佛暦2561年 3月4日
(^^)みんなおはよ。
神原 「これは本当に箴言だな。偽物だからこそ本物よりも本物らしい。私や戦場ヶ原先輩にとっても、身につまされる言葉ではないだろうか?」
ヶ原 「まあそうね。ずっと猫をかぶっていた私とか、真の願いから逃げていたあなたとかには、重い言葉ね。私なんて、演技でやっていると思っていたからこそ、中学時代、理想像の私であれたのでしょう」
(西尾維新 著/副物語 上 より)
自分がその時々に感じている気持ちを周囲に素直に現せないのは、そうすることで今までに何度も痛い目に遭って来たからです。
だから普通は自分の本当の気持ちを隠すようになる。
そして何時でも何度でも本当の気持ちを隠してばかりいると、その内だんだんと隠すことが上手になる。
やがて自分自身の本当の気持ちが分からなくなる程に上達してしまえば、それは本物よりも本物らしい、立派な自分の偽物が心の中に出来上がる。
でも、まあ、結局、見る目のある人からして見れば、そんなのは所詮バレバレなんだけどね……と。そしてこの手の偽物は人間にしかいないのだと、そう思う今朝の川っペリはこれまでに御座います。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
230 拝
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