのならば、筋肉痛になるまで歩くのに一時間では到底足りません。

しかし雑木林の地面には水平に整地された道などどこにもないのです。

地面に接地する足の裏という小さなスペースでさえも起伏に富んだデコボコがあり、ちょっとした勾配があらゆる場所で起伏を作っています。

そうしたデコボコな地面を慣性という勢いナシで歩くには、バランスをとる為の神経や全体重を支えて動かす筋肉に大変な負荷がかかります。

これらが私の場合は副次的に良い鍛錬にもなってくれるのです。

まあ、こうした事はやってみて初めて分かり役に立つことなのですが、端っから知ったかぶってやる気のない方々の偏見に対しても一応はお答えしようと思い、こうして今回綴ってみました。
















































































(﹡ˆ ˆ﹡)みんなおはよ。

























































































とある施設の片隅の桜がようやく綻び始めました。

…一方いつもの桜もそろそろ明日あたりでしょうか。


















(﹡ˆ ˆ;;)ちょっともったいない気持ちもくすぶっているのですが、今朝も瞑想中に一度エナガペアの声が耳元から聞こえて来るものの…私は、スルスルスルーしていました。

どうやらヒナヒナ達が…

(´ • ө • `) (´ • ө • `) (´ • ө • `) (´ • ө • `)

「マンマー!!マンマー!!ハラヘッター!!」

と、大騒ぎを始めるのは晴れた日の日の出からおよそ一時間経った頃に始まるようなのです。

そのヒナヒナ達が大人しくしている日の出からの一時間程度の間に、親鳥のエナガペアは自分たちの食事を済ませているのかもしれません。

そしてそのタイミングで彼らの気が向いた時に、時々私にも構ってくれているみたいに思われるのであります。

まあ、状況を繋ぎ合わせただけの推測に過ぎませんが、やっぱりもったいないなぁ…とか思いながら米粒サイズのエナガペアを眺めていました。



















アオサギ若様登場。




じーっ………



















………およそ二十分後




すこーしだけ脚の位置が動いている他は、ほとんど動いていないように見えます。

この後更に二十分後にもチラッと見た時も、まだ若様はここで水面を見つめていました。

若い内は落ち着きが無い。

これはほとんどの生き物に当てはまりそうな事実ですが…こちらの若様は恐らく巣立ちを果たして一月前後の若者であります。

彼に瞑想というものを教えたらあっという間に悟ってしまいそうですよね。

(炎△炎)…負けてはいられませんねッ!(笑)。
















(﹡ˆ ˆ﹡)通算四度目の家出から帰ってきたアントニオくん(ジョウビタキ♂)です。

過去三度の家出から帰ってきた時には毎回アントニオくんは私目掛けて真っ直ぐに飛び込んで来て「たっだいまー!」と、ばかりに挨拶をくれていたものですが…




今回は何やら少し躊躇いのようなものを伺わせています。

家出中に私たち人間の暗黒面にでも触れてよほど怖い思いでもしたんじゃないのか…との妄想が止まりません(笑)。

アントニオくんを怖がらせないようにそっとこの場を去ろうと歩き始めると…


























ぼっふん!








(◎-◎;)アントニオくんの家出中に私との距離感をグッと縮めて来たジョビ吉くんが…ジーーッと見ていました。

もしかしたらアントニオくんはジョビ吉くんの…

(´ • ө • `)「それいじょーちかずいたら…ぶっとばすぞー!われ!」




みたいなジョビ吉くんの気合いビームを警戒していたのかも知れない今朝の川っぺりはこれまでに御座います。















生きとし生けるものが幸せでありますように。




230 拝









3/28 ヴィパッサナー瞑想 (+えながハウス 二十一日目)

2016-03-28 12:16:59 | 日記

(T.T)…おけつがいたいであります(笑)。

昨日はテーラワーダ仏教主催の瞑想会に初めて参加して来ました。

そこで(もちろん休憩は挟んでいただけたものの)およそ10時間!ほど座りました。

そしてかねてより尊敬申し上げているアルボムッレ・スマナサーラ長老の御尊顔を初めて拝謁して……お昼過ぎには私のおけつが悲鳴を上げ始めていました(大汗…)。

<(_ _)>

そんな情けない私に長老からは沢山のお叱りと助言、更にやりがいがありまくる宿題をたくさんたくさん頂きました(慶)。

私は瞑想というものを約二年ほど独学で続けていました。本で得た知識は私の今までの経験に合致することが余りにも多くあり尚、私の経験などよりも更に先を行く知識でありながら…

私はヴィパッサナー瞑想というものをいつの間にか自己流に都合よくカスタムして、自覚の無いままに改悪し実践していました。

その間違っていた部分がハッキリと掴めただけでも大変な収穫であります。
















マーヤーデーヴィ精舎の皆様。

スマナサーラ長老。

そしてお釈迦様。



<(_ _)>

こころからありがとうございます。















































さて今朝からの私の川っぺりでの散策は、今までとはかなり大きく変化せざる終えません。

まず日の出の写真を撮り終えてからの一時間は、みっちりと「歩く瞑想」からのスタートになります。

歩く瞑想とは。

私たちは普段歩いている時に歩くこと自体には大して注意を払っていません。

何かしょーもない考え事をしながら無自覚に無造作に歩いています。

その考え事とは何か?。

これからこうなる(かも知れない)という先のことを…仮定の上に仮定を重ねて重ねて重ね過ぎたものを、何故か真実だと思い込んで考え込んでいたり…

ほんの少し前のことから遥か大昔にあったこと…既に終わったことや済んでしまったことを、ネチネチネチネチ思い返し考え込んでいたりしながら歩いています。

大抵の場合私たちはの心は過去か未来に飛んでフワフワとさまよっています(笑)。

「今この瞬間」を置き去りにしたまま。

しかし私たちの主観的にはそんな自覚など全くなく、バカ丸出しでフワフワと楽しんでいたり、又はボンヤリとした意識てフラフラしていたり、或いは自分は頑張っているとか苦労しているなどと思い込んで苦しみながら歩いています。

こうした私たちの思いや考えは全て「妄想」であると…人類で最初に看破せしめた御方が彼のお釈迦様だったということになります。

そしてこの難攻不落にも思える「妄想」という悪魔を超越せしめ、そこから更に究極の自由「解脱」へと至る絶対の方策として「ヴィパッサナー瞑想」という道を開いて下さいました。

やり方は至ってシンプルです。

私たちの動きの一つ一つを「実況中継」するのみです。

歩く瞑想をする時はゆっくりと歩きながら足を動かす流れを…

「上げます」「運びます」「下ろします」

と、自身の動きを分割し完全に把握しながら、間髪を入れずに心の中で実況し続けます。

字面だけ見るなら本当に単純で簡単な事なのですが!…

これがそう思ってやってみると、如何に自分が妄想という悪魔にヤられっぱなしでいるのかという…情けない現実に直面し続けて、いい加減嫌気が募ります。

そして昨日の10時間では今まで私が自己流で改悪していたヴィパッサナー…のような瞑想では、単純に実況中継が甘く、ぬるく、中途半端なものだったと知りました。

故に、「今この瞬間」に完全にコミットしようとしても、調子のいい時でせいぜい二、三分が関の山。

それでいつの間にか私は晩飯のことやエナガペアのことに心が捕らわれて…楽しんでしまっていました。

しかし今朝は気がつけば一時間以上歩ききることがアッサリと出来ていました。

(﹡ˆ ˆ;;)……隠しようもない嬉しさが込み上げて来るのですが、まだまだ長老から頂いた宿題のほんの一部分にも満たない成果でしかありません。

まだまだ喜ぶには早過ぎです。

(﹡ˆ ˆ﹡)…が、雲一つ見当たらない晴れ空に似た今朝は清々しい気持ちのする川っぺりの夜明けであります。















(﹡ˆ ˆ﹡)みんなおはよ。























































































瞑想の最中に二度ほどエナガペアらしき囀りが頭上から大きく聞こえ来ましたが、それでも心地よい集中が途切れませんでした。

そして瞑想が一段落した後、私はエナガペアを待ちましたけれど…↓こんなんが精一杯です。




(﹡ˆ ˆ﹡)ほんの一日留守にしただけでヒナヒナ達は大きな鳴き声を上げるようになっていて、エナガペアも私の相手どころでは無いようであります(笑)。




そういえば一昨日は…「(多分、俺がいない時に限って…ジョビ達が渡ったり、桜が咲いたり…ヒナヒナ達も巣立ちしちゃうんだろーなー(哀)」などと妄想していましたが…















(﹡ˆ ˆ﹡)ジョビ吉くんもしっかりいらして、実際にそのような変化はまだ起こっていませんでした。

しかしそれはそれで如何なものかと思っていると…




















( • ̀ω•́ )…通算四度目の家出から華麗に戻って来たアントニオくん(ジョウビタキ♂)がどや顔でのおかえんなさいであります(キリッ✧)。




それでは今朝の宿題はこれまでに御座います。

生きとし生けるものが幸せでありますように。




よい一日を。








230 拝







3/27 お出かけ番外編 「ゆっくり」

2016-03-27 06:52:04 | 日記

昨日は元町、三宮という名の通った繁華街を華麗にスルーして、新開地という下町(なのかな?)を二時間ほどぶらぶらしていました。

時節柄、いつ何時発砲音や衝突音や爆発音が怒声と共に響くかとドキドキしていましたが…至って平穏無事でありました(笑)。

それにしてもアレですね。

真っ昼間の街中でネクタイを締めたオッチャン達の片手には…ワンカップが装備されている比率がとても高い土地柄なのですね(笑)。

そんな街並みを眺めながらぶらついていると、ちょっと派手なオネーチャンがアーケードの入り口に差し掛かりました。

その背後に忍び寄る…見た目はなかなかチャラいオニーチャンが、人混みの中をスルスルと滑るような足運びでオネーチャンに追ついてスカウトをはじめています。

まあスカウトとかはどうでもいいのですが、このオニーチャンの足運びや体捌きにはちょっと刮目しました。

相手から事前に接近を察知されて逃げられないことを主眼に置きつつ、後のフレンドリーなコミュニケーションの為にあえて気配を悟ってもらえるようにゆっくりと歩く。

こういう歩き方は私も毎朝鳥たちを相手に川っぺりでやっていることです(笑)。

そしてゆっくりと意識的に歩き始めてからしばらく経つと、いろいろな発見が多く私の世界がかなり変わって来ました。

ゆっくり歩くこと。

とは言っても普通にただゆっくり歩くだけでは何に対しても大して役に立ちません。

ただ単にゆっくり歩くのではなくて、自分が今出来る精一杯のレベルで極限にまでゆっくりと歩くのであります。

私たちは子供の頃から早く、速く動くことはそれなりに学ぶ機会がありました。

しかし意図的にゆっくり動くことを学ぶ機会があったことが有る人はかなり少ない筈です。

これはひとえに大多数の人々が「ゆっくり」動くことに価値を認めていない…いや、価値があるなどとは夢にも思っていないからです。

確かに動きを早くすることでお金を儲ける機会がいろいろ増えることはあるでしょう。

動きをゆっくりとすることで直接的にお金が儲かることなどは、確かにあまりありません。

それはその通りですね。

私たちが欲にまみれて欲を満たす為には「遅い」ことなど害悪にしかなりません。

しかし

「欲を満たすことでは、いくら頑張っても幸せにはなれない」

と、そういうところまで骨身に染みて理解している人々ならば…意図的に、そして理性的に極限にまでゆっくり動くことに途轍もない価値を見つけられます。

という訳で、ゆっくりと歩くことですが。

一度だけでも極限までゆっくり歩く事を試してみればすぐに分かる事があります。

最初はたった5mの距離であってもまともに歩ききることは難しいでしょう。

とにかくバランスがとれない筈です。

自転車の運転などに例えると分かり易いのですが、物質が移動をする時には慣性の法則と摩擦が必ず発生します。

自分の肉体の力以外の力…それ即ち自然法則の力が私たちの動きに作用します。

簡単にいうと「勢い」がつきます。

自転車に乗ってある程度のスピードを維持していると進むのがとても楽です。

逆に自転車のスピードを歩く速度にまで落として維持すると今度はめちゃくちゃに疲れます。

実際にある程度速く動くことは、ゆっくり動くことよりもかなり楽なのです。

何故ならそれは自分の肉体の力だけで動くのではなく、自然法則の力が補助をしてくれる分だけとても楽になるのです。




……ちょっと話が脇道に逸れますけれど…

法則と言えばいわゆる「引き寄せの法則」とかってありますけれど、あれは単なる営利目的の商売です。

いわゆる「マイナスイオン商法」と同じようなもんです。

イオン化というただの自然現象を知らない人々の無知につけ込んだバカ丸出しの真っ赤な嘘を塗り重ねた売り文句と同レベルのしょーもない詐欺まがいの(御立派な!)御商売ですから(笑)。

まあまた気が向いた時にでも詳しく解説するかもしれませんけれど…ね。




…で、は、ゆ、っ、く、り、と、話、に、戻、り、ま、す(笑)。

だからと言って自然法則は私たちを意図的に補助することを目的にして存在している訳ではありません。

それまで追い風で楽ちんに進んでいた時に、いきなり風向きが変わってものすごい逆風に晒されて一歩も動けなくなることなど、人生ではありふれた出来事です。

まずはこうした自然の力を極力排し、自力というものがどれだけのものかを確認することが「ゆっくり歩く」ことで見つかる最初の発見になります。

端的に言うと自分のバランスの悪さがどれほどのものなのかという、客観的な事実を身を持って体験し確認することが出来ます。

と………ずいぶん中途半端なところですが、ここでブログを書く時間が一旦なくなりました。

相変わらず自分でも何が言いたいのかよく分からん作文ですが(笑)。




よい一日を。





230 拝